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新宿ハーフマラソン!ボランティア(2024)

昨年に引き続き、マラソンのボラ活を既にいくつも予定に入れているチョコナッツ。さて、今年最初のマラソンボランティアは、どんな活動だったかと言えば……

冬のマラソン

昨年は、12月~2月にはマラソンのボランティアをしなかった。マラソンというのは冬のスポーツだし、走る立場から言えば、暑いよりは寒い方が断然いいだろう。しかし、その運営に携わる人の立場からするとどうだろうか。真夏の炎天下よりはマシだとは思うが。

まあ、あまり深く考えずに応募した。新宿区の区民健康マラソンと、公式記録となる新宿シティハーフマラソンの同時開催。活動場所には「国立競技場」を希望して、見事抽選に当たる。だいぶ前に応募したが、12月になってメールが送られてきて、役割は「フィニッシュ後誘導」だと知る。

事前に説明会があった。戸山公園内にある新宿スポーツセンターにて、1月13日にあった。

年を跨いだ為(というのは言い訳だが)、説明会と前日の下見会の申し込みをしたのかどうなのか、すっかり忘れてしまった。多分説明会には出席で、下見会には欠席で出したのだと思うのだが、下見会の事を多少迷っていて、もう少し近くなってから出欠の返事を出そうとして保留にしていたような気も、しなくはない。

恐る恐る説明会に行ってみると、出欠は取らずに前からどんどん座っていき、帰る時にはスタッフジャンバーをもらって帰って来たのだった。道に迷ったりもせず、誰とも話さずに説明を聞いて帰って来たので、特にブログにしなかったのだが。しいて特筆すべき事があるとすれば、迷わな過ぎて早く着き過ぎた事くらいか。

さて、前日の下見には行かなかったが、大抵どのボラ活もぶっつけ本番だし、国立競技場には何度も行っているから大丈夫だと思った。

マニュアルを読みこむ

説明会で、3冊のマニュアルをもらった。1冊はランナー用ではあるが、前回のマラソンボラ(江東シーサイドマラソン)の時に、人から色々尋ねられた際、マニュアルに書かれていた事をもっと把握しておかないと答えられない、と痛感したのでちゃんと読んでおこうと思った。

日曜日が当日だが、何となく木曜日に読んだ。金曜日でも土曜日でも良かったのに、何となく木曜日の夜に時間が出来たから。つい、途中でやめるとどこまで読んだか分からなくなりそうで、無理して全部一気に読んだ。それが、良くなかった

ランナーの導線、会場の見取り図、大会のスケジュール。たくさんの情報を一気に頭に入れたので、漠然とは分かったが、当然全て覚えているわけがなかった

前日に準備をしていて、何度もざっとマニュアルに目を通すものの、また読む気にはなれないし、かと言ってぱーっと見ても分かっているような、いないような。読むのが早過ぎた事を後悔した。

それにしても、集合が8:15で、何度もメールを確認してしまった。そんなに遅くていいのか、と。一時間間違えていやしないかと。ハーフマラソンのスタートが8時半なのに、そんな遅い集合という事があるのか、と。だが、私の役割はフィニッシュした後の仕事なので、集合も遅いのだろう。

それから、いざ前日になってみると、集合場所がはっきりと分からない事に気づいた。大体あの辺だろうと思っていたのに、よく読んでみると違うようだ。地図アプリで確認しても、イマイチ分からない。一体どこに集合なのか。

集合場所

当日朝。集合場所が良く分からないから、少し早めに行こうと思ったのに、うっかり家を出るのが遅くなって慌てた。だが、いつも10分かかるところを6分で駅へ行き、予定通りの電車に乗れた事は、自分をほめたい。よく頑張った。

今日は荷物を置く場所がないという事だったので、荷物はボラバッグ一つにまとめた。そこに水筒も入っているのだからなかなかコンパクトにまとめられた。

スキーウエアの上を着て、ズボンは普通の暖かいやつで、その下にこれまた暖かいレギンスを履いた。靴はレインブーツ。濡れるわけではないのだが、暖かいのだ。それで、スキーウエアの上からスタッフジャンバーを着た。

