今年もこの季節がやってきた。東京マラソン。私は1年中ボランティアをやっているのに、ボランティア仲間以外にもボランティアやるんだ!と知らせるのはこの東京マラソンくらい。ああ、今年は大阪・関西万博のボランティアをするので、それも皆に吹聴しまくっているけれど、それは毎年ある事ではないから。
東京マラソンのボランティアは、いつもチームエントリーをさせてもらっている。リーダーさんたちがとりまとめて応募してくれて、事前にオンラインで説明会やら顔合わせ会やらを開いてくれる。現場の下見もしてきてくれて、前日にはユニホームの配布もしてくれる。しかも、ユニホームと一緒に色々と手の込んだ心温まる贈り物まで忍ばせて。それは追々写真と共に紹介するとして、早速前日から振り返ってみよう。
ユニホーム受け取り
今までは、ユニホームは当日の朝に受け取っていた。前日まで出かけるとやる事が終わらないという事もあって。だが、やっぱり服装を考えたり、荷物の収め方を考えたり、キャップの被り方を考えたりするには、前日に物品を受け取っておいた方が断然いい。
しかも、今回のユニホーム受け取り場所は当日の集合場所でもある。前日に行っておけば、当日迷って集合時間に遅れる心配もなくなる。また、リーダーさんができるだけ前日に受け取りに来て欲しいと言っていたので、行く事に決めた。
近いというか、交通の便の良い所という事もあった。今回の活動場所は日本橋・水天宮ブロックである。東日本橋駅の近くだ。我々のチームの集合場所は久松児童公園だった。前日のユニホーム配布場所は、その公園の隣に位置する区民館。東日本橋駅からが一番近いという話だった。しかし、地図を見ると人形町駅からの方が近いように見える。しかも道がまっすぐで分かりやすい気がする。
どのみち、電車に乗っていて先にやってくるのが人形町駅である。人形町で降りた方が早く着けるというもの。とにかく行きは人形町駅から歩いてみて、帰りは東日本橋駅へ歩いて行こうと思っていた。帰りは活動場所を見てから帰れるという事だ。
3月1日土曜日。13時から配布を始めるという事だった。13時に来て袋詰めを手伝ってくれる人を募集していた。手伝いたいのだが、我が家の土曜日のお昼事情から、どうしても14時頃になってしまう。14時頃行くと伝えて、家を出た。予定よりも電車1本遅れたのは私の不甲斐なさである。
外は思いの外暑かった。暖かいという事は分かっていたが、朝晩はともかく昼過ぎなど、冬服では暑すぎる気候だった。マラソン当日も暖かいという予報で、何を着るのかまだまだ迷っていた。
外はまだ、風が吹いていてそれ程でもないが、電車の中が暑すぎる。そして、家の中も暑かったようで頭痛がしていた。コートも要らなかったし、ハイネックのインナーが恨めしかった。
人形町駅に着いて地上へ出た。GPSで方向を確認し、歩き出した。どうもこの辺の景色には見覚えがある。浅草線沿線はどこも同じような景色なのかな、などと思って歩いていた。
スマホの地図を確認しながら歩いていると、どうもGPSがふらふらする。自分の位置があっちに行ったりこっちに来たりするのだ。都心には時々こういう場所がある。だから困る。まあ、まっすぐ歩いているだけだから問題ないのだが。一応目印になるような建物を探すと、NTTのビルが見えた。あれ?これはやっぱり見た事があるぞ。しかも最近。
そうだ。1カ月ちょっと前に明治座へ行ったが、その時にこの駅から歩いたのだ。ああ、似ているどころではなく同じ場所だったのか。そして、久松児童公園が見えた。交番のところだ。1つ手前の信号を渡れば良かったのに、うっかり行き過ぎた。
公園に着くと、工事中なのか、それとも東京マラソン関係なのか、黒と黄の縞々のあれこれを運び入れたりしている人たちがいた。時間を見ると、人形町駅を出てから5分だった。14時を10分くらい過ぎている。
公園の向こう側に区民館があるはずで、公園内を歩いていたが、どうも公園を通り抜けられない雰囲気だったので、通りへ出た。地図を見ると通りから入るように思えたのだ。しかし、通り沿いには区民館はなかった。
ぐるっと回ってみたが、区民館がないまま、幼稚園になってしまった。おかしい。公園はこれでしょ……って、公園の中にあった。いや、さっき私が公園から出てしまったのは、工事の為なのか衝立のような物があったせいだった。しかし衝立は塞がっておらず、そのまま歩いて来れば会館の入り口前に来られたのだ。
ぐるぐるしたせいで、更に3~4分過ぎてしまった。会館に入り、階段で2階に上がった。和室を借りているという事だった。あ、あった。

引き戸がガタピシ。開きにくい。
リーダーさんたちが物品を並べていた。私が写真を撮ると、
「ブログに載せるんだったらもっときれいにしたのに」
と言われた。全然きれいだけど?

