今年は東京でデフリンピックが開催される。世界大会のボランティアをやりたい人は、私も含めて多い。
デフリンピックのボランティアには申し込みをしているが、デフスポーツを見たり携わったりした経験がないので、デフリンピックの前に何かやっておきたいと思っていた。
やろうと思っても抽選で外れたりして、なかなかできずにいたが、今回「ろう空手」の大会のボランティアに当たった。まあ、2日連続の活動に1週間前の説明会まであるので、あまり人が集まらなかったのではないかと思う。私の勝手な想像だが。
え、そういう所なの?
2月1日、そのボランティア説明会があった。
練馬区の光が丘区民センターの集会室だった。午前10時からで、受付開始の9時45分ごろに着いた。区民センターは光が丘駅から直結していた。分かりやすい。
私の前を女性が歩いていた。集会室にはその女性が先に入った。そうだ、メールに書いてあった事を思い出す。インフルエンザが流行しているので可能な限りマスクを着用してくださいと。それで、マスクを出して着用した。
前の女性が受付で名前を言った。そうしたら、受付の人は手話で何かして、横にいた人が、
「手話でお願いします。指文字できますか?」
などと言っていた。え、びっくり。ここってそういう所なの?とたじろぐ。ああそうか、ろう者にもお手伝いしてもらっているのだな、と私は思った。この時は。
前の女性は手話ができないようで、スマホでメールを表示させ、見せていた。私は例によって名札を持参していて、既に手の中にある。私の番になって、その名札を見せたらすんなりOKだった。こんな事もある。
名前を書いて胸に貼って、と手話?ジェスチャー?で言われ、横の台のところで白いシールにマジックペンで名前を書いた。前の人がひらがなで書いていたので、私も苗字をひらがなで書いた。すると、そこにいたスタッフさんが、
「○○さんはたくさんいるから、下の名前も書いてください」
と、多分そう言ったのだと手話で分かった。まあ、私の苗字はどこにでもいるので、下の名前も書こうかなーと、スペースを開けていたのだ。予想していたから手話も分かったのだろう。しかし、実際下の名前も書いてみたら、ちょっと狭くて小さい字になった。そもそも漢字で書けば良かった。他の皆さんは漢字で書いている人がほとんどだった。難しい漢字ではないのだから、文字数を減らすためにも漢字にすべきだった。
シールをコートの下の服の胸に貼りながら、会場を見回してみた。既に多くのボランティアさんが来ていて、おしゃべりをしている人がいる。けっこう友達同士で参加しているのかなと思った。
私は前の方の空いている椅子に座った。椅子は部屋の壁に沿って丸く並べてあった。資料をもらったので見ていた。役割の表があった。私の名前を探したら、誘導・警備になっている。
時間になり、主催者の挨拶から始まった。スタッフが出てきてあれこれ説明するが、全て手話だった。それを、手話通訳の方がマイクで訳してくれた。
最初の説明は少しで、アイスブレイクになった。
アイスブレイク
アイスブレイクって、いつから使われているのかな。ずっと前からだろうか。私は11月にやったさいたまクリテリウムのボランティアの、説明会の時に初めて耳にした。自己紹介などの時間の事のようだが、最初はどうしてアイスブレイクと言うのか分からなかった。緊張をほぐすとか、場を和ませる、というのが氷を砕くようなイメージだからだろうか。だとすると、砕くという意味と、コーヒーブレイクみたいな意味のブレイクと、掛けているのだろうか。
全員で立ち、前のスクリーンに「どの季節が好き?」と書かれていて、春の人はここ、夏の人はここ、と通訳さんが訳しつつ、スタッフさんが手を挙げて手話をしている。そして、私がまだ立ち止まっていると、スタッフさんが私に手話で聞いてきた。多分。私は秋が好きなので、つい先ほど覚えた「秋」の手話をした。通じた。
マジで、私は手話をここ1カ月くらい必死に勉強してきた。やはり指文字くらいはできないとな、と思って頑張った。なかなか覚えられなかったが、ゆっくりなら読み取れるし、自分でもできるようになった。一度オンラインの手話講座で対話した事があるが、その後はひたすらNHKの手話シャワーを見ているだけ。それが、今日いきなり実践する事になるとは。