今回のボランティアの記念品は、このスタッフジャンバーだそうだ。今までよりも良いやつだとか。確かに、メッシュの裏地が付いていてしっかりしている。紫色っぽいスキーウエアの上に紫色のジャンバーを着てみると、なかなか良かった。サイズはでっかいが、ウエストポーチにしたボラバッグを装着すると、けっこう悪くない。

それほど早起きではないし、眠れないと困る為、少しアルコールを摂取して寝た。すぐ寝付いたものの、何度か目が覚め、気づけば首の辺りが汗びっしょりになっていた。前日は暖かい日だったという事もあるだろうか。だがまあ、朝は眠いなりに起きられたし、頭痛などもない。最近鼻の調子が悪いから、一応鼻炎薬を飲んでから出かけたが、今回はそれほど酷い喉の渇きは感じなかった。

さて、国立競技場駅に着いた。いつもはA2出口から競技場の中へ入って行くが、今日は大型駐車場へ行く為、道路の方へ出た。そう、集合場所はずばり「国立競技場大型駐車場」。外部階段又はP3口から入る、と注釈がある。駐車場にも行った事がないし、P3口と言われても馴染みがない。外部階段というのは分からなくもないが、その階段の下へ降りた事がない。いずれにしても、階段を上って国立競技場の中へ入り、また下るのはくだらない(ダジャレ失礼)。だから、馴染みのない道ではあるが、道路の方を選んだ。

駅から道路に出て、国立競技場に沿って歩いて行った。今日は曇りがちな天気。気温は昨日とあまり変わらないと言われているが、体感温度は下がるとか。

左に国立競技場、右に東京体育館。既に集合して移動し始めているボランティアさんたちもいた。

そこへ、柱にP1の文字、更にはP2の文字が。

なーんだ、このまま歩いて行けばP3が出てくるんでしょ、楽勝じゃん、と思ったら大間違い。次に出てきたのは何とEXIT

そして大きくカーブを曲がる事に。まあ、相変わらず左側には国立競技場が見えているから、これから離れなければ大きく間違う事はない。

P3の文字は出てこないが、なんか集合している。ここが大型駐車場?

P3がどこだか分からなかったものの、集合場所は見つけた。前の人はメールか何かを見せるか、ユニフォームを見せるかするように言われていたが、私はユニフォームを既に着用していたのですんなり通してくれた。まだ8時になっていないくらい。調べたら駅から10分と書いてあったが、途中で写真撮ったりしていても10分かからないくらいで来られた。

入って行くと、ボランティア仲間に遭遇。彼女は出て行くところだった。別の場所での活動なのに、たまたまここでバッタリ。よく会えたなぁ。しかも、実は彼女が活動を終えて帰る際、私が最後の活動をしている前を通ったので、また会えたのだ。奇跡じゃない?

同じスタッフジャンバー(紫色)を着た男女が、私のボラバッグに反応して話しかけてくれた。お二人は仲が良さそうだが、ご夫婦ですか、なんて聞いて違ったらまずいよな、と思って黙っていた。私だって、ボランティア仲間の男性と会ったら話すし、それでご夫婦ですかと聞かれたら、あまり良い気はしない。この二人はお揃いの赤いキャップを被っていたのだが、それだって他でのボラ活で支給された物かもしれないしな。

8時になると、高校生くらいの若い男女が集団でやってきた。我々が何となく丸くなって立っていたのに、それを思いっきり分断して並ぶから、我々は散り散りに。その為、出欠を役割ごとに取っていたようだが、把握できず。若い子たちがそこを去ってから、やっと「フィニッシュ後誘導」の出欠を取っている所へたどりつけたのだった。

で、その時に、先ほどの男女が同じ苗字で二人まとめて出席を取られているのを聞く。やっぱりご夫婦だったようだ。ご主人だけが東京2020大会のボランティアをしたようで、すごく自慢げ、おっと失礼、誇らしげに活動の話をしていて、こういうの奥さんは嫌気がさしても良さそうなのに、この女性は全然そんな感じではなく、素晴らしいお人柄と見た。

3つのグループに分かれる

我々が最後までここに残された理由は、一番活動場所が近いからだった。最初に活動場所を巡り、説明を受けた。今日はボランティアリーダーさんと、その上のエリア長とがいたのだが、ほとんどエリア長が仕切っていて、リーダーさんの役割が薄かった。エリア長は担当をいくつも抱えているから、とても忙しそうだし、こちらも捕まえるのが大変だ。ま、それは追々。