そして、これから袋詰めをするところだという。だいぶ遅くなったのに、手伝う事が出来た。感無量。
そして、せっせと回りながらナップザックにユニホームその他を入れていく。


いやー、いつもこうやってやってくれているのだねえ。感激しちゃう。更に、当日質問されると想定される事をまとめた紙まで用意してくれて、お菓子も。それらを1つ1つ入れる作業も手伝った。
ところで、早く来て手伝っていたメンバーが1人、せっせとメッセージカードを書いていた。これを、ナップザックに入れようという事になっているのだ。

可愛い!このバナナはリーダーさんの1人が描いたものらしい。手書きとは思えない。プロの仕事じゃ。ちなみに、我々が立つ場所の次の給水所でバナナが提供されるそうだ。だからバナナ。

袋詰めは終わっても、メッセージカード作りはまだ終わっていないのだが、お先に失礼した。
外に出て、今度は東日本橋駅の方へと歩いた。当日、この区民館のトイレが使えるそうなので、この道はトイレに行く道順という事になる。
とはいえ、あっという間に担当の場所にたどり着いた。近い。そして、歩道橋が目立つ。持ち場から、大会中に向こう側へ渡る場所を聞かれたら歩道橋を教えるという話だったが、これならどこにいても見えそうだ。
そして駅に着いた。やはり5分くらいか。人形町でも東日本橋でも同じくらいだった。
前日準備
家に帰ると早速翌日の準備を始めた。
もらってきた物を開けて、お菓子の袋の中を見ると、まあ!手作りのブレスレットが入っている!1つ1つ三つ編みにしたと書いてある!そしてチーム名や今回の活動場所が入った記念のシールも!

一緒にブレスレットをつけてボランティアやりませんかと書いてあったので、これは忘れないように腕時計と一緒にしておこう。それにしても、三つ編み大変だったろうなあ。涙出ちゃう。

ジャンバーには名前シールを貼った。

軍手にメッセージを書こう、とマニュアルに書いてあった。なんと軍手の手のひらにはそれ用の場所が。

書いてみた。ランナーさんの4割が外国人だと聞いたので、片方は英語で。
持ち物は何とか収まった。服装も悩んだ末、決めた。今日がとても暑かったので、反動で涼しい物にしてしまったかもしれない。今回カイロは要らないかなと思ったが、いつも一応持ち歩いていたカイロの使用期限が切れている事に気づいたので、1つ胸に貼って行く事にした。小さいものを2つ持って行き、もし寒かったら腕にも貼ろう。
当日の朝
スタート地点の活動だとかなり早いが、我々は14キロ・15キロ地点であり、それほど早くない。外に出ると既に明るかった。
やはり、夕べもあまり眠れなかった。ワインを1杯だけ飲んだのだが、飲んだ気がしないまま寝床に着き、時々目が覚めて、だけど目覚ましが鳴ったら頭が重いという。だったらぐっすり眠ればいいのに。私の脳ったら、厄介。しかし、同じアルコール量だとしても、ワイン1杯よりもビール1缶の方がよく眠れるようだ(私の場合)。

おお、こんなに影が長いのは珍しい(私の場合)。家の場所の特定とかしないでね。というか、もう少し手前で撮れば道路に何もなかったのに、つい進んでしまってから撮ったので、止まれの文字とか向こうの植え込みとかが写り込んでしまった。だからって、戻っていたのでは電車に乗り遅れるかもしれないし。悩ましかった。因みにこの場所は、そんなに家のすぐ近くというわけではないよ。
予定通りの電車に乗り、そう言えば一応トイレに行っておいた方がいいと思って人形町駅のトイレに寄り、A3出口を出た。昨日行っているのでスムーズである。ああ、未だかつてボランティア活動の朝にこんなにスムーズだった事があるだろうか。いやない。下見済みなのだから当たり前だが。
それと、この駅を利用するランナーはおらず、ボランティアも少ないので、トイレが混んでいたりもしない。そうそう、ボランティアのナップザックを背負っているので、トイレや改札で私を見て「あ!」という顔をしてくれる人が何人かいた。同じグループの人かな?だが、お互いに確信が持てず。とりあえずニッコリして、
「おはようございます」
と言っておいた。
集合時間7:45の少し前に公園に到着。まだユニホームを着ていないので、着替えを始めた。キャップは去年と同じだった。ユニホームは変わったのだが。ユニホームは今年から、毎年リユースするようになる。ナップザックも。大切に使わないとね。是非、キャップもこれ以上同じ物を増やさないでもらいたいものだ。キャップこそ、普段使えないから。

