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再開館記念「不在」ートゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル展@三菱一号館美術館

招待券があるからと、お友達に誘われてやってきた、三菱一号館美術館。実は初めてここにやってきた。

三菱一号館美術館

東京丸の内にあり、東京駅から徒歩5分ほどの立地。高いビル群に囲まれて、近づかないと見えない。しかし、目にすればすぐにこれだと分かる赤レンガ造りの建物である。

これは、かの有名な鹿鳴館の設計をした「ジョサイア・コンドル」が設計したもの、を復元した建物だそうだ。

門を入ると素敵なお庭。ここで友を待っていると、若い男の子がカメラマンに写真を撮られていた。アイドルかモデルの卵かな?

↑この写真は美術館の入り口。中に入り、ロッカーにコートを預けて入って行くと、こんな階段も。

中は、レトロと新しいがミックスされた空間であった。

「不在」

ロートレックは、かつて「存在」についてこんな言葉を言ったそうだ。

風景に感動する人に「人間だけが存在する。風景は添え物に過ぎないし、それ以上のものではない」と。

ロートレックが活躍した時代は、それまでの「肖像画が上等で風景画は下等な芸術だ」と思われていた常識が崩れ、印象派アールヌーボーなど、風景や花、昆虫や魚などを題材にする芸術家が台頭してきた時代だった。それでも、ロートレックは少し古い考えの持ち主だったのか、やはり人間こそ主題なのだと思っていたようだ。

ソフィ・カル氏は現在活躍中の芸術家である。彼女は「不在」をテーマにした作品を多く手掛けているとか。

ロートレックも今は「不在」。作品だけが存在する。それは分かるが、ロートレックが存在について言葉を残した事と、今回のテーマが「不在」である事の関係は、ホームページの開催概要を読んでも、あまりよく分からない。まあ、とりあえずロートレックを観てみようではないか。

トゥールーズ=ロートレック

いつも置いてある「作品リスト」がない。と思ったら、QRコードを読み込めと書いてある。なるほど、ペーパーレス化いいね。ちょっと面倒だが、びよーんとして読む方が字が読みやすい。

が、結局作品リストは見ないものだ。だって、絵は必ずしも番号順に展示されておらず、絵の傍にある札には、番号と共に作品名や年代が書いてあるものだから。

最近、鉛筆で作品リストにメモをしていたが、それができない。メモ帳を持ってきたのだが、結局出さなかった。

写真撮影禁止の部屋と、OKの部屋とがあった。そして、思ったよりもたくさんの作品があった。

そうそう、この展覧会のホームぺージを読んだら、ロートレックの「リトグラ」と書いてあって、あれ、「リトグラ」じゃないのか?と思った。もしかして、私が今まで間違えていたのか?!と。しかし、展覧会の作品名には、ちゃんと「リトグラ」と書いてあった。ホームページはミスプリだろう。

三菱一号館美術館の再開館を記念する展覧会 ←これね。ロートレックの説明のところ。

ロートレックと言ったら「ポスター」を思い浮かべる。キャバレーなどのポスターだ。

実際、歌手や踊り子を描いたポスターがたくさんある。しかし、それだけではなかった。様々な商品のポスターも描いていた。で、私だけでなく友達も言っていた事だが、描かれた女の子が可愛くない。美化していないというか、あまり若々しくないというか。それがリアルだったのだろうか。

「ディヴァン・ジャポネ」

「ラルティザン・モデルヌ」

「コンフェッティ」

途中、黒い長手袋が置いてある絵を差し、それで描かれていない人物の存在を表している、などと書いてあった。なんか、こじつけのような気がしてならない。「不在」と「存在」を無理やり結び付けているような。

ロートレックの絵をこんなにまとめて観たのは初めてだった。面白い絵もたくさんあった。人物描写が上手いし、動物も含めて可愛げがある。ユーモラスだ。

「シンプソンのチェーン」これ、自転車ではなくチェーンの宣伝なのだ。人物の表情が面白い。右から2番目の女性など、「ちょっと何見てんの?」てな感じのリアルな表情だ。

それから、ポスターだけでなく、雑誌の表紙や本の挿絵なんかも多く手掛けていた。なかなか素敵だった。

「ザ・チャップ・ブック」誌

「怒れる牝牛」誌

「ラ・ルヴュ・ブランシュ」誌

「悦楽の女王」これは、小説のポスターである。

宣伝をするなら、写真よりもむしろこれらのポスターの方がいいな、と思った。目立つし、伝わるし。現代の企業さん達も、たまには宣伝を絵画にしてみてはいかがかな?

