体調は
3月16日の日曜日、さいたまマラソンのボランティアにグループで参加申し込みをした。
去年のさいたまマラソンは2月だった。去年は4人グループで参加申し込みをしていたのだが、直前に高熱を出してしまい、泣く泣く欠席したのだった。
去年は直前に札幌へ旅行に行っていて、特に寒くて大変だったわけでも、無理しすぎたわけでもないのだが、やっぱり冬の北海道は初めてだったし、いや、もしかしたら何か伝染病をもらって来たのかもしれない。
今年は3月だし、直前に旅行などの予定も入れていないし、大丈夫だろうと思っていたのだが……。
さいたまマラソン当日を週末に控えた水曜日。いきなり風邪を引いた。まあ、原因はある。前日に暖かいと思って薄着をしていたら寒かったのだ。寒いと思いながら薄着のままでいて、つまり油断してしまい、水曜日の朝起きたら、喉が痛かったのだ。
喉が痛いだけではない。だるかった。とても。これはまずい。またさいたまマラソンの直前に高熱でも出したらシャレにならない。本気を出して風邪を治そうとした。暖かくするとか、風邪薬を飲むとか、のど飴を舐めるとか、うがいをするとかetc.
しかし翌日木曜日、電車で病院に出かけなければならず、何とか出かけられたものの、とても疲れた。やはりだるい。それに寒い。暖かい日なのに、やけに寒く感じた。
金曜日。寒気は感じなくなった。のどの痛みもほぼなくなった。鼻づまりがあるが、高熱は出さずに峠を越えたと思った。よし、この調子で明日には完治だ、と思った。
土曜日。とうとう前日だ。だいぶ体の調子は良くなった。だが、どうもまだ鼻詰まりがある。マスクをしていないと口呼吸で喉をやられそうで、家の中でもマスクをしていた。もう薬は飲まなかったのだが、のど飴などはまだ続けていた。
そうして、日曜日。当日を迎えた。なんと、鼻づまりもほぼ治っている。だるくもない。まあ、早起きできるか心配でやっぱりよく眠れず、ちょっと頭が重いと感じる朝だったが、朝が苦手なチョコナッツとしては通常運転だ。
雨の日の準備
しかし、この日は雨だった。1週間前から、ずっと予報は雨。雨で気温が低い。そして風も強いとか。前の日の準備も大忙しだった。なぜって……。
雨が首にから入ってくると困るから、タオルを巻こうと思った。もしそのタオルが濡れたら取り換える必要があるので、予備にもう1つ持って行く。体やカバンなどを拭くタオルも必要だし、カイロと、それからお昼のパン。それから水筒に折り畳みの傘。それらが入るカバンとなると、ウエストポーチという訳には行かない。
カバンはユニホームの下にという事である。リュックの場合、リュックの上にレインコート、その上にユニホームを着たら、何か取り出したい時に大変だ。斜め掛けのカバンなら、割とすぐ取れるのではないか。
一度、雨の中活動した事があり、その時も斜め掛けカバンを持って行った。なので今回もそれで、と思っていた。
ところが、一応荷物を詰めた後、それを肩に掛け、レインコートを着て、ユニホームを着てみた。すると……ユニホームの前チャックが閉まらない。全然無理。やっぱりタオルなどで荷物が膨れているからだろう。それに、前にそれで活動した時はお昼を持って行く必要がなかった。いや、あの時はバッグがユニホームの外で良かったのだ。ユニ、バッグ、その上に支給されたレインコートの順だったのだ。
仕方がない。やっぱりリュックにしよう。リュックに荷物を移し替え、レインコートを着ると前ボタンが1つしか閉められない。が、スキーウエアの上に着るので、リュックさえレインコートで覆われていれば大丈夫だ。その上からユニホームを着たら、ちゃんとチャックを閉められた。
まあ、かなりモコモコだけどね。
スキーウエア上下を着る事にした。防水だからこういう時は助かる。手袋はどうしようか。軍手が配布されていたが、濡れたら寒い。お仲間は手袋、ビニール手袋、軍手を重ねると言っていた。私もそうしようかと思ったが、スキー用の手袋がある。これなら防水だし暖かい。手を入れてみたら幸せなくらい暖かい。よし、これにしよう。一応配布された軍手も持って行くが。当然、スキー用手袋の上に軍手をはめる事はできなかった。
ということで、準備は整った。当日朝はスキーウエアーを着て、リュックの中にレインコートや帽子(キャップ)、ユニホーム、スキー用手袋を入れ、傘を差して家を出た。
出発の朝~集合
家を出ると、小雨が降っていた。傘を差したがいきなり風にあおられ、傘の柄がガツンとメガネに当たり、右目のレンズが瞼にべったり。初っ端から右のレンズが曇る。しかし、今は右目はあまり見えていないのであまり問題ない。左目だったら全然見えないところだった。
とりあえず髪の毛が濡れると後が寒いだろうから、早速フードを被った。スキーウエアはフードが被りやすい。よく、被る事は想定していないようなフードがついた服もある。被ってみたら服全体が上に引っ張られてかっこ悪くなるやつ。
