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大阪・関西万博2025ボランティア~4日目の活動

2025年5月4日(日)

4月19日土曜日。大阪に来て5日目、万博ボランティアは4日目の活動である。翌日には東京に帰るわけだが、最後まで気が抜けない。

この日のボランティア活動は東エリア迷子・ベビーセンター運営補助である。2日目に西エリアの迷子・ベビーセンターで活動したのだが、あの時は平日の夜だった。今日は土曜日の昼。さて、どうなるか?

朝はゆっくり

少しずつ眠れるようになってきた。だがどうも、少し動くとベッドが小刻みにブルブルっと揺れるのが気持ち悪い。そのせいで何度も目が覚めてしまう。こんなによく眠れない日が続くのは初めてかもしれない。大抵眠れなかった翌晩にはぐっすり眠れるものなのに。やはり緊張状態だからか。

朝、今日はゆっくりでいいので7時半に目覚ましを掛けた。夕べ寝るのが遅かったし、今日は昼シフトなので観光もしないから。でもやっぱり、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。それでも一応、明日目覚ましが鳴らなかったら困るので、鳴るかどうかテストするつもりで鳴るのを待ってから止めた。明日は朝シフトなのでね。

今日も朝食にサンドイッチとヨーグルトを食べた。ヨーグルトはちゃんと賞味期限内に食べ切っている。この前麦茶が凍ってしまった冷蔵庫だが、ヨーグルトは凍っていない。一晩扉側に水を入れておいても凍る事はなかった。

今日は12時に集合なので、11時頃に夢洲に着くようにホテルを出た。もうホテルから大阪駅までの道のりは大丈夫だ。またコインロッカーを見ながら行ったが、やっぱりほぼ埋まっていた。改札内は全て埋まっている。今日も遅い時間だから仕方ないか。

ボランティア仲間と会えるか?

今日、ボランティア仲間2人が、同じ東エリアの昼シフトで活動が入っているという事だった。つまり、同じ時に同じボランティアセンターに集合するわけで、会えるはずであった。

LINEグループで繋がっているお二人のうち、お一人はお会いしたことがあるGさん。もうお一人は初めましてのBさんだった。

大阪駅からJR線環状線に乗り、弁天町で大阪メトロの中央線に乗りかえた。弁天町駅には駅員さんがあちこちに立っていて、

「万博会場への乗り換えはこちらでーす」

と誘導してくれる。ありがたいね。

中央線に乗る。一番前に乗れば夢洲に着いた時にあまり歩かなくて済むのだが、混み合うかもしれないので少し後ろへと歩いてから乗った。

手すりにつかまって立ち、少し走り出してから窓の外を何の気なしに見ると、視界の端に入った男性がいて、なんだろうな、何かを感じて振り返り、ちゃんとその人を見たら、なんとGさんだった

うそでしょ!どうしてここでバッタリ会えるわけ?同じ電車なのはまあ、集合時間が同じなのだからあり得る。だが、同じ車両の、しかも隣に立つって……。昨日の女の子が幼馴染一家にバッタリもびっくりだが、こちらも負けないくらいびっくりだ。

Gさんは今日、万博ボランティア初日だそうで、昨日はSNSに緊張してきた、なんて書き込んでいた。先に知り合いに会えてリラックスできたと言っていた。良かった。

夢洲駅に着き、共に手荷物検査を通過した。Gさんは会場内を一回りしてくると言って別れた。ボランティアセンター(ボラセン)の場所は分かりますか?と聞いたら、ちゃんと分かっていた。流石。私とは違う。

私はお昼を買いにローソンに入った。東ゲートを入ってすぐの所にあるのだ。一見外まで並んでいるように見えたが、よく見たら店員さんが外で呼び込みをしているだけで、お客が外まで並んでいるわけではなかった。レジには少し並んでいたが。

おにぎりを2つ選び、列に並んだ。5人くらいかな。すぐに順番が回ってきたので問題ない。西のセブンと違ってここにはセルフレジがなかった

ボラセンに入り、更衣室で着替え、ロッカーに荷物を入れ、適当に座っておにぎりを食べていた。するとグループLINEにBさんから、もう来てますか的なメッセージが入った。Bさんは一人で座っていると言う。私が自分の場所と状況を送ったものの、やはり分からなかったみたいだ。壁の方を向いていると言っても、壁は四方にあるしな。するとBさんは、ストライクの服を着ていると言う。

