アフィリエイト広告、アドセンス広告を利用しています。あなたの広告への反応が、チョコナッツの収益に影響します。

息子が腸閉塞で入院

2022年4月30日(土)

4月27日(水)の事。次男が学校で吐いたと連絡があり、学校へ迎えに行った。その日は朝から右膝が腫れていて、曲げる時に激痛が走る。膝小僧の上の辺りを突いただけで痛い。だが、学校からの連絡を受け、その膝小僧の上に小さな膏薬(肩こりなどに効く白いやつ)をペタッと貼り付け、出かけたのだった。幸い歩いてもそれほど膝は痛くなかった。

救急車に乗車

色々あって(前日のブログ参照→初めて救急車を呼んだ – たかんなお年頃 (takan.site))救急車に次男と共に乗り込んだ。

「吐きそう?」

救急隊員にそう聞かれ、頷く次男。救急隊員の方は、ビニール袋を広げて、寝ている次男の顔の横に置いた。その上で、

「マスクありますか?」

と私に聞く。次男が学校にしてきたマスクは、保健室のベッドの横に落ちていたので、それは拾っておいて、持参した個包装のマスクを一つ取り出して、次男の耳にゴムを掛けたものの・・・ビニール袋があって、吐くかもしれないというのに、マスクを完全にさせるのはどうなのか?結局、片耳にだけゴムを掛けて、何となく口を覆う感じにしておいた。

色々症状などを聞かれて、受け入れ先の病院を探してくれて、運良くすぐに見つかった。以前怪我で次男と救急車に乗車した時は、受け入れ先が見つかるまで、20分くらい停車していたものだ。今日は割とすぐだったと思う。

それにしても、座った時にシートベルトを締めてくださいと言われたものの、これがシートベルト?何人分よ?という感じの、ものすごくアバウトなベルトだった。お相撲さんでも出来るような腰だけのベルトというか。とりあえずしたけれど、後は踏ん張るしかない。背もたれもないので、姿勢をめいいっぱい正して座ると、安定する。

きっと外で先生が誘導してくれたのだろう。救急車が発車した。だが、道路に出た途端に異変が。確かに、がりっという音がしたとは思うが、

何か踏みました。やばい音しましたよね」

とか何とか。若い女性の隊員さんが運転していたようだが、他の二人の男性も下りて確認に入る。

タイヤがどうとか言っている。まさか、この救急車が走行不可能になって、他の救急車を呼んだりとか?ああ、次男はなんて運の悪いやつなんだ!と、私が嘆いていると、女性の隊員さんが入って来て、

「今、確認しています。お待たせしてすみません。安全が確認でき次第、出発しますからね」

と言った。とても優しい笑顔!いやあ、救急隊員さんて、本当に皆さん良い人だ。安心させてくれる。それにしても、救急車は一体何を踏んだんだ?

無事、安全が確認されたようで、数分の後、再び救急車が発車した。行き先は隣の区の病院。知らない名前だった。外の見えない救急車でどこかへ連れて行かれると、ここから帰れるのか?という不安がよぎる。今日は夜だしな。

サイレンを鳴らしながら、救急車は進む。このサイレン、車内にいるとそれほど大きな音に聞こえない。家の中にいて、家のすぐ前に救急車が来た時の方がよっぽど大きな音がする。車内にいると遠くで鳴っているような気がしてしまう。

そして、救急隊員の方から、また色々と質問があった。その中に、次男に対する質問もある。それも、

「保健の先生の名前は何ていうの?」

だったりする。次男は首を横に振る。

「え?分からない?そうか。じゃあ、男の先生は?担任の先生?」

「顧問の先生です」

と、私が言う。しかし、私には名前が分からない。次男が蚊の泣くような声で、顧問の先生の名前を言った。隊員さんは何か報告書のような物を作成しているようだ。

他にも、クラスにコロナの人はいるかとか、いると言ったらいつからかとか、もう目も開けられない次男に、コロナ関連の質問攻め。仕方ないけれど、可愛そう。

揺れる。幸い次男が吐く事はなかった。しかし、お腹が痛くて体をよじる事があり、固定されていて可愛そうだった。

私の方は、姿勢を正し、足の裏を踏ん張り、揺れに耐えた。

病院に到着

割とすぐに病院に到着した。ああ、喉が渇いた。

「病院だから、マスクしてね。ごめんね」

と、隊員さんが言ったので、片耳にだけ掛けていたマスクを、ちゃんと両耳に掛けてやった。そして、鼻のところをちょっとつまんできちんと装着させた。と、思ったのだが、ビニール袋が取り払われ、次男がまっすぐ前を向いたら、つまんで折ったところが片側に偏っていた。ああ、これだとおかしいし、まずいよな。どうしよう。やっぱり気になって、下りる前に折り目を真ん中に直した。