このボランティアが募集された時、手話ができる方が好ましいが、出来なくても良い、と書いてあった。だから、出来ないけれども申し込んだ。でも少しはできた方がよかろうと思い、練習してきたというわけだ。
アイスブレイクは続いた。好きな季節の次は血液型だったかな。インドア派かアウトドア派か、なんて質問の時には、インドア、アウトドアを手話でどうやって表すか話し合いましょう、とか言われて、周りと話した。その時にろう者の若い女の子が、手話で「家の中でスマホで動画を観て、布団で寝るのが好き」と言っていて、すごく分かりやすいと思った。しかし、この女の子がまた可愛い子で。
しかし思ったのは、ろう者は手話をしながら口でも言ってくれるので、手話が分からなくてもけっこう伝わる。そうか、ろう者はほぼマスクをしていない。スタッフさんもみんなマスクをしていなかった。私はそっとマスクを外した。そうすれば、ろう者にも話が通じるかもしれない。
アイスブレイクが終わると、次は10人ずつのグループに分かれて自己紹介をしよう、という事になった。
私が入ったグループには、さっきの可愛い女の子がいた。そして、私からやる!と手を挙げた女の子から自己紹介が始まった。
伝える事は名前と、会話の手段、趣味、このボランティアに申し込んだ理由だっけな。それを、手を挙げた子は手話でやった。次の人も手話で。次の人も手話。うーん……速すぎて全然分からない。ちょっと知っている手話も混ざるものの、名前も全て指文字じゃないんだよね。私も自分の苗字はネットで調べて覚えたのだが、他の苗字はほとんど分からない。指文字も速いと全然。やはり、言語というのは何でも、ちょっとかじったくらいでは使えないものだ。
微妙な顔で笑いながら、皆さんの自己紹介を見ていた。耳が聞こえる人でも、手話のできる人は言葉を発する事なく手話で自己紹介をしていた。すごいな。
私の隣の男性の番になった。そうしたら、
「手話は全くできません」
と、普通に言葉でしゃべり始めた。ちょっとホッとした。すると、最初からいたのかどうなのか、さっきマイクで通訳していた手話通訳の男性が輪の中にいて、その人は手話で通訳していた。今自己紹介をしている男性は、池袋から歩いてきたと言っていた。それから、ボランティアを申し込んだ理由は、東京デフリンピックに申し込みをしたので、その前にデフスポーツに接しておこうと思ったからと言っていた。おお、まさに私と同じ理由。
さあ、私の番が回って来た。とにかく覚えた自分の名前の手話をやった。そして、手話は勉強中です、みたいな手話をやった。それからブログや小説を書くのが趣味だと言いたくて、指文字で「ブログ」とやろうとして、自信がなくなって通訳さんに確認したりしながらやったものの、小説の部分はしゃべってしまったし、あまり通じなかったかも。ボランティアの理由も隣の人と同じだと言葉で言った。ダメだ、通訳さんが頷いてくれたけれど、他の人の反応は薄い。
その後、手話があやふやな人もいたものの、ほとんどの人が手話をしていた。なんか、すごい所に来ちゃったな。こんなにみんなが手話出来るとは思っていなかった。
時間が余ったところ、手話が出来なかった男性に質問が飛んだ。池袋からここまで、どのくらいかかりましたか、とか。2時間かかったそうだ。そして、家からは電車で池袋まで行って、そこから歩いたから3時間くらいかかったとか。
やはり、あやふやな手話をするより、むしろ普通にしゃべって手話通訳してもらった方がキチンと伝わったようだ。
スタッフさんは青いTシャツを着ている。我々の輪の中にスタッフさんがきて、手話出来る?とかって聞いてきて、私は「少し」とやって、隣の男性が指さされた時には、「この人は手話ダメ」と手でやった。通訳さんがウケていた。
スタッフさんは全員……
トイレ休憩の後、また椅子に座って説明を聞く事になった。
この時「耳が聞こえる人で、手話出来る人はいますか?」と役割ごとに聞かれたが、案外手話が出来る人は少なかった。なんだ、さっき私がいたグループには手話ができる人とろう者が固まっていたのか?
