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キュビスム展~美の革命@国立西洋美術館

2023年12月17日(日)

先週末にアート展を観に行ったばかりではあるが、部員の都合により金曜日に再びアート部の活動である。

私が一人で少し前に観に行った「モネ展」から活動開始。よって、私はみんながモネ展を観終わって、ランチをしてからの合流。13時に上野の国立西洋美術館で合流した。

外の看板前で写真を撮るなどし、ロッカーにコートを入れるなどし、中でも写真を撮ったりして、キュビスム展に入場したのは13時20分くらいになっていただろうか。

予め予習

前回のアート展から、予めサイトなどの説明を読んでおき、当日はあまり字を読まないですいすい行けるようにしようという試みを実行している。ゴッホと静物画展では上手く行った。

今回は、先週の「美の巨人たち」という番組でちょうど「キュービズム」をテーマに扱っていたから、それを録画しておき、前日に観た。キュビスムについてあまり知らなかったのだが、なかなか良く分かった。思わずメモを取ったくらい。

これから絵を見ていく上で、予備知識は有意義であると思われるので、ざっとまとめておこう。

時は19世紀写真という物が登場し、これまでの写実的な絵には価値があまり無くなって来た。そこで、パブロ・ピカソはもがいていた。ピカソも初期の頃には写実的な絵を描いていた。ところが、彼はセザンヌの絵に出会ってこれだ!と思った。それは、セザンヌの「多視点」的な技法に触れたからだ。

セザンヌは、例えばテーブルの上に置かれたリンゴやティーポットなどの絵を描く時、多視点を一つの画面に描き込む。あるリンゴは上から見て描き、別のリンゴは横から見て描く。絵の通りにティーポットやカップ、リンゴを配置しようとしても、無理なのだ。それまでの固定点から見て描かれた絵とは違うのだ。

↑うちにずっと飾ってあったセザンヌの絵。久々に下ろしたら埃がすごかった(汗)

そのセザンヌの影響を受け、ピカソは色々と研究を重ねていく。一つ年下のジョルジュ・ブラックという画家もまた、同じような試みを始め、何と二人は話し合いながら絵の研究を進めて行ったのだ。知らなかったな。二人は「ザイールで繋がれた登山者のよう」に、運命を共にし、一緒に絵画に立ち向かっていったそうだ。

また、キュビスムのもう一つの特徴は、正しさや美しさの価値観の転換を図った。ブラックはアフリカの彫像からヒントを得て女性の顔などを描いた。他のキュビスムの画家たちも、アフリカの仮面などの影響を受けているらしい。

見たままではなく、頭の中で突き詰めた表現をする、それがキュビスムの神髄であり、こうでなくてはならない、という常識を破るクリエイティビティを生んだのがキュビスムなのである。

つまり、デザインの始まりでもあった。ル・コルビュジェという西洋美術館を設計した建築家もその影響を受けている。西洋美術館の中にあるスロープは、多視点で作品を観るための物だそうだ。その他、家電やインテリアも、キュビスムの影響を受けている。

番組では最後に良い事を言っていた。「キュビスムは、技法のみならず一つの理念となって世界中に拡散していったのである」と。

という前振り、というか予習を踏まえた上で、アート展を観て行こう。まあ、あれ?という事もあったわけだが。

1 キュビスム以前ーその源泉

予習した通り、キュビスムの原点はポール・セザンヌ、そしてアフリカの彫像など。本当に、それらがまずはお目見え。しかし、セザンヌはやっぱりいいなぁ。

ポール・セザンヌ「ポントワーズの橋と堰」

制作者不詳「ダンの競走用の仮面」(コートジボワール)

製作者不詳「バンバラの小像」(マリ)

おっと、1章はあっという間に終わった。次、行ってみよう。

2 プリミティヴィスム

プリミティヴィスム?つまり、キュビスム初期の頃という事かな?

パブロ・ピカソ「女性の胸像」

ジョルジュ・ブラック「大きな裸婦」

パブロ・ピカソ「女性の仮面」

3 キュビスムの誕生ーセザンヌに導かれて

ああ、今まではまだキュビスムではなかったのか。ここからがキュビスムだ。というのも、キュビスムという言葉は、ジョルジュブラックの描いた「レスタックの高架橋」の絵が四角ばかりだと評論家に揶揄された事から名づけられたのだ。描く対象を形に分解していったという事のようだが、だんだんと何を描いたのかが分からなくなっていく。

ジョルジュ・ブラック「レスタックの高架橋」

ジョルジュ・ブラック「楽器」

4 ブラックとピカソーザイールで結ばれた二人(1909-1914)

ザイールの話来たー!予習した通り。

それで、絵を見ていって思うのは、ブラックとピカソの絵がすごく似通っている事。二人で協力して、キュビスムの絵画を生み出していったというか、発展させていったというか。いやひょっとすると迷走していたのかもしれないが。

パブロ・ピカソ「女性の胸像」

ちょっと、これと同じ表題の絵がさっきあったでしょ。つまり、あれと同じものを違った描き方で描いたという事だと思うのだが、どうだろうか?