ストライク?ストライクって何だろう。私の知らない服のジャンルはいっぱいあると思うのだが、もしかしたらストライプの事かなと思い、ストライプの服の人を探した。大抵皆さんユニフォームを着ているので、それ以外の服の人は多くなかった。

お、しましまの服を着ている女性を発見。そもそもBさんが女性なのか男性なのかも知らなかった。あの人かなーと思っても、あちらは探している風ではない。だから違うかもしれないとは思った。が、他にしましまの服の人はいない。とりあえず声を掛けてみよう。

「あの、違ったらすみません。Bさんですか?」

Bさんの名前はハンドルネームで、およそ人の名前とは思えないもの。その女性もびっくりしただろう。

「違います」

と、速攻言われた。すると、後ろから声を掛けてきた男性が。

Bさんだった。Bさんは細かい縦じまのシャツを着ていた。遠目からだとストライプに見えなかった(私の目では)。そして気づいた。今私が声を掛けた女性が来ていたのは、ストライプじゃなくてボーダーだったと。横じまのTシャツだったのだ。

Gさんもボラセンにやってきた。私はてっきりGさんとBさんは顔見知りだと思っていて、私がGさんを探せば万事うまく行くものと思っていたが、GさんもBさんとは初めましてだったようだ。短い時間だったけれど、色々3人でお話が出来て良かった。

集合

12時になり、それぞれの椅子へと向かった。迷子・ベビーセンターのボランティアは6人。1人だけ男性だった。今日は年齢層は高め。皆さん私と同じくらいかな?

アシスタントディレクターの可愛い男の子が、クオカードの受け取り同意書を配りに来た。

「チョコナッツさんは2回目なので、他の方はこれを」

と言ったので、2回目ではなく4回目ですと言ったら、皆さんびっくりしていた。まだ万博が始まって1週間も経っていないのに、もう4回目というのは驚かれるかもしれない。

今日もホワイトボードにイベントの時間などの情報がたくさん書かれていた。これ、迷子・ベビーセンターには関係ないと思いがちだが、けっこう聞かれたりする事もあるので必要な情報だ。でも、あまりにたくさんあって書ききれないので、写真を撮っておいた。最初は活動中にスマホを開くのは写真を撮っていると誤解されるからダメだと思っていたが、活動をしてみると、アプリの説明をするのにスマホを開く事もあるし、自分が地図の確認をする事もあるので、それほど問題ないと分かったのだ。あとミャクミャク翻訳のアプリも使っていいわけだしね。

私が東京から来たという話や、昨日本町駅で迷った話をした。そこで、昨日気づいた話(大阪では同じ駅に同じ番線が存在する)をしたら、

「そうやな、御堂筋線の1番線も、四つ橋線の1番線もあるわな」

と言って、東京には同じ駅に同じ番線はないと言ったら、それは便利やね!と言っていた。

そして、その流れで面談の時に本町駅で右往左往した話をした。大うけしていた。だが、途中で出発する時間になり、話は終わってしまった。結局、面談に間に合ったのか間に合わなかったのかを話せずに。私の悪い癖で、前置きが長いのよね。

活動開始と同時に休憩

東エリアの迷子・ベビーセンターは、ボラセンのすぐ近くにあった。並びというか。ただ、出入りするのに裏から入るので、そこが逆に難しい。どの扉だったか分からなくなりそうだ。

我々と入れ替わりに、朝シフトのボランティアさんが終了になるのだが、1人が迷子の相手をしているとかで、すぐに交代にはならなかった。やっぱり迷子が出たのか

無事入れ替わり、ディレクターさんから説明を受けた。西のベビーセンターに比べるとこちらは狭い。それでも、ベビーカーやお子様連れのお客さんがしょっちゅう出入りしている。それから、スタッフさんが多い気がする。

ベビーカーの清掃の仕方はほぼ同じだが、貸出の時にやる事が多かった。やる事というか、言う事というか。ベビーカーに関する注意点を3つ、お客さんにお話しするのだ。西はそれをスタッフさんが説明したのだと思う。ボランティアはその説明に合わせて、ベビーカーを広げればよかったのだ。

そして早速、6人を3つに分けて回す事になった。その場の並び方で何となく分けて、私は唯一の男性とチームになった。休憩を何番目に取りたいかという話し合いになり、どれでもいいと言ったら1番目になった。まあ、1番目が最も人気がないよね。まだ疲れていないのにいきなり休憩はね。でもまあ、どれでもいいと言ってしまったから仕方ない。

