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信用出来るのは、人の悪口を言わない人

私は、人の悪口を言う人を信用できない。なぜなら、今は私の前で他人の悪口を言っているが、いつか私がその人の気に入らない言動をすれば、きっとその人は別の人の前で私の悪口を言うだろう。だから、悪口を聞いた途端、その人に心を許せなくなるのだ。

ここで注意してもらいたいのは、悪口と批判は違うという事。そして、これはあくまでも大人の話であるという事。

子供の頃は

小中学生の時は、生きる世界も狭く、また、悪口を言ったり言われたりして人間関係を学んでいくものだ。だから悪口を言っても良いというわけではないが、今悪口を言っている子の事を、未来永劫信用しないというわけではないという事。つまり、その子は成長して信用出来る大人になるかもしれないという事だ。

私もいろいろあった。小学生時代は大人しくて、悪口を聞いている方だった。それでも、

「○○ちゃんとしゃべっちゃダメだよ!」

と、強い子に言われても、反論しな代わりに、こっそり○○ちゃんとはしゃべっていた。二人で掃除当番だった時、普通に会話していた。それでも、強い子たちがいる前ではおおっぴらにしゃべれず、○○ちゃんを一人にしてしまった。

中学生になると環境が一変して、そして私の性格も一変した。活発で明るくなったのはいいのだが、いわゆる「強い子」になった私は、仲良くしていた子が気に入らない言動をし始めた時に、仲間はずれにしてしまった。

彼女は家で嫌なことがあって落ち込んでいたのに、それを慰めるどころか、学校でも辛い目に遭わせてしまった。慰めて~というオーラを出しつつも、何か言っても無視するような彼女の態度に、当時の私は腹を立てたのだが、それで他の友達をもけしかけて仲間はずれにした行為は許される事ではない。後悔しているし、あの時の自分を消したいくらいだ。黒歴史とはこういうものの事を言うのだろうか。

高校生になっても、まだまだ未熟だった。それまで以上にすごく友達と親密になった。親友だと思っていたが、私が重すぎて、独り占めしようとしすぎて、上手く行かなかった。多分、性格が実は合っていなかったという事なのだが、自由奔放な彼女に振り回され、結局何となく喧嘩別れ。更に次の友達も同じような目に。

もう、自分には友達は出来ないんだと、ものすごく落ち込んだ。というか、自信をなくした。どんな悪い奴でも仲間がいるのに、私は独りだ・・・と思ったものだ。

それからクラス替えがあったからか、いつの間にかいつも一緒にいてくれる友達がいた。それなのに、私は彼女の言動に時々苛立った。友達になりたい人と、なってくれる人が違うという事に悩んだ。その友達(仮にAさんとしよう)を、私は少し避け始めた。

しばらくAさんを避けようとしたり、一緒にいてもほとんど口を利かなかったりした。それでも、Aさんはいつも一緒にいてくれた。そのうち、私はふと思った。こんなにひどい事をしているのに、一緒にいてくれるなんて、Aさんは何て心の広い、優しい人なのだろうと。

それで、Aさんにぼそっと「ごめんね」と言って、私は少し涙ぐんだ。

「何が?」

Aさんは何のことか分からないという風に、にこにこしていた。それから、私はAさんと普通に会話をするようになり、その後ずっと仲良しだ。

大人になったら

そんな変遷があり、大人になった。大人になってからは、面と向かって悪口を言われたり、分かるように陰口をたたかれたりする事はない。

OL同士のいじめや、ママ友同士の確執などが時々耳に入るが、実際に私の身に起こったことはない。これは、たまたまそういう場に恵まれたからだと思っていたが、例えばママ友の話だと、本当に私のすぐ近くに不穏な話はある。私のよく知っている人に悪口を言われたとか、陰口をたたかれたという話を聞く事がある。

これは、私が人格者だから、悪い人も私の前ではいい人になってしまうのだ・・・などと言うつもりはない。その可能性が1ミリもないわけではないが、多分そんな事はない。

もう一つ言っておくことがある。私は騙されやすい人だった。

「ほら、すぐ騙される」

と言われて笑われた事がどれだけあった事か。だが、そういう事がたくさんあったせいもあり、少し人を疑うようになった。これは、悲しい事のようでもあるが、やはり大人になるには必要な事なのだと思う。