ソフィ・カル

さて、お次はソフィ・カル氏の作品である。

まずは映像作品だった。「初めて海を見る人」。トルコ人だそうだ。年老いた男性、スーツを着た男性、車いすの男性、年老いて片方の目に不具合のある女性、若い女性など。彼らはこちらに背を向け、海を見ている。しばらくすると、一人ずつこちらに振り返る。涙を流す老人。他の人は何とも言えない表情をしていた。

うーむ、早速分かりにくいぞ。でも、私は考えていた。初めて海を見る時、それが幼い頃だったらどんな風に感じるのか。この映像ではみな大人になっている。大人になってから初めて見るという事は、海水浴や観光で海を訪れる事のなかった、裕福ではない人たちなのだろう。日本にも、大人になるまで海を見た事のない人はいるだろうか。海の近くに住んでいればそんな事はないだろう。日本は海に囲まれているから、多くは幼い頃から見ているだろうか。いやいや、関東平野のど真ん中に住み、裕福でない家庭に育ち、旅行などには行けない子供もいるだろう。

と、色々考えてしまった。そうやって考えさせるのが目的?そうかもしれない。

さて、写真OKだったのが、父親や母親に関する作品だった。

展覧会の看板にもなっている絵、じゃないか、写真か。本当は横にしてあるのが自然だと思うが、あえて縦にしてあるのだろう。これが母なのだとか。横には、母の最期の日記が展示してある。

作品にはフランス語がたくさん書いてある板が付属しているが、その和訳が貼ってあった。長い。ちょっと3つほど並べてみようか。

こんな具合だ。他にも、

こんなものが。「サイレント心臓発作」という作品である。父が病に倒れた時、私も病気になったという話が書いてあるようだ。帯状疱疹と心臓発作。これも和訳を見れば、すごく長々と書いてある。内容と羊?とは何の関係があるのだろう。

これは「私の母、私の猫、私の父」という作品だ。母と父が3カ月かけて亡くなったという話が書いてある。そして、両親が亡くなった時に髪の毛を切りとるのを忘れたと書いてある。飼い猫が死んだ時には毛を一房とっておいたのに

写真を撮ったのはここまで。しかし、この後も面白いものが続く。

あなたには何が見えますか」シリーズは、入り口に紙の束がホチキス止めになっていた。どうやら和訳したものらしい。助かる、と思ったら「返却してください」と書いてあった。なるほど。

ここは、美術展で絵を観ている人を後ろから見ている写真だった。しかし、その人が観ているのは、絵が空っぽの額縁。盗難に遭ったようで、絵がなくなったのにそのまま額縁やラベルだけが展示してあるのだ。

和訳を読むと、なかなかユーモラスだ。私に見えるのはカーテンの模様と額縁だけだとか、その額縁の柄の説明をしたり、ないけれど見えるとか、却って想像がかきたてられるとか、あれこれと言葉を紡いでいる。呟いている、と言った方がいいだろうか。

やっぱり長々と、しかもいくつもの絵に対して、ちょっとは違うが同じような事を呟いている。ぶつくさと。少し開き直っているというか、いや違うな。ぼやいている、かな。

私が必死に和訳を読んでいる中、友達も含め、回りの観覧者がどんどん次の部屋へ行ってしまった。え、みんな速い!さては、皆さん途中で読むのを辞めたな?私もちゃんと読んだのは2つくらいで、その他はほぼ読み飛ばした。

監禁されたピカソ」の部屋では、ピカソの作品が紙で覆ってある写真が連なっていた。ピカソ美術館の休館中に撮影したそうだ。その紙にくるまれた絵の傍には、作品名などが書かれている。ああ「不在」だが「存在」を窺い知れるというわけね。

なぜなら」という部屋は、作品が文字の書かれた布で隠されていて、それをめくって観るというものだった。布には「なぜなら」から始まる言葉が書いてある。めくると写真があってなるほど、となるのだが、布の陰であまりよく見えないものもあった。もっと高く布を持ち上げれば見えるのだろうが、私の身長では限界が。

最後に、ソフィ・カル氏本人かな?と思われる人物が薄布に巻かれて台の上に横たわっている写真があった。そして、やはり言葉が添えてある。

三菱一号館美術館には、生きている作家の作品が並んだ事はないそうだ。ソフィ・カル氏はオファーを受け、大変名誉な事だと思ったが、開催までに自分が死ぬんじゃないかと心配になったそうだ。それでも、だんだん会期が近づいてきて安心していたのだが、そこでコロナのパンデミックが。開催は延期された。また不安になったとか。

