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オリンピックボランティア8日目。自分の中に潜む「男女役割意識」に気づく

1ヶ月ぶりのオリンピックボランティア活動が始まった。

一番心配していた事

活動がなかった1ヶ月の間に、実は少し太ってしまったのだ。お腹周りが明らかに。前からユニフォームのズボンがきつかったので、太ってしまったら入らないのではないか、入ってもきつくて痛くなってしまうのではないかと、それがとても心配だった。

朝、ズボンを履いて、とりあえず大丈夫だった。そして、午前中いっぱい過ごしても、痛くなったりしなかった。とても安堵した。これで、活動が始まれば少し痩せるだろうし、問題なし。

よし、活動開始じゃ。

忘れていないか

久しぶりにUACに向かう。慣れるまでは乗り換えなどに気を張っていたが、1ヶ月空いても、8回目ともなれば慣れたもの。駅も道も変わりなく。

季節さえも。昨日は雨で気温が低く、1ヶ月前と同じかむしろ涼しかった。7月にはユニフォームの上に上着を羽織る事が出来るのか?と不安に思っていたが、とにかく昨日は問題なし。雨なので黒い方(息子に借りる方)を着ていった。

無事、いつもの時間に到着し、受付を済ませた。

一つだけ忘れていた事がある。活動をするためにエレベーターで下りる時、何階のボタンを押せばいいのか。B1なのかB2なのか、本当に分からなかった。いやはや。

一ヶ月前と変わった事

5月11日から始めて、6月5日までの間に少しやり方が変わったりした事もあったので、1ヶ月も空いたらどれだけ変わったか、という不安もあった。

結論から言うと、仕事内容は変わっていなかった。内容というか、仕事のやり方自体は。けれども、これが変わった!と一番思った事はこれだ。

リーダーさんがいる!

全体の研修などでは、リーダーさんがいるものとして受けてきたし、ボランティアに応募する時から、リーダーを希望するかしないか、の選択もしたし、リーダーさんの存在は知っていた。そして、リーダーさんはリーダーシップ研修を受けているはずだ。

だが、このアクレディテーションでは、少なくとも5月にはリーダーは存在しなかった。実際不思議に思っていた。いないのかなーと。この人リーダーかな?と思ったら職員さんで、我々と同じボランティアではなかった。

それが、以前と同様に希望制で役割を決めた後、どなたかリーダーやってくださいませんか僕やります、的な発言があって、それぞれリーダーが決まっていったのだ。

どのリーダーさんも、若めの男性だった。若くても大学生とかではなく、現役世代と言う感じ。20代から30代前半という雰囲気?そういえば、5月にはそういう若めの男性はほとんどUACにはいなかったと思う。

リーダーの存在

聞いてみなかったのだが、おそらくリーダーとしてのオファーを受けていて、リーダー講習なんかも受けたりした人たちなのだろうと思う。

私の役割のところのリーダーさんは、みんなにちょくちょく話しかけ場を盛り上げると共に、困っている事がないかどうかを確認して回っていた。また、道具の不足に気を配り、時々届けてくれた。我々は、困った時に職員さんを探すが、すぐ見つからなかったりする。けれども、リーダーさんはどこかへ行ってしまう事はなく、いつも我々と一緒にいるので、困った時にすぐ相談できるし、職員さんに聞く必要があればリーダーさんが探しに行ってくれる。

あ、そういえばリーダーさんがいなかった時、私が探しに行ったりした事があったような。結局リーダーみたいな事、していたじゃないか?だが、自覚があるのとないのとでは、仕事の質が違うように思う。

リーダーになりたいかどうかを聞かれた時、なりたいとは思わなかった。やってもいいな、とは思うのだ。だが、自らやろうとは思わないのだ。もちろん、仕事だったらリーダーになって、お給料をより多くもらいたいかもしれない。けれども、ボランティアの立場では、上に立ってもメリットはないような。