まず、フィールドの出口へ行った。国立競技場のフィールド内でゴールしたランナーさんたちが出てくる所だ。

ランナーはフィニッシュドリンクを受け取る。その後、こちらへ行ってと誘導をするのが我々の役目だ。そのフィールドの先辺りと、それから道なりに進んで先ほどの駐車場の前辺りと、更に外階段を上がった上、その3カ所が活動場所という事だった。

その場所を下見しながら、ランナーがスタートの直前に脱ぎ捨てた上着はここに置かれているとか、参加賞はここで受け取るとか、更に階段の上にはモニュメントがあって、親子が落ち合う場所が大体ここだとか、説明を受けた。

モニュメントの写真を急いで撮ったが、ちょっと遅かった。エリア長が入ってしまった。

そしてここで、我々ボランティアが5人くらいずつに、3つに分かれた。私は2番目のグループに入った。駐車場前だ。エリア長は、

朝の役割は、これでお願いします」

と言っていた。

矢印などのプラカードを受け取り、階段を下りた。ランナーさんが階段を上る際、階段の右側(外側)からは入れないように囲ってあった。去年とは違う仕様になったようだ。それで、右側へ回る事がないように、我々が誘導をしないといけない、と思った。

地震

良い物をもらった。タイムスケジュール表だ。マニュアルにはなかったものだ。

マニュアルには、マラソン大会ごとのスタート時間、フィニッシュ予定時間が書いてあったが、この時にもらったのは時系列にまとめた表だった。そして、フィニッシュのピーク時間に色がついていて、その色のないところが休憩というわけだ。

この表はみんなで1枚しかないので、写真を撮った。これは運営しか知りえない情報だと思うので、その写真を載せる事は控えるが、これによるとお昼休憩は12:35~13:25だろうと察した。

8:30ハーフマラソンがスタートしていた。ランナーが沿道を走っているのを見た。すごくたくさんだ。ずーっとずーっと、ランナーがわんさか来る。

私はかつて、マラソンはテレビで観るものだと思っていた。沿道で応援しようとしても、一瞬で通り過ぎてしまうのだからと。しかし、特定の一人を応援するならあるいはそうかもしれないが、スポーツを観に行くという観点からすれば、沿道でも充分観られる。たくさんのランナーが割と長い時間、目の前を通るからだ。まあ、本気で観る人は電車で移動して、3カ所くらい回るらしいが。

まだしばらく仕事はないので、立っておしゃべりをしていた。すると、突然下からドンと突きあげられるような揺れがあり、それとほぼ同時に

カランカランカラン……

と、ちょうど鉄パイプの山が崩れたような音が響いた。何事かと思い、駐車場の中に鉄パイプを探したが、そんな物は見当たらない。すると一緒にいた人が地震じゃないかと言う。私のスマホには来ていないが、その人のスマホには地震情報が来たそうなのだ。あれだ、やたらとドコモの人には緊急地震速報が来るってやつ。違うかもしれないが。

鉄パイプが崩れたような音は、駐車場の天井の鉄骨が揺れた音だったのだろうか。後で息子が耐震構造がどうのこうのと言っていたけれど。あ、免震か?

冬を舐めていた

エリア長の話では、我々の仕事は9時半くらいからという事だった。なので、最初の所は先ほどの表をちゃんと見ていなかった。直前になったらトイレに行っておこうと思って、9時過ぎに行った。トイレはスタンドの所と、スタッフしか入れない中の方とにあった。スタンドに行くには階段の上り下りが必要なので、スタッフオンリーの方へ行った。

「そこをずーっと真っすぐだよ」

と、先に行った人から教えてもらった。教えてもらっておいて良かった。そうでなかったら、途中で不審に思って脇道にそれるところだった。というのも、ドアを開けて外に出て、またドアを開けて中に入って、という事をしなければならないのだ。それに折れ曲がったりしなければならないし。

