アフィリエイト広告、アドセンス広告を利用しています。あなたの広告への反応が、チョコナッツの収益に影響します。

西洋絵画、どこから見るか?@国立西洋美術館

この展覧会の、「どこから見るか?」というのが分からない。一体どんな展示になっているのだろう。

気になっていたのだが、なかなか行かれなかった。終了間近になり、やっと滑り込みで行ってきた。上野にある西洋美術館である。

上野駅を出ると、制服を着た男女がたくさんいた。その他、大人も多数行きかっている。午後2時過ぎ。天気も上場、観光にはもってこいである。

例によって、看板をパシャリ。今日はこの展覧会である。けっこう前にチラシをもらっていた。図らずも数日前に放送していた「美の巨人」では、この看板の絵が取り上げられていて、予習はバッチリである。

西洋美術館の前、ロダンの彫刻前にはたくさんの人がいて写真撮影などをしている。東京観光の人達だろうか。そして建物を望むと……

なんか、列が出来てないか?

出来ている。いやー、長蛇の列だよ。まさかこれに並ばなければならないのか?

と、思ったら違った。これはチケットを買う列だった。私は家を出る前に購入済みだった。

というわけで、するりと建物内に入る。建物内に入る人はまばら。これだけネットで何でも買える世の中になっているのに、やっぱり現地でこうして並んで買う人が多いのかね。

しかし、今出入口は空いているようだが、あの列に並んでいた人たちが続々と入って来るかと思うと怖い。中は既に混んでいるのか、これから混むのか。

いつも通り、特別展は地下から入る。アソビューで買ったチケットのQRコードをピッとやって入場。あったあった、大きな看板が。

それにしても、チケットを買うのも昨日ではなく、今日家を出る直前にしたよね。今週末までしかやっていないのだ。もし買ってしまってから、今日の朝になって具合が悪かったり、息子の具合が悪かったりして数日身動きが取れなくなったりしたら行かれなくなる。チケットを買ってしまってからでは辛い。

まあ、無事に来られて良かった。入口には写真撮影などの注意事項が書いてあったので、よく読んだ。

なんと、展示作品は全て写真撮影OKだそうだ。動画はNGフラッシュもNGである。しかし、写真撮影は「個人の使用に限り」OKのようで、SNSやブログの事は何も書いていなかった。ブログに載せるのは私的利用に入ると思うが、ちょっと気が引ける。

ということで、全ての作品の写真を載せる事はしない。また、ちゃんと正面から、鮮明に撮れたものはあまり載せないかもしれない。というか、あまりちゃんと撮れなかったとも言える。だけど、後付けではないぞ。ちゃんとこの時に、転用できそうな写真は載せないようにしようと思ったのだ。

さて、一体どんな「どこから見るーどこみる」なのだろうか。入ってみよう。

第1章 ルネサンス

この展覧会は、サンディエゴ美術館国立西洋美術館の所蔵品から、ルネサンスから近代まで(14~19世紀)の作品を展示するそうである。

ゴシックからルネサンスへ

やはり混んでいる。しかし、最初からインパクトのある作品が並ぶ。いきなり三角だし。

↑ジョット「父なる神と天使」

やっぱり先にその章の説明を読むわけで、そうすると丸で囲まれた質問「四角形でないその理由とは?」は、考える前に答えを読んでしまっているわけで。この質問は子供用なのかな?この展覧会のチラシに「初めてにも、一歩先の美術鑑賞にもオススメ」と書いてあったから、初めての人用に優しい言葉で語りかけようという事かな?

↑ルカ・シニョレッリ「聖母戴冠」

ちなみに、なぜ四角形ではないかと言うと、教会の上の部分に掛けられる絵だからのようだ。見上げる所に飾るから、そのように描いたとか何とか書いてあったような。

↑ベルナルディーノ・ルイーニ「マグダラのマリアの回心」

丸の中に「レオナルド・ダヴィンチの弟子?!」と書かれているように、ダヴィンチの弟子と思われる人物が描いたとされる。そう言われると、マグダラのマリアはどことなく「モナ・リザ」に似ているような気もする。顔というより、手や首などの感じがね。

ヴェネツィアの盛期ルネサンス

色鮮やかなこちら。↑ヴィンチェンツォ・カテーナ「聖家族と聖アンナ」

どうして正面から撮らないかと言うと、混んでいて正面に行くにはすごく時間がかかるからだ。もう、斜めでもいいや、という感じでとっとと撮って次へ行く。けれども、人の肩越しによく見てから行くよ。

↑ジョルジョーネ「男性の肖像」

何というシンプルな題だ。というか、題名なんてなかったのだろう。丸の中に書いてあるように、ありのままの肖像画はこの当時には革新的だったらしい。

↑ヤコボ・ティントレット「老人の肖像」

こちらも飾らないありのままのおじいさん。だから題がシンプル過ぎるんだって。

↓これはサロメ!

