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自宅に救急車を呼んだ話2

2025年5月21日(水)

昨日(自宅に救急車を呼んだ話 – たかんなお年頃)の続きである。

二十歳の次男は腸閉塞を起こし、救急車を呼んで病院へ搬送された。検査をし、胃管の処置をしてもらい、そのまま入院となった。付き添っていた私は夕方帰宅。入院に必要な荷物を用意して翌日を迎えた。

3年前にも腸閉塞で入院をした次男。あの時も救急搬送された翌日、私が入院に必要な荷物を持って病院へと向かったのだが、何と肝心の荷物を家に置いてきてしまい、家に取りに帰ったのだった。あの時は電車と徒歩でけっこう時間のかかる病院だったのに。

ということで、今回は絶対に忘れないぞと念には念を入れ、辺りをチェック。普通忘れないでしょ、と思うだろう。だが、黒いリュックに入院の荷物を入れ、赤いバッグに自分の財布などを入れて置いておいたら、出かける時にさっと赤いバッグだけ持って出かけてしまったのだ。まあ、おっちょこちょいなチョコナッツならではの間違いではある。普通は途中で気づくよね。病院に着いてから気づいたというのが、他の人には信じられない事で。自分でも信じられないから。

入院2日目 金曜日

4月25日金曜日。次男とはLINEで連絡が取れるのだが、どうも反応が鈍い。何か必要な物はあるか、などと送っても、しばらく既読にならない。寝ているのだろうか。

面会時間は13時から19時だという。なるべく30分くらいで済ませるようにと、病院のパンフレットに書き添えてあった。面会が未だ制限されている病院もあると聞く中、これだけ面会可能な時間が長いのは寛大だと思う。

ということで、私は午前中、元々予定していた整形外科へと出かけた。予約していないので待ち時間が長いが、その間に新聞やSNSに目を通していれば問題ない。

整形外科では左手の親指の腱鞘炎を診てもらっている。万博のボランティアをする前に注射をしたいと言っていたのだが、良くなってきたので万博前に行かなかった。

万博の話を出したから、一応お土産にミャクミャクのアクスタを買っておいたのだが、先生の方から万博の話が出なかったので、出しそびれた。まあ患者がたくさん押し寄せる病院だから、いちいち覚えていないのだろう。それならそれで、出さない事にしよう

11時半頃に整形外科から帰ってきて、掃除などをし、お昼を済ませた。次男からは「紙と筆箱」という返事が返ってきたので、ノートパソコンが入っていたリュックの中を探って、ルーズリーフと筆箱を取り出した。

昨日用意した、東京2020ボランティアのユニフォームをもらった時に入れてくれたでかい袋に、筆箱なども加えた。パソコンは、私が大阪に持って行った時に入れたトートバッグに入れた。別々に持たないと重すぎるから。

さあ出かけようと、肩に掛けたら重い。重すぎる。昨日持てるかどうか確認した時にはさほど重くなかったのに。水筒と筆箱が増えたからだろうか。

家を出て歩いていると、また左膝が痛くなった。かなりやばい。そうか、体重が増えたら私の膝はもたないのだな。

バス停では本を読んだ。あの小説、本当にヤバいな。先が読めなくてドキドキする。曇っていたのに日が出てきて、首の後ろがヒリヒリした。

バスに乗り、あと15分ほどで行くと次男にLINEした。病院に着き、名前を書いて名札のようなものをもらい、次男の病室へ向かった。一応昨日病室番号の写真を撮っておいたが、一番端っこなので忘れない。階数さえ忘れなければね。

病室は4人部屋だ。ノックをするものではないらしい。そうっと開けて入り、次男のベッドへと向かう。次男のベッドは一番奥の窓際で、カーテンが閉まっている。他のベッドにもカーテンは閉まっていた。夕べは2つほど空いている感じだったが、今日は満室だ。

