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自宅に救急車を呼んだ話

大阪・関西万博のボランティアを5日間連続でやってきて、帰宅したのが4月20日だった。

寂しいと発熱?

翌日は月曜日。私は腕が筋肉痛で左膝が痛くて、しかも頭痛だった。やっぱり疲れ果てた末に酒を飲んで寝ると頭痛になる。ボランティア活動中に飲まなくて良かったと思った。

私が家にいない間、平日は夫が、土日は長男が洗濯をしたそうで、食事は各自で何とかして、特に困った事はなかったようだ。

月曜日なので次男を起こすと、次男はお腹が痛いと言ったが、何とか大学へ行った。今日は休めない日のようだ。

しばらくダウンするかも、と思っていた私だが、部屋がゴミだらけで掃除をしなければならない。ゴミ出しとか、買い出しとか、やらなければならない事は多かった。みんな、自分の事は何とかしたようだが、家の事はしていなかったのだ。でも、何とかなっていればそれでいい。

次男は帰って来ると、やはりお腹が痛いと言って布団に入ってしまった。風邪っぽいと言い、夕飯も食べずに寝てしまった。

そして夜中、と言っても私がまだ寝る前の12時頃だろうか。フラフラとやってきて熱を測ると38.7度。やっぱり風邪ひいたか。それにしても、なんかデジャヴ?

そうだ。2年前の4月、私が2泊3日の旅行に出かけたのだが、帰って来た次の日にやっぱり次男が熱を出したのだ。

翌朝、様子を見に行くと熱は37度に下がっていた。2年前にも熱を出したね、と言ったら、

寂しいとね

と言った。えー、私がいないと寂しいって?可愛い事を言うじゃないか。だが、私は知っている。去年の2月にも8月にも、私と夫が旅行に行ったのに、その後には熱を出していない。自分が春休みや夏休みなら全然大丈夫なのだ。

つまり、お母さんがいなくて寂しいから熱を出すのではなく、起こしてくれる人がいない状態で大学に行かなければならないのが大変だっただけでは?緊張(ストレス)かな。それとも栄養不足とか?

今回は5泊いなかったが、兄が午前中にテレワークだったり、大学のない曜日だったりして、本当に独りで起きて行かなければならなかったのは1日だけ。しかもその日は午後からの講義だったのだから、全然楽だったのだ。

まあ、自由にしている休みの日ならいいけれど、出かけてきて帰ってきても誰もいないというのは寂しいのかもしれない。そういう意味では寂しかったのかも。

火曜日はオンラインで授業を受け、水曜日はお休み。そして木曜日を迎えた。

お腹が苦しい

木曜日は2限からで、9時頃に起こしに行った。すると既に目を覚ましていて、お腹が痛いから様子を見ていると言った。昨日は元気だったのに。休みなら元気で、大学行く日になると具合が悪くなるのか?と、誰でも思うわな。

仮病とまでは言わないが、精神的なものではないか、と誰でも思うだろう。次男は昔からそんな感じの事が多く、こっちが何も言わなくても、仮病や気のせいだと思われたくないのか、本当に病気になり、本当に熱を出したりする子だった。

洗濯などを済ませ、もう一度部屋に様子を見に行くと、

吐いた

と言った。お腹が苦しいのだそうだ。なんか嫌な感じだな。

それでも、しばらく眠っていたようだ。私は迷ったものの、久しぶりなので子供の部屋の掃除をしていた。次男が寝ている所はしなかったが、机の上にたくさん溜まっているゴミなどを捨てたり、あちこちに置き去りにされた空の段ボール箱とか、空き缶なども全て捨てて。

私がお昼を食べたりして、リビングで過ごしていると、LINEで次男から文字化けした「たすけて」のメッセージが届いた。びっくり。初めてではないが、ホラーのようで怖い。

次男の部屋に駆け付けると、手提げバッグを取って欲しいという事だった。バイトを休むという連絡をするからと。それから、スポーツドリンクが欲しいと。

すぐにスポーツドリンクを買って来た。2本買って1本を渡した。ほんの少し飲んだだろうか。でも、それ以上飲むことはなかったのだ。

次男はかつて腸閉塞を起こして救急搬送され、入院した事がある。(その話はブログにも書いたが、エッセイとしてまとまっているので、良かったらこちらを参考に→第二の人生への過渡期~初めて救急車を呼んだ出来事~(夏目碧央) – カクヨム)だから、今回も腸閉塞だろうと思った。苦しくて吐くというのはそういう事だ。腸が閉塞、つまり詰まるか何かして動かなくなっているのだ。