ナップザックは片面が透明になっている。活動中、透明な方を外側にして背負わないといけない。これは、爆発物など持っていないという証明なのかな。でも、もし危ない物を持っているなら、他の袋に入れてからナップザックに入れるよね。だからあまり意味がないような……いやまあ、抑止力かな?
そこで、昨日作ってくれていた例のカードを入れる事に。これは、入れても良いという確認済みだそう。ボードを手に持って応援はダメで、この方法ならば良いという事らしい。

目立つかな。ちょっと読みにくいかな。残念ながら、我々はランナーさんに背中を向けるわけではないので、読んでもらえないかな。
そうそう、今回のボラ活を記念して作ってもらったペットボトルチャームがある。今日はペットボトルを持っていなかったので、ナップザックにぶら下げた。

裏はこれ。可愛いでしょ。チャームと一緒にくっついているのは、自分で作ったレインボーマーク。LGBTQの理解者の印。片側のプラスティックが無くなってしまって紙がむき出しだが。

あー、やっぱりチャームの表もはっきり見せたいな。

活動開始
さて、公園から持ち場へと移動した。我々の持ち場は日本橋・水天宮ブロックの14区・15区。清州通り沿いである。道路の真ん中にカラーコーンを置いて往路と復路の両方になっている。
私の担当は14区である。三又になっている交差点よりも南側。往路は15.56~15.73km、復路は29.59~29.75㎞地点である。
コース管理をするのだが、これをグループでやるのは初めてであった。去年もおととしも給水だったのだ。去年は給食もあったが。私はコース管理を他のハーフマラソンでやった事があるが、東京マラソンは規模が違うので、経験があるとは言えないかもしれない。
14区の中でも、4つのグループに分けられた。私はBチームになった。2番目に休憩を取るのだ。Bチームは4人だ。3つの立ち位置に4人。1人がトイレに行くなどの小休憩をしても大丈夫なのだ。だが、それほど厳密にどこに立っていなければならないという事でもないらしい。
14区で集合し、我々ボランティアメンバーとボランティアリーダーさんの他に、何とか長の人とかが集まって、挨拶をした。まあ、挨拶は簡単に。そして、まずは物品を運ぶ作業から始まった。
カラーコーンやバーを運んだ。しかし、実際に設置するのは交通規制がかかる9時からしかできない。少し待つ。それにしても、意外に雲が出ていて日が隠れている。ちょっと寒い。冬服だったら寒くない程度なのだが、薄着なので。そうそう、今朝胸にカイロを貼ったのだが、ヒートテックの上に着たものの内側に貼ったら、あまり温かく感じない。貼った場所を上から押さえると温かさを感じるのだが。
私のいるチームは、道路の両側にポジションがある。ちょうど歩道橋の所だからいいのだが、あっちで作業し、こっちで作業し、とやると階段の上り下りが発生するのだった。
その歩道橋の階段の下に、ブルーのジャンバーを着た人たちが固まっていた。胸や背中には自転車運搬と書いてある。あー、この人たちは渡る人の自転車を運ぶのか。大変だなぁ。でもたくさんいるから、順番にやれば休めるか。
交通規制が始まった。パトカーが通過するのかと思ったら、違った。大きくアナウンスがあるのかと思ったが、違った。よく分からない内に、他の人たちが設置を始めたので我々も始めた。
最初は側道から大通りへ出る所をコーンとバーで塞ぎ、次にコーンを道路の中央へ運んだ。38個もあるから大変だ。私は一度に2個か3個しか運べないし。
と思っていたが、我々Bチーム以外の人もみんなで運んでくれたので、あっという間に38個がなくなった。10個を2メートル間隔に三角形に並べている間に、他の人が20個以上運んでくれていて、後残っていた数個を運んで、これだと間隔が狭いとか、曲がっているとか言い合って直し、あっという間に設置作業が終わったのだった。
給水だと紙コップにどんどん水を入れてタワーを作るという準備作業が続くが、今回はコーンとバーの設置が終わればもう準備する事はない。後はランナーさんが来るのを待つだけ。
いや、もう1つある。今年はマラソンコース検定があるらしく、計測する自転車が走るらしい。最短コースを走るので、道路の端を通るから、我々の立ち位置にかかるらしい。自転車が来たら縁石に乗って、自転車にぶつからないように、邪魔をしないように気を付けなければならないのだ。
