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彦根城(大阪・関西万博2025ボランティア最終日~東京へ帰る)

万博のボランティアとして、連続5日間の活動を終えた4月20日、日曜日の午後。13時半頃に夢洲駅から電車に乗って、まずは大阪駅へと向かった。そこにスーツケースを置いてきているのだ。

大阪駅

駅でお会いしたボランティアさんと共に電車に乗り、途中まで一緒に乗っていった。流石にまだ万博から帰る人は少ないので、座れるほど空いていた。ボランティアさんと別れ、弁天町でJR環状線に乗りかえた。

乗り換えは分かりやすい。色分けされたテープが床に貼ってあり、分かれ道では「~方面→」などと大きく書いてある看板が立ててあり、間違わずにホームへ行けた。

寝不足もあるし、朝から動き回ったのでかなりぐったり疲れていた。ホームで電車を待つ時には、椅子を探して座ってしまう。

大阪駅に着き、やっと覚えた御堂筋南口から出て、目の前のコインロッカーへとやってきた。ここに今朝、スーツケースを入れたのだ。Suicaを画面にかざすと鍵が開いた。こういうロッカーは鍵を失くす心配がなくていいね。

中からまずパソコンを取り出し、リュックに入れなければならない。もう構っていられず、地面にリュックを置いてパソコンを突っ込む。忘れずに目覚まし時計もね。こいつのお陰で今日は寝坊せずに済んだよな。普段使っているものでないと心配だから、つい持ってきてしまう。ホテルにもあったり、スマホでも代用できるとは分かっているのだが。

ズシリとリュックが重くなったが、代わりにポシェットをスーツケースの上に乗せて運べる。しかし、一番下のロッカーなのに、取り出すのに一苦労。扉は押さえていないと閉まるし。

さて、すぐにまた、今出てきた改札から入った。次に乗る電車は14時30分。電光掲示板も確かめ、8番線の位置も確認してから、トイレに行った。まだ時間はたっぷりある。

時間がたっぷりあるのは心に余裕があっていいのだが、ホームに出てからが辛い。このホームには椅子がなかった。そういえば、大阪でもJR線内には同じ番線の線路はない。8番線という大きい数字も存在するのだ。

次々と電車はやってくる。私が調べたところ京都線新快速というのに乗るといいらしい。他の電車だとダメなのかどうか分からないが、きっとダメなのだろうと思って次々と見送った。

京都線新快速

ホームで待つ事15分、やっと乗る電車がやってきた。京都線新快速とやらは、ボックス席だった。そこに入って座り、膝の前にスーツケースを置く。そうすると、私の向かい側には誰も座れなくなる。2席使ってしまう。申し訳ないが、座るならこうするしかない。幸い空いているようなので、このまま行こう。

目が眠い。この電車には1時間以上乗っているので、ちょっと寝てもいい。が、人が乗ってきてスーツケースが申し訳なくて、京都までは眠ってもいられなかった。外国人の男性が斜め前の席に座ったのだが、そこに日本人の老夫婦と思われるお二人が乗ってきたら、外国人の男性が席を譲った。すると、おじいさんは遠慮して、ここに座れるよと外国人男性に言って、かなりスーツケースの方へ寄ってくる。足がきつくて申し訳ない。

外国人の男性は、京都で降りるから大丈夫だと言った。多分。老夫婦に伝えた。老夫婦は笑顔になり、

「私たちも京都で降りるんだけどね」

と私に言った。そして、やっとおじいさんは普通の位置に座った。私はひたすら小さくなり、荷物が……すみませんと言って、目一杯スーツケースを引き寄せる事しかできなかった。

京都で空いて、その後は座席が余っている状態だった。男子大学生が何人か乗ってきて、1人が私の斜め前に座った。そのうち他の大学生たちは降りてしまい、座っている学生さんだけが残っていた。

私は窓を外を眺めていた。だんだんとのどかな風景になってくる。目が徐々に閉じていく。が、眠れない。寝てもいいよと自分に言うが、やっぱり知らな電車だし、全て知らない駅名であるからして、神経が休まらないようだった。何となく男子学生の事も気になるし。いや、気になるって言っても意識しているわけではないし、何か疑っているわけでもないけれど、こっち向いて座っているから。

