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特別展「和食」@国立科学博物館

2023年12月20日(水)

新聞でこの展覧会の広告を見た時、ビビッと来た。可愛い。以下の写真はチラシであるが、これと同じ写真が新聞に載っていた。「和食」の文字の中に、ご飯梅干しが入っているではないか。文字そのものは海苔というわけだな?他のお料理の写真が並ぶのを見てもまた、ワクワク。これは行くしかない。前売り券をゲットして、行かれる日を心待ちにしていた。

キュビスム展の為に上野へ行ったので、これはついに和食展に行くチャンスだな?と思った私。キュビスム展を午後3時に出て、すぐ隣の科学博物館へ移動した。ここからは独りで。

1章 「和食」とは?

科学博物館の特別展入り口から入場した。あまり人の気配がなく、スイスイ入れた。入ってすぐ、会場の地図をもらう。地図というか、会場の絵かな。そして、写真撮影は基本OKだが、映像の撮影はNGと言われた。

まず「水」の話から始まった。和食の話なのに水?と思うなかれ。水質が料理と密接に関わっているのだ。特に和食は出汁や調理に水を多用する。だが、実は水質を決めるのは「地質」なのである。

水の「硬度」は含まれるカルシウムマグネシウムの含有率で決まるそうだ。私はもっと色々なミネラルが関係しているのかと思っていた。これらの含有率が少ないのが軟水、多いのが硬水というわけだ。この間どこかのブログに書いた気がするが、ヨーロッパの水は硬水だから紅茶をいれるのに適していて、日本の水は軟水だから日本茶をいれるのに適しているのだと。今日は流石科学博物館。その水の硬度がどうやって決まるのかを教えてくれた。

雨水は、水蒸気が凝結した雲を源とするため、硬度はほぼゼロだそうだ。へえ。そして、雨が地上に降ると滞留する場所の地形や地質の影響を受けて水質が変わるらしい。日本は急峻な地形多雨により滞留時間が短いために軟水になり、大陸地域は平坦で滞留時間が長く、更に石灰岩が多い地質のために硬水となるらしい。

その結果、地域で発展した料理に違いが出た。基本的に日本の水は軟水だが、軟水は水の中に成分が溶け出やすく、出汁を使う和食に適しているとされる。一方、ヨーロッパは主に硬水で、シチューなどの煮込み料理に適している。なるほどねえ。

しかし、日本は全て同じような軟水かと思いきや、地方によって違う。そして、私が育ってきた地域の水はけっこう硬水に近い。驚き~

ちょっと小さくて読みづらいかもしれないが、硬度の高い地域が赤だ。水道水が、だよ。なんと私の生まれ育った埼玉は赤!昔、林間学校などに行く際に父に、慣れない地域の水道水を飲むと腹を壊すから飲むなと言われたけれど、群馬県や福島県の水道水は埼玉よりも軟水だったから、飲んでも大丈夫だったのかもしれない、と今更ながら40年位前の事を思い出してしまった。

そして、天然水の一覧も。こんなに色々あるのだな、と思ったので写真を撮ってみた。一つ一つ読んではいられない。

2章 列島が育む食材

キノコ

そういえば、説明ボードの全ての漢字にふりがながふってあり、子供向けな感じがするが、今いるお客はほぼ大人ばかり。全てを通して子供は一人か二人、お母さんと一緒の子を見ただけ。若いカップルもいれば、サラリーマン風の男性が二人、三人で連れだって観に来ている人も。女性の二人連れもいたが、一人で観に生きている女性も多い。

さて、和食とは?というテーマの1章は水だけで終わったようだが、ここから食材へ。まずはキノコから。

色々なキノコが展示してあった。商品になったものまで。

そしてこれ↑は毒キノコ!いや~確かに毒キノコは毒々しいものもあるが、食用キノコと見分けのつかない物も多い。やっぱりキノコ狩りは危険だな。

面白い話が載っていた。欧米において高級食材とされる野生キノコのトリュフ、ポルチーニ、モリーユなどは、その仲間が日本にも分布しているそうだ。それなのに、和食の食材としては登場しない。これらは発生する量も多く、昔の日本人がその存在を知らなかったとは考えづらい。反対に、日本で人気のあるハナイグチ、ナメコ、エノキタケのようにぬめりの強いキノコは、欧米では嫌われる傾向にある。同じように発生する食用キノコが一方では珍重され、一方では見向きもされない。この極端な違いは何なのか。面白い。