お母さんは先に下りてくださいと言われ、次男のリュックを背負い、靴を持ち、私のバッグを持ち、下りた。救急車に同乗するときは、なるべくスカートは辞めた方がいい。

次男のリュックは、やっぱり重たい。気を抜くと背中が反ってしまう。それを、頑張って少し前屈みにする。靴は、救急隊員の方が持って行った。次男に履かせたのだろう。次男がストレッチャーで先に病院に入り、しばらく暗いところで待っていたら、どうぞと言われて私も救急入り口から病院の中に入った。

パイプ椅子が壁に沿って二つ並べてあり、そこを勧められて座った。荷物を入れるカゴが置いてあって、最初は背負ったままパイプ椅子に座ったが、そのうちそのカゴの中にリュックを入れた。

以前怪我の時に救急搬送された際も、同じような所に来たが、以前はすごく有名な大学病院だったから、もう少し広くてきれいな廊下だった。今いる場所は、雑然とした感じの少し狭い、少し古い病院。

まず、スマホで今自分のいる場所を確認。帰れるかどうかの確認である。

うぉー、何だこれ。周りは全く目印の無い住宅街。最寄り駅が遠い。な、何?最寄り駅は次男の高校と同じではないか。そんな近い所に来たのか。だが、最寄り駅までは徒歩15分と出た。坂とかないといいけど。いや、ワンチャン夫が車で迎えに来てくれるとか、ないか?一応この場所送っとこう、というわけで、この間大阪旅行の時に覚えた、LINEで自分の現在地を送るってのをやってみた。

次男のいる処置室というか診察室?は、ちょこちょこ人が出入りする。そして、女医さんが出てきて、私にいくつか質問した。いつから腹痛があるのかとか、昨日生魚を食べたかとか、焼き肉を食べたかとか、そういう事を。1年前に胃腸炎になって、それからはちょくちょくストレスによって腹痛を起こしていた事なども話した。そして先生は、とりあえずの見立てを話してくれた。

「これから血液検査画像検査をします。あとPCR検査もさせていただきます。おそらく、腸閉塞虫垂炎か、胃腸炎かと言ったところですね」

そして、念願の・・・

「とりあえず今日は入院になるかなあ」

「そうですよね。このまま帰っても大変ですし。というか、帰るのが大変なので。私が運転出来ないし・・・あっ、車が今、車検で無いんだった」

今、思い出した。うちの車というよりも、夫の実家の車なのだが、運転するのは夫と長男だけである車。その車が、今週車検に出されていたのだ。普段は平日乗らないから、代車もないのだ。そうか、ペーパードライバーの私がたとえ運転して迎えに来ようとしたとしても、無理だったのか。そして、今から夫が迎えに来てくれるという淡い期待も消えた。なーんだ、そうか。

先生がとてもフレンドリーだったので、一緒に笑い合ってしまった。とにかく、入院出来るのはよかった。私一人なら、歩いてでもタクシーでも何でも帰れる。

次男が車いすに乗って検査室へ行ったので、私はトイレに行った。そして、自販機を見つけた。気づけばもう8時。夕飯はしばらく食べられそうもないし、水ではなく、スポーツドリンクを買おう。

自販機に近づくと、他にも食べ物の自販機など色々あった。最悪ここで何か買って夕飯でもいいなと思った。しかし、喉は渇いていたが食欲はなかった。スポーツドリンクを買って、また元の椅子に戻って飲んだ。喉が渇いていても、それほどごくごく飲めるわけでもなく、二口ほど飲んで終わりにした。

そうだった。次男のスマホを取り出し、モバイルバッテリーから充電した。そして、最後に念のため鞄に放り込んだ本が役に立った。本を読んで待つ。

もっと役に立ったものが、お薬手帳だった。救急車を呼ぶ際も、胃腸炎になったのが1年前だったか2年前だったか忘れたのだが、お薬手帳を見て1年前だと分かったし、今朝飲んで下痢を起こした薬が何か、それもお薬手帳のお陰で伝える事が出来たから。ひょっとしたら、その今朝の薬の副作用かも?と疑ったので、絶対に伝えなければならなかったのだ。伝えた上で、薬のせいではないと分かればそれで良い。

それにしても、本を読んでいてもLINEが入る。マネージャーさんから、帰れましたか?と連絡が入り、今病院にいて、恐らく入院ですと送った。

「入院期間が分かったら教えてください。重要なので」

と返って来た。そうだよな、試合とかあるだろうし。また、夫からも連絡が入り、今からこっちに来ると言う。来ても次男には会えないだろうし、私の事だけ迎えに来てもしょうがないのにと思ったが、いいと言っても来ると言う。確かに、荷物も持って帰るし、心強いか。何せ、ここから駅にたどり着けるか不安だし。

検査結果

町医者ではなく、大きい病院は検査結果がすぐに分かる所がいい。血液検査の結果ももう出たようだ。

私も処置室に呼ばれ、先生の机のパソコン画面を見るように言われた。

血液検査の結果の数値を見せられてもよく分からないが、この数値は腸に炎症を起こしているという事らしい。そして、画像を見せられた。

「腸が不自然に並んでるでしょ?平行に」

と言われても、どれが腸だが分かりません。

「こっちの方が分かりやすいか。これ、断面なんですけど、この黒いのが腸です。普通の人のはもっと細いの。腸がパンパンに膨らんでるんです」

なんと。お腹がパンパンに?