あ、そうそう。ろう者の可愛い女の子を見ていて思った事がある。耳が聞こえない人は声が出せないわけではないから、手話をしながら自分なりにしゃべってくれたりする。だが、発音があまり正しくなく、それから声の大きさがその場にそぐわないくらい大きくなる事がある。そりゃ、そうだよな。きっと、声が大きいなどと注意され、だんだん声を出さなくなっていくのだろうな。その場にふさわしい声の大きさは分からないわけだから。
手話ができる人はそれほどいないようだったが、多分私よりはできるという人でも「できます」と言える程ではないという事なのだと思う。英語だってそうだ。全然できないわけではないが、できると言えるほどペラペラではないという人は多い。その「少しできる」という中にも、色々なレベルがあるものだが。
説明は資料を使って行われたが、どうもいつもと勝手が違う。説明されているようで、何か漠然とした「分からなさ」がある。それは何故なのか。
そうか。私は気づいた。スタッフさんはろう者しかいないのだ。つまり、説明は全て手話で行われるのだ。手話通訳はあくまで通訳で、時々間違えたり、ニュアンスが違ったりする事もある。時々、先ほどの通訳に誤りがありました、という訂正もあった。
思い違いをしていた。ここに入って来た時、ろう者も手伝っていると思ったが、そうではないのだ。ろう者が主催している。大会の内容を分かっているのはろう者だけなのだ。だから、それを理解しようとしたら手話を理解するしかない。通訳を通すから少し分かりにくい。仕方のない事なのだ。
一通り説明が終わると、役割ごとに集まった。
スタッフさんの説明があり、こちらからの質問もたくさんした。通訳の女性が一緒にいてくれて、通訳してくれた。それでも、スタッフさんは言う。
「ここでは、声は無し。手話かジェスチャーで頑張って伝えましょう」
と。スタッフさんの言う事は分かる。前述の通り口の形でも分かるものだ。そう、配布資料の最後にも書いてあった。聞こえる人同士でも、会話には手話やジェスチャーを付けましょうと。そうだよね、聞こえる人同士でしゃべってしまうと、聞こえない人が疎外感を感じるし、やはりみんなで情報を共有した方がいい。だから、なるべくしゃべる時には手話を……と思うのだが、なかなか。申し訳ない。
我々の役割の他に、表彰アテンドとか入賞者エスコートなどの役割の話も聞いた。なかなか難しそうだった。でも、オリンピックの時に一番やりたかったのが表彰式のボランティアだったので、ちょっとうらやましかった。
その内、誘導の中から2人、別の役割へ行って欲しいと言われた。通訳を通してね。この時は、手話出来る人?と聞かれたが誰もいなくて、この後のリハーサルと前日準備に出られる人という条件があり、その中でじゃんけんをして決めてと言われた。私はちょっとやりたいなーと言ったのだが、それはスタッフさんには全然通じていないので、じゃんけんになった。そして、私はその2人の中には入らなかった。
でも、入らなくてよかったのだ。実は、本当にびっくりだが、この誘導の中に元々ボランティア仲間としてお友達になった人がいたのだ。なんか似てるなー、こんなに似てるって事あるかなーと思っていたら、
「チョコナッツさんですよね?」
と言われてびっくり。何故本人だと思わずに似ていると思ったのだろう。お互い本名を知らなかったので、この日初めて知ったのだが、知らないのに「名前が違うから」という意識が働いていたような気がする。で、せっかくお友達と同じ役割になったのだから、向こうへ行かなくてよかった。
それに、向こうはやっぱり難しそうだったので。というのも、選手と接する事があるから。選手はろう者なのだ。子供もいる。手話ができないとどうなるのか。