私は復路側に立つ事になった。少し行けば15区の人が立っている。自転車が来たら声を掛けるから、声の届く範囲に立っていよう、とお互いに立ち位置を決めた。
ランナーが来た
まずは車いすランナーが来た。しかし、もちろん往路からである。我々は復路側で観客の方を向き、ややランナーが来る方に体を向けて斜めに立っている。が、まだまだ復路にはランナーが来ないし、観客も全然いない。時々歩道の方を確認しつつも、往路をランナーが通過すると手を叩いて見送った。
車いすランナーが来た後、検定自転車が通過し、それから中継車が通過し、トップランナーが来た。黒人さんばかり。
それから、第2集団が来て、その後はどんどんランナーが来る。すごい来る。でも、まだ復路には来ない。
往路を車いすランナーが通過してから約30分後に、復路にもやってきた。
おっと、危ない。
私が立っていた場所はカーブになっていて、来る方を見通せなかった。いきなり車いすが来たと思ったら、車いすはカーブを曲がるのに縁石ギリギリを責めてくる。慌てて縁石に乗った。
それから、予定時刻よりもだいぶ早く、検定自転車が来た。案外アナウンスは遅く、隣に立っていたお仲間の声掛けの方が先だった。
「自転車来まーす」
と言われ、私もすぐ後ろのお仲間に声を掛けた。
縁石に乗り、自転車をやり過ごした。自転車はなかなか速い。3台走っている。通り過ぎる時、すみませんだったか、何か声を掛けてくれた気がする。
今回、質問されるであろう内容をまとめた紙をリーダーさんが作ってくれていたが、それをポケットに入れておいた。ランナーの到着予定時間なども書いてあるし、本当に何度も見返した。助かった。
それにしても、このカーブの辺りは元々立ち位置になっていないところだった。やはりここは危ないという事なのだろう。いきなりランナーが現れるので、避けきれないのだ。
ということで、立つ場所を変えた。歩道橋の向こう側に立つ人がいるはずが、いなかったのでそちらの方へ向かった。まあ、立ち位置は何となく適当だ。
立っている時、リーダーさんがちょくちょく声を掛けに来てくれた。水分取ってねとか、もうすぐランナーが来るよとか。安心だ。
車いすランナーが来たので、そろそろトップランナーが来る。観客もボチボチ立ち始めた。
外国人と思われる男性が、しばらく私の前でスマホをいじっていたが、とうとうこちらに話しかけてきた。英語で。
「ここはどこですか?」
と、英語で言ってスマホの画面を見せた。地図だ。マラソンコースの地図だ。それを拡大させてきた。15区の所を指さし、英語で15と言ったところで、リーダーさんがこちらへ来た。そして、ここは30キロメーターだと言ったら、その男性は納得していた。そうだった、こっちは復路だから15じゃなくて29.7㎞くらいの地点だった。
そうだ。もうすぐ30キロ地点だ。やっと体得した気がした。
さて、中継車が来た。日テレのやつ。ランナーを映すから、我々の顔は映らない。映るとしたら背中。そういえば、準備中に14区の区長さんが私の背中の文字を読んで、
「まだまだいける?どこに?」
と言って来たのだった。私は一瞬何の事か分からなかったが、背中の文字だと気づき、
「自分の限界?」
と答えたのだった。
さて、背中の文字もトップランナーさんからすれば見えない。彼らは後ろを振り返らないだろうからね。私はランナーさんからすると斜め横を向いている。だが、手のひらにも字を書いたわけだから、これを見せようと思った。
両手を広げ、
「頑張れー」
「ナイスラン」
などと言って応援した。だが、コーンなどを運んだせいか、手のひらの文字は所々薄くなっていた。しかもちょっと黒く汚れた。残念。マジックペンで書き足したいくらいだった。
しかし、やっぱりインコースを責めてくる人はいるわけで、邪魔をしてはいけない。私は縁石に乗り、体を斜めに向けて両手を広げ、応援していた。
だが、これはなんだか腰が痛くなる。縁石は細い。その上に多少斜めを向いて乗るのは、平均台で演技をしているかのよう。けっこう疲れる。
しかし、両手を挙げて手を振っているからか、ランナーさんはけっこうこちらをチラッと見てくれた。嬉しかったのだが、やっぱり疲れた。だんだんランナーが増えてくるにつれ、手のひらを見せるのも、声を出すのも辞めてしまった。だって、本当に疲れるし喉が渇く。