次男の名前を呼んで、カーテンを少し開けると次男は寝ていた。私に気づいて目を開けた。そう、今朝LINEで、

「管は取れた?」

と聞いたら、まだだと返事があった。3年前は一晩で管を入れる処置は終わったのに。

次男はやはりしゃべれず、ジェスチャーで話す。それで、

「トイレに行きたい」

と言う。なんで今?と思ったら、トイレに行くにはナースコールをしなければならないのだが、声が出せないから困るのだと。それで、ナースコールのボタンを次男が押し、スピーカーから看護師さんの、

「どうしました?」

という声が聞こえたので、

「お手洗いに行きたいそうです」

と私が答えると、次男が満足げに頷いた。

先ほどの声は女性だったが、病室に入って来たのは男性の看護師さんだった。

「ゆっくりね、ゆっくりでいいよ」

と、すごく優しく労わってくれる看護師さん。胃管の管は緑色の液体が入った袋に繋がっており、それとは別に腕には点滴がされていて、点滴のスタンドに緑色の袋も下げて、ゆっくりと部屋を出て行った。

取り残される私。ベッドの脇に椅子が1つあり、とりあえずその下に大きなバッグを入れた。パソコンは椅子の横の棚の上に。そして椅子に腰かける。

少しして、次男が戻ってきた。またゆっくり、ゆっくりと言われながらベッドに横になった。次男はすっかり弱っている。髪はベタベタな感じで、相変わらずひげ茫々の顔もなんだかべたついている。毎日お見舞いに来るつもりではなかったのだが、

「明日も来て欲しい?」

と聞くと、力なく頷く次男。こりゃ、明日も来た方がいいな。可哀そうだ。スマホスタンドや充電コードも持ってきたが、コンセントが遠くて、やっぱり延長コードが必要だと思った。明日はそれを持って来よう。

すると、先生がやってきた。看護士さんから私が来た事を知らされたのかもしれない。

「どうですか?お通じはあった?ガスは?」

などと言って次男のお腹を押したりする先生。次男は、先ほどまでは全然声が出せずにいたのに、先生には声を出して答えていたのが面白い。本当は声が出せるのだ。

「ガスは出ました」

と次男。

「もしこれでダメなら、もっとぶっとい管で圧を抜くしかないですね。イレウス管って言うんですけど」

と、先生は言う。もっと太い管と聞いて顔をしかめる次男。次男は表情がすごく分かりやすいので、先生もその顔を見てちょっと笑い、

「嫌だ?太いの嫌?でも出ないんじゃ」

と言うと、次男は、

「ガスは出ました」

と言う。それで、とりあえずこのまま様子を見ましょうと言って先生は去った。

ちょっと待て。イレウス管が何だって?3年前、最初にやった処置がイレウス管ではなかったか?だから一晩で終わったのではないか?この胃管だけでは何日もかかってしまうのかもしれない。次男よ、辛いのを長く続けるか、もっと辛いのを短く済ませるか、2つに1つだぞ。

とはいえ、今でも充分辛いし、3年前のがもっと太かったとは思えないらしい。私の勘違いかなぁ。

まだこんな調子では、持ってきた物の説明をするのもアレなので、とりあえずまた明日も来ると言って帰る事にした。ちょうど30分だった。帰ると言ったら子犬のような目をする次男。

「また明日も来るから」

と言うしかない。だが、翌日は仕事が入っていて、来るのは夕方になると言っておいた。仕事というか、これもボランティアのような物かな。

入院3日目 土曜日

朝8時半に家を出て、イベントのお手伝いをしてきた。義理の妹から頼まれた案件だった。私が今日も次男のお見舞いに行くと言ったら、一緒に活動するスタッフさんたちに、私が早めに帰れるように口添えしてくれた。

若い女性とペアで仕事をしていたのだが、立ち仕事が多く、腰が痛くなってきたので隙を見ては座らせてもらった。お昼休みもほとんど取れず、10分くらいで持って行った菓子パンをかっ込んだ。菓子パンをかっ込むっておかしいか。かっ込むのは丼ものだよな。ギリ麺類も言えるか?