電車に乗り、集合場所である浦和駅へと向かった。予定通りの電車に乗れた。
今日は3人グループで参加する。KさんとSさんと私。KさんとSさんはさいたま市民だが、私は全然違う。けれども、実家がさいたま市にある。つまり、私が生まれ育った場所なのだ。
お2人はうちより近いわけだが、Sさんはバスの都合でだいぶ早く着くという連絡が来た。
7:10に浦和駅の東口に集合だった。私は25分くらい前に浦和駅に着いてトイレに行き、改札を出た。もうKさんも浦和駅に着いているようだ。
浦和駅の東口にはパルコがある。パルコ前のトイレの前にいるというSさん。私はその辺にトイレがある事を知らなかった。何せね、私が浦和に住んでいた頃にはパルコがなかったもので。
どこだか分からないが、とにかく外に出るには雨対策が必要である。どこかで支度をしないとならない。
改札を出ると既にユニホームを着た若者がたくさんいて、それぞれ人を待っているような様子である。物を置く場所はないので、なるべく下に置かずに頑張る事にした。柱の近くを陣取って。
リュックから手袋、キャップ、レインコート、ユニホームを出す。既に傘はリュックに入っている。それから水筒も出そう。この間の東京マラソンの時には、水筒が手元になくて困ったから、今回はポケットに入れておこうと思う。ああ、やっぱり下に置かないというのは難しいな。
キャップを被り、リュックを背負い、レインコートを着て、ユニホームを着た。そしてポケットに水筒を入れる。ちょっとキツイかな。ああ、びっくり。ポケットの水筒が真横になってずいぶんユニホームが引っ張られていた。縦に入れ替えて落ち着いたが、ちょっと斜めで不安定だ。
スマホを見るとSさんは時計台?の所にいると書いてある。時計台?
私たちボランティアメンバーのユニホームは黄緑色だが、ディレクターさんは黄色だ。その黄色を着た人が、
「コース整理の人いますかー」
と言っていた。集合場所はここではなく、パルコの前辺りのはずである。でも、私もコース整理なので、反応した。すると名前を聞かれた。私の名前はないようだ。それなら、3人まとめて申し込みをしてくれたKさんの名前だろうか。えーと、苗字はなんだっけ。下の名前しか分からない。えーと……。
「あの、時計台ってどこでしょうか。そこで待ち合わせをしているのです」
と言ってみたが、その人にも時計台は分からないようだった。そして、やっぱりこの人の所に集合ではない気がする。多分別の班のコース整理の話だろう。そのディレクターさんが別の人と会話を始めたので、私は屋根の下から出た。
集合場所になっている場所をめがけて歩いて行くと、あった、時計。時計が数本立っている(?)でも、KさんもSさんもいない。
と、思ったら、その近くの屋根の下に2人はいた。良かった。2人ともキャップとフードを被っていて、ややもすると誰だか分からない。こちらも同じだ。とにかく3人で集合できてよかった。
我々3人で集合したので、原山・中尾B班のところへ行って受付をした。隣ではA班が集合しているが、そちらにはわんさか人がいるようだ。しかし、B班は少ない。
同じB班の女性と男性と挨拶を交わした。それからディレクターさんとも会話をしたが、どうやらB班には欠席者が多くて、人数が少ないようだ。そこへ、ご自分の場所が分からないという外国人が2人、ここに入る事になったとか。
男性が先にその外国人と話をしたらしく、
「ネパール人とパキスタン人だって。日本語は話せるの。今ラマダン中で食事を摂らないし、水も飲まないんだって」
と、教えてくれた。え、水も飲まないの?私はさっきから喉が渇いて仕方がない。
我々もその外国人の男性と話をした。で、どうしてもお茶が飲みたくなったのだが、なんだか申し訳なくて後ろを向いて飲んだ。飲むと言ってもほんのちょっとなのだが。
風邪の具合はだいぶいい。鼻詰まりもない。だが、どうも声を出した後に喉が渇く。だからちょこちょこ飲んだ方がいいだろう。
しばらくして、送迎バスの方へと移動した。だいぶ待たされた後、バスに乗れた。活動場所へと連れて行かれる。途中、妹の家の近くを通るはずだが、窓ガラスはすっかり結露してしまって全く外が見えなかった。
活動開始
手袋を見ると、既にひびが入っていた。スキーをしなくなって数年経つから、もうそろそろ終わりだろう。去年、札幌に行く時に持って行ったが、その時には問題なかったのだがな。
バスを降りた。あ、そうそう。喉が渇くと思って集合した時にマスクをしてみたのだが、どうにもメガネが曇ってしまって大変。バスの場所へ移動する時、そんな曇ったメガネで移動するのは危ないので、とりあえずマスクを外してユニホームのポケットに入れた。後で落ち着いたらするかもしれない、と思って(びしょ濡れになってしまい、とてもする気にはなれなかったが)。