パブロ・ピカソ「ギター奏者」

ジョルジュ・ブラック「レスタックのリオ・ティントの工場」

レスタック、さっき出てきた土地の名前。工場がこれ?というか、二人の絵が似ているでしょ。

ジョルジュ・ブラック「ヴァイオリンのある静物」

けど、何が描いてあるのか分からなくても、すごく綺麗だなーと思う。もう「理解」とか「説明」とかはいらないんじゃない?と思ったり。「綺麗」、「好き」だけでいいんじゃない?とか。

それから、テレビの方で予習したところによると、彼らは世界で初めてコラージュをやったのだそうだ。コラージュ、つまり切り貼りデザインの基礎だとか。それで、新聞紙や壁紙などを切って貼ったりして、物の本質を描こうとしたとか。本質?それはどういう…説明はいいか?まあつまり、観たままではない何か。訴えたい事だったり、感じた事だったり、そういう事かなぁ。

ジョルジュ・ブラック「ギターを持つ女性」

ジョルジュ・ブラック「ギターを持つ男性」

パブロ・ピカソ「少女の頭部」

パブロ・ピカソ「ヴァイオリン」

ギターやヴァイオリンがよく登場するな。けどなんか、カッコいいよね。ポップで、色鮮やかで。鮮やかとは限らないけど、色の配色が素敵。グラデーションも素敵だし、逆に色を目立たせるような配色だったり。デザインの基本、か。

この、ピカソとブラックの二人の活動は、第一次世界大戦によって終わる。ブラックが従軍したからだ。

5 フェルナン・レジェとフアン・グリス

私はちゃんと、テレビだけでなくこのキュビスム展のサイトも見て、概要とか見どころなどを勉強してきたつもりだ。しかし、この辺から初見の名前や言葉が登場してきた。

フェルナン・レジェ「婚礼」

フアン・グリス「本」

やはり、皆セザンヌから出発している。この「本」なんて、黒い縁取りっぽい所までセザンヌっぽいものね。私は好きだな。しかし、本が落ちそうで不安になる。しかもその上のカップが割れるー!フアンさんだけに不安にさせる。ぷっ、ダジャレ失礼。

6 サロンにおけるキュビスム

キュビスムの画家たちは、可笑しい、理解できないなどと揶揄されたそうだ。しかし、逆に理論化させていったとか何とか。サロン・キュビストというキュビストたちの発表の場を自ら作ったそうだ。

それと、かつてどんな風に揶揄されていたかが分かる、写真雑誌記事などの展示も併せて行われていた。でも、世の中を驚かすものは、大抵最初は貶(けな)されるもので、特に、既に成功した人や年老いた人には受け入れてもらえないものだ。しかし、若者を中心に新しい物が受け入れられていく。そして、そっちが主流となっていくのだ。キュビスムは完全に主流にはならなかったかもしれないが。

アルベール・ブレーズ「収穫物の脱穀」

7 同時主義とオルフィスムーロベール・ドローネーとソニア・ドローネー

ちょっとちょっと、また知らない単語と知らない人名が出てきたわよ。

で、シャープペンを出して必死に説明を書き留めた。作品リストの余白に。台もないのでくにゅくにゅの字だけど。というか、今読もうとしているけれど、判別不可能!うがー!

同時主義(ミシュルタ・ネイスム)とは、ロベール・ドローネーが妻ソニアと生み出した考え方で、色彩同士対比的効果を狙ったものである。多分。今調べたら「時間と空間の相互連関的な変化相を、同一画面に同時に表現しようとした美術上の主義」と出てきた。うーむ。色彩じゃなく、時間と空間?いやー、それは書いてなかったと思うが。

また、オルフィスムというのはオルフェウス的(詩的)なキュビスムという事だ。つまり、ドローネー夫妻の描いた絵は、色彩を対比させ、詩的に、もしかすると一枚の絵に色々な時間と空間が描き込まれたもの、という事かな?では、絵を見ていこう。

ロベール・ドローネー「パリ市」

これ、大きな絵でとても素敵なのよ。確かに、人がいたり、エッフェル塔の一部かな、という物が描かれていたり、少なくとも空間は色々と描き込まれているらしい。でも、とにかく綺麗。