リーダーさんが通りかかり、水分取ってね、と言ってくれた。水筒はリュックの中。そうだな、やっぱり飲まないと。私はリーダーさんの声掛けをきっかけに、リュックを下して水筒を出し、お茶を飲んだ。
ちょっと寒くて、移動する前は日が差すところが羨ましかったのだが、移動した先は日が出れば日向だった。雲があって、日が出たり隠れたりしていた。だいぶ寒くなくなってきた。
お昼休憩
Bチームに割り当てられた昼休みは11:15からだった。時間になったので、同じチームの人に声を掛け、休憩に入った。ジャンバーを脱ぎ、コンビニに寄る人は寄り、あの公園へ。
花粉症の人にはきついだろうが、とても気持ちの良い気候である。昨日、ユニホームを受け取ったあの建物、区民館のトイレを借り、その前にある大きな木のベンチに4人並んで腰かけた。
買っておいたパンなどを食べる。我々の前を、工事の片づけか何かをしているおじさんが通る。あの、ちょっと近いんだけど。どうしてこんなに我々の近くを通るのか。行ったり来たり。3回くらい前を通ったかな。
食べ終わって、いただいたお菓子を食べようかと思って時計を見ると、もう休憩時間があと15分もなかった。意外と時間が経ってしまった。最初にコンビニの辺りでゆっくりしていたせいだが。
急いで片づけた。ユニホームで写真を撮りたいと言う事で、けれどもユニホームを着ている時に写真を撮ってはいけないので、私だけユニホームを着ないでみんなとの写真を撮る事にした。というのも、私は持ち場へ行って写真を撮り、それからユニホームを着ようと思っていたから。
ところが、前にもこういう時にSNOWというアプリで写真を撮ろうとして、ダメだった事があったが、今日もダメ。何かグレードアップしないとダメという風になってしまう。前に、次男に直してもらったのだが、どうやったか。モタモタしていると時間がないので、結局別の人のスマホで撮る事に。私が撮れば他の人のスマホでも良かったのだが、結局うやむやに。まあ、1人ユニホームを着ていなければ……(ちなみに、家に帰ってからSNOWを開けたら問題なく使えた。なんだよー、もう)
荷物をあれこれやっていて、もう本当に3分前くらいになってしまった。
「先に行くね!」
ユニホームを着ていない私は、より切迫している。小走りをして持ち場へと向かった。
歩道橋を渡り、何とか12時になる前に到着。ランナーさんが走っている道路の写真を2枚ほどパシャパシャ。休憩が終わる2分前であった。
ブログに載せる為に写真を撮ったのだが、ランナーさんや向こう側の歩道にいる観客たちの顔がたくさん写り込み、全てを加工するのが大変なので載せるのは辞めた。何をやっているのだか。
急いでユニホームを着て、キャップを被った。そして車道の方へ出た。
「ありがとう」「Thank you」
だいぶボリュームゾーンになっていた。ランナーさんはどんどん来る。道一杯に走っている。だから、縁石に乗っているしかない。時々後ろを向いて他のボランティアさんを見た。車道に出ているなとか、皆縁石に乗っているな、などと確認していた。
ある女性のランナーさんが、持っていた空の紙コップを私の目の前の縁石の上に置いた。
仕方ないので、ゴミを入れる為のビニール袋を出した。その為のビニール袋は3枚ずつ配られていたが、それは東京マラソンのプリントがしてある大きい持ち手付の袋で、ごみ入れにしてしまうのは勿体ない気がした。それよりもまず、ユニホームが入っていたチャックシール付きの大きい袋をゴミ袋にしようと思った。
そのビニール袋に例の紙コップを入れた。すると、別のランナーさんが私に近づいてきた。手には空のパウチを持っている。その持っているものを高く掲げて近づいてくるので、袋に入れて欲しいという事が分かる。
そうやって、私がゴミ袋を持った途端、次々にゴミが持ち込まれた。さっき休憩に入った時、往路に立っていた2人から、ランナーさんからゴミを手渡されたという話を聞いて、ウソ~と思っていたのだが、本当だ。確かにそうなる。
でも、走っているのにゴミを持ち続けたくない気持ちはよく分かるし、その辺に捨てられるよりはゴミ袋に入れてくれる方がいい。なので、嫌がる事なくゴミを引き受けた。いや、むしろ積極的にもらい受けた。
外国人も日本人も、時々ゴミを持って近づいてくるので、袋を大きく開けてもらい受けた。
「アリガト」
「ありがとうございます」
「Thnak you」