雨は激しく降るという程でもないが、ひっきりなしに降っていた。まだ傘を差している女性もいた。外国人の男性の内の1人が、寒いと言っていた。Sさんがカイロをあげようとしたようだが、持っていなかった模様。私は持っているのだが、リュックの中なので外で出すのは難しい。気の毒だが。
活動場所がここからここまで、という説明を受けた。それが、けっこう長い。復路側だけなのだが、中尾陸橋という橋を挟んであっちとこっち。陸橋の下の道路は通行止めにはならず、信号を渡る事が出来るようだ。その信号のある交差点辺りに、ショッピングセンターや島忠ホームセンターがあった。ダイソーもあるらしい。ショッピングセンターの中にはスーパーとか色々なお店が入っている。スシローもあった。
リーダーさんによると、このショッピングセンターなどのトイレが使えるという事だった。そして、一番駅から遠い方のセブンイレブンにもトイレがあると。
さあ、この活動場所の何カ所かに資材置き場があった。そこから必要な場所へと資材を移動させる事になった。それぞれ担当場所を言われ、詳細が記された地図も渡された。この紙を渡すのに、ディレクターさんが大変そうだった。リーダーさんは傘を差していたのだが、ディレクターさんは傘を差さず、雨が降り注ぐ中、普通のコピー用紙に印刷された物を配るっていうんだからそりゃ大変。剥がれない。我々は最初に渡されたからまだいいが、だんだん最後の方に渡された人は濡れて剥がれなくなっていたようだ。
そして、我らがリーダーKさんは、クリアファイルを持ってきており、その地図を入れ、更に首から下げられるような物も持ってきていた。素晴らしい。
ディレクターさんは傘を持っているそうだが、差すわけにはいかない、という感じだった。我々も傘を差した方がいいのではと言ったのだが、頑なに差さず。とってもいい人だったので、きっと決まりを守っているという事なのだと思う。何とかしてあげたかった。でも、私には何もできず。ましてや不器用だし。(剥がれにくくなった紙を剥がしてあげるとか、無理)
最果てのセブンイレブンの前まで来たが、皆さん自分の担当場所を言われたらそこにとどまり始め、最後までついてきた人は数名。我々はそこから一番遠い所が担当場所だったが、ここまでついてきたというのに。
リーダーさんが、皆で全ての資材を運ぶと言った。つまり、自分の担当場所だけをやるのではなく、全員で全部の場所の設置をするという事だ。
最果てのセブンイレブン。今、トイレに行っておこうかなと思った。が、コンビニのトイレを借りる場合、何か買った方がいいのかなとか、ちょっと気になる。だから、資材を運びながら移動していって、さっきのショッピングセンターの辺りまで行ったら、トイレに行かせてもらおうと考えた。
トイレに行こうとしたら
資材とは、コーンとバーである。コーンは赤くて軽い三角の物ではなく、白と水色で重くて、先が尖っていない物。上が開いていて、そこに指を入れて持ち上げる事が出来るのだ。
しかし、それをしてしまったのが間違いだった。ただでさえ、ひび割れ気味だったスキー用の手袋が、そこに指を入れて持ち上げた事により、表面の固いものがボロボロと剥がれ始めた。
ありゃりゃ、こりゃ完全に今日で終わりだ。
と、悠長なことを言っている場合ではなかった。表面が剥がれると、防水ではなくなるらしい。水がしみた。それでも軍手よりは暖かいだろうと、この時は思っていた。
移動しながらコーンなどを運んでいると、陸橋に差し掛かった。なので、私はトイレに行くと言って皆と別れた。もうすぐ交通規制が始まるので、その時に忙しくなる。ちょうどいなくて申し訳ないと思ったが、
「行かれる時に行っておいて」
とKさんが言ってくれたので、行かせてもらった。トイレに行くにはあれこれ脱がなければならないから、すごく行きたくなってからでは困るし。
信号を渡る時、島忠ホームセンターの方が近いと思った。が、ふと気になった。今やってるか?まだ開いていないのではないか。それで、ショッピングセンターだったらとりあえず開いているかな……と思った。が、ちょっと不安になった。
時刻は8:50よりちょっと前。恐る恐るショッピングセンターの入り口へ行ってみると、案の定自動ドアが開かなかった。ボタンを押して開くタイプだったが、押しても開かなかったのだ。しまった。どうしよう。やっぱりセブンで行くベきだったか。え?お茶を飲むのがいけなかった?そうかもしれない。
しかし、駐車場の入り口は開いているのを確認済みだった。陸橋側からは駐車場の入り口が見えたのだ。とりあえず駐車場から入ってみる事にした。駐車場のトイレがあるかもしれない。
中に入り、ユニホームを脱いだ。そしてレインコートも帽子も脱ぎ、ビニール袋に入れた。それから、作業する時に水筒が邪魔で仕方がなかったので、水筒はリュックに入れた。
駐車場内を歩いて行くが、トイレは見当たらない。建物に入る扉も閉まっているかなと思ったが、そこの自動ドアは開いた。やった!
