2025年2月9日、東京武道館にて「第8回DKF空手道競技大会」が開かれた。耳が聞こえない人・聞こえにくい人、聞こえる人が対等な立場で切磋琢磨し合う大会である。その、夢のような共生社会の縮図を、私はボランティアスタッフとして身近に見る事が出来たのである。感無量である。その、素晴らしき体験の記録をここに残しておこうと筆を執る次第である。
なーんて、硬い言葉を使ったりして。チョコナッツ、久々に読者が増えそうな予感がして気取ってみた。
新しい読者諸君に伝えておきたい事がある。たとえ知っていても、チョコナッツ(私)の本名や家の場所をネット上に書き込むのだけはやめてもらいたい。本名と家の場所さえ内緒にしてくれたら、後はできるだけたくさん宣伝して、広めてもらいたい……が、それは無理強いしない。
さて、今回のボランティア活動は1週間前の説明会から始まっている。説明会に関してのブログはもう書いたので、ここではまず、前日準備から記して行こうと思う。
綾瀬駅~東京武道館へ
説明会・リハーサルがあった光が丘も近くなかったが、本番のある綾瀬もまた、あまり近くない。
武道館と聞けば日本武道館の事かと思ってしまう私だが、今回初めて東京武道館に行く事になった。綾瀬と聞いてなんだか遠い記憶が……と思ったら「綾瀬川」だ。綾瀬川は綾瀬付近を流れているが、上流の方へ行くと我が実家のあるさいたま市の旧浦和市内を通るのだ。小3の時に習った。浦和市には荒川と綾瀬川が流れていると。懐かしいな。
夕方5時に集合だった。家を出る前にPCをチェックするつもりだったが、案外時間がなくてPCを開ける事なく家を出た。何通りかの交通手段があったが、千代田線を選択した。
土曜日だが、電車は割と混んでいた。千代田線に乗っているとどんどん乗客が乗ってきて、綾瀬が終点だと思っていた私は、途中で常磐線直通だと知り焦った。ドアに張り付ていて、もし綾瀬で逆側のドアが開いたら降りられないかも、と。
今日、集合したら手話で「こんばんは」とやろうと思い、予習していた。ところが、電車が地下から地上へ出たところでピカーンと明るい陽射しを目の当たりにし、
「いかん、まだ夜じゃない。こんにちはだ」
と思った私。あれ、こんにちはは手話でどうやるんだっけ?と、先日教えてもらったサイトで検索。ああ、なるほど。人差し指をおでこの辺りから下ろすのか。
綾瀬駅ではやっぱり反対側のドアが開いたが、無事に下りられた。そして、東改札へ。地図検索するまでもなく、東京武道館は駅からまっすぐ。案外近かった。
そうだ、明日の朝は余裕がないかもしれないから、今の内に写真を撮っておこう。

館内ツアー
正面入り口の前に立つ。が、風が強くてとても寒い。中に入ってもいいかな、と思って覗いてみたら、中にたくさん人が集合しており、同じ役割のKさんが私を呼んでくれた。
我々は「誘導警備」を担当するグループである。お1人急遽欠席になってしまい8名。前日準備に来られたのが6名。
最初に、館内ツアーをすると言われた。例によって、スタッフさんは手話で話し、通訳さんが訳してくれた。ツアーに参加する人としない人に分かれた。同じグループのWさんは、ここに何度か来たことがあるからと、ツアーに参加しないと言った。ツアーに参加する人としない人に別れたら、ほとんどが参加する人だった。ここで参加しない場合、ただ待っているのかな?と疑問だった。
しかし、同じグループの人は一緒に回って色々確認したい、という意見が急遽出て、KさんがWさんをこちらへ呼んだ。というか、向こうへ行って引っ張って来た。Wさん、快く参加してくれた。
まずは上履きに履き替えて中へ。久しぶりに履く上履き(ボランティアシューズ)は、なかなか足が入らなかった。あまり上履きを使う事はないのだが、たまにあるものだ。
中に入るとすごく暖かくて、ダウンコートを脱いだ。1階のアリーナに連れて行かれて、ここに荷物を置くようにと言われた。何となく、横の舞台の上にみんなが置いたら、通訳さんを通して、舞台は使うから端っこの壁際に置くようにと言われて置き直した。なぜ初めに舞台の上に置いたのかな。自分がなぜ置いたのか、今になると分からない。置きやすかっただけだろうか。
そして、スタッフさんを先頭に、通訳さんと共にぞろぞろとボランティアが続く。控え室に行ったり、受付の場所に行ったり。今となってはどこを歩いたのかあまり覚えていない。当日にあまりにもグルグル歩いたものだから。
ツアーを終えても、控室の場所くらいしか覚えられなかった。そして、ここから作業に移る。いや、もしWさんだけツアーに参加していなかったら、どこで合流できたのか分からん。一緒にいてもらってよかった。