などと、その度に言われる。言わない人もいるけれど、それは別にいいのだ。ゴミはだんだん重くなり、持っている指が痛くなってきたけれど、私は充実感を得ていた。やはり、ランナーさんとの言葉のやりとりがあるのがいい。
すると、男性のランナーさんに、
「トイレって、まだ先ですか?」
と聞かれた。私はさっとポケットから紙を出し、
「トイレは……300メートル先です!」
と答えた。そのランナーさんは、ああ、それなら近いや、という感じで走って行った。
また、若い女性のランナーさんが、ペットボトルのスポーツドリンクを持って、
「これ、中身入ってるの、どうしたらいいですか?」
と聞いてきた。残っているというより、ほとんど飲んでいない状態だった。どうしたらいいか?給水所か?いや分からない。まあ1人くらいなら……と思った私は、
「いいよ」
と言って、そのペットボトルを受け取った。ついタメ口。若い子だったものでつい。彼女は赤い顔をしていた。私もよく、喉が渇いてスポーツドリンクを飲んでみるものの、余計に喉が渇くような気がして困る事がある。彼女がそうだったのかどうか分からないが、こんな重い物をずっと持って走りたくはないだろう。
一度、ゴミ袋の中にペットボトルを入れられたので、それを出して縁石の上に立てておいた。ペットボトルば別かなと思って。ペットボトルを入れられると袋がすぐいっぱいになりそうだったし。それでも受け取ってしまった私は、また縁石の上に並べて置いた。
しかし、縁石の上に立つのはやっぱりしんどい。もう、皆さんそれほど急いでなさそうだから(?)沿道に立つ事にした。邪魔だと思ったら避けてくれ。
水……
だんだん暑くなってきた。午前中には日向に立っている人が羨ましいと思ったのに、今は逆に日陰が羨ましい。暑いし、喉が渇く。お昼休憩の後は、ポケットに水筒を入れておいたので、時々飲んだ。
だが、すぐに水筒は空になってしまった。こんな事なら休憩中に買っておけばよかった。活動中でも小休憩を取っていいのだが、ユニホームを脱がなければならない。すぐそこに「まいばすけっと」があるが、脱いだり着たりが面倒で、しばらく我慢していた。
しかし、まだまだ終わらない。まだ12時半頃。あと1時間半くらいはこうして立っているのだ。どう考えても水がないとやばいだろう。
という事で、同じチームの人に声を掛け、ユニホームとキャップを脱いでまいばすへ入った。水1本を買って出てきた。ごくごく飲む。結局大して飲めないのだが、それでも全く飲まないのと少しでも飲むのとでは大違い。生き返った。
さて、再び持ち場へ。しかし暑い。手袋が暑いのだと思って外してみたりしたが、ゴミを受け取り損ねて(というか、ランナーさんが入れ損ねて)落ちてしまったものを拾う事があるので、やっぱり手袋をした。
すると、手でコップから飲む仕草をしたランナーさんがいた。ああ、水が飲みたいのだなと思ったが、そのまま走り去ってしまった。私はポケットから紙を取り出した。給水所は400メートル先と書いてある。今度見かけたらそう声を掛けよう。
と思ったら、やはりまたそういう人が現れた。日本語なら、
「給水所は400メートル先でーす」
と、割と簡潔なのだが、水を飲むような仕草をするのは外国人なのだ。それで、
「フォーハンドレッドミーター……」
と言ってみたが、その後に続く語が分からず尻切れトンボに。フォーワードかな、それとも先にゴーを付けるのかな、などと考えていると、また女性の西洋人風のランナーさんが、私ではなく、私のすぐ前に立っている青いユニの若い女の子たちに英語で聞いていた。水はどこ?というような事を。
それで、私は
「あー、フォーハンドレッドミーター」
とまた言った。でも、彼女は走っているので、どんどん遠ざかる。どこまで聞こえたか分からない。そして、通じたのかも分からない。やっぱり何か前置詞か後に続く言葉がないと通じないかな?
実は水を買いに行った頃に、直射日光には当たらなくなっていた。それでも、都会にはありがちだが、日の当たったビルの窓ガラスか何かに反射した光が私に当たって、反対側に影を作っていた。
時々、私の前辺りで立ち止まり、足のストレッチをしていくランナーさんがいる。歩道橋だからだろうか。ひとり、医療ボランティアさんからOS-1をもらった男性ランナーさんがいた。足を引きずりながら手すりのところまで、つまり私の目の前まで来た。どこが?と聞かれて全部と答えているのが聞こえた。そして、医療ボランティアさんは、
「じゃ、頑張って」