山菜

続いて山菜。山菜はまあ、珍しくないから写真に撮らなかった。だが興味をひかれたのは、同じ山菜にたくさんの名前が付いている話。いや、それは全く不思議ではないのだが、ワラビを他の地方では色々違った呼び方をしているのかと、興味を持ったのだ。

野菜

続いて野菜。野菜とは、人類が野生植物から、より食材に適して効率的に栽培できる植物を人為的に作り出した結果、誕生したものだそうだ。最近の品種改良がどうのという話ではなく、元々野菜というものは全て人間が作り出したものだったのだ。

野菜の栽培が始まったのは、穀物約一万年前よりも遅く、タマネギが約8000年前、その他多くの野菜が約3000年前に始まったのだそう。実は、日本に元々自生していた野菜はなく、ほとんどが外国から持ち込まれたものらしい。あまり知られていない、と書いてあるが、言われてみれば元々日本にあった野菜って、考えてみても思いつかない。

それでは、その様々な野菜がいつ頃、どこから来たかというのが一覧にしてあったので、ぜひ見て欲しい。これは必見。確かに、こんにゃく大根は元々日本にあったような気がしていたが、古くからあったというだけで、元々は南アジアやヨーロッパの物だったのか。しかし大根、中国からというならまだ分かるが、弥生時代以前にヨーロッパから来たというのが……不思議だ。

そして、今日本で栽培されている大根の展示。一枚の写真に収めきれず二枚に分けて。

東京の大根だけでも四種類はあるらしい。

それにしても、たくさん種類があるものだ。

続いて米。まずは気になる文章が。

水田、あぜ道、水路、森。現代には失われてしまった昔ながらの田園風景は、そこで淡水魚、昆虫、植物など野生生物の宝庫であった。また、その森や水田から出るミネラルが海に流れ込むことで、海の魚も育てられてきた。近年米離れと共に水田の生態系が衰え、米ばかりか大豆や海の魚の生産を減らし、ひいては和食文化をも衰退させてしまう可能性がある、と。

それにしても、今やコメの品種はたくさんあって、その違いもよく分からなくなってきたが、実は元々は四種類だったという話が。

品種改良が始まったのは、1904年に掛け合わせの方法が生み出されてからという。現在は300種類以上の品種があるが、系譜をたどればごく限られた品種「旭」「神力」「愛国」「亀ノ尾」にたどり着く。日本の米の品種の遺伝的多様性ごく小さい

そして魚!この展覧会の目玉とも言えよう。いや、お子様にとっては目玉である。何しろ、たくさんのレプリカが。本物そっくりなものも。

これはほんの一部で、もっとたくさんの生物、いや食材が展示してある。あと、ちょっと面白かったのが寿司ネタ

お子様が「えんがわって何?」って言いそうだし。でも、知らない寿司ネタが多すぎて、笑えない

海藻

お次は海藻。こちらもお子様が喜びそうな、ものすごく長ーい昆布も展示してあった。写真には収まり切らないので撮らなかった。私としては、昆布は珍しくない。

それにしても、海藻を多く食べる文化は、世界を見ても他にないそうだ。韓国も海苔やわかめを食べる事は知っているが、他の国の食材にはないのかもしれない。海藻の種類も日本ばかり豊富なようだが、それより驚くのは、日本人の多くが、海藻を消化できる腸内細菌を持つという事。逆に、他の国の人は海藻を消化できないのだ。

日本人は古代から海藻を食べてきた。平安時代には数十種類の海藻が、税の対象になっていたそうだ。多くの日本人が海藻を消化できる腸内細菌を持つという最近の研究は、日本の海藻食の歴史を裏付けている。

発酵

はい、待ってました発酵!何故って、ほら、酒でしょ。

いやいや、もちろん酒だけではない。発酵文化はバイオテクノロジーの原点なのである。発酵とは、微生物の働きで人間に有用なものを作り出す事である。温度を低くする、水分を少なくする、塩分を高くする、酸性を強くするなどして、腐敗に関わる微生物の働きを抑え、発酵に関わる微生物選択的に増やす。

日本の発酵食品には「麹(こうじ)」が多く関わっている。まだ微生物の正体が分からなかった時代に、コウジカビを増殖させることに成功したというのが、偶然なのか必然なのか。不思議だが、結果的に上手くやったというわけだ。