前日準備
やる事は、既に渡されていたプリントに書いてあった。我々は控室の机などを並べるのだ。
最後には原状回復すると書いてあったので、原状を覚えておく為に、写真を撮った。


こんな感じの研修室が3つ「い・ろ・は」と並んでおり、それぞれ来賓控室、スタッフ控室、審判控室にするのだそうだ。
指示書通りに机や椅子を並べ、渡された張り紙を養生テープで貼った。この、貼るのがなかなか難しい。いや、難しくはないのだが、綺麗に貼るのが難しい。曲がったり、テープがぐちゃっとなったり皺が寄ったり。でもまあ、どうせ使い捨てのようなものだから……汗
ゴミ袋もテープでテーブルに張り付けた。それから、審判控室にはプログラムを机の上に置いたりした。
今回の活動では、なるべく手話やジェスチャーを使って話すという決まりがあった。我々のグループでも、Wさんがろう者なのでできるだけ手話を使う。使いたい。が、なかなか難しい。
でも、Wさんは伝わるように声にも出してくれた。また、こちらの口の動きを読んで大体分かってくれた。逆に、手話を教わったりした。「予備」とか。その時出てきたらみんなで学習。Wさんが先生だった。Kさんは手話でWさんと会話が出来ていていた。なんだ、やっぱり手話出来るんじゃないか(笑)
一通り設置が終わり、スタッフさんにチェックしに来てもらった。ゴミの分別用の張り紙の場所を変えたが、後はOK。次に入り口へ移動。そこで貼って欲しい紙があるという事で、立て看板を借りに行った。
スタッフさん1人と我々が正面入り口へと向かった。立て看板は土足エリアにあった。スタッフさんが受付の女性に手話でスリッパを貸して欲しいと伝えて、2足しかないと言って出してくれたスリッパというかサンダルに、お2人が履き替えて取りに行ってくれた。が、そこで受付の女性が言った。
「どこでお使いになるのですか?」
向こうの入り口だと言ったら、それなら向こうにも立て看板があると言う。
「先に言えば良かったですね、すみません」
と言っていた。そして、ずっとまっすぐ行って突き当りの女子トイレの横にあると教えてくれた。この時、ある意識の変化が起こった。
ずっと、スタッフさんが使う手話という言語があまり分からなくて、分かる人に補助してもらっていた。ところが、今急に受付の人と会話をして、この話が分からないのがスタッフさんとWさんだけなんだという事に、自分がマジョリティの側だという事を思い出したのだ。
普段、ろうの方が感じているであろう疎外感や困惑。マジョリティとマイノリティを入れ替えたら、つまり人数を逆にしたら、簡単にひっくり返るのだ。その立場が。
場所を聞いた時には、ジェスチャーも交えていたからスタッフさんもある程度分かったと思うが、それでも私の方を見て、
「ある?」
と口の形で聞いてくれて、私は大きく頷いた。そうやって、ろう者であるスタッフさんと意思疎通が取れた事が嬉しかった。
立て看板を見つけ、そこに模造紙を貼った。これを明日の朝、扉の外に出すように言われた。どこに?と質問して、そこだ、とかこの柱の向こうかとか、ジェスチャーだけでやり取りをして。
やる事は終わり、アリーナに戻って来た。ちょっと待っていてと言われて、私はトイレに行く事にした。
トイレにはサンダルが。あ、そうか。いちいち履き替えるのか。戻ってその話をしたら、靴のまま履けるスリッパなかった?と聞かれた。ああ、なんか黒くて大きいスリッパがあった。そうか、それは楽だな。(しかし翌日そのスリッパを履いたら、引きずるようにして歩かないと脱げてしまう、非常に使い心地の悪いものだったのだが)
終了予定時刻の7時半になった。Iさんが、バスが1時間に2本しかないと言って心配していたので、もう帰っても大丈夫だよ、と言った。その時Iさんのスマホに電話がかかってきて、バスで帰るから大丈夫などと話していた。
Iさんは、我々が作ったグループLINEに入っていなかった。リーダーになってもらったKさんと個人的にはLINEの交換をしたのだけれど、グループには入っていない。どうしてかと思ったら、ご主人の考えがあって、個人同士はいいけれど、グループLINEに入るのはダメなんだとか。それを聞いて、一瞬束縛系の怖いご主人なのかと思ったが、この時の電話の様子ではそんな感じではなかった。というか、めちゃくちゃ仲良さげ。
そう、バスで帰るから大丈夫と言っていた事から、ご主人は怖いわけでも束縛するわけでもなく、心配性なのではないかと思った。スマホが普及し始めた頃、小中学生の間でLINEいじめが問題になったではないか。すぐに返事をしないと仲間外れにされるとか、既読スルーはもってのほかで、食事中でも睡眠中でもメッセージが来たらすぐに返事をしなきゃ、と追いつめられる子が多かったりして。そんな事を耳にしたご主人が、グループLINEは危険だと判断したとしてもおかしくない。