↑ティツィアーノ・ヴェチェッリオと工房「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」

当時ティツィアーノは人気者で、ほとんど彼ではなく工房の人たちが描いていたそうだ。この絵を詳しく見ると、いくつか大幅な修正がしてあるそうで、そんなに大きな修正は画家本人でなければできないから、その修正をしたのがティツィアーノだろうと言われているらしい。

↑パオロ・ヴェロネーゼ「アポロとダフネ」

一瞬さらっと流した絵だが、説明を読んでからもう一度よく見たら、ああ、人が木に変わっている最中じゃん!と衝撃が。丸の中にも「突然木に変身するギリシャ神話」と書いてあるね。

↑パオロ・ヴェロネーゼ「聖カタリナの神秘の結婚」

字が切れてしまった。丸の中には「キリストと結婚する驚きのエピソード」と書いてあったと思う。何が驚きなのかと思ったら、こんな幼児と結婚したという話で。カタリナがキリストの体に触れているのがどうのこうのとか。よくわからん。

北方ルネサンス

また丸の中に「細部描写と感情表現に注目!」と書いてあるね。この頃からとか表情などが描かれるようになったとか。しかし、あまりに横から過ぎるので、もうちょっと頑張って前から撮ってみる。

↑バルトロメ・ベルメホ「聖エングラティアの捕縛」

写真には人の頭がばっちり入っちゃったけど、切り取ったから大丈夫。まだ斜めだが。

↑聖ルギア伝の画家「聖ヒエロニムス」

これも確かにちょっと細かい気がするね。

↑フランクフルトの画家「アレクサンドリアの聖カタリナの神秘の結婚」

あ、ほら。さっきと同じ神話の。普通はこんな感じで触れていないらしい。

↑ヒエロニムス・ボス「キリストの捕縛」

丸の中には「この邪悪な表情、一度見たら忘れられない!」と書いてある。ニマっとしちゃうね。

↑ルネサンス最後、ヨース・ファン・クレーフェ「三連祭壇画:キリスト磔刑」

これは大きくて素晴らしい。時間をかけ、前にいる人がいなくなるまで待って、全体を撮ったよ。確かに細部が細かくて、空とか背景が美しいと思った。細部を写真に撮ろうとして近づいてたくさん写真を撮る人がいて、そういう人がいると、多くの「全体を撮りたい」人が待つ羽目にはる。でも、鑑賞方法は自由だよ。

バロック時代、はじめの方は画面がキラキラしていた。絵具が油彩じゃなかったらしい。時々キラキラしていて、赤ちゃんのキリストの頭の上にキラキラした光の環が描かれていたりして綺麗だった。写真にはそのキラキラが写らなかったな。

それにしても、あまり知っている名前の画家の絵はなかったけれど、これだけたくさんの素晴らしい宗教画が見られて感激した。圧巻だった。

第2章 バロック

スペイン

はい、出た。看板になっている絵。

↑フアン・サンチェス・コターン「マルメロ・キャベツ・メロンとキュウリのある静物」

丸の中には「ボデゴンの最高傑作!」と書いてある。ボデゴンとは何ぞや?多分音声ガイドを聞いていると分かるのだろう。ボデゴンとは「静物画」の事である。スペイン語だとか。今調べた。

前述した通り、この絵については美の巨人という番組で特集していて、それぞれの野菜や果物を見る視点がずれているとか、光源がそれぞれ違うとか言っていた。見ていてざわりとする感じの絵だとか。セザンヌの描いたリンゴの静物も視点がずれているというので有名だが、こっちの方が先という訳だ。