酒の匂いが嗅げる装置があった!なんか、ボタンを押すとか書いてあるのだがよく分からず。でも、何かしら作動して、顔を入れたらいい香りがした。お子様注意と書いてあったけど、匂いで酔ってしまう事もあるのだろうね、やっぱり。

酒の話は知っている事ばかりだったので、思わず素通り。それよりも、醤油と味噌の話が興味深く、写真を撮った。特に地域ごとの違いが面白い。

淡口しょうゆという物を知らなかったのだが、これだけ原材料にが含まれている。

醤油の色の違い。グラデーションがただ綺麗。

一番興味があったのが、この↑上の地図。どうして東京、神奈川、千葉、埼玉はその周辺と違って山を越えたところと同じなのか。ああ、平地だから?で、そのオレンジ色の塩味系しょうゆ以外というのは、たまりしょうゆの事なのか。四国でお刺身を食べたら、甘くてとろっとした醤油が出てきたから、それだよね。

それと魚醤についても驚き。日本にも地方によっては魚醤を使っていたのか。タイのナンプラーは知っているけど、魚醤と言ったら中華の調味料だと思っていた。

そして味噌。これこそ地域性が出るやつ。

味噌の原材料。大豆だけでなく、大麦、米も。味噌ほど多様性がある調味料もないわよね。

地域性。東京は米みその甘みその赤なのか。と、言われてもね。今は色々売ってるから。けど、食塩濃度を見ると、良く言われる東北地方は高く近畿地方は低いというのが伺える。麦みその味噌汁ってどんなだろう。

うま味

甘味、酸味、塩味、苦味に続く五番目の基本味がうま味。1908年、池田菊苗(いけだきくなえ)博士が昆布だしの主成分がグルタミン酸であることを発見し、その味を「うま味」と名付けたそうだ。味覚の種類でおいしさを表す「旨味」とは別物だとか。

うま味は食物にたんぱく質が含まれるという情報を脳に知らせるシグナルの役割があり、脳はそれを受けてたんぱく質を消化吸収するように体に指令を出すそうだ。

うま味の多い食材は

グルタミン酸
・トマト
・タマネギ
・昆布
・ブロッコリー
・グリーンピース
・アスパラガス
・チーズ
・マッシュルーム
・ビーツ

イノシン酸
・イワシ
・カツオ
・かつお節
・鶏肉
・豚肉
・牛肉

グアニル酸
・乾燥ポルチーニ
・干し椎茸
・乾燥モリーユ

ところで、昆布は主に北海道で収穫されるが、その北海道の中でも地域によって昆布の違いがあるそうだ。

最北端の利尻島、礼文島、宗谷岬を中心に収穫される利尻昆布は、くせがない高級だし昆布。

羅臼昆布はグルタミン酸が多く含まれ、濃厚な出汁がとれるので、うどんやそば店で重宝される。

襟裳岬を中心に収穫される日高昆布は、繊維質が柔らかく、そのまま食べる煮昆布として人気がある。

3章 和食の成り立ち

材料は終わって、いよいよ料理に移って来たぞ。まずは縄文時代から。

縄文時代の食

我々が子供の頃は、稲作は弥生時代に伝わったと習ったが、その後遺跡発掘調査により縄文時代にも稲作が行われていたことが分かり、今はどのように教わっているのやら。

だが、ここ和食展においては、こう書いてあった。南北3000㎞にわたり暮らした縄文人の食は地域と時代によって大きく異なっていたと断ったうえで、

「彼らは基本的には狩猟採集生活を営み、本格的な農耕を行うことはなかったが、マメクリなどを選択的に育てて、利用していたことが分かっている」と。

しかし、現代の日本人が縄文人の子孫と、渡来人の子孫とに分かれるという話は聞いたことがあるが、実は縄文人の遺伝子は1割程度で、私たちは基本的にはその後の渡来した稲作農耕民の子孫だそうだ。

だが、和食の特徴である自然との関りは、縄文時代から引き継がれているという。

それから、和食には塩が欠かせないが、日本では岩塩はほとんど採れず海水を干すなどして塩を手に入れた。その辺の写真を撮って来なかったが、代わりに岩塩の写真を撮って来た私。なんか、こんなでっかいのは見た事がなかったので。岩塩は綺麗だ。

両方ともドイツの岩塩だ。

弥生時代の食

神饌(しんせん)という言葉をご存じか。神に捧げる食べ物だそうだ。一般的にはお供え物と言うよね?