最近の小中学生はどうなのだろう。今やLINEよりもXやインスタの方が利用されているようだが。いや、もはやXではなくティックトックかな?知らんけど。
ま、全ては私の憶測だが。
Iさんには先に帰ってもらい、少ししてスタッフさんから質問があるかと聞かれたりして、やっと終了になったのは7:45くらいだっただろうか。なかなかはっきりと終わり、とならない。スタッフさんも不安というか、まだ何かあるかも?という気持ちがあるのだろう。
帰り道、Kさんがボランティア活動初めてだと聞いて驚いた。説明会の時、何となくまとめる力がありそうだからと、皆でKさんにリーダーをお願いしてしまったというのに。なんか、申し訳なかった。が、結局一番手話ができるから、今回のリーダーにはふさわしかったと思う。
綾瀬駅から電車に乗ったのが8時だった。思ったよりも遅くなった。家に帰ってご飯を食べて、洗濯をして、ちょっと酒を飲んで、早めに寝ようとしたがそういう時に限って夫が邪魔してくるから、結局いつも通りに寝た。もうね、早く寝なきゃいけない時にはアルコールが必須だ。これがないと眠れないって。
あー、あと帰り道があまりに寒くて、これはダウンコートではなくスキーウエアとダウンパンツだなと考え直し、ダウンパンツを入れるには……と、結局服装も持ち物も、帰ってから用意し直したのだった。
当日の朝
朝7時前に家を出た。風があり、やっぱり足が寒い。ロングコートではないからか。これなら、家からダウンパンツを履いてくるのだった。
東京武道館に着いてから履くつもりだったダウンパンツ。ズボンの上から履くのだからどこででもできそうだが、靴を脱いで履く必要があり、座れないと難しい。
電車に乗った。空いていて悠々と座れるが、やはりポツポツ人がいて、ここでズボンを履いたりするのはちょっと恥ずかしい。車内は寒くないわけだし、やはり着いてからでいいか……と考え直す。
乗り換えを2度して、最終電車の千代田線に乗った。すると、なんと一両まるごと貸し切り状態。

良かった。これなら心置きなく履き替える事ができるぞ。
そのうち人が乗って来たりもしたが、ずっと空いていた。今日は千代田線だけの綾瀬行きだった。つまり終点まで行くのだ。
昨日の反省を踏まえ、前の方に乗ったり後ろの方に乗ったりと、ここまで順調にきた。だから油断していた。記憶を頼りにして、それがここまで当たって来たものだから。
綾瀬駅に着いた時、西改札へ向かおうとして、うろうろした。今度はどうやら間違えて、東寄りの車両に乗ってしまった。時間がないのに。私は延々ホームの端から端まで歩き、西改札への階段を降りた。
一応トイレに行こうか。グループLINEには到着したというメッセージが届き始めていた。まだ集合時間の8:15には多少余裕がある。トイレに寄る事にした。
そうしたらさ、久々に便座が冷たいのよ。最近駅のトイレも保温便座になっている事が多いから、油断していたわよ。昔あったな。夜の高速道路のパーキングエリアでトイレに寄ったら、何しろ雪が降るような気候で、便座が冷たいのなんのって。一応トイレに行っておいたのだが、その便座のせいでお尻が冷え、車に戻ったら即トイレに行きたくなってきて、また次のパーキングエリアに寄ってもらった事があった。申し訳なくて言い出しにくかった。
脱線したが、元に戻そう。トイレから出て、改札を出たらびっくり。見覚えのない風景が広がっている。昨日は夜だったから?いやいや、最初はまだ日が出ていたではないか。おかしい。スマホで地図を確認。
あー、やっちゃったよ。どうして間違えたのか。出るべきは東改札だったのだ。東改札寄りの車両に乗っていた事は間違えていなかったのに、無駄に延々ホームを歩いてきてしまったのだ。時間がないというのに。油断大敵。
どうするか。ちょこちょこ曲がりながら行かれるに違いないが、うろうろ迷っていたら却って遅くなる。分かる道へダッシュで戻ろう。
というわけで、また延々東改札まで歩き、昨日と同じルートで東京武道館へ。無事に8:15より前に着いたけれども、もうボランティアさんはぞろぞろと靴を脱いで中に入っていて、どうしたらいいのやら。だって、私たちの最初の活動場所は正面入り口だったから、ここに集合だったから、ここからどこへ行けばいいのだろう。
LINEを確認すると、皆さん控室にいるらしい。私のビブスも預かっておいてくれたという事だった。上履きに履き替えて控室へと上がった。控室は2階なのだ。