そう、私は誘導・警備の中に手話ができる人がいないと困るから、できない人を2人連れて行って、向こうはできる人が多かったから、できる人をこちらに2人くれるのかと思った。が、誘導・警備は2人減ったままだった。実はそうではなく、表彰の方は人数が足りず、こちらから連れて行くのに出来れば手話ができる人がよかったが、出来る人がいないから、仕方なくじゃんけんだったという事だったみたいだ。やはり、手話ができないのはスタッフさんとの意思疎通にちょっとだけ齟齬が生まれるようだ。思い違いをしていた。
我々誘導の人は、我々の間で活動場所を決め、解散だった。ろう者が1人、聞こえる人が8人だったかな。聞こえる人も、さっきは手話出来る人で手を挙げなかったものの、多少できる人が半分、私も含めほとんどできない人が半分だった。できる人とできない人を組み合わせて活動場所を決めた。LINEを交換してグループも作った。ちょっと安心だ。
誘導の人は午後に行われるリハーサルには出なくてよかった。12時半に決める事は決め、帰れるようになったが、私はお昼を食べてからある程度リハーサルを見学して帰ろうと思った。元々リハーサルに出る覚悟で来たので、少しくらいは見てみようと思ったのだ。
お昼のドトール
光が丘駅周辺は、なかなかよさげな雰囲気だった。駅の反対側とは全然違うな。色々なお店があったみたいだが、予めドトールがある事を調べていて、しかもカフェインレスコーヒー販売店である事も調べておいたので、ドトールに入った。
テイクアウトのつもりだったが、暖かくて居心地よさそうな店内で、席も空いていたのでここで食べる事にした。区民センターに持ち帰っても、一個の椅子に座って一人で食べる事になるのだ。テーブルがあるこちらの方がよかろう。
ペイペイは使えないらしい。何で支払えるのか見ても、知っている物はSuicaしかない気がした。きっとクレジットカードは大丈夫だったのだろうが。それで、何で支払うか決められないまま、dカードかpontaカードにポイントを付けられる事が分かり、お財布からそのカードを探した。が、見つからない。注文をして、金額を言われたのに見つからない。あー、えーと、えーと、とりあえず現金を出す事に。で、おつりをもらう前に、やっとpontaカードを見つけた。カードを出した。が、
「会計の前でないとダメなんです」
と言われた。今、あまりに惜しくないか?お金を出す前だったら大丈夫だったでしょ、お金を出して、まだおつりももらう前、店員がお金を機械に入れてから1秒くらいしか経っていないところでカードを出したのに、問答無用で……いいけどさ。すごーく悲しい気分だった。自分がいけないのは分かっているけれど。ああ、自分はなんてどんくさいおばさんなのだ。悲しい。
それにしても、デカフェするのに10分とか待たされるのかと思ったら、全く待たされず、けれども間違えようもない、まるでティーバッグのような感じでコーヒーが出てきた。これにもびっくり。

写真を見て、ティーバッグみたいになっているのが分かるだろうか。コーヒーはコーヒーだが、やっぱり薄かった。私はまたティーバッグ(ティーじゃないけど)をカップに戻し、スプーンで絞った。更に、紙コップに移してからもスプーンで絞り、絞ったものをカップに入れてみた。が、薄い。
それならルイボスティーにすれば良かったのかもしれない。だが、水筒の中身がルイボスティーだったのだ。それならやっぱりフードだけテイクアウトの方が良かったという事になってしまう。でもまあ、これでドトールのカフェインレスコーヒーがどんなものか知れたから良かったではないか。
リハーサル
食事を終え、区民センターに戻った。同じ誘導で、一緒に組んで警備をやる事になっていた男性が、見学席に座っていた。隣が空いていたので、というか他が全然空いていなかったので、そこに座った。
この部屋には、いつの間にか胴着を着た子供たちがたくさんいた。どうやらリハーサルには選手の子供たちも参加するようだ。
子供たちは楽しそうにはしゃいでいた。時々固まってキャーキャーと声を上げている。リハーサルが始まったが、手話通訳の声が聞こえないくらい子供たちが騒いでいた。しかし、誰も注意しない。