イベントはまだ続いていたが、私の役割が終わったところで帰らせてもらった。舞台の誘導をしていたので、最後の演目に出る人たちを舞台袖に連れて行ったところで仕事は終わりなのだ。

行きは義理の妹と一緒にタクシーだったが、帰りは歩いた。途中100円ショップに寄ったが、案外近かった。それでも30分は歩いた。

家に帰ってくると、長男が旅行の準備をしていた。明日から2泊3日で北海道へ旅行に行くのだ。北海道ではレンタカーを借りて自然の中を走るのだとか。初っ端100㎞走ると言うが、ペーパードライバーなのに大丈夫か。まあ、都内を走るよりも楽かな?

私が病院へ行く準備をしていると、義母がやってきて「疲れたでしょう」と言って豚汁を持ってきてくれた。だが、今夜の夕飯は長男にカレーを作ってもらう約束を既に取り付けてあった。長男が、豚汁は明日でいいんじゃない?と言った。確かに、タッパーに入っているからそのまま冷蔵庫に入れようか。

しかし時代が違うな。義母は今日の私の仕事の事をよく知っていて、だから夕飯を作るのが大変だろうとお手伝いしてくれたのだろう。しかし、普通疲れていたら外食かデリバリーだろう。こんな風に、

「味を足してね」

と言ってタッパーに入った汁物をもらっても、結局何か料理をしなければならない。料理というより洗い物の方が気が重いよ。味を足すなら鍋に移して加熱しないといけないし。そのままお椀によそってレンチンならまだしも。結局それは豚汁でもけんちん汁でもなく、肉も豆腐もなくてチクワの入った根菜汁だったのだが。

16時半頃家を出て、バスで病院へ行った。バスに乗る時に「あと20分くらいで行く」と次男にLINEしたら、すぐに「わーい」と返って来た。おや、昨日よりも元気そうだ。そして「延長コードある?」とも送られてきた。大丈夫だ、今それを持って向かっているぞよ。

病室へ行くと2人退院していた。次男のベッドの所へ行くと、なんとまだ管が鼻から通ったままだった。しかし、声は普通に出していた。

「だいぶ慣れた」

と言う次男。今日は先生が来ないそうだ。本当はもう抜いてもいいと思うんだけどね、と言う。管に繋がった袋には、今日はほとんど液体が入っていなかった。昨日は緑色の液体が入っていたのに。次男が言うには、液体がないという事は、腸が動いているという事なのだそう。もし腸が動かず、胃液などが下りて行かない場合には、管から吸い上げるのだとか。

え!?ということは、緑色の物は次男の体の中から出たものって事?

驚き。何故緑色なのか。薬品と結合させて緑色にしているのだろうか。とにかく、今その液体が無いという事は、腸が動いていて良い調子なのだそう。

かなり元気そうな次男。

本を読むなら今だよね」

と言う。確かに。いや、いつでも親が読ませたい本というのがあって、3年前の入院時には持って行ったものの、受験生だったし、読む余裕がなかったようだ。今回は辛そうだし、どうせ読めないと思って持ってきていなかったのだが。

そう言われては、持ってくるしかない。やはり明日も来て、本を何冊か持って来よう。明日はちょっと遠出する日なのだが……。

ところで、同じ病室にいた患者さんの所に、先生や看護師さんがやってきた。こちらもカーテンを閉めているし、あちらも閉めているだろうから姿は見えないのだが、声はすぐ隣にいるみたいに聞こえる。私たちの会話も丸聞こえなのね。

すると先生の声で、

「痛いですよね」

などと聞こえてくる。

「痛いです」

「すみません、いきなり来てこんな」

「いやー、痛いですね」

なんか、お腹のどこかから何かを絞り出した模様。痛いのかぁ。お気の毒に。

こちらは、やっと次男に荷物の説明が出来た。タオルがこれとこれで、パンツがコレ、パジャマがコレ、などなど。

それから、今回の腸閉塞は「小腸の癒着」が原因だったそうだ。何故癒着が起きた?その原因を調べてくれるのか?