なんだ、最初に控室に行かれるなら、ここでダウンズボン履けたじゃないか。まあ、ここまでが寒くなくてよかったけれど。ただ、やっぱり……またトイレに行きたくなってしまった。駅で行ったのは念のためで、それほど行きたかったわけでもないのに、あれでお尻が冷えたから余計に行きたくなった気がする。これから活動なのに我慢するのもあれなので、またトイレに行った。ただ、東京体育館のトイレも、やっぱり便座が冷たいのよね。
受付誘導
駐車場担当のKさんとWさんは駐車場へ。それ以外の人は正面入り口に立った。ボランティアさんや審判さんが来るので、靴を入れるビニール袋を渡すのだ。でもまあ、こんなに人数はいらない。8:55になったら1人を残して南客用入り口へ移動するのだ。
「おはようございます」の手話も覚えてきた。猫が手で顔を洗う様子からできたのか、片手をグーにして、それで顔の横をちょっと擦るような仕草をする。ろう者のボランティアさんとはその挨拶をした。

そういえばこれ↑。玄関の所にある自販機。前日に話題になったのが「居合道」だ。どんな武道なのだろうと。私はちょっと聞いた事がある気がする。きぇー!とか言いながら相手と対峙するような?だとしたら、勝敗はどうやって決めるのだろう。
8:55に近くなったので、南口へと移動した。私とMTさんが扉の外に立ってビニールを渡す係だった。

前の広場では、子供たちが練習をしていた。それから、こっち側には剣道の人達、弓道の人達も続々と集まってきていた。今日、この東京武道館では空手だけでなく、それらの大会もあるようだ。
我々の姿を見ると、空手の子供たちとそれを率いる先生?達が並び始めた。慣れているようで、スロープ上に並ぶ。すると、他の観客の人たちもそれにならってずらりと並んだ。
MTさんは、開場前にビニール袋が必要な人に配り歩いてきた。流石だ。私は、1人はここに居た方がいいかと思い、ビニール袋を手に持って立っていた。
扉は9時を1分2分過ぎてから開いた。そして、次々と選手やお客さんが入って行く。ビニールが欲しい人はけっこういて、配った。
さっき、一番に並んでいた子供たちは聞こえる子達だった。ろう者もいれば、それ以外の障害を持つ人もいたと思う。ビニール袋を渡したら手話でありがとうとやってくれる事もあり、嬉しかった。もちろん、言葉でありがとうございます、と言ってくれるのも嬉しい。
9:10頃には波が去った。その後も、時々お客は来る。それから、お客以外の人も来る。手話で相談された事もある。MTさんに手話分かる?と聞かれ、ちょっとだけど、と思いながら対応すると、「仕事」という手話が分かった。ああ、仕事で来ているのね。お客さんじゃないんだ。それなら、正面入り口から入ってもらえばいい、と思ってそうジェスチャーで伝えた。その人はその後、何やら箱をたくさん抱えて正面入り口から入って行ったので、間違えてはいなかったようだ。よかった。手話は全部分からなくても、たまに分かる手話と、口の形で何とかなるものだ。
何度か剣道の人がこちらから入ろうとして、剣道は正面入り口ですよ、と教える事があった。それで、思い出した。昨日、あの看板を扉の外に出してと言われていた事を!慌てて出した。

そうよ、これがないと。ああ、書き忘れていたが、MEさんが昨日作ってきてくれた札があった。ろう者にも分かるように首から下げて活動をしている。

裏側は「土足禁止」になっている。もらってあった紙をクリアファイルに入れ、パンチで穴を開けてきてくれたのだ。紐はKさんが持ってきてくれたそう。ありがたい。
それにしても、寒いだろうと思っていたら日が当たっていてそうでもなかった。風は冷たいのだが。むしろ扉の中にいる人達の方が、風だけ当たって日が当たらないから寒かっただろう。実は、立ち位置が外だという事に昨日気づいて、寒い所になって運が悪かった、くらいに思っていたのだが、逆に運がよかったみたいだ。いや、自ら志願したのだから運でもないのか?
9時半に、正面入り口に残っていたOさんがこちらへ合流した。なかなか複雑なスケジュールだったが、実際やってみるとできるものだ。しかし、暇だろうから1人だけ残してきたというのに、そちらも色々と大変だったようだ。まあ、空手関係の人はあまり来ないのだけれど、剣道と弓道があっちだから。
我々がここに立つのは10時までと決まっていたが、もう開会式などは始まっていた。9時半から開会式で、9時開場とは、だいぶタイトなスケジュールだな。
この時、MTさんが「こんにちはの手話はこうだよね。可愛いよね」と言ってやったのが、両手の人差し指をくいくいっと曲げる仕草。あれ?顔の横を擦るやつじゃなくて?