そりゃそうだ。通訳の人と、我々ボランティアが「聞こえないから静かにして欲しい」と思ったとしても、直接子供たちを指導する立場にある人達は聞こえないのだから、別に騒がしくもなんともなく、まあ、騒いでいるという事にも気づいていないのだ。なんだか、新鮮だ。
隣の男性が、自身の話をしてくれた。2歳になるお孫さんがいるそうだが、そのお孫さんは新生児難聴で、それでご自分は手話を始めたそうだ。新生児難聴の検査は、眠っている時でないとできないらしく、予約をしてもその時に眠っていてくれるかどうか分からないから大変なのだとか。この先聞こえるようになるかもしれなくて、まだ分からないらしい。今も聞こえる周波数がまばらだがあるとか。
そして、今ここに来て、聞こえない、聞こえにくい子供たちがとても楽しそうに、生き生きとしているのを見て、安心したとおっしゃっていた。私もそう思った。こんなにたくさんの聞こえない人がいて、自分たちで会を営んでいて、皆さん生き生きと楽しそうにしていらっしゃる。知らなかった。そこにお邪魔する時、出来れば手話を、少なくとも身振り手振りや口の形などで言葉を伝えようとする努力が必要だ。
東京デフリンピックをきっかけに、手話を学ぶ人が増え、聞こえにくい人たちがもっと社会で生きやすくなればいい。そんな事を考えた。私は時々言葉が出にくくなるから、手話で補えたらいいのに。それでも、耳が聞こえてしまうとそちらからの情報に頼ってしまう。手話通訳の声に気を取られ、手話の方を全然見る事が出来ない。難しい。ちょうど、外国語の映画を観ている時に、日本語の字幕があるとどうしてもそちらを見てしまって外国語が耳に入って来ないのと同じだろう。
それにしても、リハーサルを見ていると、ちょっと混乱した。通訳さんはいるが、現場のあちこちでスタッフさんがボランティアに指示を出し始めると、どれを通訳すればいいか分からなくなり、通訳はなくなる。それでも、ボランティアさんたちは頑張っている。後ろから見ていると、何をしているのか、何をすればいいのか全然分からないが、皆さん大丈夫なのかな、と心配になる。
これからご自分の出番だという方が、
「うわー、緊張するよー。行きたくなーい、お腹痛ーい」
などと言っていた。やっぱり緊張するよな。そんな中、例の、手話が全くできませんと自己紹介していた男性がリハーサルに参加していた。彼、大丈夫なのかな。一緒に活動する人が手話を理解しているようだから、それで何とかなっているのかな。
1時半から始まったリハーサル。子供たちの空手の形を見たが、小さいのにキレッキレ。カッコいい。特にあの、胴着がこすれて出る「シュッ」という音がカッコいい。だが、本人たちには聞こえていないのだな。
選手の名前を手話で呼ぶ人、それをマイクで通訳する人、そのタイミングで形の名前が書かれたタブレットをお客さんに見せる人。形の披露が終わり、審判がジャッジをすると、勝った選手が次が青だとか赤だとか、赤と青に分けて連れて行く人。その赤か青の帯を選手に結んであげる人。
わーお、本当に大変そう。これはリハーサルがなかったらできない事だ。
ある程度見たので、まだ表彰式のリハーサルはこれからだろうが、3時頃にお隣の男性が帰るというので、私も帰る事にした。ちょっと、椅子に座り過ぎて腰が痛くなってきたというのもある。それに、他にリハーサルに出ないのに見学している人がいなさそうだったから。
それにしても、すごい所に飛び込んだものだ。手話ができないせいで、外国にでも行ったような感覚だった。来週は土曜日の夜に前日準備。日曜日は大会で、朝から誘導・警備をする。夕方までの長丁場。少しで手話を覚えようと、頑張って動画を観る。さっき観た動画に「名前」があって、ああ、皆さん自己紹介でやっていたな、と思った。惜しい。もうちょっと早く動画を観ていたら自己紹介で使えたのに。まあ、とっさに使えたかどうか分からないが。