また30分いて帰って来た。そう、病院にいる間に土砂降り雨が降った。病院に着く直前にポツポツ来て、走って病院に入ったが、その後すごい雨で、止んでから帰って来たのだった。

入院4日目 日曜日

朝起きて、気が付いたら長男が北海道へ出発していた。いつもちゃんと出かけられたか心配して、荷物を運び出す時などに必ず目を覚ますのに、今回は全く気付かなかった。色々あって心配している場合ではなかったようだ。まあ、私が心配したところで何もできないのだから、これでいいのだが。

今日は午後から埼玉の方で歌う会があり、一瞬行くのを躊躇ったものの、やはり行く事にした。高校時代の部活のOG会のようなものだ。久しぶりに歌う歌などを一度さらっておきたかったが、なかなか時間が取れずモヤモヤしていて、夕べちょっとだけ時間が取れて、ピアノで自分のパートを弾きながら復讐できたのだった。

次男からは午前中にLINEがあり、管が抜けた、水分制限がなくなった、というお知らせが来た。数日で退院できそうだと。そして、今夜からご飯ありになるとも。食べられない日が続くと、大食いの動画を観続けてしまうらしい。何でも食べたい欲がすごくなるらしい。やっと食べられるのだね。

電車に揺られて小一時間。歌う会に行ってきた。歌よりも創部80周年記念演奏会をやろうという話が長く、今日は歌う会というよりも演奏会の練習「第一回目」だった。私はこの演奏会に出る事になるらしい。

終了時間の16時半になったので、まだ完全に終わりではなかったものの、会場を後にした。本当は、高校時代の先輩や同輩とおしゃべりしたい所だが、病院の面会時間に間に合わないと困るのだ。

一度家に帰っていては間に合わないので、直接行く事にしていた。久しぶりにバス検索のアプリを使った。最寄り駅ではない駅で電車を降りて、そこからバスに乗るといいらしい。

直接行くので、次男の為に持って行く本も持ち歩いていた。楽譜の冊子も持っているのに、重い。だがこれが親の執念じゃ。本を読ませたい。

1回乗り換えればいいと思って座っていたが、次の駅を過ぎると別料金になって電車賃がバカ高くなる事に気づいた。危なかった。結局2回乗り換えた。それで300円くらい節約したぞ。

駅に着いてバスを待ち、18時頃にバスに乗った。バスのアプリでは次のバス停で降りるみたいな感じだったのに、実際にはもっとバス停があって驚いた。だが、知っている道と知っている道の間の知らない道は、案外短かったと知った。ここ曲がったらすぐそこだったんだ!という驚きがあった。

だいぶ暗くなってきた。次男の部屋へ入ると、食事中だった。18時から食事なのだろう。廊下でも配膳をしている様子が伺えた。

入院して初めての食事。見ると全てが流動食!うわ、お粥は分かるけど、これ何?と思って次男に聞いたら、ポテトサラダだと言っていた。薄いオレンジ色をした液体だった。

それでも美味しいと言って嬉しそうに食べていた。1つだけ固形物があったが、胡麻豆腐かと思ったらそうではなく果物の味だったようだ。けれど、味噌だれが付いていて、それはお粥にかけるのか、否か。

本を持って行ったが、元気になってきて大学の課題をやっているとかで、あまり読んでくれなさそう。たくさん持ってきたのは選択肢を増やす為だよ、と言ったのだが、どうやら読んでいる途中の本しか読む気が無さそう。小説には手を出さない模様。せっかく重たい物を持ち歩いたのに。

外がすっかり暗くなると、窓から東京タワーが見えた。カーテンを閉め切っていると狭い感じだが、窓際だと視界が開けていて開放感がある。窓際だったのはラッキーだったと小声で言い合った。窓際ではない患者さんに聞こえると悪いから(聞こえたかもしれん)。

