何十年か生きてきて、ふっと価値観が変わる瞬間に出会った。
市中引き回しの刑
私は高校生の時にも、自分の持ち物には記名していた。例えば、合宿に行く時にはポーチとかタオルとか服はもちろん、全ての物に記名というかマークを付けていた。私のだと分かるマークを。
多分、小中学校の林間学校や修学旅行の夜、必ずと言っていい程毎回、
「このパンツ、誰のー？」
って、先生が下着をぷらぷらと振りながら各部屋を回って来るのを見て、
「あれが自分のだったら耐えられない」
と、子供心に恐ろしく思い、トラウマになっているのだと思う。もし落してしまっても、名前さえ書いてあれば、先生はこっそり私に届けてくれるだろうと。
「誰のー？」
って市中引き回しの刑にあった下着を、後から「自分のです」と言って取りに行く勇気はなかった。かといって、親に買ってもらった下着をそのまま捨て置くなど、それも出来ない子供であった。幸い私が下着を落した事はなかったのだが。
男の子のサガ
さて、そんな私であるから、親になってからも、子供の持ち物には極力名前を書いた。また、男の子は思った以上に、いや、想像の3倍くらい物を落すし無くす。名前が書いてあった為に戻ってきた水筒やら上履きやら、タオルやら。ずっと、名前を書く事は良いことだと信じて疑わなかった。
時は流れ、下の子が高校生に。流石に高校生になってまで、子供の持ち物に名前を書いてやる事はなくなった。だが、この間次男が部活Tシャツを受け取った時に、私は言ったのだ。
「名前書いておいた方がいいよ」
と。次男は
「そうだね」
と言って、珍しくすぐに名前を書いたのだ。左下の方の裏側に付いているタグにカタカナで。
中学生の時も、部活内では無くしただの、誰のだ？だの、二つあるぞ、だの、練習試合に行った時などには毎回そんな話が出ていた。それと、水筒はみんなで集めておいて、試合のタイムアウトの時にさっと飲むので、目立つ所に名前を書いた方がいいと、次男本人が言った事もあった。
そんなわけで、次男の部活Tシャツには名前が書いてあったのだが・・・
これは友達のじゃない？
先日、次男の部活の友達が、間違って次男の部活Tシャツを持っていた、と返してきたそうだ。
確かに、返してもらったTシャツには、次男の名前が書いてある。間違いなくうちの子のだ。
それなら、うちに置いてあった無記名の部活Tシャツがその友達のかと思いきや、
「俺のは破れているから、これじゃない」
と、受け取らないのだそうだ。さて困った。これは誰のだ？というわけで、部内で聞いてみたようだが、どうも自分のではない物を持っている人はいないようだ。つまり、破れていないはずが、破れているという証言がない。
おそらく、みんな名前を書いていないのだろう。それで、次男のTシャツを見ると、横腹のところに穴があいている。
次男はバレーボール部である。バレーをしていると、レシーブをした時に腰骨のところを床に打ち付けるので、シャツやパンツの横腹のところに穴があく。うちの他のTシャツやパンツにも穴があいている。だから、部活Tシャツにも穴があいていて不思議はない。
さすが高校生
さて、部活Tシャツがうちに2枚ある状態が続いていたので、私は次男に言った。
「もうさ、部Tを持っていない子がその友達しかいないなら、このTシャツをその友達が受け取るしかないんじゃない？違うと分かっていても」
と。それで、また数日経って試合が近づいて来た時に、次男が言った。
「多分あいつがずっと俺のを使ってたから、こっち（無記名の方）を俺がもらってって。俺、あんまり部T着てなかったじゃん」
なーるほど。つまり、ずっと前に取り違いが起こって、うちのTシャツを友達がずっと使っていて、その間に穴があいたと。確かにうちの部活Tシャツは、穴があくほど使っていないかもしれない。試合の時以外には着ていなかったから。
「でも、名前書いてあるじゃん？」
と言いつつ、私は感心していた。さすが高校生だなと。私が気づかなかった事をちゃんと自分たちで気づいたのだ。穴があいているはずのTシャツに、あいていない謎を解いたのだ。多分お友達が。
次男の名前については、友達がどうとでもすればいいと思った。タグを切ってしまってもいいし、上から自分の名前を書いてもいいし、そのまま次男の名前が書いてあってもいいし。
そして私はまた、一瞬思った。
「うちの物になった方のTシャツにも、名前を書かなくちゃ」
と。そして、すぐに打ち消した。書かない方がいい。書いたら同じ物が二つになってしまう。それに、また取り違いが起こったら・・・
気づかない方が幸せ
ちょっと待てよ。そもそも、誰も名前を書いていなければ、取り違えても気づかず、サイズさえ同じなら、気づかなくても問題ないのではないか。そして、それで幸せなんじゃないか。
中学の時、試合会場で目撃したのは、リュックを開けっ放しにして寄せ集めてある光景だ。そして、何度も着替えるのだが、適当にリュックの上にポンと脱いだTシャツを投げる様子。帰り支度をする時には、リュックの上にあったはずのTシャツが下に落ちていて、その辺の近くに落ちているTシャツを拾ってリュックに入れる様。自分のかどうか確認してから入れる子はいない。背番号さえ違う物を持って帰ってくる場合もしばしば。
うちの次男は、男子にしては比較的ちゃんとしている子だったので、あまり取り違えは起こさなかったが、長男の時はひどかった。長男はサッカーだったので、鞄が置いてあるのは外で、それなのに同じような状況だから、鞄の中は砂だらけ・・・よりワイルドに育つというもの。
長男の時に、あまりに無くしたりするものだから、記名しておけば無くならないのにと思っていたが、今回の事で、記名しても誰かが持って行って気づかなければ無くなるという事が分かった。記名が無くさない唯一の方法ではなかったのか。
部活Tシャツはみんなのもの、くらいに思っていればいいのかもしれない。自分の！とこだわりを持つと窮屈だ。そんな事ではスポーツは出来ない、のだと思う。ちゃんと一枚は持って帰ってくる子と、持って帰ってこなかったり2枚持って帰ってきたりする子と、それは記名をしたかどうかは関係ない。そういう性格の違いだから。
価値観が変わった瞬間だった。
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