男性は従業員食堂へ行くと言った。行きますか?と聞いてくれたが、おにぎりを食べたから行かないと言って、別行動になった。待たずにそれぞれが持ち場へ行くと決め、私はフラフラと外へ出た。

まだ疲れていないから、回ってみようと思った。まだ東エリアはあまり回っていないし。それにしても、土曜日という事もあってか混んでいる。東ゲート近くにあるオフィシャルショップも外に行列が出来ている。今、西ゲート前はどうなのだろう。それを知りたくても、あそこまで歩いて行く気には到底なれない。

日差しが強く、暑かった。夏を思い起こさせるに充分な気候だった。大屋根リングを越えるとすぐに大行列を目にする。アメリカ館やフランス館、フランス館に併設されたパン屋さん、どこも行列している。そして、コモンズ館までもが行列。うわ、今日は並ばずに入れる所なんてないようだ。

こんな暑い時に外に並ぶなんて嫌だな、と思ってしまった。観客として行く日はまだ決まっていないが、恐らく夏休みになるのではないか。だとするともっと暑いのだ。夜間券ではないのに夕方来るのは勿体ないし、困ったものだ。

せめて帽子が欲しかった。ボランティアの帽子は脱がなければならず、日傘も帽子もなしで歩いているのはキツイ。いつも日焼けには注意しているのだが、ここの所気が緩んでいる。もう、焼けてもいいかなと思っている。

東ゲートの方へ戻ってくると、キッチンカーを見つけた。あまり並んでいない。何かジュースでも飲もうかと思って近づくと、それはユーハイムのキッチンカーだった。昨日も話題に上ったユーハイム。今日もちょっと話が出ていたので気になった。よし、買ってみよう。

最初はストロベリーとピーチの果肉が入ったジュースにしようかと思っていたが、やっぱりユーハイムならバームクーヘンを食べた方がいいと思い始め、結局バームクーヘンアイスを選んだ。

美味しい。チョコアイスを選んだ。ボラセンに戻りながら食べた。時間があまりないので食べ歩きだ。バームクーヘンとアイスを一緒に食べると非常に美味しい。ただいま14:15だ。14時半までに持ち場へ戻れるか。

ちょっとそこまでと思っても10分くらい歩く必要があったりするのが万博だ。トイレに行って着替えて、超特急で持ち場へ戻った。1分くらい遅れたかな。男性は既にベビーカーの掃除をしていた。

ベビーカーの清掃作業と迷子

返却されたベビーカーを消毒液を掛けて拭き、畳んでしまう。ひたすらそれ。それを2人でするのかと思ったら、スタッフさんが1人いる。それほど次々と返却されるわけでもなく、仕事がない時にはカウンターの横に並んで立っていた。

同じチームの男性は働き者で、大抵ベビーカーが来ると自分が持って行くし、授乳室を使う人が来た時には「ご案内します」と言って案内を買って出る。素晴らしい。が、私はちょっと暇になる。

けれども、迷子が来ると少し違う。

最初に、迷子を保護したらここ、授乳室はここ、子供用トイレにはおむつを捨てられるなど、説明を受けたのだった。やはりミルクを作るためのお湯などもある。本当に、至れり尽くせりだ。

あ、すっかり書くのを忘れていた。私がベビーカー貸し出しをやろうと思った理由を。

私は20年前、愛・地球博(愛知万博)を家族で訪れた事がある。子供が3歳と0歳で、夫が0歳の次男を抱っこしていた。サイズの合わない抱っこバンドで。つまり留めていない状態で。

万博会場でベビーカーを借りられると知って、早速借りてみた。次男を乗せて、ああ楽だと思った矢先、雨が降り始めてしまった。怪しい天気ではあったのだが。

当時、万博会場で貸し出していたベビーカーには屋根がなく、雨が降ったら子供は濡れてしまう。これじゃだめだと、借りたばかりですぐ返したのだった。

それがどうだ!この大阪・関西万博で貸し出しているベビーカーは。屋根がバッチリ。幌という方がいいか?日差しも遮る事が出来る。多少の雨なら濡れないだろう。進化、いや進歩したなあ。黒いベビーカーで、メーカー名はシールで隠してあった。つまり提供品ではなく、購入品なのだろう。

まあつまり、万博でのベビーカー貸し出しに想い出があり、懐かしかったのでやってみようと思ったのだ。

さて、迷子が保護された。割と大きい男の子で、ご機嫌斜め。こっちにおいでと言われても嫌だ嫌だと手に負えない。チーフディレクターさんが励ましながら両腕を掴んで保護室に連れて行く。すごいな。私だったらなかなか手を出せない気がする。