次男が「展望デッキに行ってみようか」と言った。ここより高い所へ上がったら、良い景色が見えそうだ。ここも5階でけっこう高いのだが。

しかし、入院の手引書を見たら時間外だった。17時半までと書いてあった。つまり明るい時にしか出られないのだろう。窓際じゃなかったら、時々そういう所へ出ないと息が詰まるものね。

面会時間終了の19時になって、慌てて出てきた。今日は食事を見守っていたのもあって45分くらい滞在してしまった。もう元気なのだから、お見舞いは要らないかと思いきや、聞けばやっぱり来て欲しいそうで。明日も行くしかない。

バス停へ向かったら、目の前でバスを逃してしまった。バスに乗る人がいたら間に合ったのに、誰も待っていなかったらしい。10分くらい待っていたら、小学生の子供とお父さんたちがたくさんやってきた。子供がガードレールの上に腰かけて危ない。お父さんかコーチか分からないが、注意しているのに子供は言う事を聞かないのだった。バス停は暗くて本は読めないし、ああ、あと1分早く出てくれば。

長男はいないし、あのチクワ汁と酒で夕飯を済ませる。流動食の次男とあまり変わらんな。

入院5日目 月曜日

午後、また病院へ行こうとバスに乗り込んだら、Suicaが残高不足と出た。え、うそだー。昨日電車を降りる時、残高を見たら1700円以上あったのに。まだその後2回バスに乗っただけなのに。

とはいえ、残高不足と言われたので仕方ない。お財布から1万円札を出して機械に入れたら、1万円札は出てきた。どうやら千円札しか入らないらしい。それならと、1万円札を引っ込め、5千円札を運転手さんに渡して両替してもらった。やれやれ、時間がかかって結局千円しかチャージできない。昨日駅でチャージしてくればよかった。1700円と見えたのは、恐らく700円の見間違えだろうな。ん?それでも変だな。行きの分くらいはありそうなのに。まあいいか。

次男の病室へ行くと、パソコン作業中だった。今授業中だったようだが、それでも大丈夫だと言う。課題を出せばいいのだとか。今は課題もインターネットで送るし、授業もオンラインで受けられる。何とかなるもんだね、と次男が言っていた。

同室者は変わっていた。昨日いた人は退院して、別の人が入っていた。今日手術をするようだ。話だけは聞こえてしまうので。

次男はこれからシャワーだと言っていた。予約したそうだ。という事は、まだ洗濯物が出ていないわけだ。持ち帰れる物がない。明日は洗濯物を持って帰った方がいいのだろう。

お腹が空いてしまうというので、を2つばかり置いてきた。それから、自販機で170円する飲み物を買ってあげた。まあ、そのくらいはね。辛い思いをしているのだし。

また30分程いて帰って来た。後になってLINEで、マウスが必要だと言って来た。課題の為に必要だそうだ。それとヘアオイルとかタオルとか、ビニール袋も持って来てほしいと。ハイハイ、明日も行くよ。

先生から、大腸カメラをやるかと聞かれたそうだ。クローン病かどうかを調べるらしい。次男が、どう思う?と聞いてきた。

検査は辛いかもしれないけど、やった方がいいんじゃないかと答えたら、辛いのは構わないけど、検査しても分からんってなったら逆に怖いし、ストレスで片づけられた方が楽だなどと言う。

分からない方がいいという事があるだろうか。クローン病というのは難病指定されている病気で、患者はとても少ないそうだ。でも、そうでないと分かればそれでいいし、クローン病だと分かれば対処法もあるだろうし。

どう説得しようかと思って、ちょっと考えて意見を送ったら、

「検査する事にした 5月1日に検査して退院だって」

と返って来た。まあ、重大な病気だと知るのが怖くて、ちょっとビビってみただけなんだね。

退院は予想より1日遅かった。今夜から硬いご飯になるらしい。3年前に入院した際は、いきなり最初の食事からお粥以外は普通の硬さで、次の日に退院になったものだが、その後食べるとお腹が痛くなったりしていたっけ。今回の病院は、ゆっくり様子を見てくれていい。