この写真は出雲大社の現代の神饌。神に捧げた後に人間が食す事で神人共食が行われたと考えるとか。美しい切り方や盛り付け方が大切にされたという事で、和食の盛り付けが美しいのは神饌の流れという事なのかもしれない。飾り切りとかね。

遺跡から出土する炭化米と呼ばれるものがある。これがそう。

真っ黒に変色した米。おにぎり状に固まったものもある。CTスキャンで内部構造を調べると、米だけの塊なのか、籾殻や穂軸がついているものなのかなどが分かるそうだ。

これは神奈川県平塚市の遺跡から出土した炭化米のCT画像。籾殻などは見えず、調理された米の可能性が高いらしい。

和食のあけぼの

いきなり興味深いものが。卑弥呼の食卓だって?図解と写真とを並べていこう。

アワビとかエゴマとかイイダコとか、なんか贅沢だなあ。そりゃそうか。天下一の権力者の食卓だものね。

お次は天武天皇の孫、長屋王の食卓だって。この頃の調理法はシンプルで、食べる人が醤(ひしお)や塩、酢などの調味料で自ら味を付けて食べたそうだ。

ちょっとガラスケースが光ってしまってよく見えないのが残念。品数は多いけど、卑弥呼の方が贅沢な感じがしたのは気のせいか?

こちらは庶民の食卓。そういえば、豪族が現れて、貧富の差が出てきたとか、歴史で習った気がする。しかし、塩がつくのはいいとして、これではたんぱく質が少なすぎるよな。これで大丈夫だったのか?

お次は平安時代の食。この頃になると中国の影響を受け、大饗料理(だいきょうりょうり)が成立したとか。一汁三菜という和食の基本となるスタイルが生まれたのもこの頃。ま、一汁三菜は庶民の方でしょうな。

これは大臣の御膳。

お次は精進料理禅僧が出てくる平安末期から鎌倉時代の頃に精進料理は生まれた。僧侶は殺生をしないということで、今でいうベジタリアン料理が作り出されたというわけだ。卵や牛乳もなかったから、ヴィーガン料理と言ってもいいのか。

精進料理、私は大好き。豆やごま油で充分コクが出る。たんぱく質もカルシウムも大豆で摂れるからね。

さて、大河ドラマ好きな方、戦国時代マニア必見。織田信長徳川家康をもてなした饗応膳だ。

どうする家康」でやってたよね。富士山旅行のお礼にと、信長が家康を招待して、明智光秀が差配した饗応膳。ドラマでは、家康が鯉の匂いが気になると嘘(?)をつき、そんなはずはないと言い張った光秀が信長に折檻されてしまうという。この場面は有名で、色々なドラマに登場するが、いつも鯉が問題だった?ちなみに鯉の汁は二膳の6。つまり一番右の膳の、左手前にあるやつ。鯉でっかいな。

それにしても、たくさんのお膳が並んでいるが、これが一人分?いやいや、違うよね?こっちはたんぱく質が多すぎだよ。でも、時間をかけて次々と運ばれてきて、酒と共に全部食べたという事なのかねえ。

そして、戦国時代から江戸時代にかけて発展したのが懐石料理。今も料亭やらお祝いの席やらでいただく事がある。

写真は江戸中期の懐石料理。確かに少し質素である。そうか、温かい物は温かく冷たい物は冷たく提供するというのは、割と新しい試みという事か。でもねえ、前もって作って置いたらみんな覚めてしまう。作る人の時間までをも贅沢に使うのが懐石料理なのか。なのか?解釈あってる?

和食の広がり

あまり学校では勉強した覚えがないのだけれど、北陸へ旅行した時に「北前船」という物を知った。まあ、菱垣廻船とか樽廻船という言葉は学校で習ったのだが。

そして、今日また重要な事を知った。ほら、食材のところで昆布の産地は北海道だと書いたけれど、昆布料理は全国各地で見られるでしょう?沖縄にもある。それは、江戸時代に交通網が発展したからなのだ。

蝦夷地から北前船で昆布やニシンが運ばれた。昆布は薩摩琉球を経て清まで運ばれ、そのルートは「昆布ロード」と呼ばれるとか。うっそー、シルクロードは知っているけど昆布ロードなんて初耳だけど。でも確かに、この地図が示している通りに昆布が運ばれたとすれば、昆布ロードは存在したという事だ。

ちなみに、北前船の寄港地では、昆布やニシンを使った郷土料理が親しまれたとか。なーるほど。それが北陸の各地であり、沖縄でもあるのか。沖縄では昆布は採れないそうだから、これはもう、北前船、昆布ロードがなければ生まれなかった「くーぶいりちー」である。ああ、くーぶいりちーって、昆布イリチーか。あとジューシーとかもそうじゃない?