話半分で

誰かが人の悪口を言っていたり、悪口を言われたと言った時、私はその話を鵜呑みにしないようにしている。悪口を言う時は、感情的になっている。悪口は話半分で聞いている。半分は、相手の言い分を聞いてみないと分からないからだ。

いろいろ経験がある。こっちの話を聞いたら、

「あの人はひどい!」

と感じるが、相手の話を聞いてみたら、

「なーんだ、こっちの人も悪いじゃん」

と、感じたりする。だから、一方からの話だけでは判断できないのだ。

悪口や愚痴を言うなら

自分が無神経な事を言われて、すごく怒った事もある。それでも、喧嘩はしたくなくて、その場では我慢する。そんな時、そのままでいたら精神がやられる。そんな時にはどうするか。誰かに悪口を言うしかないではないか。

私は思う。その悪口、いや、愚痴かな。それは、誰かに話してもいいと思う。だが、もしママ友の悪口ならば自分の親兄弟に、職場の人なら友達に。たとえ相手の名前を出しても分からないような、関係ない人には言ってもいいと思う。万に一つも相手の耳に入ることはないし、言ってすっきりするだけだ。

だが、ママ友の悪口を、他のママ友に言うと、相手の耳に入るだけでなく、

「ああ、この人私の悪口も誰かに言うな」

と思われてしまうというわけだ。学校の友達もそうなのだ。成長段階だから仕方がないのかもしれないが、自分を守る為にも、学校の友達の悪口は、家族に話そう。信頼できる家族に。つまり、自分の味方に。

ツイッターで

誰にも話せない愚痴や悪口を、やってしまいがちなのがツイッターでつぶやく事だ。

ツイッターで人の悪口を言っている人を見て、

「見損なったな」

と思ってしまった事がある。残念である。もう、その人の言う事をあまり信用出来なくなってしまった。けっこう好きだったのに。

学生が、友達の悪口をツイッターなどでつぶやいて、バレないと思ったのにいつの間にかバレて、トラブルになるという事は想定しよう。多分、友達と繋がっているだろうから。

誰にも知られていないアカウントを使っても、絶対バレない保証はない。

一方、ツイッターでしか知らない相手の悪口を、ツイッターでつぶやく場合はどうか。

誰の事だか全然分からないような状況なら、問題ないと思う。だが、自分のこのツイートにこういうコメントをした人、という感じで相手を限定して悪口を書いた場合はどうか。それは、誰が見てもこの人の事だという事が、ツイッター上で分かる。そうすると、たとえフォロワー外だとしても、一度コメントを書いた人ならば見る事もあるだろう。だから、本人が自分の事だなと分かる。

だから何だ、と開き直るなら結構。だが、そこで悪口を書いて、フォロワーさんが同調して、同じように悪口を書く。それを見ると、私は嫌な気持ちになる。そして、自分もうっかり相手の気に障るコメントを寄せてしまったら、よかれと思って書いたのに、よそで悪口を言われていたら・・・そう思ったら、悲しいし、そういう悪口を書き合っている人たちとは、関わりたくないと正直思ってしまう。

自分で確かめてから判断しよう

もし、私があまり悪口を言われない人だとすれば、それは、私が悪口を言わないからだと思う。批判はある程度する事もあるかもしれない。だが、悪口とは違う。相手をさげすみ、おとしめ、あざ笑うような、そういう言葉を使うのが悪口だ。

信じらんない!バカじゃないの!

などなど。うーん、もっと並べようと思ったのに、思いつかない。そういう言葉を使わないからかもしれない。

私が信用している友達も、悪口を言わない人だ。悪口を言う人が目の前にいる時には、その人の気持ちを汲んでちゃんと相づちを打つのに、それで洗脳されたりしない。聞いた悪口を他で言う事は絶対にない。

そう、大人なら、自分で判断しよう。誰かがあの人は悪い人だ、と言ったとしても、それを一つの意見として受け止めつつも、言われた人の事をよく知らないのに「悪い人」だと決めつけないようにしよう。決断するのは、自分でちゃんと確かめてからだ。それまでは、もしくはそれが出来ないならば、他人に「悪い人」だなどと言ってはいけない。そういう事だ。

みんながちゃんと大人になれば、デマの拡散に悩まされる人は居なくなる。デマ、フェイク情報で、ある日突然自分が責められたらどうするか。そんな世の中にはなって欲しくない。

いや、既にそんな世の中だから、改めようではないか。変えようではないか。大人になろうではないか。

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