そうしたら、Oさんが教えてくれた。人差し指を人に見立て、右手と左手の人差し指がお互いにお辞儀しているように指を曲げるのがあいさつで、おはようでも、こんにちはでも、こんばんはでもそれでいいらしい。時間帯が微妙な時にはそれでいいのかな。それとも、親しい間柄だったらこちら、かしこまった時はこちら、みたいな違いがあるのかな。言語って、ただ翻訳しただけでは分からないニュアンスの違いってのが分からないものだよな。
警備開始
10時を回ったので、一度控室に戻り、ジャンバーやダウンズボンを脱ぎ、室内仕様に変身。
どうやって回るか、どのように休憩を回すか、なかなか決められずにいたのだが、ここで半数ずつ休む事に決まった。
だが、駐車場ではトラブルがあったようで、KさんとWさんは最初はいなかったりした。早くから仕事をしていた2人にこそ先に休憩してもらいたかったのに。
しかし、半数を休憩にした事で、控室の防犯になった。控室を見回りする代わりに休んでいればいい。そして、半数の4人は2人ずつ、アリーナと2階の客席を見回る事にした。
最初は30分ずつ。ゆっくりと回る。2階の客席は、前を通ると邪魔になるから後ろを通ろうと思った。すると、そこはつまり3階だった。2階席から入り、3階へと階段を上り、3階を歩きながら客席全体を見渡す。

アリーナは、選手とIDパスを持っている人しか入れない。ただし、選手が小3以下の場合は保護者が付き添ってもいいそうだ。ただ、その保護者が写真などを撮っていたら、写真は2階で、と注意するように言われていた。
そういえば昨日、スタッフさんからその事を伝えられた時、
「ろう者の保護者は分かってくれるのだけれど、健常者の保護者はわがままというか、自分が自分が、という人が多いので、注意してください」
と、通訳を介して言われた。まあ、我が子可愛さに親ばか、モンスターペアレントになってしまう親はいる。が、健常者にはそういう人が多い、というのはちょっと偏見があるような……。何しろ、健常者は数が多いから、わがままな人の数も多くなるわけで。健常者でも、周りの迷惑にならないように極力気を遣っている人は多い、と私は思うのだが。
いやでも、ろう者が偏見を持っている、なんて事を言うつもりはない。誰でもバイアスを持っている。自分と違う人達、話が通じにくい人達の事は、どうしてもステレオタイプにこうだ、と思ってしまうものだ。だからむしろ、私は新たに発見したのだ。偏見というのは、マジョリティがマイノリティに対して持つものだと思いがちだが、そうではなく、お互い様なのだという事を。
客席を歩き、続いてアリーナを歩く。アリーナには主催室があり、スタッフさんがどこぞのおじ様と名刺交換をしているのを目撃した。スタッフさんのうち2人は、スーツを着ていた。審判服かな?かっこいい。
基本30分交代で、お昼休憩だけ45分交代にした。なんか、そう言う風に私たちが決めて通達してしまった。お弁当は各自が主催室に取りに行く事になっていたが、KさんとFさんが活動終わりに8人分箱に入れて運んでくれた。一番のりだと言っていたから、ゴミ入れ用に箱を持って行ってとでも言われたのだろう。
「和食と洋食、どっちがいい?」
と聞かれたので、どちらでもいいと答えた。お弁当は2種類あるのだ。一緒にいたMEさんもどちらでもいいと。そして、別々に回っているOさんとMTさんにも8個運んでくれた事を伝えた。一応、実物を見てみようと言って、主催室の前に並んでいる2種類のお弁当を見てみた。
すると、和食は鮭やつくね、洋食はハンバーグと目玉焼き、エビフライが入っていた。それを見た時、目玉焼きに心惹かれた。魚もいいが鮭がどれも小さい。どちらでもいいと思っていたけれど、やっぱり洋食が良かったかな、と思ってしまった。
ところが、それからまた二手に分かれて歩いていると、次にOさんMTさんに会った時に、自分たちの分は確保したと言っていて、もうほとんど和食しか残ってなかったと言っていた。洋食の方が売れ行きが良かったとか。どちらでもいいと自分で言っておきながら、迷ってしまうから残り物の方がいいと思っておきながら、やっぱり洋食が良かったな、と思ってしまう自分の狭量さに嫌気がさす。が、和食でもいい、私は魚が好きだ、と思いながら時間になったので控室へ。
すると、洋食と和食が1つずつ残っていた。もしかしたら気を遣ってくれたのか、先に確保したと言っていたOさんとMTさんは、和食を選んでいたのだ。私とMEさんだけがまだ選んでいなかったが、和食と洋食が1つずつ残っている状況。やっぱり皆さん大人だなぁ。最後まで選択肢を残しておいてくれたのだろう。で、MEさんもどちらでもいいと言ってくれたので、私は洋食を選んだ。
