素人が何を言うか、というご批判を覚悟の上で申し上げる。私は村上春樹先生の「ノルウェーの森」は好きではない。だが、なぜこれが文学賞を取り、ベストセラーになったのか。27年ぶりに読んでみて、改めて考えた。
私が小説家を目指し始めた頃
私が本格的に小説家を目指し始めた頃に、この本がベストセラーになっていた。
今のようにすぐに世の中の事を手元の機器で調べられる時代ではなく、とにかく”有名だ”という事は知っていたが、いつ文学賞を取ったのかなどはよく知らなかった。
当時私は十九か二十歳だったと思う。家にあった古い(それこそ旧仮名遣いで書いてある!)日本文学全集を片っ端から読み漁っていた。それと同時に、文学賞を取ったばかりの、ベストセラーになっている小説も、勉強の為にと何冊か買って読んだ。
その一つが「ノルウェーの森」だった。今調べてみると、1988年の12月に新風賞を受賞しているようだ。私の手元にある文庫本の発行は1993年3月になっている。
ハルキストという言葉があるくらい、村上春樹先生は人気がある。私が尊敬する小説家は夏目漱石先生と、ごとうしのぶ先生なのだが、村上春樹先生を尊敬する人も多いのだろう。
読んでみたら、何だこりゃ?
十九か二十歳の私は、とにかくすごい小説家の作品で、文学賞も取って、ベストセラーになっている小説を、楽しみにして買ってきて、読み始めた。
だが、期待とは裏腹に「何だこりゃ?」という感想。最後まで読むかどうか迷うくらい、最悪な印象だった。それを言葉にすると、以下のごときである。
「ただのエロ本じゃないか!エロ本も読んだ事のないお堅い評論家だか文学者だかのおっさん達が、これ読んで喜んじゃって、新しい!芸術だ!なんて言っちゃって、賞を与えちゃっただけじゃないの?」
それ以来、私は「村上春樹」大っ嫌い、「ノルウェーの森」サイテー、と思っていた。人にもそう言っていたとい思う。
あれから27年
それから20年以上経って、いろいろ経験した。結婚も出産もした。そして、何かの話で夫が、
「村上春樹の本、読んでみたいな」
と言ったので、
「ノルウェーの森、持ってるよ。読んでみれば?」
と言って久々に本棚から出してきた。
「私は好きじゃないけどね」
と、言って。
だが、出しておいても夫は読まなかった。しばらく読まずに置いてあった。私が別の本を読み終わって、次に何を読もうかなと思った時、ふとその置いてあった本に目が留まった。そして、私の思考回路がこう動いた。
「あれだけ人気のある村上春樹先生の小説だし、性描写云々以外にもっと良いところがあるのではないか。読んだ時には私が若すぎて刺激が強すぎたけれど、今読んだら違う感想を持つのではないか」
そこで、27年ぶりに読んでみることにしたのだった。
久々に読んでみると
上下巻ある。読み始めたら、最初の部分はあまり覚えていなかった。
そうそう、最近「昔好きだった本、感動した本」を読み返す事が何度かあった。高校生くらいの時にすごく面白いと感じた本やマンガを読み返してみたが、最初に読んだ時ほど面白く感じなかった。先を知っているからなのか、面白いという期待感が強すぎるのか。
逆に、つまらなくて最後まで読めなかった本が一冊あったのだが、リトライしてみたら、すごく面白くて最後まで読んだ。と言うことは、ノルウェーの森もすごく面白かったりして!という期待があった。
最初のところを読んで、時系列が分かりにくいと思った。何年後とか、西暦何年とか、私は数字があまり頭にインプットされない体質なので、特に理解出来ないのだろう。
表現は綺麗で、読みやすい文章。そりゃ、そうだろう。トップレベルの小説家なら当然。という、辛口批評で読み進める。
そして、やっぱり出てきた性描写。だが、長年思っていたよりも短くて、あっさりしていた。当時はもう、エロい場面ばっかりの小説だった、という印象を持っていたので。
それでも、どうしても気になる事がある。女性が、
「私だって、本当はこんなこと言いたくないのよ、恥ずかしいから」
などと言いながら、赤裸々に性体験を語るというのが、どうも好きになれない。まともな女性がそんなことを、恋人でもない男性相手に話すわけがない、と思ってしまう。まともな、などと言うと誤解を生むかもしれない。この小説の中で、そんな事を語りそうではない描写で描かれている女性が、と言うことだ。
また、みどりという女子大生が出てきて、こちらもエロい話がしたくて、友達である主人公の男子大学生にいろいろと質問してくるのだが、それもちょっとあり得ない。いや、あり得るのかもしれないが、小説として下品に映る。
これって偏見?
つまり、エロ本ならばいいのだ。高尚な文学作品だと思うと、許せないのだ。
それで、ふと自分の偏見に気づく。
私は、自分の書く小説は「ライトノベル」だと思っている。高尚な文学賞を取るような小説家になりたかったが、結局自分の書きたいものは、分かりやすい文章で、若い子が読んで楽しくなるようなものだと分かったから。それで、ライトノベルを純文学の、高尚な文学よりも下に見られる事を喜ばしく思っていない。
それなのに、結局自分が高尚な文学と、大衆文学とを差別していたのだ。無意識のうちに。
よく、アニメやマンガで見かけるものがある。おじさんがやたらと女性にモテる話とか、人外の生き物がすごくグラマーで、主人公の男がやはりモテるとか。それを、
「ああ、おじさんの願望を叶える系ね」
と、冷ややかではあるが、理解のある目で見ている私なのであるが、つまり「ノルウェーの森」も、それと同じなのではないか。男の願望を叶える小説だ。それは、小説としてありだ。読者を喜ばせる為に小説を書くのだから。
願望を叶える、それでいいのだ!
だとして、つまりは、私は読者ターゲット層ではない。なるほど、だから好きではないのだ。それでいいのだ。例えば私が書くボーイズラブ小説が、女好きの男性に喜ばれないのと同じなのだ。
となると、ハルキストに女性がけっこういるというのが不思議だ。いや、きっと、他の作品ではターゲットが女性のものもあるに違いない。
それなら、そういった物を読もうではないか。どなたか、村上春樹先生の作品で、女性が読むのに適した、面白い物があったら紹介して欲しい。
それにしても、私が今持っている「ノルウェーの森」の本の帯には、
「キレイになる一冊。」
と書いてある。まるでターゲットが女性みたいではないか。おっと、その下にでかでかと「女の愛読書フェア」という文字があるではないか。だから誤解するし、女性用だと思ったのにこれだから、何これ!ってなる。

まあ、20年以上前に買ったものに、今更ケチをつけるのも詮無いことではあるが。