エスカレーターが動いていた。掃除の人が乗って上へ上がって行った。私もとりあえずエスカレーターに乗ってみた。1つ上がると1階のようだが……おい、おいおい。さっき自動ドアの前に立った場所だよ。なんと、ぐるっと回って来ただけじゃないか。
しかし、さっきはエスカレーターが動いていなかったような気がするぞ。とにかくもう1つ上に上がってみた。そこで、掃除の人が2人いたので聞いてみた。トイレに行かれるかと。すると、
「9時にならないと自動ドアが開かないので、中に入れないんですよ」
と言われた。今は8:50だ。
「9時ですか?9時になれば入れるんですね?」
と聞くと、お店は10時からだけど、9時になれば自動ドアは開くから、トイレには入れるという事だった。
あと10分か。惜しい。でもまあ、一度戻って作業するとか、セブンへまた戻るよりはここで10分待った方が早い気がした。
エスカレーターの踊り場のような所に、自販機とベンチがあった。そのベンチに座って10分待つ事にした。KさんとSさん、作業中でスマホは見ないだろうが、一応その旨を伝えておいた。
距離看板
無事トイレを済ませ、戻った。交通規制は8:50からだったので、既にコーンは並べられていた。道路の真ん中のコーンを整えているKさんとSさんの所へ行き、ちょっとだけ手伝ったが、ほぼ終わり。コース整理って、この資材設置が主な仕事なのに、ほとんどできなかったとは。不覚だ。
じきに、往路側にランナーがやってきた。最初なので、色々あった。
交差点には警察官が何人もいるのだが、そこに交通規制を知らずに信号を渡ろうとやってくる市民がいる。自転車もいる。自転車がつーっと入ってしまって、
「自転車止めて!」
などと叫ぶ警察官とか。
「じゃあどうするんだよ!通れない、じゃないよ!バカタレが!」
と怒鳴るおじいさんとか。そう、こういう時にはご協力をお願いする姿勢にならないといけない。通れないよとか、ダメだ、なんて言い方をしたら相手を怒らせてしまう。だけど、怒鳴り声というのはどうしてこう、人の気持ちを不幸にするのかね。自分が怒られたわけではないのに、なんだか顔が引きつる感じ。この時も、場が一瞬凍り付き、大勢人がいるのにシーンとなった。
そんな光景を見ていたら、そうだこっち側からも入ってきたら困るから、そろそろ配置に着こうという事になった。それと、私以外の人が順にトイレに行く事に。
コーンのない場所に立った。まだ復路側には観客もほとんどいないが、一応観客の方を向いた方がいいだろう。でも、警察官もいることだし、それほど必要がない感じ。
すると、Sさんがやってきて私を呼んだ。
実は、34km地点の看板がほったらかしになっていたそうで、陸橋の上でその看板を1人が持って立たなければならないという事だった。
KさんとSさんは、ほったらかしになっていた看板の移動などをしてくれていたようだ。すでに看板は陸橋の上に置いてあった。これを、復路側にランナーが来る頃から持って立つ必要があると。
KさんとSさんがトイレに行って戻って来た。私は一応看板の所に立っていた。3人で話をして、私が最初に看板を持つ事になった。まあ、私が先にやると言い出したのだ。特に理由はないけれど。
そうそう、2人の女性がリタイアしたと聞いた。さっきここに歩いて来た時、女性2人が並んで立っていて、Sさんとなんでくっついて立ってるんだろうねと言っていたのだ。Kさんが、直前まで傘を差していたし、ボラ活初めてだったのかな、と言っていた。雨対策が万全ではなく、とても耐えきれなくなったのかも。
ランナー到着予定時刻は10時半頃だそうだ。10:15から看板を掲げる事にした。1時間ごとに交代するようにして、看板を1時間持った後にお昼休憩を1時間取るという事に決まった。
10:15になったので、看板を立たせた。背の高い棒を持つ。陸橋の上は風が強いみたいだ。時々看板が風にあおられ、持っていると体がふらつく。あまり高い柵があるわけではないので、気を付けなければならない。
しかし、びしょ濡れになった手袋でポールを掴むと、とっても冷たい。ああ、こんな事ならビニールの手袋も持ってくればよかった。風にあおられるのが危険なので、Kさんがコーンを1つ持ってきてくれた。コーンにポールを刺すと、少しはマシだった。
でも、くるっと回って看板が変な方向を向いている事があるので、時々顔を上げて確かめる必要があった。雨が降っているのに上を向くというのは……雨が冷たい。そうそう、最初に首に巻いていたタオルだが、コーンを運んだら暑くなり、トイレに行った時に外してリュックに入れてしまったのだった。だが今、あのタオルが必要だった。でも今出すのは無理。