昨日、この控室に椅子をいくつか並べた時、スタッフさんから言われたのが、椅子は壁の方に向けるのではなく、部屋の中央を向くように並べて欲しいと。皆の方を向いてご飯を食べれば、皆で楽しく食べられるからと。
それで、皆で何となく輪になって食べているが、黙々と、である。コロナ禍以降、何となくそれが癖になっているのか?それにしても、今まで休憩していたのは我々だけだったのに、お昼にはずいぶんたくさんのボランティアさんが集まって来て驚いた。皆さん、お昼以外は一体どこにいるのだろう。
じゃーん、お弁当。

私がこの間、明治座で食べた鮭弁当は、ご飯が固くて喉を通りにくかったが、このお弁当はご飯が柔らかくてしっとりしていた。食べやすかったのだが、OさんとMTさんの、ご飯の水分が少し足りないという会話が耳に入り、柔らかいとは言えなかった。そうだ、この間鮭弁当を食べたのだから、今日はハンバーグで良かった。ただ、想像していた味とは違った。思いのほかエビフライが美味しくて、サイズが小さい事が残念であった。それにしても炭水化物が多くて、野菜が足りない。ちょっとしょっぱい。目玉焼きはビニールを被っているかのような食感。仕方ないよね。お弁当に入っている目玉焼きはこういう物だよ。
落とし物と注意
見回りをしていたら、客席の一番後ろの席の下に、片方だけの靴が置いてあった。ピンク色の小さい靴。周りには人もいないし荷物さえない。落とし物だ。
どこにあったのかを記録し、一応一番近い場所に座っていた男性に聞いてみたが知らないと言われた。
本部に届けるか、もう少し聞いてみるかとMEさんと話し、もう少し聞いてみる事にした。その列の一番前の席に小さい女の子とお母さんと思われる女性が座っていた。その近くにも小さい子や親御さんが何人かいる。
最初は真剣に試合を見ているようだから、話し掛けない方がいいか、と遠慮したのだが、少しすると小さい女の子がお母さんの方を向いたので、思い切ってお母さんに話し掛けてみた。
「すみません、この靴に見覚えありませんか?」
するとお母さん、何か口に入れたところだったが、むせそうになりながら、
「あ、それうちのです。すみません」
と言った。よかったー、聞いてみて。MEさんが、
「聞いてみて良かったですね!ナイスチョイスです!今日、来て良かった」
と言ったくらい、感激していた。あの靴を救った、とも言っていたかな。靴がないとなれば元いた場所を探すだろうから、あのまま放っておかれても問題なかったかもしれないが。一応、お役に立てたと思っておこう。
それから、アリーナを見回っていたら、いたのだ。子供の動画を撮っているお母さんが。それも3人くらいかな。立て続けに注意した。どうも、被写体はそれほど小さくないお子さんのように見えたから、本当はアリーナに立ち入る事もダメだったのかもしれない。
「すみません、撮影は2階でお願いします」
と、なるべく優しく声を掛けた。動画を撮っている途中で声を掛けるのは気の毒なのだけれど、あの人だけずるい、という事になるとあれだしね。気持ちは分かるけど、上から撮ってもよく撮れるし、上の席は混んでいないから好きな場所から撮れそうだし。
で、皆さん声を掛けると見つかっちゃった、という感じですみません、と言ってすぐに去って行った。ダメなのが分かっていなければ「え?」とか言って驚いたりするはずだが、驚きもせずに従ったという事は、ダメだと分かっていて撮影していたのだな。やれやれ。
アリーナの外側も回ってみた。売店があった。なかなか良い売店だ。それと、こんなフィギア?も

これ、常設なのかな。
それから、ちょっと面白い話がある。MEさんと客席を歩いている時、MEさんの息子さんが高校生の時にこの武道館で運動会をやったという話を聞いた。息子さんが応援団長をするので、見に来る?と言われたから来たのだとか。素敵なお話。その時、うちの次男が高校生の時にはコロナで運動会がなかったり、やっても保護者の観覧は無しだったという話をした。それで、MEさんが私に、
「お子さんは男の子2人ですか?」
と聞いた。そうだと言ったら、
「しょうがないですよね、こればっかりは」
と、お気の毒に、という雰囲気だったので、私はてっきりコロナの話かと思っていたら、そうではないと判明。MEさんには娘さんもいるそうで、私が男の子しかいないというのが残念だと思ったのだろう。
そうだった。確かに私は女の子も欲しかった。だが、流石に二十年も経って、その気持ちは薄れた。というより、思っていたのと違ったのだ。時代の変化だ。
昔は、男の子は大きくなるとお母さんと一緒に出掛けてくれないし、話もしてくれないと思っていた。ところが、今の男の子はそんな事もない。まあ、それほど一緒にお出かけはしないにしても、今は女性のお一人様も珍しくない。変じゃない。だから、娘がいないからって、それほど困っていないのだ。それに、次男は髪が長く、あまり男の子然としていないから、ほぼ娘がいるような感覚だったりする。