しかし、中は暖かかった。やはり外は寒いのだ。

トイレを済ませて戻ってくると、ぼちぼちランナーさんが来ていた。慌てて持ち場に着いた。

私は「参加賞を受け取った方は階段を上がってください」という文字と、矢印の書いてあるプラカードを持って立った。

最初は中高生が多かった。それは、ハーフマラソンの後にスタートした3㎞の選手たちだった。それと重なる形で、ハーフマラソンのランナーたちも現れた。

走っている時にもすっごいたくさん人がいたから、ここでもひっきりなしに人が通る。しかし、特に声に出して何かを言うというよりは、ただ札を掲げていればいいようだ。でもたまに、

「階段って?あ、この階段ですか?」

と聞いてくる人、それからエリア長がよくある質問と言っていた、

「スタートの時に預けた上着はどこにありますか?」

と聞いてくる人がけっこういる。あとは、荷物はいつ受け取れますかとか、またここに戻って来られますかとか。こういうふれあいが楽しいのだ。

時々階段上のボランティアさんが、エリア長を探していた。救護が必要な人が出たとか、階段を一方通行にしないと危ないからどうのとか言っていた。さっき戻って来られると言ってしまったのだが、人が多くなってくると逆流が危ないという事のようで。エリア長はどこにいるのだろう。

それからこちらも奇跡!ボランティア仲間がランナーとして参加していて、私の前を通った彼女が近づいてきて、

「チョコナッツさん?」

と声を掛けてくれたのだ。私は全然気づけなかった。ボランティア仲間と言っても一度お会いしただけなのに。それにしても、マラソンできるのすごいなぁ。尊敬。

しかし、寒い。思った以上に寒い。手袋はしているが、手の先が冷たくなってくる。足もだんだん冷たくなってきた。足踏みをしたりして何とか頑張る。しかし、しばらくして時計を見ると、まだ30分しか経っていなくて愕然とした。長い

東京の冬を舐めていた。そう言ったらどこの出身なの?と聞かれたが、そういう事ではない。私は来月北海道へ行くのだ。それで、北海道は寒いよーと人から聞いて、靴下に貼るカイロを買ったり、ズボンの上から履くダウンズボンを買ったり、色々と準備をしているのだ。ニット帽やスキー用の手袋も持って行く予定だ。

しかし、今日は朝とはいえ東京。最低気温が札幌の最高気温くらいなわけで、カイロは持ってきたけれど、靴下に貼るやつは持ってこなかった。帽子もなし。ダウンズボンはまだ届いていないのだが。

寒い。温かいお茶を飲もうにも、プラカードを持っていると何もできない。ランナーはひっきりなしにずーっと通り過ぎる。まあ、時にはプラカードを足元に置いてお茶を飲んだりもしたけれど、それもランナーが少なくなったタイミングを見計らっての、ほんのたまにだ。

マニュアル読んだけど

エレベーターも使えるという話だったが、足が痛そうなランナーさんにそれを伝えても、どうもエレベーターを使わずに階段で上がった様子。エレベーター付近にいる人のところへ行って確認した。調子の悪い人は、特別に通すという事だった。言ってくれればという事。私が案内した事は間違いではなかったが、やっぱり無理して階段の方を使う人もいるだろうな。

それにしても、何度もスタート時に脱いだ上着の事を聞かれた。

「あの3と書いてある壁の下辺りにあります」

と答えていたが、だんだん不安になってきた。あれ、なんかエリア長からその話を聞いたはずなのに、記憶が曖昧だ。3の下だったか、その横の黄色い絵の下だったか。私が立っている場所からは遠い。

一度、近くにいるボランティアさんに確認したら、多分合ってると。多分、ね。写真はランナーさんがいない時に撮ったもの。

ふと気づいた。まだ途切れないか、まだかまだか、と思っていたが、目の前の通りをランナーさんが通っているうちは、その後にここを通るのだ。

この通りがこれ↑。誰もいない時の写真。ランナーがここを右から左へ走って行く時には、その直後にゴールして、こっちへ回ってくるのだ。

それにしても、質問は多岐にわたる。

「記録証はもらえるんですか」
「このビブスは返さなくていいの?」
「関係者と待ち合わせてるんですが、P3口はどこですか?」
「救護班ですが、スタート地点はどこですか?」

質問はランナーさんからだけではない。いやー、マニュアルは全部読んだけど、分からない事だらけ。そのP3口は結局分からないまま来ちゃったし。その待ち合わせの人には、誰に聞けばわかりますかと聞かれたので、警備員さんか赤いジャンバーのスタッフさんと言ったら、