「救急車呼ぶ?」

と聞いたら、それよりも#7119に掛けてみようかなと言う次男。それはいい。

#7119とは、救急車を呼ぶかどうか迷った時に相談する窓口だ。この時は番号があやふやだったので、冷蔵庫に貼ってあるカードを取ってきてやった。そして、自分でゆっくり相談しなさいと言い、私は自室に戻って出かける準備を始めた。とにかく病院に行く事にはなるだろう。

準備をしていると、次男が駆け込んできた。そして、

「メモって!」

と言ってスマホを投げ出し、トイレに駆け込んだ。吐いているようだ。スマホは自動音声で、近くの病院の電話番号や住所を言っている。既に少しメモをした用紙もテーブルに投げ出してあったので、そこに追加で書き足した。でもまあ、近くにこの2つの大きな病院がある事は、言われなくても知っている。調べれば住所も電話番号も分かるのだが。

次男がトイレから出てきて、ソファに横になった。

「病院に行けって?タクシーとかで行ける?」

次男は首をかしげる。そして私はもう1つ疑問が。

「もしかして自動音声だったの?相談じゃなく?」

私は#7119に電話をした事はなかった。次男は答えようとして、またトイレに駆け込んだ。なかなかげえげえが止まらない。もう吐く物はほとんどないのに。そして、

やっぱり救急車呼んで

と言われ、私はすぐに119へと掛けた。もう、こんな調子では自力で病院まで行く事は出来ないだろう。因みに、後ほど#7119は自動音声ではなく、人と話したと教えてくれた。

119に掛けると、まずは

「救急ですか?火事ですか?」

と聞かれる。救急ですと答えると、名前と住所を聞かれる。それから誰がどういう状態かを聞かれ、一度切られる。

折り返し電話が掛かって来る事は分かっているので、いつもは自動応答モード(留守電モード)にしてある家電だが、解除しておく。そして出かける準備を加速させる。なんだか胸がドキドキしている。電話をしたからではないと思う。

トートバッグに色々詰め込んでいると、折り返しの電話が来た。今度は次男の年齢や性別、最近感染症にかかったかなど、詳しく聞かれる。症状も聞かれたので、3年前に腸閉塞になった時と同じような症状だと伝えた。

救急車は既に向かっていますと電話で言われたが、電話を切って割とすぐに救急車のサイレンが聞こえてきた。私はトイレに入った。もうてんやわんやよ。着替えている暇なんかはなかった。着替える必要がある程の服装ではなかった事は幸いだった。

2つのトートバッグにパンパンに詰め込んだ。何を入れたんだろう。とにかく次男の診察券などが入ったお薬手帳に、マイナンバーカードや保険証が入った財布、スマホの充電コードを持ってくる余裕はなかったので、私のモバイルバッテリー、マスク。私の物は、財布やスマホ、ティッシュなどのいつもの奴に、本を1冊。それから、次男がパジャマ姿なので、帰りに羽織るものがあるといいと思ってシャカシャカしたジャンバーを入れた。そう、入院する事を想定していなかった。もし想定していたら、パンツとお箸とコップを用意しただろう。タオルとか。そんな時間はなかったかな。

救急車

救急車がうちのマンションの前で止まったようだ。エレベーターが着いて、救急隊員が3人降りてきた。次男を連れて出ようとしたら、

「中でお話を」

と言われた。家の中に入ってもらい、ちゃぶ台の前に座る。次男は先程げえげえやったから、この時は落ち着いていた。質問される事に普通に答えていた。今日は何月何日ですか、と聞かれて答えられずにいて、大体20日くらい、などと言っていた。

「カレンダー見てもいいんじゃない?」

と言ったら、

「今日は木曜日(バイトの日)だから……4月24日です」

と答えていた。隊員の方が、意識の混濁があるかどうかを確認したのだと言った。

テーブルの上のメモを見て、これは?と言われた。それで、#7119に掛けて病院を紹介されている最中に吐き気が~云々の話をした。なるほど、と3人で納得の頷きが。それでもやっぱり救急車を呼ぶ事になって、すみませんと思わず言う。今がけっこう元気そうだから。

「今、吐き気はある?」

と聞かれた次男は、あると答えた。次男、ひげが茫々だった。髪型からは男性に見えない感じだが、このひげを見たら男性にしか見えない。病院に行くのにマスクをしてと言われ、私も次男もマスクをして家を出た。

ストレッチャーがエレベーターに入らなかったから、1階に置いてきたと言われた。次男は自力で歩いて1階まで行った。私は階段で降りた。混雑しちゃうからね。荷物もあるし。

そういえば、うちの前で人が倒れて亡くなった事があったが、あの時はどうやって運んだのだろうか。エレベーターに乗せて行ったはずだが。あれか、手で運ぶ担架だったかも。

救急車に乗り込んだ。次男はストレッチャーに座った状態で乗り、運ばれた。私は救急車の後ろからよいしょっとよじ登る。シートベルトをしてと言われるのだが、お相撲さん用なのでまたどこに差し込むのか分からなかった。教えてもらったが。

