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夫婦別姓について考えるーその2

 自民党内に、「氏制度のあり方に関するワーキングチーム」というのが出来たらしい。
 昨日、初会合が開かれたとか。
 賛成・反対ではなく、推進派・慎重派と称するらしい。
 慎重派から、ファミリーネームが無くなることに慎重になるべきだという意見が出た、と新聞で読んで、思いを馳せた。

誰にとっても他人事ではない

 多くの日本人が、選択的夫婦別姓制度について、他人事のように思っているのでは無いか。
 かく言う私も、どこか他人事だった。私の3月15日のブログ「夫婦別姓について考えるーその1」を読んでいただくと、分かると思う。
 なぜ他人事だったかと言えば、私は既に結婚し、夫の姓になり、子供も同じ姓。今後再婚する事も考えられないから。これから日本で「選択的夫婦別姓」が認められたとしても、自分が何か変わるわけではないから。
 だが、本当にそうだろうか?
 私は本当に再婚する気がないし、ここで例に出すと誤解を招く恐れがあるので、私の事では無く、他の人の事で例を出そう。
 例えば、既に結婚している人でも、今後配偶者から突然離縁を言い渡され、一度旧姓に戻る。その時の名前の変更。そして、もし再婚するとしたら・・・。
 例えば、自分は結婚なんてしない、と思っている40代50代の方。将来、異性から「あなたのような素晴らしい人に初めて出会った。結婚してください!」と言われたら、きっと結婚すると思う。
 例えば、自分は一生結婚したくない、と思っている若い方。あなたは明日、恋に落ちるかもしれない。それは誰にも分からない。そして、恋に落ちたらずっと一緒にいたくなり、永遠を誓い合いたくなり、結婚する事になるのだ。多分。
 つまり、誰もが他人事ではないのだ。そして、もっと忘れてはいけないのが、私のように未婚の子供を持つ親。私には息子が二人いるが、長男が結婚しようとした時に、相手の女性の姓になると言ったら、それを快く認めるのかどうか。
 あまり実感を持って考えられないのだが、姓がどうかというよりも、墓問題が頭に浮かんだ。死ぬ時にどの墓に入るのか。今の墓を誰が守って行くのか。
 本当は、私はどうなってもいいと思っているのだが、そんな無責任な事を言っては親族に申し訳ないので・・・。
 姓を変える事と、どのお墓に入るかという事は、けっこう近い問題なのである。

後からでも旧姓に

 もっと自分事として考えるいい手がある。選択的夫婦別姓制度が認められたとしたら、既に結婚して姓を変えた人も、旧姓に戻せるようになるとする。
 多くの人は、また変えるのは面倒だから、そのままにすると言うだろう。が、もし、もしだ。世の中の人がみーんな旧姓に戻したとする。多くの女性が旧姓に戻したというニュースを耳にする。そうしたら、あなたはどうだ?私はどうするだろう?
 みんながするのに、自分がしないのはおかしいか?それなら、私も時流に乗って旧姓に戻そうか・・・と、なるのではないか。

ファミリーネーム

 次に、ファミリーネームが無くなるという話。その言葉を目にした時、ちょっと寂しさを感じた。ファミリーネームは?と聞かれたら・・・。私と夫と子供たち、4人家族だが、もし私だけ姓が違ったら、ファミリーネームを言う時、この今の家族の姓ではなく、実家の姓を名乗るのか。
 しかし、ファミリーネームという言葉は英語だ。ということは、イギリスやアメリカは夫婦同姓なのか?と疑問に思った私は、調べてみた。
 すると、確かに慣習としては妻が夫の姓を名乗る事が多いようだが、法律的には別姓でも、複合姓でもいいらしい。子供も、父母どちらの姓になってもいいし、複合姓でもいいとか。複合姓というのは、父の姓と母の姓を一文字ずつ取って新しく作るのだ。

外国の事情

 いろいろな国の制度を見ていると、本当に制度もいろいろ。
 祖先を大事にするかどうかなど、文化的な違いはあるだろうが、血のつながり、つまりは祖先を大事にする儒教の国ほど夫婦別姓が多いらしい。
 ざっと見た感じ、日本のように選択もできず夫婦同姓という国は、他に無さそうである。少なくとも、先進国の中では日本だけだそうだ。
 外国と同じにしなければならない、という事もないだろうが、そう考えるとなんだか・・・ファミリーネームを家族で同一にとこだわる必要もないのかな、と思えてくる。

感情論のぶつかり合い

 この間、どの大臣だったか、「反対派は感情論だから」と言っていた。だから、慎重にやっていかないといけないと。
 人間、多くは「変わる」という事が嫌いだ。おそらく不安だからだろう。新たな仕組み、制度になると聞くと、反対する人が多い。何であっても。まあそれは、今が幸せな人なんだろうと思う。今が最悪な人は、変わるならなんだって歓迎するかもしれない。
 それで、思ったのだ。選択的夫婦別姓に反対の人は、家族の形、国の制度が「変わる」のを嫌がっている。これは「変わる事が、なんとなく嫌」という感情だとする。
 だが一方で、賛成の人も自分の姓が「変わる」のを嫌がっている。慣れ親しんだ姓を変えたくない、と。結局は、感情論のぶつかり合いなのではないか・・・?双方から怒られそうだが。
 仕事上、名前が変わると困る人はいると思う。ペンネームを変えると、前の読者が見つけてくれないように、名前が変わると見つけてもらえずに・・・。けっこうレアな職業ではないか?

名前の変更は住所と一緒に

 もう一つ、思った事がある。いや、思い出した事がある。
 姓を変えるほうは、面倒な手続きをしなければならない、という事をよく聞く。しかし、私が姓を変えた時、手続きと言っても、運転免許証とパスポートの記憶しかない。免許は、夫が東京都の免許センターに車で連れて行ってくれて、簡単に変更出来た。
 他に、いろいろな変更はしたはずだ。クレジットカードとかあれこれ。だが、だいたい結婚に転居はつきものだと思う。今は、結婚と同時に相手の実家に入る人も少ないようだし。そうすると、双方転居届を出さなければならない。住所を変更する時に、一緒に名前の変更も出来るので、余計な手間はあまりかからなかったのだと思う。

複合性がいい

 ちょっとまとまりがないが、今日はここまで。
 他人事ではない、と書いておきながら、やっぱり自分事として考えられないチョコナッツ。
 ただ、私より年上の親族の気持ちを考えなければ、やっぱり私はどちらでもいい。
 息子たちが二人とも妻の姓になり、うちの墓を守る人がいなくなったとしても、それでいいと思う。変化していく事は悪い事ではない。どちらかと言うと、複合姓がいい。お互いの姓の一文字ずつを取って新たな姓を作るのが。