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ガウディとサグラダ・ファミリア展

2023年7月12日(水)

今回もアート部の活動で、東京国立近代美術館へ。

お目当ては「ガウディとサグラダ・ファミリア展」だ。

混雑

火曜日の午前10時。つまり開館時間に美術館のロビーで待ち合わせた。

国立近代美術館の最寄り駅は東西線竹橋駅である。他の駅からだと徒歩15分だが、竹橋駅からは徒歩3分だそうだ。竹橋駅からの道順は、美術館のサイトの「アクセス」のところに、ご丁寧に写真付きで案内してあった。

15分も外を歩いたら暑い、という事もあるが、前回の事もあるし(LASTMAN IN THE DARK~全盲体験 – たかんなお年頃 (takan.site)←参照)迷う可能性大。よって、竹橋駅をチョイス。前日にその写真付きのガイドも見たので絶対に大丈夫。何せ、地上に出たらもう目の前だもの。

というわけで、9:50に竹橋駅に到着。ホームに降り立ち、どちらへ向かって歩けばいいか分からず、とりあえず左の方へ少し行って表示を見たら、利用する1b出口は右だった。右へ歩いて行くが、どうやら右の端に階段があるらしい。つまり、ホームのほぼ端から端まで歩くことに。なるほど、これだけで2分くらい費やしたぞ。

階段を上った。うーむ、写真と違う気がする。でも、とりあえず1b出口を目指す。改札を出てさらに階段を上がって、右へ。おお、なんかすごい所に出た。都会というか、観光地っぽいというか。

毎日新聞社を見上げた。ごつい屋根があって、そこからミストが噴き出している。おー、なんかすごいビルだな。信号を渡る。橋を渡る。橋もすごい。きれいだ。川の水が一瞬干上がっているように見えたが、水面にたくさんの葉っぱが浮いていて、全く動かないという状態なのだと分かった。それにしても、日差しが強い。日傘がなかったらキツイ。日傘の陰に腕も隠すように、縮こまって歩く。

階段が出てきて、上って行く。そこがもう国立近代美術館だ。ホッとしたのも束の間。なんか、行列ができているぞ。

もうすぐ10時だ。10時にロビーで待ち合わせなのに、中に入れないのではないか?

チケット売り場の列と、入り口の列と二つの列ができている。あわわ、こりゃとにかく並ばなきゃ。

列が動き始めた。どんどん人が中に入っていく。すると列の中に、待ち合わせをしているメンバーの顔を発見。よかった、とにかく列に並ぼう。

入り口の表示

それぞれバラバラに並んで中に入り、ロビーで今日のメンバー5人が揃うまで待った。中が混みすぎないように調整しているのか、気づけば外にはまた行列ができている。こりゃ激混みだな。

入り口に大きな看板があった。そこでまた、写真を撮ってもらう。我々の活動は、必ず集合写真が伴う。撮ってくれた方ありがとう。

さて、既に平日限定ペア券を分配したQRコードをかざして入場した。これだと一人1800円になるのだ。当日券だと2200円なので400円もお得だ。けれども、これは前売り券なので開催日の6月13日より前にしか購入できなかったのだ。

音声ガイドを購入する人はここで購入。城田優氏の声だとか。

さて、やっと入り口だ。そこに、こんな注意書きがあった。

3章のみ撮影OKです!

その他、動画はダメ、フラッシュはダメ、三脚や自撮り棒はダメなどの注意や、営利目的はダメ、ブログやSNSに載せる場合の諸々の注意事項などもある。そして、SNSに載せる場合は #ガウディ展 をつけてくれと。

3章のみね、分かった分かった。そうして、早速混雑した展覧会へと足を踏み入れた。

ガウディとその時代

第1章はガウディについて。そしてガウディが生きた時代のスペイン、ヨーロッパについてだ。

ガウディは1852年、スペインのカタルーニャ地方で生まれた。建築学を学ぶ。ノートが残されていて、彼の字を見ることができた。

ガウディが生まれた頃は、万国博覧会が生まれた頃だ。産業革命の時代とも言える。ああ、万博!私の専門分野だ。万博に関する映像があり、古い写真や絵などが次々と現れたが、ほとんどが見た事のあるものだった。日本館とかね。

それにしても、ガウディは絵が上手いねー!細かい絵、すごい。

ガウディの創造の源泉

第2章に入った。ガウディの建築の源泉に触れる。

ガウディは自然から多くを学んだ。特に、自然にできた洞窟とか。そういえば、流線形のデザインなどが特徴的な気がするのだが、それは洞窟とそっくりだった。

そしてバルセロナ万国博覧会だ。1888年にスペインのバルセロナで開かれた万国博覧会。ガウディはパビリオンを設計しているらしい。そして、そこに展示してあった小さいカード。ガウディの写真といっぱい書いてある文字。これはバルセロナ万博の会場通行証だとか。字が小さいね、なんて言い合ったが、これ、つまりアクレディテーションカードじゃない?うわぁ。でも小さいな。たぶん縦4cm横8cmくらいだと思う。

その他ガウディの設計した、大邸宅やパリ万博の水族館などの図や写真も。模型もあった。

スペインはイスラム文化とキリスト文化の融合の地だ。その特徴を表したようなデザイン。エキゾチックというか。

粉砕何とか……欠けたタイルや砕いたタイルを装飾に使ったものも、ガウディが多用したそうだ。

そして面白かったのが「逆さ吊り実験」だ。

細い鎖のようなものに重りをつけて垂らすと、つまりネックレスのようなものだが、鎖は放物線を描く。

そういったものをたくさん吊り下げて写真を撮る。その写真を逆さにして見る。すると、塔を建てるのに安定した形が分かるという物。なるほど!