腸閉塞ですね。盲腸も腫れた後があるので、ひょっとすると虫垂炎もあるかもしれません。明日、消化器内科の先生に引き継ぐので、よく診てもらいましょう。とにかく、2~3日腸を休ませる必要があるので、入院になります」

次男もその画像などを見ていて、振り返ると笑顔が。ああ、久しぶりの笑顔

「よかった、少し元気になってる」

しかし先生、

「今は痛み止めが効いてるだけです」

そうか・・・。でも、入院出来る事になって良かった。私だけ処置室から出る事になって、

「まだ会えますよね?」

と聞いた私。本人にスマホとか色々渡しておく物があるから。すると先生、

「まだ会えますよ。病室に入ったら面会できないんですけど」

はう!私と次男は顔を見合わせた。さ、寂しい。そうだ、コロナのせいで、入院すると家族も面会できないのだ。毎日来て会えるものとばっかり・・・入院させて欲しいなんて思っていたのは、そう思っていたから。でも2~3日なら大丈夫。そのくらいなら、修学旅行とかで良くあるから。病気の次男にとっては、元気で留守なのと全然違うだろうが。

廊下に出て、病院に残しておく物と、持って帰る物とを分け始めた。体操着や部活の練習着、制服のブレザーとネクタイ、お弁当は持って帰ると。

出来れば勉強道具はリュックごと残してあげて、私は練習着入れとお弁当バッグともう一つ、空っぽのシューズ入れがあるから、そこに制服とかを入れて持って帰ればいいと思った。ああ、今日に限ってエコバッグを持って来なかった。夫に来てもらう事にして良かった。

そう思って、しかし、シューズ入れは汚いので、制服ではなく体操着の方を入れようと思って、入れ替えた。詰めていたら・・・あれ?紐が、紐が切れた?

巾着袋の紐が切れ、片方が中にもぐってしまった。ゴム通しなどの道具がないと、もう取れない。これでは、これに入れて持って帰る事が出来ない。あちゃー。やっぱり、リュックを持って帰る事にしないとダメだな。

というわけで、持って帰るものをリュックに入れ、置いていく物を巾着袋に入れ直し始めた。

その時、処置室から次男がオエッ、オエッとやってる音が聞こえた。そう、先生が

「ちょっと苦しいんだけど、鼻からチューブを入れて胃のを抜きます」

って言ってたんだった。それを今やっているのだろう。うわ、可愛そうに。

処置が終わったようで、次男が出てきた。あ、まだ詰め替えが終わっていない。次男は、

「お弁当と体操着を出して、リュックは置いていって」

と言う。ああ、さっきまで笑ってたのに、何だかげっそり。いや、げんなり?可愛そうに。

「ごめん、持って帰るためにリュックが必要なのだよ。この巾着に必要な物を入れて」

私はナイロン製の巾着袋にスマホや財布、教科書類、筆箱を入れた。

「後は?必要な物ある?」

リュックを見せ、ルーズリーフとか、iPad(全員に持たされているレンタルもの)とか、次男が必要だと言う物をあれこれ出したら、結局巾着袋には入り切らず。けれども、車いすの次男。膝の上にあふれかえった物を抱え、そのまま病室へ連れて行ってもらう事になった。やれやれ。

次男はパジャマに着替えさせられ、制服のズボンやワイシャツは返された。

「ワイシャツ、汚れてしまいました。すみません!」

と、ビニール袋に入ったワイシャツを渡された。

「とんでもないです」

と言った。吐いた物が付いたのかと思っていたが、後でよく見たら、血液だった。それが、点々とかではなく、かなり広範囲に薄く付いていた。採血した後に血がしみ出てきて、そのまま袖を下ろしてしまったのかな。

入院準備

エレベーターに私も一緒に乗って、3階まで行った。次男は病室へ連れて行かれ、私はエレベーター前で待つように言われた。リュックを背負って座った。これ、やっぱりちょっと重たいわ。

夫から、あと5分で着くとLINEが入った。もうすぐ終わるから入り口付近で待っていてと言っておいた。

看護師さんが現れて、色々と質問された。その質問のほとんどが、コロナ関連。しつこいと思ってしまうくらい。学校にコロナの人は出ているかとか、最近友達と外食したかとか、家族とは外食したかとか。