さてさて、江戸時代には色々な物が発展したけれど、その中の一つが「外食」である。大都市で発展していったが、特に江戸は参勤交代や奉公人など、単身の男性が多く集まった。あと、1657年の明暦の大火後の復興のために多くの労働者が流入したとかで、「煮売り」や「焼き売り」という調理済みの食品を売る店が急速に広まったそうだ。

そして江戸後期には、すし、天ぷら、そばなどのファストフードの屋台、料理屋、居酒屋などが増えていく。1811年の調査では、江戸の食べ物屋は7600軒以上あったとか。江戸は外食だけで暮らしていくことも可能な都市だった。

寿司の歴史をご存じか。寿司は日本発祥ではなく、東南アジアから伝来した。古代の寿司は塩漬けした魚をご飯に漬けて熟成させる魚の保存食で「なれずし」と言う。室町時代になると発酵時間が短く、魚はまだ生っぽく、ほどよい酸味がついたご飯と一緒に食べる「生なれずし」が登場する。江戸中期1700年頃になると現在の寿司の原型となる酢を使った「早ずし」が生まれ、その後ちらしずし、巻きずし、稲荷ずしなど様々な寿司が登場する。1820年頃に江戸の寿司職人が握りずしを考案し、人気を博したそうだ。江戸の郷土料理が全国に広まって行ったのは第二次世界大戦後だという。へえ!握りずしは江戸発祥だったのか。

そば屋の屋台は一人で担げるようになっていたらしい。先の写真、そば屋台の全体と、中を左、右と覗いたもの。天ぷら屋台の写真は、天ぷらが串刺しになっていて、右に盛ってある白いものはどうやら大根おろしのようだ。寿司のネタにマグロがあるのがびっくり。白魚の寿司は…グロイなぁ。いや、偽物だからかな。本物だったら美味しそうに見えるね、うん。

それにしても、スタッフさんから「裏に回って写真が撮れますよー」とか言われても、子供じゃないし、いや一人だし、屋台から顔を出して記念写真、なんて事は出来ない。実際そうやって写真を撮っている人は見かけなかった。主催者の意図は残念ながら無視されている。

近代の和食

さて、ここからは美味しそうなもの、珍しいものの写真を。

江戸時代にはウナギはこうやって串刺しになって売っていたらしい。この形が蒲(がま)の穂に似ていることから「蒲焼き」という名前が付いたわけ。その後開いてさばくようになったけれど、名前だけ残っている。

これは江戸時代の花見弁当

次も興味深いものが。ペリー提督の饗応膳である。

1854年、ペリー提督の二度目の来日の際に横浜の応接所でもてなされた饗応膳。江戸の料理屋「百川(ももかわ)」が請け負ったとか。通常は畳に置く膳がテーブルの上に置かれ、椅子に座って食事が出来るようにしたらしい。中央の大皿やどんぶりに酒肴が盛られ、そこから取り分けたようだ。

みかんとか刺身とかがあって、とっても美味しそうだけど…ペリーらアメリカ人はこれを食べてどうだったのだろう。酒もふるまわれたそうだが、日本酒でしょ?どうだったのかなぁ。

「洋食」と「中華」

展覧会の表題ではないのだが、このテーマで。

ここで文明開化、明治維新を迎えた日本。生活に大きな変化が見られたのだが、食としてはまず、肉食の解禁という大きな出来事があった。それまでは禁じられていたのだね。明治天皇が明治5年に公式に牛肉を食べたそうで、これにより肉食解禁となったのである。また、宮中料理にフランス料理が採用される。皆さんご存じのように、明治政府は西洋に追いつこうと、色々と西洋のものを取り入れたから。