一方、上のコターンの絵と対峙して明るい絵だと紹介されていた(美の巨人で)のが次の絵。

↑フアン・バン・デル・アメン「果物籠と猟鳥のある静物」

確かに明るく、美味しそうに描かれている。しかし写真がひどいね。混んでいたから仕方ないのだよ。

↑フランシスコ・デ・スルバラン「神の仔羊」

これもざわりとするよね。このスルバランさんは後ほどたくさん出てくるので覚えておいて欲しい。あ、分かるかな?羊の頭の上にうっすら光の環があるのが。ちょっとタケコプターみたいだけど。あ、タケコプターでお空へ飛んでいくとか?ふざけてしまった。失敬。

出た!エルグレコ!↑エル・グレコ「懺悔する聖ペテロ」

エルグレコは有名だし、この絵もどっかで見た事があるのではないか。お次もエル・グレコ。

↑エル・グレコ「十字架のキリスト」なんか荘厳だよね。

↑フアン・サンチェス・コターン「聖セバスティアヌス」

丸の中には「メロンとキャベツ、さらに聖人画も描きました」と書いてある。看板の絵、マルメロ~の絵を描いたのと同じ画家さんの絵。聖人画だけど、あまり穏やかじゃない。ちょっと写真が遠くて解像度悪すぎか。聖人の胸や腹、足に矢が刺さって出血している絵だ。やっぱりざわり、だね。

次は2体の彫像があった。写真は1体だけ載せよう。

こんな風に書いてあっての~

↑フアン・デ・メサ「幼児キリストの勝利」

Vサインしてるのかと思ったら、そうではない。何が勝利なのかな。信仰を集めたとか?

お次はこんな表示があり、続いて……

↑フランシスコ・デ・スルバラン「聖ドミニクス」

ここから4枚くらいスルバランさんの絵が並んだ。この絵は左下に犬が描かれているのだが、僧服と同じ色の組み合わせの毛色である。犬が松明を咥えているのは、それが母ヨハンナがドミニクスを体内に宿していた時に見た夢を表すモティーフだからのようだ。

瞑想性に満ちたスルバランさんの作品は、修道士たちの間で大変人気だったとか。

もう1つだけスルバランさんの絵を。

↑「聖母子と聖ヨハネ」

これは美しい。教会にあったらさぞ美しかろう。左下の果物がやたらと写実的に見えるが。あ、これはヨハネがキリストに小鳥を差し出しているね。キリストは聖人とはいえまだ幼児だから、鳥を見て怖がっている様子。可愛い。何も言われなかったら兄弟の図だね。解説には怖がっているのではなく「驚いている」と書いてある。配慮、配慮

↑バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「懺悔するマグダラのマリア」

マグダラのマリアが描かれる時には、髑髏(どくろ)が描かれる。それがマグダラのマリアだというなのだ。髑髏の他にも香油壺とかね。それを昔、西洋美術史の授業で習った。あの授業、本当に面白かったんだけど、スライドを見ながら先生がマイクで話してくれる感じで、真っ暗だからメモも取れないし、スライドを見ているとどうしても眠くなってしまってねえ。本当に惜しい事をした。居眠りなんて1秒たりともしたくなかったのに、かなりしてしまったような……。そういえば、あの授業は現在の国立西洋美術館の館長である馬渕先生の授業だったなあ……考えてみたらすごい事だな。

ちなみに、マグダラのマリアは娼婦で、復活したイエス・キリストの足を香油で洗ったと聖書に書いてあるらしい。娼婦だから罪人という事になっていて、だから懺悔しているというわけだ。

イタリア、フランス

この辺で全体の見取り図が貼ってあった。誰かが半分だ、と言った。え、まだ半分?そろそろお腹いっぱいだけど。しかし、これからまだまだ良い絵が続く。

↑シモン・ヴーエ「トロイアから逃れるアエネアスとその父」

丸の中には「父上、逃げましょう!」と書いてある。うん、そういう話なんだね。

↑アントニオ・デ・べリス「ゴリアテの首を持つダヴィデ」

人間、グロテスクな物を見るのが好きなんだね。怖いもの見たさってやつか?丸の中には「勝利したのに、この表情。なぜ・・・?」と書いてある。やはり殺生は嫌だよね、という事かな?