他にもいろいろあったのだが、ガウディのこだわる幾何学に関しては、分からない事も多々あり。

理解できかねるので、覚えていられなかった。ここに記していない内容も多々、展覧会には含まれる。建築を学んだ方はもちろん、物理学、幾何学などに明るい方は、もっと楽しめると思われる。

サグラダ・ファミリアの軌跡

第3章に入った!やっと写真が撮れる。早速パシャパシャと撮り始めた。

いよいよサグラダ・ファミリアについてである。

誰もが知る(?)未完成の大聖堂。その軌跡を探る章に入ったのである。

つい先日長男と、サグラダ・ファミリアの建設費用って、どうなってるんだろうね?と話したのだった。誰が発注してるの?誰が誰の為に作っているの?と。その答えはもちろんここにあった。

産業革命は大富豪も生み出したが、貧しい人たちをも生み出した。ガウディの作品の多くは大富豪の為のものだ。だが、サグラダ・ファミリアは?

難しい言葉で解説してあったので、ざっくりと簡単に説明しよう。

ブカペーリャが宗教団体を作り、イエス・マリア・ヨセフの聖家族(サグラダ・ファミリア)に捧げる聖堂を作ろうとする。しかし、貧しい人々による団体が作るのは至難の業だ。ブカペーリャの努力のたまものだろう。微々たる献金で何とか作り始める。

ガウディのアルバイト先の建築学校教授、バルセロナ司教区建築家のビリャール・イ・ロサーノ無料で設計をすると申し出る。ビザンティンとゴシックとの混合案、ネオ・ゴシック案に決まる。

1883年、着工から1年7か月後に、ガウディ二代目建築家に就任する。ババーン!そう、ガウディは二代目なのだ。借金を抱えての着工であったが、10年で完成すると公表。しかーし、巨額献金があったらしいが、それは豪壮な「降誕の正面」の建設のみに費やされた。ががーん。

しかし、その正面によって有名になったのだ。つまり、ガウディがバズッたのだ。それからガウディは全てを完成させるための計画案に着手し、1914年の一時中断(内戦の為)に直面した折、他の仕事全てから手を引き、聖堂に専念すると公言したのだった。これでガウディの建築という事になったのね。

サグラダ・ファミリアが未完の状態で存在しうるのは、工事中でも聖堂として機能しているからだとか。だからこそ、未完の状態であることが許されたともいえる。礼拝用聖具は必要に応じて順次作られたそうで、錬鉄細工の卓上十字架や燭台などはガウディの手によるものだとか。デザインしたという事かな?

建設費用は献金だったわけだが、その献金額工事費用のグラフがあった。徐々に両方とも額が上がっていいる。

と、女性が私の後ろでどうもうるさい。

「え、写真撮っていいの?」

すると、私を追い抜いて行った先で、

「あーここからじゃん!撮ってる人いたからさあ」

って、私が今パシャっと撮ったすぐ後ろで、ものすごく陰口っぽい口調で言った。嫌な感じ。どうも、ここから写真OKと書いてある看板があるらしい。でも、既に3章に入っている。入り口に3章は写真OKと書いてあったし、先ほどは見守りの人の目の前で撮ったけれども注意されなかった。だから、撮っていいと思うのだが……もうそこに看板があると知ったから、今ここでは写真を撮れない。小心者のチョコナッツ。その献金のグラフの写真も撮りたかったのだが、撮れなかった。

模型など

まだ3章の途中である。だが、確かに「ここからは写真OK」と書いてあり、入り口と同じように注意事項やハッシュタグの事などが書いてあった。

そして、その部屋は広い。映像も流れているし、大きな模型などもある。ここで完全に仲間とはぐれた。何せ、広い部屋なので見る順番がよく分からず、あちこち移動して散ってしまったから。

こんな感じの派手な展示があったのでとにかく写真。それから完成模型。四方から撮ろうとしたが、光の当たり具合でどうしてもガラスに人が映ってしまい、2方面しか撮れず。

↑これ並べておけば、説明はいらないよね。

面白かった話をもう一つ。

光は神の象徴であり、聖堂は光に満たされた空間でなければならない。ゴシック大聖堂で初めて実現できた事だそうだが、北欧と南欧スペインとでは窓の大きさが極端に違うそうだ。

太陽の光が弱い北欧の聖堂の窓は大きく、光にあふれる南欧の聖堂の窓は小さい。あまり強い光は人を落ち着かせないから、とガウディは言ったそうだが、サグラダ・ファミリアの窓は北欧並みに大きいそうだ。