彦根駅が近づいてきた。車内は暑かったのでコートを脱いでいたが、そろそろ着よう。そしてリュックを背負い、浅く腰掛ける。スーツケースがあるし、電車を降りるには男子学生に一度立ってどいてもらわないとならない。そのタイミングはいつなのか。

しかし、その男子学生も彦根で降りる人だった。駅に着く頃には先に立ってドアの所に行ってくれたのだ。私もそそくさと立ってスーツケースを転がす。無事降りられるみたいで良かった。

彦根駅

彦根駅に着いた。エレベーターで改札階へと上がった。小さい駅だ。人はまあまあいるが。改札階に着いたら、誰でもトイレがあったので、これならスーツケースごと入れるからと、入った。ほとんど人がいない状態だからいいよね。すぐ出るし。

改札を出た。幸いにして、改札横にコインロッカーがあった。ここにスーツケースを入れておこう。今度はリュックも入れていこう。身軽になって行こうじゃないか。コートはどうしようか迷ったが、これから日が暮れると寒くなるかもしれないから、着て行く事にした。

コインロッカーはほとんど空いていた。そして、ここは100円玉が必要だった。100円玉で400円。それなら自販機で水を買うまで。ちょうど買おうと思っていたのだ。しかし400円か。大阪駅より100円安いね。機械化されていないからだね。

すぐ後ろに自販機が並んでいた。千円札を入れてボタンを押すと、千円札が出てきた。なんで?

何度入れてもダメだった。折れているからだろうか。新札は使えないと書いてあるが、私が今使おうとしているのは旧札だ。

3~4回やってもダメだったので、隣の自販機へ行ってみたら、すんなり買えた。これでダメなら駅の窓口で何とかしてもらう所だったけどね。

水は水筒に入れた。水筒に入りきらなかった分をその場で飲み干し、ペットボトルは処分。これでポシェットに水筒だけを入れていける。喉が渇いていたからちょうど良かった。

スーツケースとリュックをロッカーに入れ、鍵を掛けた。この鍵は持ち歩く必要があるわけだ。

外に出ると、割と閑散としていた。バスターミナルがあるのだが、バスはない。タクシーもない。時刻は16時ちょうど。実は、16時半までに彦根城に着かないとならない。閉館が17時で、入館は16時半までなのだ。

地図を見ると、このまままっすぐ行けば彦根城だ。経路検索をしたら徒歩23分と出た。うーん、けっこうぎりぎり。でも、やっと来たタクシーには別の人が乗ってしまったし、まあ、今まで万博内で20分やそこらなんてすぐそこまでって感じで歩いていたわけだしね。(言い過ぎか?)

ということで、歩くことにした。弱い日差しが出ていた。今日、琵琶湖の北側は雨が降るが、南側は降らないという予報になっていた。彦根は南側なのだ。もっと曇りだと思っていたが、電車に乗っている時にも、割と日差しが降り注いでいた。

彦根城を目指す

人がけっこう歩いて戻って来る。もう帰って来る時間だよね。

着いたかと思ったら護国神社。Googleナビが神社の中へ入るように指示してくる。そして、どうやら本当に中を突っ切るだけらしい。すぐに道路へと出た。歩きにくいし、本当に神社の中を通る必要はあったのだろうか。

男性が1人前を歩いている。目的地は同じだろう。お、井伊直弼

私が彦根城に寄る事にしたのは、もちろん行った事のない有名な城に行くという目的もあるが、一番の目的は琵琶湖を見る事だった。東海道新幹線に乗っていると、琵琶湖の傍を通るのに、琵琶湖が見えない。それがもどかしくて、ちょっとでも見えないだろうかと窓の外をいつも頑張って見てしまうのだった。今日は、天守閣の上から琵琶湖を見たい。

着いた着いた、城壁だよね?

いつも同じような写真を撮ってしまうな。お堀と城壁と手近にある木という構図(笑)

人力車を発見。後ろからパシャ。

彦根城

おぉ、15分で着いたよ。23分と出ていた道順通りに歩いたのに。つまり、速かったんだね?やったね。

チケットを購入。16:16である。本当は庭園も見られるチケットだが、時間的に天守閣だけでしょうと言われた。まあ、それが目的だからいい。チケットが買えて喜んでいたのだが……

チケットを売っている小屋の所を曲がったら、なんとすっごい長い階段。というか坂?だが、まだまだ序の口だった。

歯を食いしばって上る。急な階段もあり。もうそろそろ着くかと思ったら、またすごい坂。

いつまで上りが続くの?