「警備員は分からないと思うな」

と言われてしまった。出入口の事、競技場の構造の事なら、警備員の方が知っているのでは?と思ったのだが。でも、その人は赤いジャンバーの人を探しに駐車場の入り口付近へ行ったが、スタッフはいなかったみたいで、結局警備員さんと話して、P3口があると思われる方へ歩いて行ったのだった。ほらね。

ごめんなさい、分かりませんと言った事が何度かあって、残念である。無念である。マニュアルをもっと直前に読めば答えられたのだろうか。後でエリア長に聞いたら、記録証は後日もらえる、ビブスは返さなくていいと分かった。まあ、ビブスは多分返さないだろうとは思っていたが。

凍える

やっと2時間経った。ランナーが途切れた。トイレに行きたいので、プラカードを向かい側に立っていたボランティアさんに預け、また中のトイレに行った。そうしたら、暖かい。ありがたい。

鏡を見たら、鼻が赤くなっていた。こりゃまずい。カイロを出して鼻につけてみたが、そう簡単には赤みがとれない。持ってきていたマスクをしたのだった。

持ち場に戻る。じきに10㎞マラソンのランナーさんがやってきた。そこで、

「ちょっと聞いていいですか?地震あったんですか?」

と言ってきたランナーさんがいた。スマホを見て知ったようだ。あったと言ったら、走っていて全然気づかなかったと言っていた。私もあの鉄パイプのような音がしなかったら、何かトラックが通ったから?くらいにしか思わなかっただろう。しかし、後で聞いたら沿道に立っていたボランティアさんは全然気づかなかったそうで、私は確かに足元から突き上げるような衝撃を感じたから、国立競技場があるせいでそうだったのか、どうなのか。

再び立ちっぱなし。もう、腰が痛い。ウエストポーチは肩が凝らなくていいのだが、重たいと腰がちょっと。右にしたり左にしたり、前にしたり後ろにしたり、腰への負担が偏らないようにしていた。

ああ、寒い。先ほどまでは手先と足先くらいだったのが、もう足の全部とか体全部とか、全部寒い!

それと、せっかく話しかけてくれたのに、しゃべるとメガネが曇る。暖かい所でマスクをしても曇らないのに、寒いと曇るし、しゃべるともっと曇る。だから、マスクを外してしまった。

そして、ようやく12時半に。お昼だ。

お弁当とお茶が支給された。紙パックの緑茶はいつも持って帰るのだが、今日はバッグに入らないのでもらわなかった。

お弁当を持ってスタンドへ。ここは今、誰でも入れる場所になっている。フィールドでは「ひよこ」と言って、小さいお子さんのレースが行われていた。着ぐるみもいる。新宿区のゆるきゃら「あわわ」がいるとか。あわわ?泡なの?

そうそう、ここへ一緒に来る間に、ボランティアさんの一人が

七十にもなってこんな事させられたら具合悪くなっちゃうよ。私途中で帰るかも」

と言っていた。70歳?びっくり。すごく若く見える。で、やはり寒いところにずっと立たせられている事にご立腹だった。ランナーさんが上着どこですか、と聞いてくる話で、私は常々、

(私はすごく寒いけど、ランナーさんたちは暑いんだろうな)

と思っていたが、この70さんは、

「寒いのに上着がなくて可哀そうに」

と言っていた。まあ、寒くはないと思うのだが、もっと上着置き場の前で呼びかけるとか、札を立てておくとかしておいた方がいいと思った。階段のところまで来てから、あそこへ戻るというのは気の毒だ。少なくとも疲れているだろうに。

お腹が空いて、よけいに寒かったなと思った。じゃあ、お弁当を食べようか。

冷たい。野菜ない。海苔とおにぎりの具の昆布くらいか。ご飯が特に冷たい。70さんは、

「おにぎり美味しい」

と言っていたが、私にはもう、冷たい物が体に入って来るという感覚しか……。水筒のお茶も、口元では温かいのに、体に入ると全然温かく感じない。普通食べ物を食べると温まるものだが、却って冷えてしまった。避難所でよく「温かい食べ物を」と言うが、その意味が良く分かった。