男の子のスタッフで、子供が好きなんだろうなぁと言う感じの、可愛くて優しい雰囲気の人もいて、ここで働いている人達は、みんな子供好きなんだと思った。ボランティアもそうなのかな。私がここに来た理由は上記のごとく。ちょっと不純だったかな。

迷子の男の子のお母さんはすぐに見つかった。もう大きい子だし、お母さんもそれほど心配していた様子はなく、感動の再会という訳でもない感じだったが、子供の気持ちを考えたら、なんだかちょっと涙が出そう。男の子のスタッフさんがバイバーイ!と可愛く手を振っていた。

しかし、子供が保護される事はあまりなかった。それよりも保護者の方がやってくる。それも、外国人が多かった

オーストラリア人の男性がやってきた。ここには英語が堪能な女性のスタッフさんがいて、その人が話をしていた。いなくなったのは娘さんで、娘さんの名前や特徴、服装などを聞き取り、写真の提供もしていた。だが、連絡先の電話番号のところで困った事が。国際電話にはこちらから掛けられないそうなのだ。オーストラリア人のお父さんは、娘たちとははぐれたら東ゲート広場に集合しようと話し合っていたそうだ。だから自分は東ゲート広場に居たい。でも、もし娘さんが見つかった時に連絡をくれないのか、みたいに言っているようだった。それで、何分か毎にこちらに来てもらえればいいとか、スタッフさん同士で話している。

また、放送をしてくれないのが不親切だと言っているようだった。そして、英語の話せる上の人を連れてこいと言っているらしい。オーストラリア人のお父さんは警察官だとか、チラッと小耳にはさんだ。

上の人がやってきた。英語は話せないけど、謝る事は出来る、と言っていた。そして、オーストラリア人のお父さんに向かって深々と頭を下げていた。その人の指示に従い、英語担当の女性のスタッフさんが話す。

放送をかけないのは、それによって連れ去りの危険が高まるからだそう。それを、英語担当の子が、自分ではそれを英語で伝えられないと言っていたのだ。しかし、上の人が来て伝えてと言われて、何とか伝えたようだ。その後もしばらく色々あって、オーストラリア人のお父さんが「探しているのか」みたいに言ったのかどうか分からないが、英語担当の子が何百人もの体制で探していると言っていた。そうしたらサンキューと言っていたが。

その後、私がベビーカー貸し出しの方になった後、とうとう娘さんが見つかったようだった。娘さんと一緒にお父さんが伝えに来たようだ。娘さんはとても大きい子だった。そういえば、スマホを持っているがバッテリーがなくなっていて繋がらないと最初に言っていたっけ。

最後には笑顔でサンキューと言っていたオーストラリア人のお父さん。良かった、良かった。

あ、それと、ベビーカーの返却時、西の時には忘れ物がないかどうかをボランティアがチェックしたが、東ではアテンド(スタッフ)さんがチェックしていた。そんな違いもあった。

ベビーカー貸し出し作業

15時半からはベビーカーの貸し出しになった。もう夕方だが、歩ける子供が疲れてしまったとか、寝てしまったとかで借りに来る人もいて、けっこう次々とお客がやってくる。

貸し出しの時、アテンドの方が承り、名前を書いてもらったりする。そうそう、ベビーカーの番号の写真を撮っておくといいですよと言っていたのだが、その時にあまり若くないアテンドさんが「写メ撮っておくといいです」と言うのが気になった。写メというのは写真をメールで送るという事であって、メール関係ないから写メではなくて写真でしょ、と思って。まあ、通じてたけど。

アテンドさんの手続き作業が終わると、私たちボランティアがベビーカーを持ってお客さんを外に連れ出し、3点の注意事項をお話しして送り出すのだ。

その3点というのは、乗り降りの際など、停めている時にはストッパーをしてという事と、シートベルトは必ずしてという事と、畳む時にお子さんの指を挟まないように気を付けてという事だ。

その、指を挟まないようにという話が、どうも言いにくかった。言葉が出にくい。疲れる。相手に迷惑をかけるほどではないと思うが、自分が辛い。

ところが、何回もやっている内に、言えるようになってきた。そう、意外と慣れると言えるようになってくるのだ。だから、苦手な事を言わなくて済むようにと配慮してもらうのは躊躇してしまう。言えなかった事が言えるようになった時、とても嬉しいものだ。最初から苦手な事を排除してしまったら、その喜びもない。でも、普通の人が感じないような辛さを、わざわざ味わう事はないとも言える。