もういっちょ同じ題名の。

↑グエルチーノ「ゴリアテの首を持つダヴィデ」

同じものを描いた絵を見比べるのも面白い。

↑バルトロメオ・マンフレーディ「キリスト捕縛」

丸の中には「劇的な明暗に注目!」と書いてある。画面の1点にだけ光が当たっている絵で有名なのが、17世紀のオランダ画家レンブラントだよね。この絵は17世紀に描かれた物だそうだ。やはりそういう時代か。

↑ジュゼペ・デ・リベーラ「スザンナと長老たち」

うわ、えちーの来たよ。こんなのは教会には絶対に飾ってはいけないやつだね。でも絵としては素晴らしい。服の曲線とか、女性の肌とかが美しい。ただ、右下辺りの水がね、なんか不自然に見えたのだよ。そこだけ雑というか。でも遠くから見るとそんな事ないね。

↑ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ「懺悔するマグダラのマリア」

ほらほら、また来た!マグダラのマリア。やっぱり髑髏か。今度はあからさまだな。髑髏を持っちゃってるし。でも、なんか表情などが近代的だ。

フランドル、オランダ

↑ペーテル・パウル・ルーベンス「眠る二人の子ども」

なーんて可愛いの。ちょっとルノアールっぽい感じがするがルーベンスだ。やはり有名な画家の絵は違うのか?惹きつけられる。

↑ペーテル・パウル・ルーベンス「永遠(教皇権の継承)の寓意」

こちらもルーベンス。ああ、なんかルーベンスらしい色合いという物があるね。でも、こっちはそんなに惹かれないな(笑)

次の丸の中にこう書かれたものはこちら。

↑ペーテル・パウル・ルーベンスと工房「聖家族と聖フランチェスコ、聖アンナ、幼い洗礼者ヨハネ」

これは素晴らしいよねえ(私の主観である)

次は花環。

↑左:ダニエル・セーヘルス、エラスムス・クエリヌス「花環の中の聖家族」
右:ダニエル・セーヘルス、コルネリス・スフート「花環の中の聖母子」

とくに左はね、花だけに色が施してあって、だまし絵みたいになっているとか。トリックアート的な?

↑ヘーラウト・ダウ「シャボン玉を吹く少年と静物」

丸の中には「ヴァニタスを表すモティーフ尽くし」と書いてある。ヴァニタスって何だよ~と思って今調べた。「人生の空しさの寓意」を表す静物画だとか。

まず、シャボン玉がどこにあるのか探すのに時間がかかったよ。確かに子供がそれっぽい棒を持っているが、シャボン玉自体は見られない。右上に髑髏があるみたいだが、それがつまりヴァニタス……?

↑コルネリス・デ・ヘーム「果物籠のある静物」

ああ、それでこの果物籠も、なんだかぐちゃ~って感じなのか。

↑ラーヘル・ライス「花卉」

これを見ている親子が何と読むのか話していて、お母さんが「かびん」だと言ったら子供が驚いていた。確かに英語で「Vase」と書いてあるから花瓶の事だと思うが、卉はびんとは読まないよなーと思って調べたら、花卉は「かき」だった。花器という事だね。で、やっぱりこれも枯れている花だ。

一方、こちら↓は「一般市民が絵のモデルになる時代、到来!」だそうだ。丸の中に書いてある。

↑ヤコーブス・フレル「座る女のいる室内」

↑ニコラース・マース「少女の肖像」

これ可愛いんだよねー。大人びている子供って感じで。私昔から、アニメに出てくる赤ちゃんが、どうも不自然に見えていた。多分本物の赤ちゃんよりも手足が長いというか、顔が小さいからじゃないかと思っていた。アニメの人間自体がどちらかと言うと実物よりも顔が大きくて手足が短いのに、赤ちゃんは逆になっている事が多かったのだ。この絵を観た時にも、やはりバランスがちょっと大人に近いかなと思ったが、どうだろうか。

↑ヤーコブ・ファン・ロイスダール「滝のある森の風景」

ロイスダール……聞いた事があるような。丸の中には「嵐雲とちっぽけな人間の対比に注目!」と書いてある。風景画だが、教会と思われる建物が見えて、それが自然と比べて小さいという事らしい。

↑ヤーコブ・ファン・ロイスダール「樫の森の道」

こちらも、よーく見ると左下に人間がいて、遠くに風車小屋も見える。

ふえー、やっとバロックが終わったよ。まだまだ続く。

ちょっとここで一休み。サンディエゴ美術館と西洋美術館の共通点を知ろう。

この2つは、どちらも博覧会で使われたパビリオンを再利用して作られたそうだ。サンディエゴの方はパナマ=カリフォルニア博覧会、西洋美術館は上野で開かれた内国勧業博覧会

第3章 18世紀

さて、18世紀になったぞ。まずはこちら。

↑二コラ・ランクレ「眠る羊飼いの女」

なんか、リモージュ焼きっぽい。フランスの陶器(花瓶とかティーポットとか)に描いてありそうな絵ではないか?