ランナーがなかなか来ない。往路の方では、ボリュームゾーンを過ぎていた。ランナーさんがこちらに向かって、
「お疲れ様です!」
と言ってくれる事もあった。そんな時は、
「ありがとうございます。がんばってください!」
と言った。
しかし、寒い。手が冷たい。そして、右手でポールの少し高い所を持ったせいで、水が右腕の袖の中にしみてきてしまった。手袋が濡れているからなのか、手袋は関係なく雨が入って来たのか、スキーウエアは防水でも、袖口から水が入り込み、中に来ているヒートテックを濡らした。
雨が割と強くなったようで、橋の端には水が流れていた。Kさんが、もっとこまめに交代した方がいいかと聞いてくれた。まあ、確かにその方が疲れないだろうが、でもどうだろう。あと30分だしこのまま頑張っちゃおうかなと思った。3人の中で私が一番体力なさそうだし、私が何とかなれば後の2人は大丈夫だろうし。
しかし長い。時間が長く感じる。ふと、すぐ横にある商業施設の看板が目に入る。手袋をどうにかしないといけないと思った。島忠ならスキー用とか防水の手袋が売っているだろう。しかし、私のサイズの物があるかどうか。メンズならうちに3人分あるというのに。ダイソーでビニール手袋を買うか?軍手も1つ買えばKさんのように手袋を重ねられる。が、軍手だけは買いたくなかった。うちに腐るほどあるのだ。いや、言葉が悪いか。売るほどあると訂正しよう。しかし、私ならリタイアはしないな、と思った。リタイアするくらいならたとえ軍手でも買う方を選ぶ。
ランナーがやっと来た。声を掛けようかどうしようかと思う。が、たまにならいいが、ずっと声を出し続けていると風邪をひくのだ。あ、もうひいてるけど。寒い中、ずっと声を出し続けていたら熱を出した経験がある。だから、微笑んで見守るだけにした。微笑んで?いや、引きつっていたかも。
休憩
足先も冷たい。手がかじかんでいて、容易に開けない。最後は必死だった。やっと11:15になり、看板持ちを交代した。
「温まってきて」
とKさんに言われ、またショッピングセンターに向かった。
自動ドアの前で手袋、ユニ、レインコート、キャップを脱いでビニール袋に入れた。そうそう、最初にトイレに行った時、キャップを他の濡れモノと一緒に入れてしまったものだから、キャップの中も濡れてしまい、再び被った時に寒かった。既に濡れているものの、今度は一番上に裏返しにそっと置いた。
1階の店舗内に入ると、暖かーい、と思った。とりあえずトイレに行き、石鹸で手を洗った。
1階の店舗内にもベンチはあったが、ここで食べ物を食べていいのかよく分からなかったので、またさっきのエスカレーターの前のベンチへ行った。
まず、ヒートテックの袖の濡れた所をタオルで拭いてみた。水分が取れたのかどうかよく分からないが。そして、レインブーツを脱いで靴下にカイロを貼った。靴下に貼る用のを持ってきていたのだ。それから小さい貼るカイロも持っていたので、濡れた袖の上から1つ貼ってみた。そして、貼れないカイロを1つ出し、ズボンのポケットに入れてみた。スキーウエアの内ポケットにも1つ入れていたが、全然温かくないのでそれも反対側のズボンのポケットに入れてみた。
貼れないカイロは使用期限が過ぎてしまっているからか、内ポケットに入れていた方はあまり温かくなかったが、今入れたばかりの方は暖かかった。でも、ここはやっぱり寒いかも。
あれこれやっていたから、もう15分経ってしまった。パンを食べよう。
パン、冷たい。そういえば、ずっと手が濡れていたりして、写真を1枚も撮れなかった。ブロガーとしては痛い。
妹が午前中出かけていて、帰れそうだから見に来るという事だった。橋の上かも、と連絡した。
パンを食べつつも寒かった。自販機には冷たい飲み物しか売っていない。水筒のお茶はぬるい。
パンを食べ終えると、また1階の店舗内へと向かった。ベンチには1人座っていたが、同じベンチに私も座らせてもらった。しかし、最初は暖かいと思ったのに、今は全然温かく感じなかった。寒い時って、冷たい物を食べるともっと寒くなるよね。
袖をまたタオルで押さえてみた。ここに貼ったカイロは全然温かく感じない。寒い。なんだかすごく寒くなって震えた。ふと、リタイアした2人の女性の事が頭をよぎった。先ほど見た、2人がくっついて立っていた後ろ姿を思い出す。
私はリタイアなんてしない、と思ったが、彼女たちの気持ちがちょっと分かった。もうどうにもならない気がしてもおかしくない。体が震えて絶望的な気分が襲って来たのだ。
いや、私は絶対にリタイアしない。リタイアするくらいなら、買ってでも……。