やっと天守閣の上部が見えた。

そして、とうとう目の前に!

あ……もしかして、ここまでが23分だった?この写真を撮ったのが16:22だった。グーグルマップすごいな。

天守閣

靴を脱いで中に入った。すると、下りる人たちがワーワー言っている階段が出てきた。あまりに急すぎて、お年寄りは一人で降りられないという状況だった。

とにかく手すりをぐっと引き寄せて上るしかない。もう、疲れたなんて言っていられないぞ。もうすぐ上から琵琶湖が見られるのだ。まあ、途中でもチラッと見たけどね(笑)

城の造りをじっくり見るという余裕がない。そうそう、外の階段の途中で暑くなり、コートを脱いで手に持っていた。今もそう。やっぱりコートはロッカーに入れてくれば良かった。

やった!てっぺんに来たぞ。琵琶湖は?

見えたー!

あっちの窓からもこっちの窓からも撮る。窓には金網が張られていて、スマホのカメラレンズを金網の穴に入れるようにして撮った。でも、写真に撮るよりも実際に見る方が綺麗だ。

さて、一通り見たので帰るか。と、やっぱり急な階段。

私はまだ、降りるのは大丈夫。

お、一段下にも窓があり、こっちには金網がない。そしてこんな表示が。

そのインスタ映えする窓はこちら。

こっちにも。

それがこちら。

でも、手前の屋根がねえ。こっちの方が綺麗じゃない?

そしてまた階段を下り、外に出たのだった。ほらね、10分か15分で済むんだって。でもまあ、天守閣の周りの散策までしたら30分では足りないけどね。

外には着見台というのがあった。

おぉ、むしろこっちの方が琵琶湖ビューが最高かも。大パノラマだね。

いつまでも見ていたかった。ボーっと見とれていたが、虫に襲われて我に返った。そろそろ帰るか。

ひこにゃんのパネルがあって、子供がそこで写真を撮ってもらっていた。それを見て、ひこにゃんも撮ろうかなと思ったら、お一人様の男性が待っていて、子供の撮影が終わったら、パネルの傍へ行って自撮りを始めた。私はその男性が終わるのを待ったが、なかなか終わらない。どんだけ自撮りするんだ。

やっと空いた。私は一緒に撮らなくていい。

ひこにゃんだけ、なんだかCGみたい(笑)

16:42だった。放送で、そろそろ出るようにと急かされる。また石段を降り始めた。

いやー、やっぱり急だよな。よく上って来たよ。中年男性の一団が、両手に棒を持って、突きながら歩いていた。これだと全然疲れないと言っている。抜きつ抜かれつしていたが、大きな階段のところでは、私はとんとんと駆け降りるようにして行ったので、断然棒を突くよりも速かった。だがこれが、実は膝に良くなかったかもしれない。翌日左膝が痛くて歩けなくなったから。湿布貼ったらすぐに治ったが。

それにしても、万博ボランティアでだいぶ歩いて疲れたというのに、最後にこんなに足を使う事になるとは。控えめに言ってバカだった今日が一番過酷だった。疲れている時に城はミスチョイスだったね。

人力車

城を出た頃、スマホにお知らせが来た。35分後に雨が降るという。天気アプリを見たら、かなりの土砂降り雨が来るらしい。傘はロッカーに置いて来てしまったし、うかうかしていたら降られるではないか。

急ぎ帰ろうと思ったら、道路に出たところで人力車が2台停まっていた。前を通ると挨拶された。人力車か……。もう足がガクガクのパンパンだし、ゆっくりしていたら雨が来るし。乗ってしまおうか?