同じように言いづらさの話で言うと、ある時男性が現れ、私が対応すると、こう言った。

「あの、父親がいなくなってしまったのですが」

私は、それをアテンドの方に伝えた。伝える時に、

「お父様が迷われたそうです」

と言った。言った後で、もう一度「お父様と言う」事を考えると、とても言える気がしなかった。私は言葉が出にくい人生を50年近くやっているので、言う言葉を想像しただけで、その言葉がすんなり出るか出ないかが分かるのだ。分かるのだが、最近ちょっと変わってきた。咄嗟に言ってしまってから、もう二度と言えない気がするのだ。今言えたのに。つまり、言えないと思うような言葉も言えるのだ。昔から、事前に言う事を決めておくよりも、その場で考えた方がマシだと思う事がよくあった。何と言うか考えるより先に言ってしまうのが、気負いせずに話すコツなのかもしれない。考えるよりも先に行動する人に、吃音症の人はいないのかも?知らんけど。

お年寄りがいなくなった時には、結局何も対処できないという話が聞こえていた。ご自分で探してみてくださいと言われていた。もし、お年寄りが保護されたなら、この施設にいてもらって、お連れの人を探すようだが。放送するのかな。でも、逆はなす術がないという事か。

中国人の女性もやってきて、お子さんがいなくなったと話していたようだ。アテンドさんと英語で。それで、どういう顔で送り出していいか分からないと思っていたら、その中国人の女性が去ったあと、アテンドさんが「お子さんが見つかった」と言っていて、それなら笑顔で送り出せば良かったと思った。

我々ボランティアは、ベビーカーの貸し出しの時には、笑顔で元気にしていればいい。だが、迷子の、特に保護者が来て子供がいなくなったと言っている時には、どういうテンションで接していいのか迷う。親御さんはとても心配していて、笑顔なんてない。そんな時にどんな言葉を掛ければいいのか。結局、黙りこくって立ち尽くすだけになる。心配しながら見守るだけになる。他の活動とは違ったものがある。負の感情と隣り合わせの活動なのだ。

オーストラリア人の娘さんが見つかった時にも涙が出ちゃったし、迷子対応はほとんど見ているだけだったものの、心配したり泣いたりと、感情が忙しい。そして、やっぱり土曜日の昼は迷子が多かった

活動終了

ベビーカーの貸し出しをしている時、顔に日が当たる場所に立っていた。建物の中だが、ガラス越しに西日が当たっていた。注意事項の説明をする時には外に出るから直射日光を浴びたし、どうやら顔が日に焼けたようだ。

17時に活動を終え、ボラセンに戻ってきた。何か気づいた事や困った事はあるかと聞かれ、あの可愛い顔のアシスタントディレクターさんに、先ほど感じた「迷子対応の時にどんなテンションでお声かけをしたらいいのか難しかった」という話をした。

解散になり、他の役割の人たちもほぼ帰ってしまっていたが、GさんとBさんはまだ残っていた。そこで、写真を一緒に撮ってもらった。グループLINEを見たら、活動前に私とBさんがあれこれやりとりしたまま放置してあったので、他の人が会えたのかどうか気になると言っていた。こりゃ失礼。今3人で撮った写真をグループLINEに載せた。無事に会えた証拠だ。まさかストライクストライプ、そしてボーダーがごちゃ混ぜになっていたとは、皆は分からなかっただろう。

そしてまた、夢洲駅から電車で大阪駅に帰って来た。いつもロッカーの確認の為に中央口から出ていたが、一番最初にホテルに向かった時に出た、御堂筋南口から出てみたら、なんと預けようと思っているコインロッカーが改札のすぐ目の前にあった。なーんだ、ここだったのか。

やっと、大阪駅周辺が分かってきたような気がする。まだまだ梅田ダンジョンを攻略したわけではないけれど、まっすぐにホテルに戻れるようになった。だがその前に、夕飯を食べようか。