↑ピエトロ・ロンギ「不謹慎な殿方」

丸の中には「お行儀よくいたしましょう」と書いてある。女性の着替えを男性2人が覗いている絵だが、着替え中の女性が手紙を読んでいるから、覗いている男性は女性の交際相手で、手紙を読んでいるか気にしているのかもしれない、などという解説があった。私がこの絵を見て想像するのは、2人はまだ交際していなくて、男性が恋文を渡し、それを女性が読んでいるという感じ。男性は反応が気になり、思わず覗いている。女性の方はまんざらでもない様子。ってな具合か?

さて、お次はこんな丸が。

日本ではもうちょっと後に旅シリーズの浮世絵が流行るが、ヨーロッパでは18世紀か。

↑ベルナルド・ペロット「ヴェネツィア、サン・マルコ湾から望むモーロ岸壁」

この絵がすごくリアルでね。水の部分を近くで見てみたが、どうやって描いたの?と首を捻るばかり。実在の物を描いているようだが、細部は修正され、架空の視点が組み合わされているらしい。でもほんと、素晴らしい絵で、人だかりもすごい。見る事は出来るのだが、全体をちゃんと写真に収めるのが難しい。すごく斜めからか、もしくはこのように人のスマホが写り込んだりね。切り取ったけど人の顔も写り込んでいたよ。

↑フランチェスコ・グアルディ「南側から望むカナル・グランデとリアルト橋」

これも素晴らしい。お天気があまり良くないところがリアル?

お次はリアルでも、リアルではない。空想の風景をリアルに描いたものらしい。

↑ユベール・ロベール「マルクス・アウレリウス騎馬像、トラヤヌス記念柱、神殿の見える空想のローマ景観」

題名から空想って言っちゃってるよ。けど、メルヘンティックですっごく素敵。絵なんだから現実を描かなくてもいいよねー。

↑ジョバンニ・パオロ・パニーニ「古代建築と彫刻のカプリッチョ」

これも素敵。雲も空想って事でしょ。よく見ると古代建築は壊れていて、遺跡っぽいのに、人はローマ人みたいな服装なのがちぐはぐ。というか、服装もマチマチか。ま、これも空想だから。

お次のお題は?

さて、当ててみよう。

↑上:ポンペオ・ジローラモ・バトーニ「ポティエ・ド・ジェヴル枢機卿エティエンヌ=ルネ」
↑下:アントン・ラファエル・メングス「スペイン王太子ルイス・デ・ボルボンの肖像」

題名で答えは分かってしまうね。上は枢機卿。最近コンクラーベがあったので耳に新しいと思うが、キリスト教の聖職者の最高位だね。教皇の次という感じ?下は王太子。次の王という事だろうね。

↑マリー=ガブリエル・カぺ「自画像」

丸の中には「それぞれの勝負服」とある。この絵は自画像で、つまり画家は女性だ。当時、公式な美術教育の場に女性の参加は認められていなかったらしい。そんな中、このカぺは絵からしても得意げ。私は画家よ!と猛アピールという所か。

それぞれの勝負服、と書いてあるのに肖像画などを1枚しか載せないのはごめん。さて、お次は……

第4章 19世紀

とうとう最後の19世紀にやってきた。この辺はジャポニズムの時代だし、印象派の時代でもある。

↑オノレ・ドーミエ「左:劇場を後にして 右:観劇」

この2枚、けっこう小さい。近代的なの来たね~。両方とも、劇を観に来た観客をクローズアップしているのだが、顔が判然としない。つまり、特定の人を描いたのではなく、大衆を描いたという事のようだ。

↑ウィリアム=アドルフ・ブーグロー「小川のほとり」

丸の中には「「理想の少女」のハッと息を呑む瞳」と書いてある。息を呑むかどうか分からないが、とても印象的な瞳というか、視線だ。肖像画などはそれほど自分が見られている感じはしないのだが、この絵の少女にはすごく見られている感じがしないか?何がそう感じさせるのだろう。

↑ウィリアム=アドルフ・ブーグロー「羊飼いの少女」

この絵は好き。なんか、心を揺さぶられる。望郷かな、旅愁かな?牧歌的な何とやら、だな。でも、さっきの「理想の少女」じゃないけれど、まだ子供なのにどこか色気を感じさせるような絵かなと思うと、ちょっと複雑。

