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古賀稔彦さんの訃報に触れて

 昨日、柔道金メダリストの古賀稔彦さんが亡くなった。53歳だった。闘病中だという事を存じ上げていなかったので、突然の訃報に驚いた。ついこの間、女子の選手のコーチとして元気な姿を拝見していたのに。

思い出のオリンピック

 古賀さんは、1992年のバルセロナ五輪の柔道71キロ級で金メダルに輝いた。
 私はそのバルセロナ五輪の際、リアルタイムで古賀さんを応援していた。その時の思い出を書こうと思う。
 私は当時、大学浪人の最中だった。予備校に通っていたが、夏休みだったので時間に自由があった。
 バルセロナは、ご存じスペインの都市である。日本との時差は7時間(サマータイム)。バルセロナの午後から始まったであろう柔道の試合は、日本では夜の10時頃から始まったのではなかったか。つまりバルセロナでは15時くらいから始まったのだろうか。始まった時間は定かではない。

 柔道の試合は、階級ごとに分かれて戦う。広い会場にいくつかの試合場があって、各階級ごとにトーナメント戦が行われていた。
 トーナメント戦なので、負けたら終わりである。敗者復活戦もあるので、2回負けたら終わりという事だろうか。
 私は、柔道の詳しいルールも知らず、ただ、一本背負いや巴投げがすごい、と言われていた古賀さんの柔道が見たくて、テレビを見ていた。両親も見ていた。父は高校の時に柔道部だったので、とても興味を持って見ていたのだ。
 柔道は、一本が決まった時点で試合が終わる。制限時間内に一本が出なければ、有効、効果、などのポイント数で勝敗が決まる。ポイントも同じだったら、審判の判定によって決まる。
 つまり、制限時間はあるにせよ、いつ一本が決まるか分からないので、試合時間が読めない。目を離していると、あっという間に終わってしまう可能性がある。

 日本の柔道は、一本を狙いに行く。他国の選手はあまり組みたがらない。レスリングの様な感じがする。古賀さんは特に、綺麗に一本を決める選手だった。試合は、ほとんどが一本で決まった。古賀さんは一本を決めて、次々に勝っていったのだ。

怪我を抱えて

 あの時、古賀さんはを痛めていた。試合前、後輩で78キロ級の選手だった吉田秀彦選手との練習中に痛めたのだ。しかし、私はよく覚えている。試合の時間になると、トコトコトコと歩いて来る古賀さん。顔を少し上げて、ひょうひょうとしていた。初めは、怪我を感じさせない試合を続けていた。
 巴投げをあの時初めて見た。一本が取れたかどうかは、相手の背中が床に付いたかどうかで決まる。巴投げは、自ら背中を床につけて寝転がり、相手を片足で持ち上げ、頭の上に投げ飛ばす技だ。背中をつける時に、相手が技を出した場合、逆に一本を取られる危険もあるため、あまりやる選手がいないそうだ。
 だが、古賀さんはその巴投げで一本を何度も取っていた。かっこよかった。あの勢い。相手の胴着を持って、勢いよく後ろに体重を移し、投げる。本来は背負い投げが得意な古賀さんだが、膝に負担をかけないように、巴投げを選んだようなのだ。今日の新聞に書いてあった。あの時にも私はそれを知っていたのかどうか、覚えていない。

 一試合勝っても、喜ぶことなくトコトコと引っ込む。日本の柔道選手は、少なくとも当時は、どの階級も金メダルを取るのが当たり前だったので、予選に勝っても喜ばないのだ。普通の事だから。

夜中になって

 そうこうしているうちに、夜中になった。両親は見るのを辞めて寝てしまった。だが、私はどうしても辞められない。あと一試合見てから、あと一つ、と思いながら見ていた。
 あの当時、スマホもパソコンすらなかった時代。一体何をして時間を潰していたのか忘れてしまった。ああ、そうか!受験生だったのだから、勉強していたのだ。それは間違いない。
 しかし、古賀さんは負けなかった。やはりトコトコトコとやってくる。古賀さんが出てくると試合を見る。古賀さんが出ていない時には勉強をする。もし負けたら寝よう、と思っていたが、負けなかった。

 夜更かしも、午前3時になると不安になる。そろそろ寝ないとまずいのでは、と。だが、その頃にあとは決勝戦を残すのみとなっていた。そこで寝るわけにはいかない。私は決勝戦を待った。
 そして決勝戦。この試合では、一本は出なかった。有効や効果などのポイントは同じ。審判の判定によって金メダルか、銀メダルかが決まる。古賀さんが珍しくガッツポーズをしてアピールしていた。だが、無理があるように見えた。相手選手は、勝ったかのように喜んでいる。古賀さんは小さくガッツポーズをするのみ。
 だが、判定の結果、古賀さんの金メダルが決まった。初めて、古賀さんが泣いた。たぶん、私も泣いた。すでに午前4時だったと思う。

二人の友情

 良かったのは、吉田選手も金メダルを獲得したこと。古賀さんが怪我をしたのは自分のせい、と吉田選手は自分を責めていたようだ。古賀さんは、そんな吉田選手のためにも、絶対に金メダルを取りたかったそうだ。そして、吉田選手もまた、自分が取れなかったら古賀さんに気を遣わせてしまうと思っていただろう。二人が揃って金メダルを獲得したことが、本当に良かった。と、今また改めて思った。

五輪選手に励まされた

 大学受験を一度失敗して、自信をなくして落ち込んでいた私は、オリンピック選手たちに救われた。彼らの頑張っている姿に心を打たれ、自分も頑張ろうと思えた。
 こっそり告白すると、いつも好きだったロック歌手やアイドルたちが、五輪の後しばらくは馬鹿馬鹿しくて見ていられなくなった。命がけのスポーツ選手を見た後では、どうも・・・。だが、それは一時だけだった。
 今は、アイドルも命がけで頑張っている事を知っている。

 古賀さんがあの時私に与えてくれたものは大きい。勇気や頑張りもそうだし、柔道の知識もそう。古賀さんの柔道を一晩中見ていて、解説を聞いていただけで、大方のルールを覚えたので。受験生が何を覚えていたのだか。
 だが、それから何十年も経っているのに覚えているのだから、意味のあることだったのだろう。

 古賀稔彦さんのご冥福をお祈りする。古賀さん、ありがとう。