ロベール・ドローネー「窓」

ソニア・ドローネー「バル・ビュリエ」

そういえば、「パリ市」を観る前だったか。必死にメモを取っていたらあるおばちゃんが話しかけてきた。あ、失礼。女性のスタッフさんだ。

「字を読む時には、もっと前へ出ても構いませんよ」

などと言ってくれたのだが、メモを取っている私の手元を見て、

「それは何ですか?」

とも言う。シャープペンシルだと言うと、

先の尖ったものはダメなんです。こういった鉛筆にしていただけますか」

と言う。見ると例の使い捨ての鉛筆(というか鉛筆の芯だけがプラスティックの柄に差し込まれているもの)を数本持っている。

「それ、いただけるんですか?」

と聞いたら、どうぞと。これは次の時にもお持ちいただけますと。ああそうか。この間ゴッホ展でもらったあれ、持ってくれば良かったのか。しかし、これもけっこう芯が尖っているが。けど、これはキャップもできないし、このまま持っていったり筆箱に入れたりしたら汚れてしまうしなぁ。次は鉛筆にキャップを付けて持ってくるか。

8 デュシャン兄弟とピュトー・グループ

まだ続くのか?さすが国立の美術館。広い。しかも途中で階段を上らせるとか。いや、14まであるうちのまだ8だからな。半分をやっと過ぎたところではないか。

そして、やはり未知の名前が出てくる。時は20世紀初頭。ピカソやブラックが「洗濯船」と言われたアトリエに集まったのに対し、パリ郊外のピュトーに集まったグループを「ピュトー・グループ」と呼ぶようになった。彼らは自らを「セクション・ドール(黄金分割)」と呼び、同名の展覧会を開催した。

黄金地や非ユークリッド幾何学、四次元の観念、運命の生理的分析……メモを取って来たのだが、最後が読めない字で支離滅裂。調べたけれどこんなに詳しい事はネットには載っていない。やはりメモを取ってもダメか。あまり理解できていない事ブログに書くなという事だろう。反省。だが、賢い読者なら、この後の作品の写真を見て、今書いた断片的な言葉を理解できてしまうかも。

マルセル・デュシャン「チェスをする人たち」

ジャック・ヴィヨン「行進する兵士たち」

レイモン・デュシャン=ヴィヨン「マギー」

フランティシェク・クプカ「挨拶」

レイモン・デュシャン=ヴィヨン「恋人たちⅢ」

レイモン・デュシャン=ヴィヨン「座る女性」

「9 メゾンキュビスト」の章は2作品のみ。メモも写真もなかった。作者は2作品とも「レイモン・デュシャン=ヴィヨン」である。

10 芸術家アトリエ「ラ・リュッシュ」

ラ・リュッシュとは「蜂の巣」という意味である。そう呼ばれた、1900年の万博のパビリオンを移築した建物が、アトリエとして使われたそうだ。

アレクサンダー・アーキペンコ「女性の頭部とテーブル」

コンスタンティン・ブランクーシ「眠れるミューズ」

今更だが、キュビスムとは絵画だけではないのだな。

そして出た!みんなの知ってるシャガール!

マルク・シャガール「ロシアとロバとその他のものに」

マルク・シャガール「婚礼」

シャガールがパリへ移住し、キュビスム周辺の芸術家たちと交流を始めた頃の作品。

マルク・シャガール「墓地」

確かにキューブな絵になってきたかな?

マルク・シャガール「キュビスムの風景」

この左の写真がラ・リュッシュ。右は、そのラ・リュッシュにいるシャガール。シャガールがキュビスムの画家だという認識はなかったが、少なくとも「キュビスムと触れ合った画家」だと言えるようだ。ラ・リュッシュに出入りしていたという事はねえ。

アメデオ・モディリアーニ「女性の頭部」

モディリアーニが彫刻をやるとは知らなかった。常識だったか?で、この彫像、最初に出てきたアフリカの彫像に影響を受けているって?うん、そんな気がする。いや、それよりも多視点かな?テレビでこれも映っていたな。どっちだっけ。