で、出発ではない。ここから病院探しだ。消防隊員の方が病院に電話を掛けてくれるのだ。先ほど紹介されていた大きな病院の内、1つは耳鼻科などにかかった事があり、次男の診察券があった。なので、まずはそこから掛けてくれた。隊員の方が診察券を貸してくれと言いい、電話番号をそこから写し取っていた。

しかし、その病院からは以前腸閉塞でかかった病院の方がいいんじゃないですか、と断られたそうだ。なので、少し遠いけれども前に入院した病院に連絡すると言われた。そこは、高校から近い病院で、うちからではちょっと遠い。遠いが、車なら10~20分で行かれる。救急車なら10分で着くだろう。

次男が遠いと聞いて顔をしかめたので、10分くらいで着くよと言って慰めていたら、その高校に近い病院にも断られたと言う。遠いからと。もっと近い病院の方がいいんじゃないですか、と言われたそうだ。

という事で、行ったことはないが近い所にある大きい病院に電話を掛けてくれた。前にかかった病院に連絡したら近い方がいいと言われた、と言ったら受け入れてくれたようだ。

救急車は発車した。フロントガラスからしか外は見えない。最初はどこを走っているのか分かっていたが、いずれ分からなくなった。7分ほどで病院に到着した。速いな。バスなら15分はかかるのに。しかもバス停まで10分は歩くしね。

救急車から運ばれる人の入り口からは、付き添いの人は入れない。今は病院が普通にやっている時間なので、正面の入り口から入るようにと言われた。初めて来る病院なので、正面入り口がどこなのかも分からない。あまり当てにならない勘を頼って歩いて行くと、何とか見つけた。そして、窓口で、

「今、救急車で運ばれた……」

と言ったら通じた。マイナンバーカードはありますかと聞かれ、あると言ったら、

解除できますか?

と聞かれた。そうそう、本人でないと顔認証はできないし、暗証番号を知らないと保険証機能も使えないよね。以前具合が悪かった時、薬局の機械で代わりに操作してあげた事があり、暗証番号を聞いていたので分かっているのだった。家族くらいは暗証番号を知っておかないと、こういう時に困るね。

処置待ち

手続きを済ませ、処置室の前の椅子で待つようにと言われた。この待ち時間たるや……長い。

今日はブログを書くぞ!と意気込んでいた。この先色々予定があって書けない日もあるから、万博のブログを忘れない内に書いてしまおうと焦っていた。だが、今日はもうダメだろう。

子供が小さい頃は、親の用事など子供の体調で吹っ飛んだものだ。だが、もう二十歳なのに。

万博のボランティアに出かける前に、私は一応確認しておいた。もし次男が具合が悪くなり熱を出したとしても、もう大人なんだから、それで私が万博に行かれなくなる事はないよね、行っても大丈夫だよねと。

次男は大丈夫だと言っていた。たとえ具合が悪くなってもお母さんは行っていいよと。それでも、これほど具合が悪かったら、流石に放っておいて出かける事はできなかっただろう。

最初に問診票というか、アンケートみたいなものを渡され、書いた。ほとんど高齢者向けの質問だった。入院するのはほぼ高齢者なのだろう。

書き終わっても取りに来てくれないし、どうやらしばらく待つようなので、本を読むことにした。やはり持ってきて正解だった。

時々次男が移動ベッドで廊下に現れては、別室に連れられて行く。いくつもの検査が行われているのだろう。

途中、入院の手続きをしてきてくださいと言われ、書類を渡された。手続きの窓口へ行ってきた。やはり入院になるのか。それならパンツも持ってくればよかった。

14時過ぎに病院に着いたが、2時間経ってもまだ検査中。思ったよりも長い。洗濯物を干しっぱなしにしてきた事を後悔した。16時には帰れると思っていたのに。とはいえ、取り込む余裕はほぼなかったよな。

本を読んでいたら、主人公の身の上がひど過ぎて暗い気持ちになってきた。新米の先生が学級崩壊にあって精神を病み、大変な行動に出て行く。なんか、今私が「大変な事があった」という感じに書いているブログが、この人に比べたら全然大変じゃないな、と思ってしまって。

万博ボランティアのブログを書いているところだが、今のこっちの話(救急車騒ぎ)の方がブログ案件だし。書き終わらない内にどんどん新しいネタが。焦る。あれ程あったやる気が萎んでいく。いやまあ、書くけどね。大変だったというよりも、大変な事もあったけど楽しかった、という話を書いているのだから。

