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東京2020パラリンピック総括

パラリンピックを知ったのは

私がパラリンピックの存在を知ったのは、大学の授業だった。かれこれ25年程前になる。

パラリンピック自体は私が生まれる前から開催されていたし、オリンピックには多大な関心を寄せていたのにも関わらず、知らなかったのだ。障害者のスポーツ大会があるという事を。

私は社会系の学部だったので、福祉関係の授業だったのか。あまり覚えていないが、パラリンピックの映像を初めて見た。そして、とても感動した。

こんな、良い物があったのか!

と。若い時には特に、突然事故や病気で体が不自由になったらどうしよう、目が見えなくなったらどうしよう、という不安があった。だから、パラリンピックの存在を知った時、こういう物があるなら、もし障害者になってしまったとしても、絶望する事はないなと思ったのだ。目指す物があれば、救われると。

徐々に知られてきたが

パラリンピックが誕生してから30年あまりして、私は存在を知った。それから25年ほど経つ間に、日本人の間でもだいぶ知られて来た。うちの子供達は、小中学校で教育を受けた為に、よく知っていた。かつて、息子達と同じ小学校出身の方がパラリンピックのボッチャに出場した事があって、母校に講演に来てくださったそうだ。

存在は知られていたが、あまり競技を観る機会は増えていなかったように思う。オリンピックが終わった後、どれだけパラリンピックの放送があっただろうか。少なくとも、私はちゃんと観たことはなかった。また、観たいとも思っていなかった。それが、今年の東京2020大会では大きく変わったのだ。

東京2020大会で、私はオリンピック期間にフィールドキャストとしてボランティア活動をした。だから、オリンピックにはいつも以上に関心を持っていた。テレビでも様々な競技が放映されていて、家にいる間はずっとテレビを付けてあちこち観ていた。他のボランティアさん達の中には、テレビを何台も置いて観ているという人がたくさんいた。

気乗りしない理由

そうしてオリンピックが閉幕し、ほどなくしてパラリンピックが開催された。開会式が平日だったので、いきなりショックを受けた。それほどに、オリンピックとは違うのかと。そして、NHK以外の民放ではほとんど放送しないという事実を知ってこれまたショック。車いすバスケの日本戦だけは民放で放映していたが。

だが、大会の理念などにはものすごく共感していても、実は競技を観戦するという観点からすると、実はあまり気乗りしていなかった。それはなぜか。

自分の心を見つめると、あまり言いたくない事が出てくる。あえて、ここで書かせてもらう。私は、パラリンピアン達を「見世物」のように見たくなかったのだ。自分たちと違う、物珍しい異形の人たちを「観る」という行為に、あまり気乗りがしなかったのだ。それでも、夕食の後などに自然と始まるパラリンピック競技の放送を見たら、私のその思いは大きく変換するのだった。

彼らは明るかった

例えば陸上競技で、選手が会場に入場する時に、一人一人がテレビ画面に向かってポーズを取ったりするだろう。これは、オリンピックもパラリンピックも同じだった。普段、服で隠されているであろう腕や足も、競技においては邪魔な物は排除している。それは、競技に勝つためだと思われるが、人と違う部分、欠けている部分をさらけ出すその潔さが、とても美しいと思った。そして、パラリンピアン達がとても明るかった

短い手でポーズと取っておどけてみたりする選手達を見て、ずっと考えていた「見世物」云々の感情は間違っていたと思った。実際にパラリンピアン達を見たら、悲壮感などなかった。一部自分と違うところがあっても、おおかた同じ人間だ。人よりちょっと腕が短くても、指が少なくても、可愛いな、くらいの感覚だった。面白い人やかっこいい人や、色々なのは、パラリンピアンかどうかは関係なかった。

競技を見てもそうだ。確かに、競技人口の差や、体の違いにより、オリンピックのレベルよりも低い競技も多々ある。けれども、多くの競技がオリピックの競技とは別物だった。走り方、泳ぎ方、目の見えない人の合わせ方。そして、車いすの扱い方。十分「すごい!」と思わせるものがあった。

教科書がない

いくつも感動したが、伴走者(ガイドランナー)とまるで二人三脚のように歩調を合わせて走る短距離走には驚いた。男性同士ならまだしも、体格が全然違う、視覚障害の女性ランナーと男性の伴走者がぴったりと歩調を合わせて走るのには驚いた。そうやって、ずっと一緒に練習してきたのだな、と思うと思わず涙が出そうだった。

それから、選手それぞれ障害が違うので、「教科書がない」という言葉が印象に残った。正しい泳ぎ方、走り方というのを誰も知らないところから、自分で探って行かなくてはならないと。それは大変でもあるけれど、面白いと思った。きっとやりがいもあるだろう。

レガシー

かつて、障害者スポーツは、やりたくても金銭的なサポートがないから出来ないという話を聞いたことがあった。もしかしたら、東京でパラリンピックが開かれる事になって、サポート体制がレベルアップしたのかもしれない。だとしたら、東京で大会を開催した意味は大きいのではないか。

また、少しずつしか進んでいなかった日本のバリアフリー化も、これを機に多くの人が障害者の事を知り、気に掛け、その結果スピードアップしていくならば、それがレガシーとなるのではないか。

また、民放では競技の放送がほとんどなかったのだが、夜のスポーツニュースでは取り上げていた。メディアが先か世論が先かは分からないが、間違いなく以前とは違う、感心の高さが窺えた。

開閉会式

開会式、閉会式にも感動した。パラリンピックはテーマを決めやすいという事もあるだろうが、多様性を体現していて、良かった。

開会式のプログラムで、片翼の飛行機を演じた少女が、最後飛べたのだが、「飛ばないという選択をしても良かったのではないか」と言っている人がいた。新聞で読んだのだが。私は、どうやって飛ぶ事を表現するのかと思ったら、光を上手く使って表現していて、それに感動してしまった。考え方は色々。誰もが飛べるというのもいいが、誰しもが飛ばなくてはならないわけではない、というのもまたありだろう。

閉会式は、美しかった。面白かった。色々な障害を持った人が演技をしたり演奏をしたりしていた。知ってもらう事が出来てよかった、という評が出ていたが、確かに、これだけ多くのエンターテイナーがいる事を知った事は、有意義だったと思う。

一つの大会に

大学生の時に初めて知ったパラリンピック。25年あまり経ってやっとちゃんと観てちゃんと知る事が出来た。見世物にされているという誤解を、解くことが出来た。そうじゃないのだ。大丈夫。

また、オリンピックとパラリンピックを分けるのではなく、一つの大会の中の別競技にすればいいのでは、という指摘もある。私が最初に思ったのは、開会式や閉会式を、一つの国が両方準備するのは大変だから、一緒にやった方がいいのではないか、という事だった。いずれ、一緒になる時が来るのではないか。期間を延ばし、競技数を増やして行けば出来ない事はない。結局、先に健常者スポーツをやって、後で障害者スポーツをやる事になるかもしれないが。

何十年とかけてここまで来たパラリンピック。また、何年かかけてより良くなってくだろう。そう願う。

東京2020パラリンピック公式プログラム 雑誌