寒いとか、交代がないのはひどいとか、休憩をもっとこまめに取れるようにしてほしいなどと70さんが言っていたら、一緒に食べていた62歳の方が、

「文句ばっかりだね(笑)でもそれが楽しいね」

と言っていた。ま、ここで文句言っている分には迷惑をかけてはいない。62さんは上手く丸く収めたのだろう。しかし、その意見には半分しか賛同できないな。私は文句を言うのが好きではない。文句を言うならボランティアなんてやらなければいいと思ってしまう。立ちっぱなしが無理な年齢になったら辞めるつもりだ。

70さんは、東京2020以来初めてのボランティアだそうだ。新宿区に住んでいて、今回の事をチラシを見て知ったとか。一方、62さんは色々とスポボラ経験を積んでいるらしい。世界陸上でボランティアをしたいから、その為にはキャリアを積まないと、と言っていた。そうなのか?キャリアが物を言う?

ちなみに、70さんもちゃんと最後まで活動していた。私よりも元気なんじゃないかとさえ思った。

子供は嫌い?

食べ終わってじきに、席を立った。こんな寒い所に座ってはいられない。トイレに行くにも、暖かい方へ行こうと、また持ち場へ。上りも下りもエレベーターではなく階段を使ってみたが、暖かくはならない。

トイレは暖かかったが、やっぱり鼻が赤い。鼻をかんだらもっと真っ赤に。しかし、マスクをするとメガネが曇る。鼻が赤いのと、メガネが曇るのと、どっちが嫌か……迷うくらいなら暖かい方にするに決まってんじゃん、と自分で自分に突っ込みを入れつつ、マスクを再びつけた。

もう少し座っていたかった。駐車場の中にストーブがあって、その近くに椅子を出して座ったが、すぐに時間になってしまった。トータルで30分も座っていないと思う。というか、スタンドじゃなくてここでお弁当を食べた方が良かったのでは?うん、間違いない。

しかし、少し日が差してきた。日向に立っていると少し暖かい。先ほど階段の上を歩いたら、けっこう暖かいと思った。次にここ(階段の上)で活動できたらいいのに、と思ったが、やはり交代の話はなかった。

62さんと話をしたのだが、私が大阪万博のボラを申し込むか迷っているという話をしたら、

「私は自分のくじ運を試したいというのがあるから、まず申し込むだけ申し込むの。当たったら、それから行くか行かないか考える。行かないならキャンセルすればいいし」

と言っていた。世界水泳には行ったが、神戸マラソンは当たったけれど行かなかったとか。私は万博が好きだ。万博を自国で開催する事など滅多にないことだし、ボランティアをしたい気持ちはずっとあったのだが、5日以上の活動と、事前に説明会、面接、ユニフォーム受け取りがある。説明会はオンラインだが、面接と受け取りと、2回は事前に大阪へ行く必要があるらしい。交通費とか宿泊費とか、あまりにも経費がかかる。

それはそうと、その当たってから考えるというのは、そういう考え方もあるのだろうが、私にはちょっと受け入れにくい。当たったらよほどの事がない限り行こうとするだろう。だから、行くか行かないか決めて、行かれるなら申し込む。確かに、当たる前から迷ってもしょうがないとも言える。でも、もし当たった人がみんなキャンセルしちゃったらどうなる?みんなとは言わずとも足りなくなったら、繰り上げとか何とか、運営側が苦労するのでは。それを考えるとむやみにキャンセルはできないなーと。