ふと、目の前に洋服が売っているのが目に入った。女性用の下着などが見える。そうだ、インナーを買って着替えてしまえばいいのでは。
その店に行ってみた。まあ、目の前だが。長袖のTシャツとか肌着は売っていないだろうか。
だが、残念ながらインナーはタンクトップ型の物しかなく、後はワンピースばかり。なんでだろう。そして、アンダーウエアとか。ん?産褥ガードル?あ……あれ?ここってもしや。
ここは西松屋だった。買い物をした事はなかったが、時々広告を目にすることがあった。確かベビー服やベビー用品の店ではなかったか。つまり、ここはマタニティウエアとか、産後に使う衣類が売っているという事では……。
恥ずかしい。私はどう見ても妊婦ではないのに。でもマジで、長袖のインナーがあったら買っていたと思う。マタニティ用でも。
しかし、残念ながら買えるものはなかった。今更ダイソーとか島忠に行って探す時間はない。ロヂャースだったら絶対にあったのだが、遠いみたいだ。まあ、仕方がない。
もう一度トイレに行き、ヒリヒリし始めた顔に保湿剤などを付け、上からレインコートを着た。キャップを被った瞬間は冷たくて寒かったが、外に出て、ユニホームを着たら少し暖かく感じた。そして、今度はスキー用の手袋ではなく、軍手を手にはめた。ぐっちょぐちょの手袋よりはマシだ。多分。
そうそう、このショッピングセンターに向かう時、そのびしょびしょの手袋を外したら、めっちゃ手が冷たかったので、またショッピングセンターに着くまでは嵌めたのだった。濡れていても、風に当たっているよりはだいぶマシのようだ。
沿道に立つ
今度は陸橋のふもとに立った。だいぶボリュームゾーンになっていて、ランナーさんはたくさん走っていた。
時々ランナーさんが私の目の前の沿道でストレッチをして、また走って行く。ここは、植え込みがあって観客が立てない場所になっている。だから、ちょうどそういう事をしやすいのだろう。
しかし、なぜかコーンで仕切られていない場所で、自転車で道路に入ろうとした人がいた。まだ復路にランナーがいない時に、入ってきてしまった自転車がいたとのこと。でも今は、私が制止する前に、自転車の人がすぐランナーに気づいて(そりゃそうだ)引き返して行った。
すぐそこに警備員がいて、自転車が来ると呼び止めているというのに、それでも不十分で突然やってくる自転車がいるのだ。
それとは別に、観客が歩いてやってきて、道路ギリギリまで来て写真を撮ったりする事があった。
「すみません、観客の方は歩道でお願いします」
などと言って、ガードレールの内側に行ってもらった。皆さん文句も言わずに従ってくれた。なぜここにコーンが設置されていないのか分からないし、本当に観客が入ってきてはいけないのかどうかも分からないが、ただ、もっと人がここに殺到すると危ないというのは分かる。観客とランナーはガードレールかコーンとバーで仕切られているはずなのに、ここには何もないから。
それにしても、腰が痛い。リュックのせいで反り腰になりがちだ。ランナーさんじゃないけれど、私も沿石に片足を乗せてストレッチをしたりする。
ランナーさんで足をあれこれストレッチしている人が、
「もう、股関節がバッキバキ」
と言っていた。
「濡れるからねえ」
と私が言ったら、
「もう冷えちゃって、ダメ」
と言っていた。走る人は体が熱くなるから、雨で冷やされて調子いいのかと思ったが、これだけ気温が低いとそうでもないらしい。やはり濡れて風に吹かれれば冷えるか。体を覆っていないと大変なのだな。その股関節バッキバキだと言ったランナーさんは、なんか半ズボンとタイツみたいな服装だったが、足の付け根の皮膚が出ていたように見えた。だから股関節が冷えたんだよね。
苦しそうな人もいれば、寒そうにしている人もいる。若い男性で細身の人が、レインコートを着ていたが、寒そうによろよろと歩いていて、とうとう私の目の前でしゃがみこんでしまった。しばらく動かないので、心配になって声を掛けた。
「大丈夫ですか?寒い?」
と聞くと、頷いた。そして、立ち上がってまた走り出した。
後から聞いたところによると、今日はだいぶ低体温症でリタイアしたランナーがいたらしい。車いすが足りなくて、しばらく待たされていたとか。濡れた状態でその辺に座っていたら余計に冷えてしまうのに。
再び看板
13:15になろうとしていた。Sさんの休憩時間になる。私は少しゆっくり陸橋を上って行った。上るというのは、陸橋は中心が高くなって、緩やかながら太鼓橋のような形をしているからだ。一番高くなっている辺りに3.4kmの看板を立てているのだ。