一応お値段を聞いてみた。駅まで送るなら1000円だと言う。駅まで何分くらい掛かるか聞いたら10分だと言う。10分!?人が引いて行くんでしょ?すごいな。この時には徒歩23分の距離を10分で行っちゃうんだ!と驚いたが、後から考えたらここからなら15分だった。でも、重たい物を運ぶのに、更に早く着くというのは驚きだった。

1000円はちょっと高い気もしたが、足が疲れている上に、良い経験にもなると思ったので、お願いする事にした。おしゃべりしたりすると10分じゃ着かないかも、と2人の車夫さんで話していたので、駅の辺りでご飯を食べるかもしれないし、電車の時間は決まってないと言って乗せてもらった。

車夫さんは男性と女性だった。通り過ぎた後に数歩戻って話し掛けたら、たまたま女性に話し掛ける事になったので、女性の方に乗せてもらう事になった。すごいなあ、女性で人力車を引っ張って走るなんて。

写真を撮ってもらった。車夫のお姉さんにも一緒に入ってもらった。ポーズ決めてくれた。いい感じ。私は精いっぱい笑ったが、疲れにより顔が引きつっていた。まあ、写真を見たらいつもと変わらない顔だったけどね。

そして出発。涼しい!ひざ掛けは暑いので、写真を撮った後は畳んで隣に置いておいた。スカートじゃないから無しでも大丈夫。ちょっと前のめりになりそうなので、両手でつかまって、なおかつ背中で寄りかかるように乗る必要がある。

断然タクシーより良かった。気持ちがいい。何しろ壁がないからね。お姉さんは颯爽と走る。お堀を見ながら風を切る。この涼しさを味わうだけでも乗った甲斐があった。

しかも、お城の説明などもしてくれる。彦根城は築400年現存天守を持つ城だそうだ。そういう城は日本に12しかないらしい。古い物を残して行く事も大事だが、その為にあまり街が発展しないという事だった。確かに、お土産やさんもあまり近くになかったし、こう言ってはなんだが、駅周辺もそれほどにぎわっていない。

私が大阪の帰りに寄ったと言ったら、ここまで来てくれて嬉しいと言っていた。それから、ひこにゃんは滋賀県一の稼ぎ頭だと何度も言っていた。ひこにゃんは昼間にしか来ないでしょうと言ったら、平日の午前中には公務があるから城にはいないという事だった。

公務?何かと思ったら、例えば婚姻届けを滋賀県で出すと、ひこにゃんと記念撮影ができるとか。そういう公務で忙しいらしい。

ひこにゃんは、同時に2体が存在する事はないそうだ。一瞬でワープする事はあっても、同時に出没はしないらしい。ミッキーマウスと同じだとか。ミライトワやソメイティもそうだよね?

そういえば、駅が閑散としていたと思ったら、バスは15時半で終わってしまうと聞いた。バスに乗ろうなどと考えていたらショックを受ける所だった。お姉さんは、彦根はひこにゃんのお陰で知名度は上がったが、ちょっと他の観光地と離れていて、なかなか足を伸ばしてもらえないと言っていた。

あと、飛んで埼玉の映画は観ましたかと聞かれた。琵琶湖編。あー、そうだったね。私は埼玉出身なので~と盛り上がった。あの映画は、地元の人でないと分からない笑いが込められているよね、という話で。映画を観た時に「とびた」がいっぱい出てきて、地元民にはうけるだろうなと思っていた。お姉さんが言うには、ゲジゲジとか、色々な滋賀県ネタは実際にある事だという。そうでしょうな。

道が大きくなってきた頃、選挙カーと並んだ。というかね、人力車は自動車と一緒に車道を走るのよね。驚き。もちろんそんなにスピードは出ないわけだが。浅草もそうなの?それで、選挙カーと並んで信号待ちをしたら、選挙カーに乗っている人(候補者かな?)がお姉さんに、

「鍛えてるねえ。ダイエットになるね」

みたいな事を言っていた。お姉さんは、走った後に食べちゃうから全然痩せないと言っていた。あのさあ、運動している人にダイエットがどうのって言うの、男性にも言うかね?どーもセクハラチックに聞こえてしまうのだが。お姉さんは健康的なスタイルをしていて、ちっとも痩せる必要はないと思う。ダイエットという言葉を持ち出すのは失礼だ。全く。これだから地方のオヤジは……おっとー!地方差別発言。前言撤回。地方だろうが東京だろうがそれ以外の大都市だろうが、考えの古いオヤジはいるだろう。

駅に着いた。本当に10分だった。お姉さんにパンフレットをもらった。そういえば、義母が今度滋賀県に行ってみようと思っているらしいから、このパンフレットを渡そうかな。中を見ると、いくつかコースがあるようだ。1000円はちょい乗りコースだったのか。