それにしても、退院日が何もない日で良かった。

入院6日目 火曜日

今日は昭和の日で祝日だった。良い天気だし(朝は曇っていたが午後晴れた)子供たちが帰って来る前にと、掛布団を干したり寝具を洗ったりした。

かなり疲れが溜まっている気がする。しかし今日は、会社員時代に親しくしていた人たちと飲み会の予定があった。2時間飲み放題、お昼の時間帯である。

スペイン料理のお店だとかで、一応ハイヒールを履いて行った。大してかかとの高くない靴だが。

15時まで飲み会をして、帰って来た。2次会に行った人もいたが、私は帰って来た。あまり飲んでいないつもりでも、けっこう酔っぱらっていた。まずこの酔いを醒ましてから病院に行かなければならない。

17時に長男が北海道から帰って来た。私は入れ違いに家を出た。マウスやタオルなどを持って。

次男はすっかり元気だった。行くとまた夕飯時だった。私は家を出てすぐ、ハイヒールで来た事を後悔していた。足の裏がすごく痛くなってしまった。

次男のベッドの上にあったテーブルが、ベッド脇の椅子の所に移動されていた。看護師さんが次男の夕食を運んできてテーブルに置いてくれたので、次男が椅子に、私がベッドに腰かける事にした。

もう足が痛くて、靴を脱いでストッキングの足をベッドの鉄の足に付けた。冷たくて気持ちいい。

「そこ、あんまり綺麗じゃないよ」

と言われたが、知っている。だから足を乗せたのだ。綺麗な所には乗せられない。

また窓の外の夜景がきれいで、次男と2人、スマホで写真を撮ったりした。月も出ていて綺麗。お見舞いの光景とは思えないほど、2人で楽しそうにはしゃいでしまった。

看護師さんが来て、書類ありますか、先生に2枚とも渡しました、みたいな話を次男としていた。

何枚も同意書にサインをしたらしい。未成年だったら呼び出されていたところだ。成人してくれて楽だ。しかしこの病院、確認しておきますね、とか、伝えておきますね、と言われても伝わってないし、確認した事を教えてくれないそうだ。綺麗だし、じっくり治してくれる良い病院だなーと思っていたが、それはどうなのかなぁ。

明日は病院に行かない事にして、洗濯物を持って帰って来た。帰る時、隣のベッドの男性がトイレから出てきた所に鉢合わせた。点滴のスタンドを携え、痛そうにお腹を押さえて歩いていた。お気の毒に。隣ではしゃいでごめんよ。っていうか、部屋の中にトイレがあったのか!

明後日はいよいよ退院だ。長男がゴールデンウイークはほとんど休みだそうで、退院の日は長男に車を出してもらう事になった。

入院7日目 水曜日

この日、私は大学病院の眼科へ行った。この話は別ブログで書こうと思う。まあ、大変だったのだ。この日に次男の退院でなくてよかった。

退院

5月1日木曜日。入院してから1週間だ。やっぱり1週間の入院になったか。

長男に車を出してもらう事にしたのは、次男が検査で全身麻酔をすると聞いたからだ。長男が小学3年生の時、ヘルニアの手術をしたのだが、全身麻酔をしたらその日はずっと気分が悪く、二日酔いのような状態になっていたので、そんな状態では歩いて帰れないと思ったからだ。

後から聞けば、麻酔ではなく睡眠導入剤のようだった。切るわけではないからね。

それにしても、今回も車が車検に出されている時期だった。次男が入院した3年前も車が車検に出されていて、退院までには戻ってきたから夫が迎えに行けた。

今回も車がないかと思ったが、昨日駐車場を見に行ったら戻って来ていてホッとしたのだった。

次男から、退院は14時と連絡を受けていた。13時半過ぎに長男の運転する車で病院へと出発した。

長男はついこの間、北海道で散々運転してきたのだから、運転に慣れているのだろうと思ったが、助手席に乗っていると、ちょっと右に寄り過ぎだし、曲がる時に大回りし過ぎではないかと。この車が大きいからという事みたいだ。この車は義母の会社の車で、たまにしか使わないけど使う時には大きい方がいいという。運転も駐車も慣れていないと大変らしい。