↑カミーユ・ピサロ「立ち話」

印象派来たー!この展覧会のチラシに「印象派!だけじゃない」とかいう、なぞの「!」を含んだ文が書いてあったが、やっぱり印象派は好きなんだよなあ。

↑ホアキン・ソローリャ「ラ・グランハのマリア」

マリアさんは画家の娘さんだそうだ。丸の中には「スペインの太陽のあたたかみを味わおう」と書いてある。ホアキンはスペイン生まれだ。印象派の画家と言われるが、とくに明るい絵を描く画家なのかもしれない。

↑ホアキン・ソローリャ「水飲み壺」

やっぱり印象派が好きだなぁ。印象派の絵はね、離れて観ると変わるんだよねぇ。すごく奥行きを感じるようになる。近くで見ると雑な感じなのにね。不思議だ。

次は2枚の裸婦の絵の対比。

↑ロートレック「うずくまる赤毛の裸婦」

↑エドガー・ドガ「背中を拭く女」

2枚の違いが色々書いてあったけど、まあ裸婦との距離感の違いはあるものの、さほど変わらないんじゃない?と思ったのは私だけか?

まとめ

いやー、ここまで長かった。やっと終わった。でも、たくさんの絵を観られて満足だ。

追加で何点か、常設展の方にあるという事だったが、時間がないので常設展の方へは行かなかった。

出口の前に、付箋に感想を書いて貼る事が出来るボードがあった。何枚かの絵があって、その周りに自由に貼って良いのだ。たくさん貼ってあったし、今書いている人も何人かいた。どんな事が書かれているのかと思って見てみると、「サイコー!」のような軽いノリの物が多かった。うーん、気の利いた感想を書ける気がしない。言っては何だが、こういう軽いノリの感想では書く意味がないと思ったので、書かずにスルーした。

前回ここに来た時はモネ展だったので、ミュージアムショップは入場制限があったが、今日はそこまでではなかった。でもけっこう混んでいる。

缶バッジが撮りたかったのに、あまり目立っていない。可愛いものがたくさん。

お店で売っている物の写真を撮るのは気が引ける。でも、SNSには売っている物の写真が溢れている。今や撮ってもいいものだろう。昔、人に頼まれた買い物で、写メして選んでもらったりした事があったが、やっぱり気が引けた。写真を撮るのはお金を払わずに商品を手中に収めるのに似た、万引きっぽい感じがしたから。実用品ならともかく、飾って楽しむような物なら猶更。

買う物はないかなーと思ったが、おっと、良い物を見つけたぞ。ポーチなんだけど、中に飴が入っているもの。800円。飴にしては高いが、ポーチ込みだと思うと安い気がする。逆に、ポーチだけだとちょっとだけ高いが、飴だと思ったらポーチが付いてきてお得な気がする。え、騙されている?

家に帰って来てから写真を撮った。看板の絵だ。不穏な感じのポーチ、何てね。

最後に、またもやチラシをもらってきた。

やっぱり印象派が多い。印象派展ばっかりやっているのでは、と思うほど。日本人は印象派の絵が好きなんだよね。どうしてみんな、私と同じなの?え、私も日本人だって?

以上、どこ見る?展のレポであった。ショップで買い物を済ませたら、ちょうど2時間半経っていた。1時間半くらいのつもりで来たのに、思った以上に時間がかかった。国立の美術館は2時間以上かかると思って来た方がいいね。常設展まで観たらもっとかかるのだから。

あと、やっぱり写真を撮ると時間がかかる。写真NGだったら2時間かからずに観終わったかもしれない。いや、そうしたらメモをしていたかもしれないな。

この展覧会、国立西洋美術館では明日(6月8日)で終わりだが、6月25日から京都市京セラ美術館で始まるらしい。もしお近くの方で興味を持ったなら、是非足を運んでみて欲しい。

結局どこ見る?は、どこから見るかというよりも、どのような視点で見るかという話だったようだ。確かにあの丸の中の言葉によって、ガイドさんが一緒に回ってくれているような感覚が味わえるかもしれない。子供向けというわけでもなく、初心者向けのようでもあり、特に上級者の邪魔になるわけでもない。新しい展覧会であった。

その丸の中の文字以外は、年代順、国別に展示された至って普通のアート展だった事を、ここにご報告しておこう。それでは、また!