いよいよ世論が五輪中止に傾いてきた。ああ、2年前はボランティアをやる事をすごく自慢したかったのに。今では、ユニフォーム姿で歩いていたら石でも投げられるのではないかと不安になる。
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明日からボランティア活動が始まる
私はフィールドキャストに応募し、アクレディテーションチームに配属された。
開催出来るのかが不透明な中、私の仕事はとうとう明日から始まる。
約8万人いるボランティアに、ユニフォームとアクレディテーションカードを配布する時期が来た。
もう今日辺りから始まっていると思う。
UAC(ユーアック)ビルという、旧ホテルニューオークラ東京別館で、ユニフォームが配られる。
私は明日そこへ行き、ユニフォームをもらって着替え、自分のや他のボランティアさんたちのアクレディテーションカードを作るのだ。
もしオリンピックが中止になったら
もちろん聖火リレーも既に始まっているし、いろんな事が始まっていて、たくさんの人が動いている。
既に、それぞれのフィールドキャストのサイズに合わせて作られたユニフォームは用意され、これは配布されるだろう。
だが、もしオリンピックが中止になったらどうなるのだろう。
ユニフォームはともかく、私が作ろうとしているアクレディテーションカードは必要なくなる。
アクレディテーションカードというのは、大会用の身分証明書だ。大会がなければもちろん無用だ。
自慢したかったのに、今では・・・
2年以上前、フィールドキャストの研修に行った時、スタッフの人に言われた。
「皆さん、家からユニフォームを着て来てくださいね。そうして、このユニフォームで東京を彩りましょう」
「是非、ユニフォーム姿の写真をSNSに上げて、オリンピックの機運を高めてください。その際、スポンサー企業のライバル社の製品を宣伝するような事にならないようにお願いしますね」
その時には、ユニフォーム姿で家を出るのはちょっと恥ずかしいと思ったが、それでもちょっと誇らしいというか、自慢したい気持ちもあった。
だが今はどうだろう。石でも投げられるんじゃないかと思ってしまう。恥ずかしいというより、怖い。
でも、荷物はユニフォームと一緒に渡されるポーチ一つに入りきるだけしか持ち込んではいけないので、行ってから着替えるのはダメなのだ。洋服が大きな荷物になってしまうから。
私がフィールドキャストに応募した本当の理由
ユニフォームが欲しいと思っていた。極論を言えば、ボランティア活動がしたいというよりも、ユニフォームが欲しかったから応募したのだ。
だが、それは楽しい、輝かしいオリンピックが開催された後、ユニフォームを持っている事が自慢になるという事を想定しての事。
明日ユニフォームは手に入るけれど、これでオリンピックが中止になったり、世論に反して行われたりした場合、後々そのユニフォームを人前で着ることが果たして出来るだろうか。
コロナ禍じゃなくても、いつだって「こんな時」な人はいる
思えばずいぶん遠くへ来たもんだ。まだまだ先だと思っていた2020年が通り過ぎ、2021年になってしまった。その間にいろんな事が起きてしまった。
今は、世界で歴史的な事件が起こっている。世界大戦並の大きな出来事が。数十年に一度、そういう事が起きるのは、歴史的に見ても仕方ないのかもしれない。
だが一方で、思う事がある。
世の中は平和でも、治らない病気で苦しんでいる人はいる。
もしコロナ禍がなかったとしても、日本にはたくさんの病人や怪我人がいただろう。また、失業者もいただろう。
そういう人たちは、みんながわいわいお祝いムードで東京五輪を楽しんでいるのを見て、どう思うか。
それを気にしていたら何も出来ないから、無視するのか?
けれども、そういう困難な状況の人が、それでもどこかのテレビでオリンピックを見た時に、一生懸命な選手を見たり、自分の国を応援して、勝って喜んだり、負けた選手に思いを寄せたり、そうする事で少しは救われる気持ちになったりはしないだろうか。
人による、場合による、それは当然だ。
今回を逃したら、東京オリンピックは二度と無い
ただ、今五輪の中止を訴えている人は、既に「こんな大変な時に」という感情論は超えていて、主にお金の問題を主張しているのではないだろうか。
既にたくさんのお金をかけたが、実際に開催するよりは、中止にした方が出て行くお金(税金)が少なくて済むだろう。その分をコロナ対策に当てるべきだ、と。
それはごもっとも。だが、これを中止にしたら二度と東京オリンピックは無いだろう。少なくとも、我々が生きている間にはないだろう。
既に建物などを作ったから、また近々招致出来ると考えるのは甘い。
オリンピックの為に用意した施設も、オリンピックが終わったら取り壊したり、他の用途に使用したりする物は多い。
中止になったら、終わった場合と同じように壊されたり、改築されたり、人の手に渡ったりするだろう。それを、また近々作り直したり、買い戻したりは出来ない。
有名なところでは、選手村が五輪後にはマンションになる話だ。一年延期した事で、入所予定だった人が困っているというニュースを見た。
中止になったら、すぐにマンションになるだろう。そこには住人が入るわけで、もし4年後とか8年後にまた五輪を東京でやろうとしても、同じ場所に選手村は出来るわけがない。
そういう理由で、東京五輪はもう来ないと思った方がいい。既に多額の税金を投入したのに、また、というのはあり得ない。
冷静に考え、世論を作る責任感を持とう
今、世界中で新型コロナウイルスが蔓延していて、オリンピックどころではないかもしれない。だから、いつも通りのオリンピックは出来ない。けれども、歴史に残る大会にはなるだろう。
本当に、中止になってもいいのか。二度とないものを、手放していいのか。
冷静に考えないといけない。
政府は世論の動向を無視できないだろう。政府なのか、都なのか、組織委員会なのか、バッハさんなのか、誰が判断するのか分からないけれど。
だから、世論を形成する我々は、もっと慎重に、よく考えて物を言った方がいい。なんとなく中止、と言ってしまって、そういう人が増えて、中止の世論が大きくなったと思われて中止になったら、後で後悔しないのか。
実は、中止になったら後々がっかりするのではないだろうか。次のオリンピックをテレビで見た時に、やっぱり東京でやって欲しかったなと思ったり、しないだろうか。一生しないと言えるだろうか。
結局、まだ結論は出せないだろう。7月になってみないと。