さて、午後の仕事が始まった。私が持っていたプラカードは、お弁当をもらう時にリーダーさんに渡してしまったので、今度は矢印だけのカードをもらった。

午後は小学生がたくさんやってきた。

小学生は、今マラソンをしてきたはずなのに、どうしてそんなに全力疾走するのだろう。

そのうち、低学年になったからか、

「走らないで!は・し・ら・な・い!」

と陸上連盟の人?が叫んでいた。まあ、前の友達のところへ行こうとして走る子はいる。それを止めるのは難しい。

子供が通るようになると、質問がぐっと減る。そういえば、大人は時々こちらと目を合わせ、会釈をしたり

「お疲れさまでした」

と言ってくれる人がいた。お疲れ様でしたなのか、他の言葉なのか聞き取れない場合もあるが。でも、子供はそういうのがない。

たまに、待っていた大人が質問してくる事はある。親とか、コーチかなという人とか。

子供は無遠慮に見てくるし、突発的に動く。私は子供があまり好きではない。だが、一度

「鉛筆もらい忘れちゃった」

と、男の子が私に行って戻って来た。その子は、鉛筆をもらってきた時に私に、

「鉛筆もらったらもう一本もらっちゃった!」

と言ってペットボトルのスポーツドリンクを掲げた。

「よかったね」

と私は言ったが、なんて可愛い子なんだ

また、小さい女の子が黙って私に手を振ってきたり。それからファミリーランが始まって、親子がたくさん通るようになると、すっごく小さい子がビブスを付けて歩いている。すっごく小さいのにぺらぺらしゃべっていたり、一生懸命に歩いていたりするのを見ると、すごく可愛い。

私、子供嫌いだなんて言っていたけれど、全言撤回愛想の良い子供は嫌いじゃない。そう確信した。

親子と言えば、1歳くらいの女の子が、参加賞の大きなビニール袋を引きずって歩いていた。中には鉛筆が入っているようで、カチャカチャ言っている。ああ、あんな風に引きずったら袋に穴が開いてしまう。カチャカチャしちゃったら折れ芯になってしまう。あの子ビニール袋を踏んじゃいそう。そんで、転びそうだ。ああ、ダメ。私だったら見ていられない。けれども、その子のお母さんは、

「自分で持ちたいの?」

と言って、そのまま持たせて歩かせている。今にも踏んで転びそうだし、ずーっとカチャカチャしているし、ずーっとコンクリートの上を引きずっている。ああ、あのお母さんはすごい。私にはあの余裕がなかった。確かに、大して悪い事ではない。ああやって自由にやりたいようにやらせて育てたら、どんな子が育つのだろうか。運が悪ければ、転んで前歯を折るだろう。鉛筆もほとんど使えなくなるだろう。それでもいいと、なぜ思えなかったのか。私が未来を色々と予知しすぎるからなのか。

と、色々考えさせられながら、腰が痛くてしんどい。一瞬立っている場所に薄日が差していた。午前中よりも暖かくなったようだと思ったが、15時に近くなってきたらまた寒くなってきたのだった。

ボランティアのお弁当は必要?

もう一つ、62さんと話した事。この間視覚障害者柔道のボラをやったと言われて、私も!と思ったが違った。私がやったのはチャレスポの中の視覚障害者柔道担当だったが、その人がやったのは視覚障害者柔道の大会の方だ。私も申し込んだが外れたのだ。その時にはボランティア控室があって、温かいお弁当が出たそうだ。1500円はするだろうと言っていた。また、ちょっと信じがたいのだが日当が1万6千円くらい出たとか。うそでしょ。そんな、そんなにパラスポーツが儲かるとは思えない。そんなに出すならボランティアじゃなくて人を雇えるじゃないか。ボランティア、私みたいに外れた人がいるくらいなのに、そんなに報酬を出す必要があるか?

私は、お弁当とお茶が支給されるのも本当はどうかと思う。今日だって、冷たいおにぎりを食べるくらいだったら、自分でパンとかを買ってきた方が良かったかもしれない。もしくは、キッチンカーで売っている温かい食べ物を買った方が良かったし。

もし、お弁当が出ないならボランティアをしない、という人がいるならそれでもいいじゃないか。出なくてもやりたい人がやれば。と、思うのだが。

まあ、近くに買える店がなく、荷物を置くところもないとなれば、お弁当を支給するしかないかもしれないが。今日、もしお昼持参だったらバッグはどうしていただろうか。キッチンカーで買う事にして持ってこないという手もあったか?いや、もし混んでいて時間がなくて買えなかったら困るしな。もっと大きいバッグにしたかもしれないな。