夕飯を大阪で食べるのはこれが最後だ。オムライスも捨てがたいが、やっぱり洋麺屋にしようかな。初日からなんだか気になっていたので。

洋麺屋の入り口に立った。お客はけっこう入っているが、待っている人は誰もいない。席も少し空いているようだ。

ホールスタッフは2人いるのに、私が立っても全然来てくれない。勝手に入るものなのか?と思ったが、とにかく立っていた。しばらくして、若い女性の店員さんが来た。

歓迎の言葉(いらっしゃいませ、とか)はなく、いきなり、

「15分から20分お時間いただきますが、よろしいですか」

と、ニコリともせずに聞かれた。はいと言うと、入り口のすぐ横の席に通された。なんだか感じの悪い店員だな。やっぱり白い靴にリュックという恰好だと嫌われるのかな。

先にスープが出てきた。これがまた美味い。出汁がすごく効いている。

そして、今日はこちら。野菜たっぷりのペペロンチーノ。

お箸で食べるから、パスタというより焼きそばっぽい。美味しかった。ちょうどよくお腹いっぱいになった。もう注文し過ぎたりはしないのだ。大阪では、千円くらいでちょうど良くお腹いっぱい食べられる事が分かったのだ。

明日の準備(またもや非常ベル)

ホテルに戻ってきた。鏡を見たら顔が真っ赤だった。目まで真っ赤。やっぱり日焼けしたか。顔がほてって暑いので、数分だけ冷房をつけた。初日は暖房をつけたのにね。それにしてもこの部屋、狭いのにエアコンがやたら大きいな(写真は初日のブログに載っている)

そして、初日に買ったお土産がスーツケースに入るかどうかの確認をした。

何とか、真ん中のファスナーを開けて広げれば入る事を確認。しかし、お化粧品などは明日の朝も使うので、それらをまた出す。お土産の下に入れないといけないから、明日の朝早く起きてちゃんと入れ直さないと。

忘れ物をせずにホテルを出なければならない。チェックアウトをしなければならない。そして、とうとうコインロッカーに荷物を入れなければならない。遅刻せずに8時にボラセンに集合しなければならない。

最終日、帰りにやはり予定通り彦根城に寄ってから帰ると決め、米原から品川までの新幹線の予約をした。予約というか、切符を買うというか。面談の時に色々あって、JR東海ではスマートEXが便利でお得だと教えてもらった。今、そのアプリを利用している。もっと早く知っていればよかった。JR東日本のえきねっとはずっと使っていたのにね。

色々済ませ、日記を書いているとまたもや非常ベルが鳴った。怖い。

廊下を覗く。誰もいないし煙なども見えない。そしてまた放送が入る。この建物の6階で火災報知器が鳴ったから、確認をすると。

初日にも非常ベルが鳴った。また同じかなと思ったが、念の為心の準備をする。もうお風呂にも入ってしまってスリッパだが、逃げる場合は靴を履いた方がいいのか、などと考えていた。テレビを付けていたので、放送が鳴るとよく聞こえるように扉を少し開けて聞いた。

火災報知器が点滅していたら作業員にお知らせください、という放送も入った。どこの部屋で鳴ったのか特定できていないのだろう。煙が出ていたら匂いなどで分かりそうなものだから、やっぱり火事ではないのかな。

日記を再び書いていると、また放送が鳴った。急いで廊下の方へ行こうとして、したたか膝をぶつけた。もんどり打って扉の所へ。放送を聞くと、やはり初日と同じ、浴室の湯気で煙探知機が作動したという事だった。

だからさ、扉を開けたままシャワーを出さないようにとか、張り紙でもすればいいのに。5日いて2回も非常ベルが鳴るとか、あり得ないでしょ。そんなに長く泊まっていなければ頻繁に鳴っている事など知る由もないが。でもマジで怖いから。膝は青あざになった

色々な不安から、やっぱり眠れる気がしない。こんな風に緊張状態がもっとずっと続いて眠れなかったら、いずれ体を壊すのだろうね。私は今、好きな事を楽しんでやっているからいいけれど。でも、これ以上続けるのは無理だね。

眠れないなら、ちょっと缶ビールでも飲めば?と思うものの、どうしても飲む気になれなかった。私が週末に飲む気になれないなんて珍しい。それだけ緊張しているようだ。

楽しい事と、緊張しない事とは同じではない。緊張するくらいな事だから、すごく楽しいとも言える。そして、終わった後に達成感を感じられるはずだ。

まずはスーツケースにちゃんと全て入れる事、そしてコインロッカーに入れる事。その前に早起きする事。ドキドキしながら寝床に着く。そして、やっぱりほとんど眠れない夜を過ごしたのであった。

次回は最終日。朝シフトのエリア活動はいかに?乞うご期待!