逆に、自分がリーダーでなかった時はどうか。リーダーに指図されるのが嫌じゃないかどうか。指図されるよりも、自分が上に立ってやりたいという欲求があるかどうか。

リーダーさん達が、どのような理由で自らリーダーになったのかは分からないし、それぞれ違うだろう。けれども、例えばそういう、他の誰かに仕切られるよりも自分がやった方が楽しめるタイプの人はどういう人か、と考えた時に、やはり「やり手の男性」を思い浮かべる。そうだな、若手の女性でもそういう人はいるだろうが、数が少ない気がする。

そして、ハタと気づく。そういう、男性が上に立ち、女性はそれを支えるという構図が「ふつう」のように感じるという事に。

無意識下の役割意識

恐ろしい。時代はジェンダーフリーだ。男性女性関係なく、上に立つ器の人が立つべきなのに、私たちの年代の女性達は、子供の頃から植え付けられてしまった役割分担に深層心理を支配されているのだ。

班長は男子、副班長は女子。PTAでもそう。会長はお父さん。副会長はお母さんがいい。男性が「長」で、女性は「副」な感覚。町内会の寄り合いでも、サークル活動をするのも。女性がどんどん意見を出しても、決定件を持つのは、長である男性。そういう場が多い。そして、私自身もその方が楽なのだ。矢面に立つよりも、「俺がやる」と言ってくれる頼もしい男性の影に隠れていた方が

これが、女性ばかりの団体だと、そうではないのだ。これがまた厄介。女性しかいないグループでは、自分よりも能力のない人が仕切ろうとするとモヤモヤするのだ。それなのに、男性だと「長」に納めておいて、こっちはこっちで上手くやれる。

なんと浅ましい、なんとふがいない、この役割意識。女性蔑視には、女性にも責任があると言われる。そして、それを言うと叩かれる。しかし、事実こういう「上に立つよりも陰に隠れている方が楽」という感覚は、無意識下にあるのだ。それに、気づいてしまった。

自分はリーダーになりたくなかった。けれども、やって欲しいと頼まれればやってもいい。この感じ。無責任な感じ。そして、若い男性は頼りがいがあるように感じてしまう事。実際、おばちゃん達は常にそうだ。

あー、すごく嫌だ。PTAとかで、お茶を積極的に出したり、男性やお客様の身の回りの世話を率先してやったりする感じが、今すごくおぞましく感じてしまった。

まあ、元々お茶出しとか、お酌とか、他の女子が率先してやっていても、全然やらない女だったけどね、チョコナッツは。ははは。女性らしさを出すのが嫌で。そもそも女らしくないし。

オリンピックと全然関係ない話に没頭してしまった。とにかく、リーダーさんがいたことが、この1ヶ月で一番変わった事だった。

日曜は空いている?

ところで、6月の最初の土曜日はすっごく来場者が多く、休む暇がなかった。7月に入ってどうだろうかと心配していた。特にいきなり日曜日から再開だったから、忙しいのかなと覚悟して行ったのだ。

しかし、実際はお客さんが少なかった。暇な時間が多かった。ただ、アクレディテーションカードとちょっと違うものをラミネートする作業が加わって、暇な時にそれをやっていたら、立ち仕事に慣れていないのでけっこう疲れてしまった。

また、お弁当の時にも、夏ならではの事が新たに加わっていて、それもこの1ヶ月の間に変わった事だった。

それから、1ヶ月ぶりだったのは私だけではなかった。むしろ多くの人がそうだった。

男女役割意識の未来図

そうして、男女役割意識について考えながら、電車に乗って帰ってきた。気づいてしまったからと言って、それをどうしたらいいのか、これからの女性にとってどうすればいいのか。それを考えなければダメなのだが。

結局は教育だと思う。子供の時のすり込みが物を言う。小・中学校の班長・副班長の男女別役割がとっくに撤廃されている。その、撤廃されてからの世代が先生になり、その先生に教えられた子供達が大人になれば、世の中は変わるのだ。

だから、年配者は若輩者に、考え方を押しつけてはいけない。

新たにそう思った。

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