そのくせ長男、加速するのだけは一丁前に出来るようになって、不慣れな感じなのにぐうんと加速されると怖かった。しかも、都内は車線が多いから、車線変更が必要になる。

ナビに従って運転していて、次が右折だと言われて頑張って右側の車線に行ったのに、近くなったら立体交差左の車線に寄らなければならないと分かり、またもや必死に車線変更。でも、どうもトラックがゆっくりしていて、意外とスムーズにできた。もう初心者マークは付けていないが、不慣れなのはすぐ分かるのかな。

後日、知り合いが「GWは日曜ドライバーが多いから、いつも以上に慎重に運転しないと」とSNSで呟いていて、もしかしたらトラックがゆっくりしているように見えたのは、そういう事なのかなと思ったり。5月1日は平日だが、GW中ではあるよね。うちの長男のように会社が休みという人がいるわけで。因みに、今日はメーデーだから休みだと言っていたが、翌日も結局お休みだった。なんだ、今週は1回テレワークしただけじゃないか。

さて、病院に着いた。病院には立体駐車場があった。けっこう車はたくさん停まっている。まだ面会時間は始まったばかりだし、これらは入院中の人が運転してきた車なのかもしれない。

1階は空いてなくて2階へ。2階は少し空いていたが、後ろから車が1台ついてきていて、そちらさんに譲ろうという事で、長男は停めずに更に3階へとグルグル上る。しかし、後ろの車は停めずについてくる

3階にはけっこう空きがあった。もうこんなに空いているのだし、後ろの車には何か考えがあるのだろうと言って、長男は駐車を開始した。後ろの車には待っていてもらう事になるが。だが、狭くて切り返せないと判断し、屋上へと上るスロープの前のスペースに変更。そこなら前へ出られるから。

ところが1度では停められず、切り返そうとした。前へ出ようとしたら、後ろの運転手が、

「あー、ダメダメ!」

と大声を出した。窓から顔を出して言ったのだろう。そう言われてびっくりした長男は、駐車を辞めて屋上へと移動した。すると屋上には1台も車が停まっていなかった。なるほど、大きい車はここに停めろという事か。そして、後ろの車はここまで来たかったのか。

長男が端っこに停めようとして、何度も切り返していたら、後ろの車は1つ空けた場所に停めた。こんなに広いんだからもっと遠くに停めろよ、と思ったが。うちの長男が何度もやり直している内にその運転手は先に去って行った。お礼を言うのも違う気がするし、こっちが後になって良かったよ。後ほど、止まるつもりだったからぶつかる分けじゃなかった、と長男が言っていたし。

4階まで来てしまったので、また車を取りに来るのが面倒だからここにいる、と長男が言って、私だけが病院に入る事にした。連絡をしたら入り口に車を回してもらう事にして。

エレベーターがあったので楽だったのだが、考えてみたら駐車券を処理しないと出られないのだった。駐車券を取りに戻って、受け取ってからまたエレベーターで下ったが、それなら長男が来た方が良かったのだ。しかしそれは後で気づく。

次男の病室へ行くと、次男は荷物をまとめていた。看護師さんが来て、1階の会計窓口へ行ってと言われた。次男はフラフラすると言うので、荷物は私が肩に担ぎ、エレベーターで1階へと降りた。

次男には荷物と共に椅子に座っていてもらい、支払い窓口へ行った。支払い金額はなんと15万円!いやはや、まあ検査したり色々な処置して、その上入院7日だものね。もちろんクレジットカードで払った。

それで終わりかと思ったが、初日に渡された入院申込書をまだ出していなくて、それはまた別の窓口で提出してくれと言われた。番号札を取って待つようにと言われたが、どうも今窓口にいる老夫婦は時間がかかっている模様。入院の手続きをしているようで、分からない事を聞いたり、どっちにするかと聞かれて迷ったりしている。