と言って行ってしまった。かなり辛そうで、歩けそうもないランナーさんだったが、まだ走るらしい。私は、空になったOS‐1のゴミを受け取り、
「もうすぐ30キロ地点です、頑張ってください」
と言った。彼は分かっている、という風に頷き、足を揉んだりしながら、何とか歩き出していた。あと10キロ行けるのかなぁ。
他にも、私の目の前で靴を脱ぎ始めた女性ランナーさんがいた。彼女は足に何かを貼っていた。そして、そのテープから剥がした紙などを私が持っているビニール袋に捨てた。
ゴミは重くなるけれど、たくさんのありがとうをもらった。ゴミを捨てなくても、ボランティアを見かけると、
「アリガト~」
と言って通り過ぎる外国人ランナーさんもいた。とても楽しい。かなり長い事立っている感じで、腰が痛くなってきたけれど。
ずっと縁石に乗っていたらやばかったと思う。途中で辞めて正解だった。
歩道橋のゴタゴタ
たくさんの人が同じ方向にずっと走って行くので、それを見ていると酔うと言っている人も多かった。私はそうでもなかった。ゴミを手渡されるかどうか、という観点で目を光らせていたからというのもあるが、もう1つ、目の前で繰り広げられる歩道橋のゴタゴタに時々目を奪われていたからかもしれない。
歩道橋に自転車の人が来ると、軽い自転車の人は自分で担いで上って行く。子供を乗せる自転車や電動自転車などの場合は、運搬員が2人で1台の自転車を持って運んで行った。
親子で自転車で来る人もいて、お父さんの重たい自転車を運搬員が運んであげて、お父さんと娘が一緒に歩いて上って行ったのに、娘の自転車が取り残されていた事があった。言おうかどうしようか迷っていると、運搬員のリーダーさんが気づいて、
「今になっちゃったから、いったん様子見」
などと言っている。いやー、どう考えても運んだ方がいいと思うのだが。まあ、結局しばらくしてから運んで行ったが。
そんなハラハラもあったが、ある小さい男の子には笑った。
お母さんが自転車を運んでもらおうとしていたのだが、何かが息子の顔に当たってしまったみたいで、その息子が泣き出してしまった。
「痛いよー!」
と、片目を押さえて大泣き。大丈夫かな、と心配になってそちらを見た。しかし、私もずっとそちらを見ているわけにもいかないので、ランナーさんの方を見たりしながら、チラチラと見ていた。運搬員の人が自転車を運び始め、お母さんがその後に続いて歩道橋を上ろうとした時、傍にいた青いユニの女の子がお母さんを呼び止めた。あの、と言って女の子は指さした。私もそちらを見ると……。
なんと、今さっきまでわんわん泣いていた子が、歩道の向こう側の水が流れているところギリギリに立っていた。お母さんは慌ててそちらへ向かった。いやー、速い。変わり身が速すぎるよ。目を押さえて泣いていたから、目の怪我を心配していたのに、もう一瞬で興味のある方へと引き寄せられているのだ。子供ってほんと、何するか分からない。小さい子なので、女の子が気づかなければ迷子になっていたかもしれない。しかし、目は大した事なかったみたいで良かった。
片づけ~終了
ランナーさんがまばらになってきた。もうそろそろ終わりだ。みんなでゴミを拾い始める。とはいっても、ランナーさんの邪魔になってはいけない。難しい。
排水溝にスポーツドリンクを捨てようと思い、一応リーダーさんに確認を取った。まあ、いいでしょうという事で、捨てようと思うとランナーさんが来るので、まだ早いか、と引き返すなどを繰り返す。アホだ。
もう、ランナーさんがいなくなった。まだこれから収容車が来るが、スポーツドリンクは捨てた。給水の時に紙コップからバシャバシャこぼすのとは違って、ペットボトルから直接捨てると全く周りは汚れない。たとえ多少道路が汚れても、後で清掃車が走るから大丈夫なのだ。
ゴミを拾い、結局縁石の上に溜めていたペットボトルも袋の中に入れ、チャックを閉めた。他の人が拾ったゴミの袋も近くに置かれていたので、それらをまとめてゴミを集める場所へ持って行った。
収容車やパトカーなどが走り、交通規制解除の時間になった。カラーコーンなどを片付ける。それもみんなでやるとあっという間だ。ずっと立っていて疲れるというのもあるが、やはりやる事は給水の方がたくさんあるな。
また14区で集合して、区長さんたちと発生した問題などを話し合い、挨拶をして終了だった。
みんなで写真を撮った。中州のところで。ここには東京パラリンピックのモニュメント?があった。