それにしても、この本は辛いな。

胃管

さて、次男は私の前を通り過ぎた。私を見て、私だと気づいたようだ。その後、お医者さんから、

「この後胃管(いかん)というのをして、胃の中の圧を抜きますね」

と言われた。前にやった事があるので分かる。あの時は「イレウス管」だと言われた気がするのだが。いや、私が調べてそうだろうと思っただけだろうか。とにかく、鼻から胃へ管を通すのだ。3年前は自分の鼻の穴の左右差を知らず、細い方の左に入れられたら辛くて吐いてしまい、右に入れてもらったら少し楽になったという事だった。今度は最初から右に入れてもらえば大丈夫かな。

と、思ったのに、処置室からは次男のゲホゲホと苦しそうな咳のようなものが聞こえてくる。しかも長い。長く続いている。辛そうだ。本なんて読んでいられなくなった。次男、鼻の穴を間違えてはいないか?

しばらくして静かになった。そして、診察室の中に呼ばれた。

次男はベッドの上に腰かけていたが、無表情でじっと前を見据えている。話しかけると、ジェスチャーで、

「喉に管が当たって気持ち悪くて、しゃべれないし、動けない」

というような事を言っていた。多分。鼻の穴を間違えていないかと聞くと、間違えていないと身振りで示した。

先生は若い男性で、

「若い人でこういう症状は珍しいですね」

と言った。そしてまず、注意事項を話された。病状が落ち着いたら退院してもらうという内容だった。これも高齢者用の注意事項だった。

「まあ若いから、早く家に帰りたいですよね」

と言っていた。そして、小腸に炎症が起きていて、免疫が暴走しているかもしれないとも。

免疫暴走。若い人に現れるやつ。元気であるがゆえに、自分で自分の体を攻撃してしまう事がある。次男は、自分の「嫌だ、行きたくない」を正当化させるため、本当に自分の体を攻撃してしまう子だ。免疫暴走、あるかも。

3年前には入院した次の日にやったヨード造影剤による検査も、もうしたと聞いて驚いた。そして、そう言えば3年前には保護者の承諾書がいるとかで、もう病院に向かっているのに、電車の中で電話が掛かってきたりして大変だったっけ。

今回は、既に成人している次男本人が承諾書を書いたらしい。ほんと、この3年で大きく違うのはそこ。未成年だった時には、承諾がどうとかいちいち電話が来たり、書類を書いたりした。今は全て本人が出来るようになった。大人になったなあ。でも、同じように病気にはなっているけれど。

鼻から胃へと管を通すのは、喉が辛くて大変なようだ。若いからこそ喉が敏感で、すぐにオエっとなってしまうらしい。だから今、しゃべったり動いたりができないのだ。

先生は、原因を探っていきましょうと言った。原因が分かり、その原因を取り除けたらいいのに。そして、もう腸閉塞を起こすことが無くなればいいのに。

入院

やる事がほぼ3年前と一緒だが、この後次男と一緒に入院病棟へと移動し、部屋には本人だけが行き、私は別のところで看護師さんから説明を受けた。

3年前、パジャマやタオルのレンタルを申し込んで後悔したので、今回は無しにした。ちょっと悩んだけれど。前回はコロナのせいで面会が出来ず、それなら行かなくて済む方がいいと思ってレンタルを申し込んだのだが、結局パンツやマスクの替えを明日持ってきてくださいと言われて、それならレンタルしなくてもよかったと。しかも、借りられるはずのシャンプーやら何やらが気に入らず、あれこれ持って行く羽目になったのだ。

それに、2~3日の入院と言われていたのに、結局1週間くらいに延びたから、1日700円以上するレンタル代は、けっこうな額になったのだ。

だが、レンタルしない事になると、パジャマやタオルはもちろん、お箸やスプーンなども持って来なくてはならない。だが、明日持って来ようと決意した。

やっと病院を出た頃には夕暮れ時になっていた。バスに乗り、連帯保証人になってもらう為に義母に連絡をしたら、様子を後で聞かせてと言われ、帰りに寄る事にした。義母宅はうちのすぐ隣だ。

18時頃、義母と会って話した。家に帰ったらもう外は暗くなっていた。しんなりした洗濯物を取り込み、夕飯の支度をする前に次男の部屋へ行って布団を畳み、掃除機をかけた。あの様子では何もできそうにないが、大学のテストが近いとか言っていたし、ノートパソコンも持っていこう。

持って行く物は、けっこうな量になった。まだしばらく食べられないだろうが、一応お箸なども持って行こう。そういえば、もし1日700円以上するレンタルを申し込んでも、最初は入浴も食事もしないから、お箸もタオルも使わないのに毎日料金が発生してしまう所だった。やっぱり申し込まないで良かった。

入院は1週間くらいと言われたが、とにかく4~5日分を用意した。これで毎日は行かなくて済みそうだ、と思った私は甘かった……

翌日以降の話は次のブログで!