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多様性のパラドックス

 朝日新聞の朝刊の「声」欄に、多様性についての気になる投稿が載っていて、思わず考えさせられた。
 その「声」は、長崎県の高校生、藤井明さん。

高校生、藤井明さんの声

 明さんのお父上は、少々亭主関白なところがあるらしい。明さんが「そんな考えは古い、時代の流れに乗るべきだ」と言うと、明さんの姉上が、「今は多様性を重んじる時代。本当に多様性を尊重するのならば、例えば男尊女卑の思想もあってもいい」とおっしゃったそうだ。
 明さんは、普段ご自分よりもお父上と言い合いをしている姉上の口から、そんな言葉がで出てきた事に驚き、そして考えさせられたそうだ。我々は、あらゆる人の存在や文化を認め合おうとしているが、一方で平等や自由を少しでも否定する人を排除しようとしてはいないか、と。そして、我々は「正しい」とされる一方向に集約されているのかもしれない、と。

アメリカのリベラル派

 少し前、大統領選挙の最中だったアメリカでは、アメリカ第一主義と、リベラル派とで、国民が二分されていると言われていた。様々な報道を見ていて、私も感じた事がある。
 アメリカ第一主義の人々は、時に白人至上主義的な発言があったり、移民に対して不寛容だったりする。また、女性蔑視的な発言も見られた。それに対してリベラル派の人たちは、人種差別や性差別のような言動に対して攻撃した。
 私は、人種差別は決してすべきではないと思っているし、性差別にももちろん反対だ。性的マイノリティーに対しても同様。だが、時々気になるのが、差別的な言動をした人に対しての過剰な攻撃だ。

逆差別

 たとえば、
「白人は賢い人種で、有色人種は劣っている」
と言った人がいたとする。それは違う、と反論するのはもちろん良い。反論すべきだと思う。だが、
「そういう考え方をする人は無知だ、頭が悪い」
などと言う人がいれば、また、その人も「差別」をしているという事にならないか。
 日本においても、年配の男性が女性蔑視発言をすると、
「年寄りは考えが古い」
「おじさんは男尊女卑的な考え方をする」
などと言われる。おじさんだから、年寄りだから、男だから、と考える人は、偏見を持っている。

ネット社会では

 主にネット社会において、匿名で行われる攻撃。
 多様性を尊重するのが「正しい」。これは、今や多くの人の常識だ。だが、多様性を否定するような言動を行った人に対して、それが「悪」だとして寄ってたかって非難する事は、果たして「多様性を尊重している人」のする事なのか。
 藤井明さんの投稿にもあるように、多様性を尊重するならば、自分が「間違っている」と思う考えをもった人の事も、尊重しなければならないのだ。

お茶を入れる

 ただし、相手の考えを尊重する事と、相手の言動を全て許す事とは、別の事だと思わざるを得ない。
 たとえば、父親や上司が、「お茶は女が入れるもんだ」と考え、妻や娘、女性の部下にだけ強要したとする。その考え方を尊重して、皆が従う必要があるかと言えば、もちろんない。と、私は思う。自分の考えを殺して相手の考えを通す事は、解決策ではない。
 ただし、真っ向から反抗するよりも、
「どうして女性がいれるものだと考えるのですか?」
と、相手の意見もきちんと聞き、その上で、
「女性だけでなく、できる人ができる時にやるべきだと思う」
「男女関係なく、順番でやるべきだと思う」
「男女関係なく、上手な人がやるべきだと思う」
「やりたい人がやればいいと思う」
「自分で入れればいいと思う」
などなど、こちらの意見も伝え、話し合っていけば良いと思う。
 それで折り合いが付かなければ、この例の場合は、結局誰もお茶を入れてくれないから、飲みたい人が自分で入れることになるだろう。でも、お客さんが来た時など、例外もあるだろうから、いろいろな話し合いが必要だ。
 会社の場合、ある程度は上司の言うことを我慢して受け入れる事も必要だと思う。世代交代するタイミングで変えていけば。セクハラ、パワハラはまた別の話である。いじめや嫌がらせの類いは、即時やめてもらう必要がある。