その後、着替えなどをしながら、今日気づいた事をリーダーさんに話した。さっき、区長さんたちにも話そうかと思ったけど言えなかった事を、ここで話した。
我々は沿道に立つ事になっているけれど、車いすやトップランナーさんとぶつかりそうになったし、最短コース上に立っていていいものかと疑問に感じた、と話した。かといって、縁石の上にずっと立っているようにと言われても困るが。検討してもらいたい。
打ち上げ
行ける人は打ち上げへと移動した。歩いて行かれる場所。小伝馬町駅の近くにあるインド・ネパール料理のお店。15時頃から団体様なんて、お店としては美味しいよね。と、去年も思った気がする。

いやー、喉も乾いたしまずは生ビール。お腹が空いているのかどうか微妙な時間だけれど、最初にサラダを食べたら美味しくて、ガンガン食べられた。枝豆炒めもとてもグッド。


そんで、その後出てきたお料理は写真を撮り忘れた。ナン&カレーやモモ、鶏からも出てきた。他の人が撮ってくれた写真をゲットさせてもらったけれど、ブログに載せるのは辞めておこう。


けれども、飲み物だけは写真を撮った。レモンサワーとマンゴーラッシー。飲み放題だったので。3杯目はマンゴーサワーにしようかと思ったが、その前にトイレに行ったらけっこう酔っていて足元がふらついたので、やっぱり辞めてソフトドリンクにしておいた。しかし、マンゴーラッシー甘い。
最後にジャンケン大会があって、なんと、欲しかったあのピンバッジをゲット!ありがとうございます!

これは、東京オリンピックの時にアクレディテーションセンターにIOCのバッハ会長が現れた時、ボランティアに配ってくれたというピンバッジ。私は一日おきに活動していたので、ちょうどいない日にバッハさんが来たと聞いた。すごく残念に思っていた。そのピンバッジをいただいてしまった。感謝。
17時半頃、解散した。みんな楽しそうにたくさんおしゃべりしたね。もっと頻繁に集まろうという話も出た。東京マラソンもグループで3回目かな?打ち上げは2回目。お互いに気心も知れてくる。まだ、全員のお顔とお名前が一致しているわけではないのだけれど。
また来年も一緒にやりたいね。今度はどんな役割になるだろうか。どの場所になるだろうか。いつかフィニッシュエリアになれるだろうか。でも、どこでもいい。チームでの活動はやっぱり楽しい。そして、ランナーさん達と心を通わせるのも楽しい。
独り、人形町駅に戻った。いや、途中まではお二人と一緒だった。他の人は店のすぐ近くの小伝馬町駅へ行ったはずだ。途中まで一緒だったお二人が、自分はこっちなんで、と言って曲がって行ったのには驚いた。
「みんな、ちゃんと分かってるのね!」
私はとにかくまっすぐだった。GPSを見て、大通りに出たら右に曲がるのだ、と思って歩いて行く。大通に出た頃には夕焼け空になっていた。
曲がって、大きい交差点まで来て、ここ知ってる!と思って信号を渡った。しかし、よくよく考えてみたら、勘違いしていた。全然知ってないじゃん。1回信号を渡れば良かったのに、3回渡って駅の入り口へ。相変わらずのおっちょこちょいである。
以上、2025年の東京マラソンのボランティアレポであった。多少おっちょこちょいもあったものの、無事に活動を終える事が出来た。全てはリーダーさんたちのお陰である。また来年も今回の黄色いユニホームを着る事になるのだろうか。実は、洗濯をしたらマスターカードマークに折れ線が入ってしまった。もし着るならば、アイロンをした方がいいのだろうか。アイロンなんてしていいのか?まあ、それはまた来年考えよう。
それでは、また!