アメデオ・モディリアーニ「赤い頭部」

こちらは絵画。

11 東欧から来たパリの芸術家たち

おお、多視点やらコラージュやら、やはりキュビスムの影響をバッチリ受けている。

レオポルド・シュルヴァージュ「カップのある静物」

セルジュ・フェラ「静物」

12 立体未来主義

ナターリャ・ゴンチャローワ「電気ランプ」

あらあら、電気製品が出てきたよ。

ミハイル・ラリオーノフ「春」

ジャン・プーニー「椅子、パレット、ヴァイオリン」

三者三様。確かにそれぞれキュビズムの要素はあるのだが、全然似通っていない。

13 キュビスムと第一次世界大戦

ロシアではフランスの「キュビスム」とイタリアの「未来派」がほぼ同時に紹介され「立体未来主義」が展開した。

また、キュビスムの作品がドイツ人画商カーンワイラーに扱われ、助けられたという経緯がある。この事から、大戦中にキュビスムが逆賊扱いされた。キュビスムの画家たちは、生粋のフランス文化だと自負していたのだが。戦時中の世論というのは、間違った、極端な方向へ走りがちである。嫌なものだ。

アルベール・グレーズ「戦争の歌」

パブロ・ピカソ「若い女性の肖像」

ジャンヌ・リジ=ルソー「1キロの砂糖のある静物」

私はこれが好き。理屈ではなく。なんか綺麗だし、目を引く。

フアン・グリス「椅子の上の静物」

14 キュビスム以降

やっと最後の章に来た。しかし、まずは意外な言葉を目にする。

ピカソなどのキュビスムを代表する画家たちは、大戦後「秩序への回帰」と呼ばれる保守的風潮の中で変化を遂げる。あの、何が描かれているのか分からないような、観念的な絵から、伝統的な技法で描く絵画へと向かったのだ。しかし、以下に挙げたピカソの作品は、写実的な人物像と並行して制作されたキュビスム絵画である。でも、顔がどれだか分かるくらいには、伝統技法に近づいていると思った。つまり、折衷的な絵であるようだ。

パブロ・ピカソ「輪を持つ少女」

フアン・グリス「ギターを持つピエロ」

ジョルジュ・ブラック「ギターと果物皿」

ブラック、生きてた!第一次世界大戦に従軍してピカソとの共同制作?が終わったという事だったが、帰還していたのだな。

ル・コルビュジェ「水差しとコップー空間の新しい世界」

コルビュジェは、先にも書いたが西洋美術館を設計した人。絵画も描くのだ。

アメデ・オザンファン「食器棚」。なんか素敵。

フェルナン・レジェ「タグボートの甲板」

それから、映像作品があった。フェルナン・レジェとダドリー・マーフィーの作品で、ストーリーのない14分弱の映像。サイレンと汽車の音が鳴り響き、機械や人、数字などの映像が断片的に現れ、繰り返される。これは、長く見続けていたら気が狂いそうだ。

しかし、映像作品にはついついストーリーを求めてしまうが、絵画を観るように映像を観るのなら、こういう作品があってもおかしくないな、と思った。ただ見たままを感じる。その感じがあまり気持ちの良い感じではないのだけれど。

そして、これはパリの「ポンピドゥーセンター」。国立の複合施設で、国立近代美術館が入っている。世界屈指の近代美術コレクションを誇り、キュビスムの作品も数多く所蔵しているそうだ。1977年に出来たそうだが、行った事がない。今後、もしパリに行く事が出来たなら、こちらにも行ってみようと思う。まあ、パリにはもう何度か行ったし、よほどの事情がなければ、行く事はないと思うのだが。

でもこの建物、まるで工事中のようではないか?流石、前衛的だな。

ショップ

完全に特別展を出てから、ショップがあった。カタログ、絵葉書、Tシャツ、エコバッグ、その他文具などもいつも通りある。そして、いつも通りなのに今回「これは!」と目についたのがこちら。

不思議だ。ステッカーなのだが、この間のアート展でも見かけたが、買おうなどとは全く思わなかった。だが、この絵を見た時、スマホの後ろに入れたら(貼ってしまうのではなく、透明なケースの内側に入れる)いいのでは?と思ったのだ。

左がル・コルビュジェ「静物」右がロベール・ドローネー「窓」だ。まずドローネーの方に惹かれた。これ、白いスマホだったら入れたいと思った。でも、私のスマホは赤。次に買い替える時には白にしよう。で、今はコルビュジェの方を入れる事に。赤と合うわー。でも、するすると滑って移動してしまう。斜めにしたり、色々工夫中。まあ、最終的には厚紙にでも貼って入れればいいと思う。ただ、貼る時に失敗したらと思うと怖い。

さあ、そして皆とお別れ。皆さん、モネ展からのはしごだったので、もうここで終わり。西洋美術館の常設展も特別展のチケットで観られるので、そちらに行くという事だった。私はついこの間、一人でここに来て、特別展を観た後に常設展を急ぎ足で観た記憶が。

そして、私はこれから科学博物館に行くのだ。すぐ隣のね。時刻は午後3時。閉館まで2時間あるから大丈夫だろう。

と思ったのは、甘かった……。この後の科博の話は、次のブログで。