最初は肉食に戸惑った市民も、牛鍋のような和洋折衷の料理法の開発や、本格的な西洋料理店の開店、学校教育や雑誌などの影響により、徐々に浸透していったようだ。

一方、ラーメンなどの中華料理は、大正時代に庶民の間で自発的に広まって行った。ここ、大事。西洋料理は国策によって取り入れられたけれど、中華料理は庶民からなのだ。

日清・日露戦争後、大陸での生活経験者が増えて中華料理が身近になった。また、中国の大衆料理は安くて作るのも簡単、栄養価が高いという評判が広がったそうだ。そういうわけで、大正時代に中華料理が浸透していった。

さてそして、西洋料理や中華料理が入ってきて初めて、「和食」という物を意識したわけだ。そうなると、ご飯に合うカレー、とんかつ、コロッケなど日本独自の「洋食」が生まれたのであった。

多様化する和食

所々で時計を見ていたはずなのに、あの江戸の屋台の辺りで4時半ごろになっていた。まずい、5時までなのに。でも、まだ30分あるから大丈夫だと思っていた。

ところが、まだ終わりではない。時刻はなんと4:50である。もう終わりかと思ったのに、どうもまだ終わりではない。ショップも見たいのに。あと10分で閉館というアナウンスが流れたので、焦りだした私。

通路を通ったら、漫画「サザエさん」で昭和の台所や食卓を紹介!というボードがあった。4コマ漫画がいくつも展示してある。ああ、読んでいる暇はない。一つだけ、コロッケはサザエさんの好物で、というところを見かけた。なるほど、食べ物が出てきた部分が展示してあるのか。昭和は長い。サザエさんも長い。まあ、私も昭和に生まれて育ってきたから、いいや。飛ばそう。

でも、次のお雑煮はちょっと素通りできないぞ。私は地域による違いに興味があるようだ。

一気に全部写真に撮れないので、右からと左からと、両方撮ってみた。

そしてこれが丸餅、角餅の違い、更に焼くのか煮るのかの違いをまとめた地図。へえ、色々だなぁ。甘い餅をお雑煮に入れるところはやはり少ないのだな。ざっと見たところ香川県だけか。丸餅・角餅分岐ライン関ケ原!でも鹿児島県南西部と高知県は角餅だね。

因みに、北海道沖縄は雑煮文化が広まった江戸時代には文化圏が異なるため、地図に記載がないそうだが、それなら今は北海道と沖縄の人達、どんなお雑煮を食べているのだろう。

4章 和食の真善美

ここは映像のみのワンシーン。和食の技と道具、美と四季を映像で体感するというもの。映像は写真NGだし、何しろ時間がないのでスルー。

5章 私の和食

ここはアンケート。これ、サイトに載っていて、展覧会が始まる前までに答えると、抽選でカタログが当たるってやつだった。でも、どうやら今からでもアンケートに参加していいらしい。今は時間がないので、家に帰ってからやろうと思う。

これが選択肢。これは和食?洋食?アンケートについては後ほど。

6章 和食のこれから

ひい、もう時間がない。でも頑張れ。まだ通路を歩かされる。そこに朝日新聞号外と、チラシ、そして冊子も置いてあった。拝借。

とりあえず冊子がこれ。中には展示してあった地図やグラフなどもあった。「うま味」について詳しく載っている。

そして、都道府県ごとの食べ物人気ランキングが通路の壁に貼り出してあった。なんでも、クックパッドの検索ランキングだそうだ。

各県、名物料理が3位以内に入っている感じで、なるほどーっと思っていたら、東京近辺を見てびっくり。もちろん写真に撮る。

千葉の1位がサイゼリアって!と思ったら、サイゼリアの発祥の地は千葉県市川市だったのね。でも、それをクックパッドで検索するってどういう事?クックパッドという事は、レシピを検索したという事だ。サイゼリアのメニューでも検索したのかな。

文字を読んでいくと、やはり給食の人気メニューが入るようだ。つまり、地方で郷土料理がランクインしていたのは、よく給食に郷土料理が出たりするからではないか。給食で美味しかったから、家でも作って~と言われてお母さんやお父さんが検索するのかな?