ゆるキャラ
朝の誘導で、ほぼ終わった気持ちだったのに、それからが長い。休憩と見回りを繰り返した。途中既に今日の歩数が1万歩を越えている事を知り、階段も上り下りしているし、こりゃ明日、いや3日後辺りヤバいぞと思った。
また、後半になってくると片づけにも気を配るようになる。設営をした我々は、この控室の片づけも仰せつかっているのだ。そう、昨日原状回復の為に写真を撮ったではないか。完全撤収が午後5時。試合が終わってから片づけるのでは間に合わないかもしれないので、少しずつ片づけを始めた。つまり、休憩中は片づけという事に。
我々頑張ったよね。ただ、自由度は高かった。だから楽しかった。
私が控室にいる時、「ゆりーと」と変なオレンジのゆるキャラがいる、とFさんがLINEで教えてくれた。そのオレンジ色のものは、足立区のキャラクターで「ビュー坊」というらしい。因みにゆりーとは東京デフリンピックのキャラクターだ。
ブログに載せるから写真を撮りたいと言っていたら、最後の見回りに行ったKさんがLINEで、今いるよ!急げ、とLINEしてくれて、私は休憩そっちのけでスマホだけ持って客席へ駆けつけた。
撮れたのだけれど……



前には人が一緒にいて、なかなか体が撮れない。横からだとゆりーとしか写らない。結局後ろからが一番近くからばっちり撮れるし、可愛いじゃないか。
それから、我々はゴミ拾いもしていたのだが、私とMEさんはあまりゴミを見つけられなかった。アリーナでティッシュゴミを見つけたくらい。ところが、私たちが休憩中に回っていたIさんとWさんはいつも暑そうにして帰って来るし、ゴミがたくさんあったと言ってたくさん持ち帰って来る。なぜだ。
と、思ったら、我々が見回りに行った時、階段の途中でゴミを拾っている2人を見かけた。休憩時間になっている事に気づかずに拾っていたのだが、客席の間の床を拭いているように見えた。
我々は上から見ているだけだから、ゴミを見つけていないのかもしれない。あの2人は客席の間を縫って、ものすごく歩き回っているのではないか。だから暑そうにしているのではないか。ゴミは最終的に皆さんが帰ってから見て回ればいいと思っていたが、あの2人はそうではないのかも。我々以上に疲れただろうなぁ。
それにしても、客席を見渡し、アリーナを見渡して思った。ここは共生社会の縮図だな、と。素晴らしい。日本、いや世界全体がこうなればいい。色々な特性を持つ人たちが皆一緒に大会を作り上げていく。耳の聞こえない人と聞こえる人が公平なルールで一緒にスポーツを楽しむ事が出来る。審判も主催者も、耳が聞こえても聞こえなくてもできる。素晴らしいではないか。
片づけ
さて、いつの間にか閉会式も終わっていた。控室もほとんど片づけてしまったが、まだボランティアさんたちの荷物があるので、1部屋だけは机が片付いていなかった。
先に客席やアリーナの張り紙剥がしと、ゴミ拾いをする事にした。ただ、客席には選手やその家族がまだだいぶ残っていて、その人たちが帰ってからでないとゴミ拾いが終わったとは言えない状況だった。
と、写真を撮るからアリーナに集合だと、アリーナにいるメンバーから声がかかった。大会が全て終わったので、スタッフさんとボランティア全員で集合写真を撮るようだ。
カメラマンもろう者で、ジェスチャーでもっと寄って、もっと下がって、などと指示を出す。顔を出してとか。ジェスチャーだけでも分かるもんだ。スタッフさんから、皆で手であるポーズをしようと言われた。それは後ほど示そう。
写真を撮り終え、スタッフさんの挨拶があり、後は謝礼を受け取って解散という事になった。しかし、我々はまだゴミ拾いが終わっていないので、まずは全員で客席へ上がった。
まだ多少人が残っていたが、大方ゴミ拾いを終えた。しかし、まだ控室の片づけが残っている。それなのに、まだボランティアさんたちは謝礼を受け取る為の列を長く作っている。どうしようかと途方に暮れていたが、気づけばあと15分で5時。完全撤収の5時だ。
「もう片付けるしかない」
と言って、Kさんはアリーナへ行って荷物をここへ持ってくるように伝えてくれた。他の人は控室へ。
テーブルの上にはまだいくつか荷物が乗っていたが、机をしまう場所の荷物はなくなっていたので、机を少しずつ畳んで片づけ始めた。まだ残っている荷物も、数が少なくなれば移動させても分かるだろうという事で、どんどん机を片付けていく。その間にも次々と謝礼を受け取ったボランティアさんがやってきて、荷物を持って帰ってく。
「私たち、一番早くから一番遅くまで仕事だね」
「一番大変だったよね」
「自由度は高かったけどね」
などと話しながら、どんどん片づけた。
何とか5時までに片づけた。スタッフさんが1人来たので、最後の確認と電気を消すなどはお任せ。我々も謝礼を受け取ってビブスを返さないといけない。