そして、次男は3日間は隔離の為に個室で、その後大部屋に移ってもらうという事だった。え?3日以上いるの?と思ったが、まだ分からないのだから何とも。そして、その間は看護師さんも防護服などで対応するという事だった。

また、下着などの着替えやマスクを、明日持って来てくださいと言われた。会えないのに来るのか。そうそう、3階に来る前に、レンタル品を選んで名前を書いてきたのだが、パジャマだけなら250円、パジャマにタオルや歯磨きセット、シャンプーなど諸々セットだと500円と書いてあって、500円の方を選んだのだ。2500円と5000円だったら2500円にするけど、500円だもんなー、安いなーと思ったのだが・・・後でよくよく控えを見たら、1日辺り500円だったのだが。

それにしても、この看護師さん可愛いな。良かったな、次男よ。

もう帰って良い事になった。夫が待っているので急いで外に出る。そして、電話をしたらこっちに来てくれた。暗くて分からなかったが、見える所にいたようだ。そして、私は受付に戻って入院の手続きをし、トイレに行ってから病院を出た。外は蒸し暑く、やっぱり服装1枚多いなと思った。

全く特徴を覚えられない住宅街をくねくねと曲がり、駅へ行った。夫が地図を見ながら誘導してくれたので楽だった。明日は一人で来られるかしら。

マネージャーさんには、腸閉塞だという事を報告し、ご迷惑をおかけしたお詫びと、皆さんによろしくお伝えくださいとLINEした。マネージャーさんは、顧問の先生にも伝えておくと言ってくれた。良かった良かった。今は良い時代だ(電話しなくて済むので)。

不謹慎だが

9時半頃に終わって、15分ほど歩いて電車に乗った。

「何食べる?」

と、夫が言う。そうか。夕飯か。長男には夕飯作れない旨の連絡は済んでいる。家に帰って適当に食べようと思っていたが、夫がせっかく来てくれて、リュックも背負ってくれているしな。一緒に食べてあげよう。

もしかして、乗り換えの駅の辺りで食べるのかな?と思った。おしゃれな街で?

「どこで食べる?」

と聞いたら、あっさり家の最寄り駅近辺でしょうと言われる。確かに。その方が安心だ。

あまり食欲を感じなかったものの、いつもは7時に食べているのにもう10時。空いていないわけはない。最寄り駅の辺りを想像し、何となく洋食屋をあれこれ脳内物色していたのだが、夫が口に出すのはラーメン屋牛丼屋。そういえば、長男と二人の時は必ずラーメン屋で、次男と二人の時は必ず牛丼屋になるんだっけ。この人の息子だからな。

「今、がつがつ食べるとお腹痛くなりそうだから、ラーメンがいいかな」

と私が言い、昔よく一緒に行ったラーメン屋に決めた。

最寄り駅に着き、ラーメン屋に入ると、お客は二人しかいない。平日の夜だからそりゃそうか。ここ、休日の夕飯時には子連れのお客も必ずいるのだ。

夫は生ビールを頼もうと言い、一瞬固まった私に、気付け薬に、だったか疲れたでしょう、だったか忘れたが、何か言って私の気を飲む方へ向けた。まあ、せっかく来てくれたし、という先ほどと同じ事を考える。そして、ビールと餃子を頼む。

乾杯して、餃子を食べようとしたら、顎がカクっと鳴る。危ない危ない。

「しばらく食べてなかったから。あ、10時間ぶりだ」

「でもさ、夜中はそのくらい食べてないんだから」

「そっか。そうだよね。大した事ないね」

などと言いながら、食べた。美味しい。次男よ、何も食べられなくて可愛そうに。でも、お母さんはビールを飲み、餃子を食べ、その後ラーメンも食べるぞよ。

そして明日、私はとんでもないミスをする事になり、明後日には体がボロボロになるのだが、この時にはそんな事はつゆ知らず、美味しくいただいたのだった。

初めて捨てるお弁当

最後に。家に帰ってお弁当箱を開けると、ほとんど手をつけていない食べ物たちが入っていた。何だかとてもまずそう。匂いはまだ大丈夫だったけれど。生ゴミ入れに入れながら、我が子がお弁当を残してくるのはこれが初めてだな、と感慨に耽る。言葉おかしいかな。胸にくるものがあるというか。

長男の幼稚園から始まって、次男の幼稚園、小中学校時代は部活の時くらいだったが、長男の高校3年間、そして次男の高校2年間。次男は、作ったけれども学校に行かなかった事が何度もあるが、その時は家で食べたり、本人が食べられない時は私と長男で分けて食べたりした。こうやって、捨てるのは初めてなのだ。

まあ、食べるの忘れてた!っていう、一口ご飯が残っていたりする事は、実は二人とも何度かあったのだけれど。落としたのかと思ったよね、その時は。