やっと最後の展示室に来たようだ。和食のこれから、という事で、見直される伝統野菜

うちの子供たちも、地元の野菜の勉強をしたり栽培をしたりしていたな。

そして宇宙食。宇宙食は究極の非常食だって。宇宙飛行士の間で、日本食が人気だというのはちらっと聞いたことがある。和食がレトルトに向いているのか、それとも日本の食品メーカーの努力がすさまじいのか。

カップ麺なども日本のものがダントツで美味しいと聞くよね、やっぱり企業努力かな?競争も激しくて新しい商品が次々出るものね。

いつもと違う空間でも、家庭の食卓でなじみのある味や食感が再現されると、疲れを癒し、ストレスを軽減できる。そういう訳で、宇宙食や災害食の開発は期待されるのだ。

ショップ

やっと終わった。ショップにやってきた。前もって写真とかを見て、マスキングテープとか、食べ物の小物などが可愛くて、色々欲しかったのだ。

そこで、先ほど手にしたチラシ。裏面にショップの商品が載っているのでご披露。

でも…食べ物の形の物のクォリティーが…ちょっと残念。これなら町のガチャガチャの方がよっぽど……。

でも、小さいチャームはね、いくら軍艦がとってもかわいかった。キラキラしているいくら。でも、いくら軍艦は見本のみ。パッケージされた売り物の中に、いくら軍艦は見当たらず。売り切れたのかな。

リラックマ商品は可愛いけど、それはまあいいとして。せんべいそっくりの財布が面白かったけど、でもなぁ。その他、マグネットとかマスキングテープとかのクォリティーがイマイチで、結局何も買わない事に。

ふー、ちょうど5時だ。色々買っている大人はいるが、皆ちゃんと出られるのかな。

特別展出口と書いてあるところの階段を上っていくと、真っ暗な外へ。ここはどこだろうと思っていたら、まだ外には出られず、再び地下1階へ降りてから出ろと書いてある。エスカレーターに乗って地下へ行くと、もうさよならの音楽が流れ、家族連れが一斉に出口へ向かっていた。子供、居るんだよなあ、ここには。

それにしても、腰がやばい!足が疲れた。科博へ入る時から腰がちょっと痛かったが、もう足が……。

そして電車で座れたら、その後乗り換えの時に足の付け根が外れそうになる!相当疲れているらしい。国立の博物館などをはしごするのは無謀だ。しかも休憩もなしに。せめてお昼を挟むとかでなければ、辞めた方がいい。和食展、本当に広かった

長男が和食展へ

魚をさばくのが好きで、和食が好きな長男。絶対行った方がいいよと言って、ネタバレしない程度に話をした。いずれ行くとは言っていたが、翌々日の日曜日、ふらっと出かけたと思ったら、和食展に行ってきたと言う。早い!

彼は言った。

「足も疲れるけどさ、けっこう頭が疲れるでしょ。あれをはしごするとか、すごいね」

褒められた?いや、そうじゃない?現役学生がそんな事を言うなんて、面白いけど。ちょっと前まで、何時間も学校で勉強してたのに。

私のように時間がなかったわけではない長男に、どのくらいの時間がかかったか聞いたら、やはり2時間という事だった。私も、もう少しだけ余裕があれば良かったのか。サザエさんを読めなかった事くらいだものな。

しかし、和食展面白かった。そして、勉強になった。

そう、長男はショップで本を買ったそうだ。これ↓

「そういえば和食のレシピをちゃんと見た事なかったから」だって。すごーい。私は今更和食のレシピを見る気にはなれない。いつも和食っぽいものばかり作っているから。でも、長男がちゃんとした和食を作ってくれたらいいなー。ワクワク。

和食?洋食?アンケート

アンケート|特別展「和食 ~日本の自然、人々の知恵~」 (exhibit.jp)

アンケートはこちら↑から。これ、誰でも答えられるのだが、リアルタイムでその解答グラフというのかな、アンケート結果が見られるのだ。

しかも!年代別、性別、住んでいる地域別などのアンケート結果まで見られる。それも食品別にそれぞれ。これは興味深い。でも、全部見ていると時間がかかる。私もまだ全部は見ていない。

でも、答えてみた。意外に私が少数派だった物もあった。

本当に面白いから、ぜひ和食展に行かない人も答えてみて、結果を見てみて欲しい。

因みに、腰には湿布を貼って寝たらほとんど治ったのでご安心を。

2023年はたくさんのアート展に行ったものだ。アート部が出来たから。楽しかった。有意義だった。

そして、そのブログを読んでくださった皆さん、皆さんにとっても、有意義な時を過ごしてくれていたら幸いである。また来年も、どうか御贔屓に。