アリーナへ行くと、もうほとんど列はできていなかった。他のボランティアさんたちは、どこかで領収書の紙を渡されていたようだが、我々はもらっていなかった。なので、もらって名前などを書いてハンコウを押してから謝礼をもらうのだが。
領収書の紙が、私の前でなくなった。スタッフさんは色々めくったりしながら調べているようだ。だが、あまりに待たされて不安になり、トントンとやって紙がないとジェスチャーで伝えたら、ちょっと待ってと言われる。
足りないのは2枚だった。しばらくスタッフさん同士で話したり、探したりしていたみたいだが、そのうち別の紙を渡された。よくある普通の領収書の冊子。そこに私とMTさんが名前などを書き、やっと謝礼をもらえた。スタッフさんがありがとう、と手話でやってくれた。
この時、手話通訳さんも我々と一緒に並んで謝礼をもらっていた。謝礼額は違うかもしれないが、やっぱりこの人たちもボランティアだったのか。大変だったろうなぁ。お弁当も一番最後に食べていたみたいだし。
しかし、謝礼金をもらえるとは思っていなかった。大体、募集の時から謝礼や交通費、お弁当が出るのかどうか、金額はいくらか、というのは示されるものだ。今回は謝礼の話は一切なく、やる事が決まって、説明会の時に初めて謝礼をもらえる事が分かった。ハンコウを持ってくるようにと言われたので。だが、それでも金額は示されず。もしかしたら役割によって違うからかな、なんて思ったりもするのでここで金額は明かさないが、3日間の交通費が賄えたくらいいただけた。正直助かる。
ブログネタ?
外に出て、誘導チームで写真を撮ってもらった。さっきやったのと同じポーズをした。DKFのマークのようだ。見てくれい。

そうだ、こんなバッジをもらったんだった。このゆりーとじゃない方のキャラの頭がマークね。あ、なんかどこにもピントが合っていないような写真ですまぬ。

みんな、またこのグループでボランティアやりたい、くらいに思っていた。とにかく楽しく活動が出来た。自由度が高かったからこそ、皆で話し合ったりして、結束が高まったのだろう。
帰り、Fさん、Oさん、MTさんと駅へ向かって歩いている時、今朝駅のトイレに寄った話をした。そうしたら、全員トイレに寄っていた。そして、便座が冷たかった、東京体育館のトイレの便座も冷たかった、という話をしたら、みんな同じ事を思っていた。それで、
「ブログネタになる」
という話をして、実は私とFさんは前からお友達で、ボランティア仲間だとか、どうやって知り合ったのかとか、ブログの話なんかをした。
で、家に帰ってお風呂に入っている時に、その「ブログネタになる」という話をした事は思い出したのだが、その後の会話ばかり印象深くて、何がブログネタになると思ったのか、思い出せなくなった。何かが4人同じだと思った事は覚えているのだが、何が同じだったんだっけ、と。
思い出せないなら、思い出せないという風にブログに書けばいいと考えた。チョコナッツ、記憶力の限界である、なんて書けばと。ところが、日記を簡単に書いてから寝ようと思って、時系列順に朝から書き始めたら、トイレに行って便座が冷たかったという話を書いたところで思い出したのだった。やはり、忘れてしまった事も、順を追って記憶を辿って行くと、けっこう思い出せるものだ。
先走ったが、そんなブログの話をして、電車に乗って帰った。ブログを書いたらグループLINEに載せるね、と言ってから、また自分にプレッシャーをかけてるな、とこっそり思ったのだった。
書く前は書けるような気がしないものだ。頭の中にたくさんの会話や物事がごちゃごちゃしていて、それをきちんとまとめて順番に書ける気がしない。だが、3日くらいかかってしまったものの、何とか書けた。もし、読んで楽しんでいただけたなら幸いである。ああそうそう、読者が増えそうと言う冒頭の言葉の意味が分かってもらえたのではないだろうか。
ずいぶん歩き回ったし、階段も上った。スマホは1万8999歩を示していた。おお、あと1歩で1万9千歩じゃん、と思ってスマホを持ったまま歩いたのに、全然反応せず。という事は、多分もっと歩いたな。
3日後に筋肉痛だったらどうしよう、と思ったが、翌日の腰回りの疲れと、翌日の夕方から翌々日にかけての足首回りの筋肉疲労があっただけで、大したことはなかった。が、Oさんは翌々日にまた別のボランティア活動をしていて、噂によれば2時間立ちっぱなしとかがあったようなボラ活だったみたいで、すごいなーと尊敬した。私は1日おきでもちょっときついな。できれば2週間に1回くらいにしたい。
とにかくお疲れ様。手話を忘れずに、出来ればボキャブラリーを増やし、次のボランティアに活かしたい。そんな野望を胸に、今回のレポは終わりとする。