それからキャリアを積むという話。私は東京2020のボランティアが出来なかった人の話をあまり聞いたことがなく、条件が厳しかった人くらいだと思っていた。土日しかできないとか、8月お盆の週しかできないとか。しかし、62さんはSNS上で、できなかった人の恨み節をけっこう見たそうだ。オリパラ前からスポーツボランティアをたくさんやってキャリアを積んでおいたのに選ばれなかった、私が出来なくて誰が出来るのかとか。それに、62さんが世界水泳でボランティアをした時、10人中9人が東京2020経験者だったとか。経験者が優遇されるのだと思ったそうなのだが、本当にそうだろうか。経験者と未経験者の偏りを失くすように役割を組むとか、そういう感じではないのか。だって、それではいつまでも同じ人達ばかりが出来て、出来ない人がいつまでもできないではないか。サスティナブルじゃないよな。持続性がない。ある層が年を取ったら終わりだ。

内藤とうがらし

15時。予定よりも少し早く、仕事が終わった。もう寒さと腰の痛みでしんどい。

解散したのがフィールドの入り口だった。わざわざここまで歩いてきたのに、またここを出るには戻らないといけないと言われ、どうしようかと思ったら、特別にフィールド内の階段を使って上がっていいと言われた。

フィールドでは子供の表彰式が行われていたが、それはずっと向こうの方。それにしても、今日はスタッフジャンバーを着ていればどこでも入って良い日だったな。

階段を上がったら扉が閉まっていて、それを乗り越える事も出来たが、鍵を開けて入った。私が最後だったので、鍵を閉めた。閂(かんぬき)式だった。ちょっと複雑で、私が閉めたら、

「すごい、よく分かったね!」

と62さんがほめてくれた。

外へ出る時、私は皆さんと別れて売店の方へ行ってみた。ちょっと気になっていたものがあるのだ。マニュアルに載っていた「内藤とうがらし」だ。

新宿の発祥のとうがらし、内藤とうがらし。どこでだったか、聞いたことがある。その七味などが売っていた。私と同時に紫ジャンバーの女性が3人くらい店を覗いて、どれにしようか迷っていた。私も迷っていた。でも、私が一番に決めた。

やっぱり、中身だけ買っても「内藤とうがらし」だという感じがしないし、ちょっと変わった物よりも、一番人気のオーソドックスな七味がいい。アトムもいいが、ちゃんとほら、

内藤とうがらしって書いてある。これを見て決めたのだ。これを買い、食べたいと思っていたキッチンカーへ行くが、もうそろそろ終わりらしい。なんか、若い子がたくさん注文していて、気が引ける。ここでこれを食べてしまったら、夕飯を作る気が起きないだろう。しかし、夕飯には野菜を食べなければ。その為には何とか作るのだ。だから、今は食べるのを辞めておこう。

というわけで、とうがらしだけ買って帰って来た。夕飯に温かい味噌汁を飲んで、やっと芯から温まった。やはり温かい食事は大事だよ。お風呂もね。

最後に

そうそう、一つ忘れていた。最後に付け加えよう。

猫ひろしさんがハーフマラソンに出ていた。彼が走り終わって私たちがいるところを通ったのだが、私の後ろを通ったのだった。付き人らしき人が3人くらい一緒にいて、本人はでっかい水色のスタッフジャンバーを羽織っていて、確かに猫さんだと思う。彼は、私の後ろを通る時に、

「あー、疲れた」

と急に大きな声で言って両腕を高く上げた。それまで、気づかないくらい静かに歩いていたのに、急にそんな風に声を出したのは、気づいてほしかったからでしょう?

でも、それで振り向いてももう猫さんの後ろ姿しか見えなかった。それに、ちょうど同時くらいに別のランナーさんが私に「お疲れ様です」と言ってくれて、

「お疲れさまでした!」

と私もその人に言ったので、なおさら猫さんの方には何も言えず。もし、もっとミーハーだったら、彼の前へ回って顔を見て、話し掛けたのかもしれない。あ、後から考えたら、何も同じ場所に突っ立ってなければならないわけでもないのだし、前へ行っても良かったのか。

さてさて、これで本日のレポは終わりである。

いやー、とにかく寒い活動だった。芯から冷えてしまった。歩き回る仕事だったら、平気だったのかもしれないが。あれは、どうにかならないのかね。若ければ大丈夫?いやいや、そうでもあるまい。温かい飲食物を提供するとか、休憩の時にストーブの近くで温まれるようにするとか、何か工夫が必要だろう。そうだ、アンケートに書いておこう。

それでは、また次のマラソンで。次はさいたまマラソンだ。レポートをお待ちあれ!