ゆっくり行ったのは、まだ時間があるからというのもあるが、ランナーさんに逆行しているからでもある。下手すると腕などがぶつかってしまう。ぶつからないように用心しつつ、もしぶつかってしまってもダメージが少なくて済むように、ゆっくりと移動していったのだ。
Sさんの所へ行くと、なんとポールが無くなっていて、看板だけを両手で持っていた。どうしたのかと思ったら、
「風で折れたらしいですよ」
と言われてびっくり。Kさんが持っている時、看板が風であおられ、ポールが折れたらしい。そうならないよう、ポールを短くした矢先に。幸い看板がランナーさんに当たる事はなかったが、何と危険な。しかし、後でKさんに聞いたところによると、ランナーさんたちの笑いを取ったらしい。人間、予想外な事が起こると笑ってしまうらしい。昔夫が言っていた。知らんけど。
それと、Sさんが「この役は面白い」と言っていた。看板を持っていると、色々と声を掛けられるようだ。
また、質問されたけれど答えられなかった事があると言う。看板には「3.4㎞」の他に「関門まで1.2㎞」とも書いてあるのだが、関門が閉まるのは何時かと聞かれたらしいのだ。
最初に渡された紙に書いてあるかな、と言ってそういえばどこに?と思った。そうだ、ユニホームのポケットに畳んで入れた。
が、取り出してみたらびしょ濡れ。そりゃそうだ。広げようと思ったが、完全にくっついてしまい、破けそう。断念した。
Sさんは、貴重な休み時間だし、お昼が遅くなっているのに、ディレクターさんに聞いてきてくれた。1.2㎞先の関門が閉まるのは、14:06だそう。覚えられるか、チョコナッツ?
本格的に交代した。今、雨はけっこう降っているのに、なぜか先ほどのように端に水の流れがない。風の影響だろうか。
Sさんは男性で、板の下に手を添えていた。つまり下から支えているというか。だが、私がそれをしようとすると、板で顔が隠れてしまう。流石に顔を隠して持っているのは、ちょっと。それで、板の横を持つ事にした。
板は重くないのだが、滑らないように持っていると指が……。また指が開かなくなりそうだ。でも、さっきのポールを持っているよりは冷たくない。軍手はだんだん濡れてはきたが、土砂降りでもないのでびしょびしょという程ではない。さっきのぐっしょり濡れたスキー用手袋よりはだいぶマシになった。
すると、なるほどSさんの言うように、ランナーさんがけっこう声を掛けてきてくれる。
「お疲れ様です」
「雨の中ありがとう」
「ご苦労様です」
などと言ってくれる人がいる。頑張ってください、とこちらも声を掛ける。そうだよ、これが楽しいのだ。この間東京マラソンでも同じことを思った。最初にここに立っていた時には、通るのはトップランナーさんたちだったので、声を出す余裕などなかっただろうが、ボリュームゾーン以降になるとこうやってにこやかに話し掛けてくれる人がたくさんいるのだ。
まあ、トップランナーが余裕がない、というのは語弊があるかもしれないが。察してくれ。
そうそう、看板を見て、
「まだ34キロか」
と言ったり、パッと時計を見る人がいたりする。けっこういる。それと、
「34キロ?43キロじゃないんだよね?」
なんて言う人もいた。残念ながら、まだ8キロあるのよね。
雨と、そして風が強くなってきた。風が前から吹く。メガネはもう雨でびしょ濡れ。ワイパーくれって感じ。だが、メガネがあってむしろ良かったくらい。メガネに覆われていない部分にはもろに雨水が掛かる。
質問される事は少なかったのだが、やはり関門何時?と聞かれる事もあった。だが、1つ想定外の質問が。
「次の関門が最後だっけ?まだある?」
あちゃー、地図を見れば分かるだろうが。関門の事はマニュアルにも書いてあった。ちゃんと把握しておくべきだったか。分からない、ごめんなさい、と答えるしかなかった。ランナーさんはそのまま走って行った。
Sさんが来てくれたので、その質問の事を話したら、地図を確認してくれた。関門はまだその先にもあった。まだ次が最後ではなかった。
1つ気がかりな事があった。妹が観に来て私を探しているかもしれない。橋の上にいたのでは、近くには来れない。交代してもらおうかとも思ったが、何しろここの場所は楽しいので、移動したくもなし。
先ほどの、関門が閉まるのが14:06という話だが、という事はランナーがここを通るのもそのくらいの時間までという事だ。つまり、2回目の看板持ちは1時間もないという事になる。
14時に近づくと、
「関門まで1.2キロでーす!頑張りましょう!」
などと言う人が出てくる。この人は誰?普通のランナー?それともスタッフ?