それで、必要以上の光が入らないように、ステンドグラスで調整しているらしい。

ガウディの最期

ガウディは費用を受け取らなかったりしたくらいで、服装もいつもみすぼらしかったらしい。

ガウディは1926年、仕事を終えて夜のミサに参列する為、大聖堂脇の教会へ向かう途中、停留所の縁石に躓き、路面電車にはねられた。身動きしない老人を誰もガウディとは気づかず、3台ものタクシーが病院への搬送を拒否したとか。そのまま三日後に他界。その三日間は重篤状態が日々報道されたそうで、逝去翌日には各誌こぞってガウディ特集を組んだとか。

市当局から公葬の申し出があったものの、ガウディの遺言により質素な葬儀が執り行われた。だが、遺体を運ぶ馬車のうしろに市民の列が1.5㎞も続いたとか。ガウディ73歳であった。

っていうか、有名人だろうが何だろうが、搬送を拒否するなよ。でも意識のない怪我人をタクシーで運ぶのはキツイか。やはり救急車は大事……。

映像~第4章~ショップ

サグラダ・ファミリアを長年追い続けたNHKの映像が5分間流れた。この大聖堂はなんて美しいのだろう。知らなかった、こんなに美しく、壮麗だとは。すごく行ってみたくなった。

工事は2026年に完成すると言われていたが、コロナで工事が中断し、更に延期される事となった。

建設費用は年々増え、献金では足りなくなったそうだが、今度は観光地として注目を浴び、拝観料で建設費用を賄っているそうだ。だがコロナ禍には観光がストップしたため、建設も中断されたというわけだ。また再開されたそうだが。

それにしても、こんなに立派な大聖堂が出来ちゃっていいのか。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂よりも立派な聖堂がスペインにできてしまって、大丈夫なんだろうか。なんて、ちょっと心配してしまった。

第4章は「ガウディの遺伝子

ガウディの逆さ吊り実験を継いでいる人がいたり、ガウディから影響を受けたデザインが世界のあちこちにあったりする。日本にもあって、見てみたいと思った。

ゆっくり見たい気持ちもあったが、とっくに見終わってロビーにいると連絡をくれた仲間もいて、あまりに待たせ過ぎている気がして、4章はさらっと流すことに。ガウディの良い言葉もたくさんあった。

ミュージアムショップは広くて、けっこう充実していた。

定番のポストカードやしおり、Tシャツやトートバッグ、クリアファイル、カタログに本。

それからボールペンやメモ帳、マグカップ、バッジ、お菓子、コースター。

何かちょっと欲しい。でも、クリアファイルも家にたっくさんあるし、しおりもたっくさんあるし……。

結局何も買わなかった。見ているだけで幸せだった。

見終わって、感想を

ショップでお仲間二人と合流した。お二人はいろいろ買っていた。人それぞれ。うん。

10時過ぎに入ったのだが、出てきたら12時半を回っていた。外はあんなに暑かったのに、展示室は寒いくらいで、すっかり冷え切ってしまった。だが、ロビーに出てきたらもわっと暑い。この寒暖差にやられそうだ。

5人で近くの如水会館にあるマーキュリーというレストランへ移動した。ここ、レトロモダンでいい感じ。レトロというか、多分古くからあるのだろう。でも綺麗。

ランチは税込1100円でデザートとコーヒー・紅茶付き。こんな都心にあってこのお値段は驚きだ。

サグラダ・ファミリアに行った事がある人が3人いた。でも、何年か前に行ったとしても、年々変わっているというか、増えて行ってるからね。また行きたくなるね。

ま、展示の感想よりもその他もろもろの話の方が多かったような気もするが。やはり、見終わって話ができるのは楽しかった。

あ、デザートの写真を撮り忘れた。今から食前酒?と思ったくらいの、まるでシェリー酒が入っていそうな小さいグラスに透明なゼリーが入っていた。レモンゼリーで、けっこう甘いやつ。

コーヒー・紅茶はセルフサービスで飲み放題だった。セルフサービスじゃあ、他にカフェインレスの物があるか、なんて聞いてもしようがない。というわけで、ほんの少しだけコーヒーをもらってきた。大さじ2杯くらいかな。

トイレも近くなっていないし、夜も普通に眠くなったから、これくらいなら大丈夫だったなと思って床に就いたものの……よく眠れなかった。2時間ごとに時計を見たし、頭痛いし、いっぱい夢見たし、疲れが取れた気がしない。やっぱりカフェイン多かったか。大さじ1杯くらいにしておけば良かった。でもあのコーヒー美味しかったな。

翌日、起きたら頭痛は治っていたものの、腰というか背筋がめっちゃ痛かった。病的なくらいだったので、湿布を張った。あれかな、2時間もぶらぶらと立って見ていたし、何ならかがんで字を読んだりしたからかな。ボランティアシューズだったから足の疲れは感じなかった。背筋は後から来たか~

最後に、今回も差し入れをくださった方が!いつもありがとう。ボールペンはサルコーマ(肉腫)啓発月間。めんたいこせんべいは、玉ねぎの味がちゃんとしたよ。

さて、それではまた次回。アート部の活動はまだまだ続く