それは不安になっただろう。やっぱりコロナで死ぬんじゃないかと思っても不思議ではない。だが、無事生きている内に開催されたようでなによりだ。

それにしても、彼女は饒舌だ。芸術家にしては……しゃべりすぎ。ちょっとうるさい。普通芸術家は言いたい事を作品で表すものだと思うが、まるで物書きのようによくしゃべる。珍しい芸術家だ。

それでも、現代アートは分かりにくいと思われがちだし、それならば芸術家自らが説明してしまった方が良いかもしれない。もしかしたら、今後の芸術はこうなって行くかも?知らんけど。

坂本繁二郎とフランス

最後の部屋には坂本繁二郎の展示があった。1921年(大正10年)から3年間、フランスへ渡って画業を重ねた人物である。オマケかな?

絵の様子はやはり印象派を思わせる色合いや筆致。これはモネっぽいとか、セザンヌっぽいとか。

実際、ポール・セザンヌの静物画や、カミーユ・コローの風景画なども展示してあった。坂本氏は、フランスでの収穫は、コローの絵に接した事だと言っている。

丸の内ビル

2時間で展覧会を鑑賞し終え、お昼を食べようと外へ出た。この建物内にあるレストランでは、展覧会とのコラボメニューがあるそうで、行ってみたが60待ちだった。そこは諦め、建物をぐるりと回り、丸の内ビルディングへと移動した。

↑三菱一号館の外壁。

丸ビルに着いた。とりあえず地下へ行ってみた。平日の12時半より少し前だ。

会社員と思われる人が行列していた。それに、あまりゆっくりしゃべっていられる雰囲気ではない。よって、地下は辞めて5階へ行ってみた。

その頃には時間も12時半を過ぎ、だいぶ空いていた。イタリアンのお店に入り、4人でテーブル席へ。後ろの窓の景色が素敵。

珍しいメニューがあった。ゆず胡椒を効かせた小海老と青海苔のクリームというフェットチーネ。青海苔とクリームソースが合うような気がしない。だが、ゆず胡椒が入れば合うのかも。気になるので注文してみた。

これがまた、思ったよりも辛い。口の周りがヒリヒリした。でも美味しい。緑色の物は、全てが青海苔ではなく、ホウレンソウも入っていると思われる。

実は、福岡から東京に来ているアート部の仲間がいた。新宿にいて、この後東京駅へ来て新幹線に乗るそうだ。何とか会えないかと思って、2時頃までここに居る事にした。ちょうど、この店は制限時間が90分だそうで、12時半に入ったから2時まで居られるのだ。

ということで、食後にジュースでも。ももジュースにしてみた。安いももジュースは甘いばかりで好きではないのだが、高級なももジュースはどうだろう。興味があった。それと、ジュースはブラッドオレンジジュースとももジュースの2択で、つい先日ブラッドオレンジジュースを飲んだばかりだったのだ。あれはすっぱかったな。

来た。抹茶ラテの人もいて、可愛いので一緒に写真を撮らせてもらった。

ももジュースは甘かった。ちゃんと桃だった。人によって色が違う気がした。桃によって色が違うから?1人り1個なの?贅沢だな。そんな事ないか?

美味しい。今、口の中がとても辛かったのでちょうど良かった。確かに美味しいももジュースだったが、普段あまり好きではない桃ジュースも、けっこう再現度高いな、と変な感想を持った。

店を出て、テラスへ出た。東京駅がすぐ目の前だ。さっき外国人数人がここで写真を撮っていたのも頷ける。

しかし、日陰になってしまってちょっと残念な感じが。夏なら日が当たっているのだろう。

そして、無事福岡の友達とは駅のホームで会えた。中央線に乗って来るというので、ホームで待ち構えていたのだ。ほんの少しの時間だったが、久しぶりにお話しできて良かった。また次回、東京に来てくれる時に会えるといいのだが。

以上、ロートレックとソフィ・カル展、いや、「不在」展のレポであった。けっこう見応えがあり、面白かった。レトロ建築が好きな人なら、部屋を移動する時に通る階段などにもテンションが上がるだろう。

会期は2025年1月26日(日)まで。美術館へのアクセスはこちら→三菱一号館美術館の再開館を記念する展覧会