皆さん頑張っている。そう、いつも不思議に思うのが、もっと早くに通過したランナーさんでも、かなりヨタヨタした人もいる。後の方でもシュタシュタッと走っている人もいるのだ。不思議だ。
14:06を過ぎた。だが、まだポツポツと走って来る人がいるので看板は持っていた。時間が過ぎても、次の関門までは走らせてくれるのだろう。
終了
終わった。とにかくメガネを軍手の指で擦った。一応前が見えるようになった。
今回写真は全然撮れなかったが、集合した時に3人で撮った写真がある。Kさんにいただいた。それがこちら。

髪の毛が一切見えない。だが、私は満面の笑みを浮かべていた。いやー、今年は無事にさいたまマラソンのボランティアに参加出来て良かった。
収容バスが数人のランナーさんを乗せて去り、パトカーが通り、更に選挙カーみたいな車、とディレクターさんが言っていた広報車?が通り、交通規制が解除された。
コーンなどを片付けた。遠い所での活動だった人たちも戻って来た。あの寒がっていた外国人の男性も健在。良かった。
送迎のバスが案外早く来てくれて、大助かりだった。バスに乗ったらユニホームやレインコート、軍手などを脱いで、人心地つく。
そうそう、私はリーダーさんとディレクターさんをずっと逆だと思っていた。後でKさんに教えてもらうまでは。最初にディレクターさんが、リーダーさんの事をベテランだから安心だと言っていた。そういう事だったのか。ベテランだったから、なんだか立場が上に見えてしまったのか。
優しくて親しみやすい女性のディレクターさんだった。雨の場合の準備に課題があったとは思うが、きっと今日の活動が良い経験になって、次は更に素敵なディレクターさんになっているだろう。って、なんか上から目線で申し訳ないが。
バスを降り、さいたまアプリで200円分のたまポンをもらい、解散になった。たまポン、浦和駅周辺でもドラッグストアとか色々なところで使えるのだが、なかなか使う機会のない私。使用期限までに何とか使おう。
2人と別れ、トイレに行って帽子を取ってみたら、帽子を被っているよりも見た目がマシだった為、取って電車に乗った。風っぴきでも雨の中、最後まで活動できた。満足感でいっぱいだ。
家に帰ってすぐお風呂に入った。何しろインナーが濡れているから。まだ日も高い時間ではあったが。ユニホームに貼ったシールを剥がそうとして、まだ写真を撮っていない事に気づいた。

そうだ、色々と撮っていないではないか。いつもと違うな。

また来年もやりたいな。行く前は遠いからもう辞めようか、なんて思うのに、終わるとまたやりたくなる。ボラ活は癖になる。
そういえば、妹からLINEが入っていた。「どこ?」という連絡の後は何もなし。それで、橋の上が長かったという主旨のメッセージを送ったが、よく考えたら妹が「どこ?」と入れた時間帯は休憩中だった。なーんだ、休憩中に気づいていれば連絡できたのに。でも、ちょうどそろそろトイレに行っておこうという時間帯で、あれこれ忙しかったから無理だった。まあ、妹も家の近くだったから許してくれるよね?
以上、さいたまマラソン2025のレポートであった。時間も長かったのでブログも長くなった(1万5千字)。雨のボラ活は良い経験だ。今度また雨の時にはもっとカイロを使おう。後でKさんがカイロを10個仕込んでいたと言っていて、2個や3個じゃ甘かったか、と思い知ったのだった。だけど貼るタイプはあまり温かくない気がするので、貼れないタイプをガムテープで貼ろうかな。などと考えた次第である。
翌日は腕が筋肉痛だった。それと、顔がヒリヒリした。雨が当たり続けたからね。だいぶ過酷な状況だった割には、翌日のダメージは少なかった。風邪がぶり返したのか、それともまだ治っていないのか、まだ鼻をぐずぐずさせているが。
ここまでお付き合いありがとう!それでは、また次回のブログをお楽しみに!