ふと時間を見ると14:20だった。駐車券を処理する機械には、患者は30分無料と書いてあったのだ。先ほどちらりと見ておいた。という事は、あと10分で料金が発生してしまう。

次男を呼んで、入院手続きの窓口近くに座らせた。番号札を渡しておき、呼ばれたら書類を出すようにと伝える。もう大人なので、このくらいはできるはず。私は駐車券を機械へ。

駐車券を入れてから診察券を入れると書いてあったが、駐車券を入れたら。

「料金は0円です」

と言ってきて、駐車券が出てきた。診察券を入れる間はなかった。まあいいか。

そうだよ、この駐車券がなければ車を出せないじゃないか、とここで気づく。私は何故か荷物を抱えたまま駐車場の4階へ。車の中に荷物を入れ、駐車券を長男に渡し、連絡をしたら車を回すようにともう一度言って、病院内に戻った。

なんか、私ばっかり動き回っているんだけど。病院内に入ると、次男がいない。どこへ行ったのかと思ってLINEして、やっと会えた。例の書類は出せたらしい。長男に連絡をして車を回してもらった。

無事に家に帰れた。15時だった。朝も昼も何も食べていない次男は、

「うどんが食べたい!」

と言った。3年前も帰りにうどんが食べたいと言っていたのだが、夫の作るスパゲティになってしまい、そのにやられてお腹が痛くなってしまって悲しくなった経験が、次男にはあった。今日はうどんを食べさせてあげよう。

今回はちゃんと段階を踏んでから退院したので、食べても大丈夫だった。そして、菓子パンが食べたくなったと言って買いに出かけ、パンやアイス、カップのティラミスかな、色々買って来た。今はアイスを食べると言っていたが、気が付いたらティラミスも冷蔵庫から消えていた。

遅くに食べたから、19時頃の夕飯は食べられないのかと思ったら、量は少な目にしたけれども、ご飯もおかずもちゃんと食べた。驚きの食欲だった。

そういえば、検査前には下剤を飲んで腸の中を空っぽにしたらしい。睡眠導入剤で眠らない人もいるらしいが、次男はよく眠れたそうで、検査時間は体感1分だったと言っていた。本当は1時間だったのだが。

まとめ

以上、入院2日目から退院までのレポであった。入院中は毎日朝7時には起きていたみたいで、家に帰ってきてからも毎日割と早起きになった。大学が始まっても、自分で起きるか、起こしたとしても2回目くらいですぐに起きあがるようになった。

そう、毎日違う時間に寝たり起きたりするより、同じ時間にした方が体に染みついて楽なのだ。それでも若い頃は、つい翌日が休みだと夜更かししたくなるし、休日の朝はゆっくり寝ていたいと思うもの。でも、それで体調を崩すのなら、改めた方がいいのだが。

この間、二度寝してしまった次男が、

「未だに鼻に管が通ってない幸せを噛み締めてるんだぁ」

と、幸せそうに言っていた。目が覚めた瞬間、「ああ、管がない」と思って嬉しくなって、また健やかな眠りにいざなわれたのであろう。可哀そうなんだか、幸せ者なんだか。

4週間後くらいに検査の結果が出るそうだ。まだ小腸が癒着した原因は分からないが、とりあえず腸閉塞は治り、食べられるようになって、大学にも通えるようになった。退院してすぐにバンドのライブがあったが、出演回数を減らして参加できた。とりあえず一見落着である。

もし、検査の結果がまたすごいもので、病気との戦いが始まるのだとしたら、それはまたブログ案件という事で。でも、生活の乱れやストレス、お母さんがいなかったから寂しくて、という理由で腸閉塞になったのだとしたら、今回の病気のレポはこれで終了である。お付き合い、ありがとう。

で、明日は私が大学病院の眼科へ行く日になってしまった。前回行った事を書く前にか……。こりゃまとめてという事になるかな。こっちも面白いので、こうご期待。面白がって大丈夫である。面白がってもらう為に書いているブログなので。

それでは、また!