ちなみに料金は前払い現金のみで、千円札がないなと思ったが、500円玉が2つあったのでそれで払って喜ばれた。おつり無しがいいものね。500円玉が2つあったのは、100円玉を作るために2度、千円札で水を買ったからだ。

けっこう涼しくなってきて、コートを着た。さて、目の前に「近江牛」と書いた看板のある店がある。近江牛が食べたいのよね。

だが、食品サンプルが飾ってあるメニューを見ても、牛肉料理がない。ウナギや揚げ物ばかり。うーん、どうしようか。今1000円使ってしまったし、やっぱり辞めるか。コンビニで何か食べ物を買おうかと思ったが、20分後の電車に乗りたかったので、迷っていると時間がなくなりそうだったから辞めた。

新幹線の乗り換え

ロッカーから荷物を取り出した。いつだか分からないが、手の甲に傷があるのは、ロッカーの出し入れで付いたものだと思われる。それに、次の日に両腕が筋肉痛になったのも、ロッカーの出し入れが原因だと思われる。夫に非力だと言われたが、スーツケースが重いのだ。扉は押さえていないと閉まってしまうし。

そういえば、コロナ禍に始めた一人旅も、その後は夫婦旅になってしまい、何でも夫に頼れて楽だが、面白くない感じがしていた。が、ボランティア旅はおのずと一人旅になった。また一人旅が出来て良かったなあ。

さて、重たいスーツケースとリュック、ポシェットを持ち、ホームへ降りた。エレベーターでね。駅の売店で食べ物を買おうかと思っていたが、時間もないし売店も見かけなかった。

彦根から米原までは5分。そう、「米原」「まいばら」と読む。万博のボランティアの休憩中に、帰りは彦根に寄って、よねはらから新幹線に乗ると言ったら、まいばらね、と関西の人たちに訂正されたのだった。知らなかったよ、まいばらと読むなんて。

米原駅で新幹線に乗りかえる。新幹線に乗る人は、スーツケースなどを引いている事が多いと思うのだが、この乗り換えには数段の階段がある。この段差をどうにかできないものかね。

米原からは「こだま」に乗った。自由席は1~4号車。4号車に乗ると、それなりに人はいたが、車両に入って2列目の2人席が空いていたので、そこに座った。名古屋までこれに乗って行く。

お腹が空いた。飴を舐めてごまかした。後々、リュックにドリンクゼリーが入っていたのだからそれを飲めば良かったと後悔したが、この時はすっかり存在を忘れていた。名古屋で何か買えないかなと思っていたが、全く甘かった。何しろ、乗り換えの時間が短いのだ。

夕暮れ時である。雨には降られなかったが、彦根では降ったのだろうか。あの人力車のお姉さんは土砂降り雨に当たらなかっただろうか。

30分ほどこだまに乗って、名古屋に着いた。着く前に調べたところ、乗り換え時間は4分。すぐ前の線路だから、乗り換え自体は充分可能だが、売店で何か買う余裕はなさそうだ。残念。

だが、目の前の線路に4分は余裕だと思っていた私は、やはり甘かった。名古屋駅のホームは狭い。狭いのに人がいっぱいいる。既にのぞみに乗ろうという行列ができていて、そこへ荷物を抱えて降り立ったのだ。

まず、自由席がどっち側なのかが問題だ。電光掲示板を見たら自由席は1,2号車だという。少ないな。だいぶ端っこに行かなければならない。だが、どっちが1号車だ?

人がたくさんいる中で、多分喫煙が出来るのは8号車だか9号車だかという表示が見えて、それで目の前が7号車だと分かった。人の間に目を凝らし、右側が6号車だと思った私は、もっと右の方へ行くべし、と思ってずんずん歩いて行った。

ところが、ちょっと行ってからそこが9号車だと分かった。反対じゃないか!またもや何をやっているんだか。踵を返して逆へと歩いて行くが、人が多くて急げない。荷物も多いし。そうこうしているうちに、ホームに新幹線が入って来てしまった。

ぜんぜん自由席の車両には辿り着けない。だが、だからって乗らずにいたら発車してしまう。仕方なく、5号車に乗り込んだ。5号車はもちろん指定席車両である。

どんどん車両を通り抜けて2号車へ行くつもりだった。ところが、5号車の通路で詰まった。3~4人が立ち止まっていた。先頭の人を見ると、座っている人と切符を見せ合いながら何か話している。まあ、僕の席そこなんですけど、え、じゃあ私の席はどこ?みたいな事を言っているのだろう。

スーツケースが通路にあって進めないのかと思った。少し待ったが全然進まない。そのうち新幹線は発車した。まだ静かに揉めているようだ。で、更に首を伸ばして見ると、揉めている人はスーツケースなどを持っていなかった。後ろの人、追い抜けばいいじゃないか

少しイライラしてきたところで、後ろの人は揉めている人を追い越した。やっと列が動き出した。そして、私はどんどん歩いて行った。多少揺れる中、スーツケースをゴロゴロやって、4号車、3号車と通り抜け、2号車へ。一応入ってから振り返ると、自由席と書いてあった。

しかし案の定、ほとんど席は埋まっている。たまに3人席の真ん中が空いているだけだ。1号車へも行ってみよう。

1号車も、ほぼ同じ状況だった。とうとう一番後ろまで行った。だが、その一番後ろの座席の後ろに、いくつもスーツケースが置いてあるのが見えた。そうか、私がこの状態で真ん中の席に入るのは辛いが、スーツケースをここに置いておけば、入れそうだ。

ちょうど、私のスーツケースが1つ収まるくらいのスペースが空いていた。残念ながら横に倒して置くほどのスペースはなかった。いくら一番後ろでも、出入口への通路を塞ぐわけにはいかない。立てておくしかない。

立てておくという事は、車輪で立たせているという事。ストッパーがないので、揺れて転がる可能性もある。ただ、前後に揺れても大丈夫なスペースだった。新幹線は左右に大きく揺れる事はないし、大丈夫だろう。ちょっとだけ心配だが、そこに置いておき、3列くらい離れた3人席の真ん中に入った。入れてもらったと言った方がいいか。通路側の人に一度立ってもらい、そこに入ってリュックを足元に置き、リュックの中から日記帳と筆箱を取り出した。

両脇の席は男性。この辺は圧倒的に男性が多い。窓際の人は眠っていた。通路側の人が眠っていたら入れなかったな。

日記を1時間以上書き続けた。帰りはこれがあるから暇を持て余す事がない。両脇がどんな人であっても関係ない。

行きにはなかったのだが、帰りには車掌さんの切符改めが来た。特急券を拝見しますと言う。スマートEXで買った場合、切符はない。私は何となく、予約画面を見せればいいのかなと思って、スマホでその画面を出していた。

車掌さんが近づいてきた時、隣の通路側の男性が、紙切れを出した。それを見て、私もサッとそれと同じものを出した。お兄さんナイス。そうか、あれか。スマートEXで切符を買っていた場合、自分の交通系ICカードで改札を通ればいいのだが、その時に座席票が出てくるのだ。指定席の場合は座席番号がそれに書いてあるのだろうが、自由席の場合は関係ないなと思っていた。もちろん、ちゃんと持っていたが。

そうなのか、あれが特急券代わりになるのか。それを車掌さんに渡すと、ハンコウを押してくれた。

品川に着く時、やっぱり隣のお兄さんに一度立ってもらわないといけなかった。終点の東京まで行く人が多く、品川で降りる人はあまりいなかった。いや、一番後ろのドアから品川に下りたのは私1人だった。

やれやれ、やっと東京に帰って来た。家にも無事に着いた。お腹が空いたと言ってもまだ8時過ぎだし、家に帰ってからワインを飲んで色々食べたから大丈夫。そう、私の体は大丈夫だったのだ。しかし、家族の1人がこの後体調を大きく崩す事に。それはまた別のブログでお伝えしよう。本当に、帰ってきてしばらく再起不能になるかも~なんて言っていたのに、倒れている場合ではなかったのだ。そして、しばらくブログを書く事も出来なかったのだ。

まあ、それはまた今度。このブログでは、彦根城へ行って琵琶湖を見たお話を中心に書いた。おうちに帰るまでが遠足なので、言ってみれば万博ボランティアの活動の最後という事になるか。

でもさ、この「おうちに帰るまでが遠足です」という言葉、日本人なら誰でも知っているし、そう思わされている気がしないか。刷り込みってやつか。小学校の時、毎年毎年先生に言われ続けてきた言葉だから(笑)最後まで気を抜いてはいけないという戒め。そうやって国民性が出来上がっていくのだな。

それでは、また次のブログで会おう!