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高校の卒業式にて

卒業生の言葉

昨日、次男の高校の卒業式だった。

コロナ禍のため、入学式がなかった次男たち。あれもね、無し崩し的に無くなったのだ。リモート授業からの分散登校で、いつの間にか2ヶ月も経っていて。

卒業式は、マスクも自由。うちの次男は外して参列していた。保護者はマスク着用が求められたので、こちらはしていたけれど。

クラス毎に入場し、名前を一人ずつ呼ばれ、クラスの代表1名が卒業証書を受け取った。

こういうシステム、最近見た気がするが、中学校は一人一人受け取っていたはずだし、どこで見たのだろうか。まあいいか。

ご来賓の祝辞があったり、小池百合子都知事の祝電が読み上げられたりした。そして、PTA会長の祝辞があった。女性の会長さん。特に話し慣れている感じでもなかったが、お話の内容がとても良かった。

「あなたたちに望むことは、お勉強もずっと続けて欲しいけれど、何より元気でいて欲しいという事。あなたたちの活躍を誰よりも応援しているけれど、頑張り過ぎないで欲しい

そんな内容の、短めの言葉だった。会長さんは卒業生の親ではないと思うのだが、我々親の気持ちを代弁してくれたと思った。何だかホロリとさせられて、目に涙がちょっとだけ浮かんだ。

夢を持て、夢に向かって頑張れ。そんな風に言うのが当たり前だったのは、どのくらい前までだったのか。今は、頑張り過ぎないで、何はともあれ生きていて欲しい、元気ならそれが一番。そういう風に声を掛けるのが良しとされるようになった。やっぱりそう言われると嬉しいし、安心する

来る時、ハンカチは大きい方がいいかな?と思って、いや、そんなに泣いたりしないでしょうと思ったけれど、これはちょっと泣きそうだったな、と思った。

さて、卒業生代表による言葉が始まった。女子だ。生徒会長さんだった子だ。

書いた文章を読んでいるのだろうが、話しかけるように、とても綺麗で大人な声で話している。中学校の卒業生の言葉を思い出してみると、ああ、この3年間で大人になるんだなぁと思った。背丈の長短はあるにせよ、子供っぽい子はもういない。高校を卒業すれば、もう大人だ。みな成人なのだ。

その大人っぽい声の、とても流暢な言葉で、毎日お弁当を作ってくれた母に感謝するという件(くだり)になった。そして、

「受験の日にも、そのお弁当・・・」

と言ったところで、急に彼女の言葉が途切れたのだ。詰まったというか。しばらく沈黙が続く。保護者の前で卒業生が立っているので、彼女の姿は見えないのだが、これは間違いなく涙がこみ上げてきて、声が震えてしまいそうで、今気持ちを落ち着かせているに違いない。多分、受験の日にもそのお弁当に勇気づけられたと言おうとしたのだろう。もう、こちらも涙を抑えられない。あ、私は受験の日にはほとんどお弁当を作らなかったけれどね。カロリーメイトの方が調子がいいからと言うので。

しばらくの沈黙の後、また話は続いた。やはり、お弁当に勇気づけられたという内容だった。それからも、友達との思い出などを話しながら、やはり時々声が震え、沈黙するという場面が何度かあった。先ほどの母への感謝と違って、それほど感情移入する訳でもないはずなのに、もうダメ。涙と鼻水が酷い。これを人は号泣と言う。仕方なく、ティッシュを取り出し、メガネをずらして目頭を押さえ、更にマスクをずらして鼻水をぬぐった。周りからも鼻をすする音がいくつも聞こえる。隣の人もハンカチで涙をぬぐっている。私って、特に泣くと鼻水がいっぱい出る人なのかな。マスクでよかったぁ。

それにしても、やはり人間は共感する生き物だ。ちょっと声が震えたり、流暢に話していた人が言葉に詰まったりしただけで、彼女が泣いているというのが分かってしまう。そして、分かるとこちらも泣かずにはいられない。後で次男に聞いたら、やはりお弁当の件ではちょっと泣いたそうだ。卒業生達は微動だにしていなかったので、誰も鼻をかんではいないようだが。

それにしても、私がもし読む人だったら、読む事に必死で感情が入らず、泣いたりしないのではないか。まあ、異次元だな。私と彼女とでは出来が違う。

先生への感謝

式が終わり、学年主任の先生から保護者への挨拶があった。私はこの先生にとてもお世話になった。修学旅行の最終日に迎えに行く事になった時に、何度も電話をもらって話し合ったから。それから、部活の顧問の先生や、保健室の先生にもお世話になった。救急車騒ぎになった時に、親身になって対応していただいたから。

一言でもいいから、最後にお礼を言いたいと思った。だが、それは叶わなかった。

その後、生徒と担任の先生は最後のホームルームだし、保護者は校舎内には入れなかった。トイレの行列に並んだ後、外に出たら保護者がたくさん正門と校舎の間のスペースに群がっていた。

知り合いのママを見つけて近くに行くと、

「子供達はまだまだ出て来ないよねー」

と話している。諦めて帰るという人もいたが、

立て看板の前で写真を撮りたいよね」

という声も。私は、次男にLINEで連絡してみた。まだ出て来ないよね、写真撮りたかったけど、先に帰ろうかなと。そうしたら、

「一度降りてく」

と連絡が来て、すぐに出て来た。うちの子は母親思いの良い子じゃ。知り合いのママが、

「うちはダメだ、式の前のLINEにも既読ついてないや」

と言っていた。実は、後で家に帰ってから知ったのだが、その式の前のにも既読がついてなかった子が、あの元生徒会長の女子だったのだ。その子の名前を把握していなかったが、小学校の時に習い事で一緒だった子なのだ。知らなかった。そんなに優秀なお子さんだったとは。そりゃ、あんなに大役が待っていたら、スマホも見ている場合ではなかったのだろう。そして、開放感なのか、今もクラスで忙しいのか、未だにスマホのチェックが出来ていないのだろう。

次男が降りてきたので、卒業式と書いてある立て看板の前で写真を撮ってもらった。

その辺りで次男の仲の良いお友達のお母さんと会って、しばらく話した。お母さん曰く、息子は受験先を薬学部に決めていたのに、11月頃になって音大に行きたいと言い出し、話し合いを重ねた結果、音大を受験して合格したそうだ。担任の先生もびっくりしていたという話。

うちの子もだいぶお世話になったが、先生は他にもたくさん大変な事があったのだなぁと思った。

で、もう息子達は出て来ないので、先に帰った。そして、先生方にお礼を言えなかったな、と少し残念に思った。

そうだ、本来ならば謝恩会という場があって、そこでお礼が言えるはずだった。今年はもう、謝恩会がないという話すらなかった。ないのが当たり前だった。

3年前、うちの長男も次男も卒業だったが、謝恩会が予定されていたのに中止になった。その3年前には、二人分の謝恩会があって、習い事の会もあって、連続して飲み会で体をちょっと壊したが、それでもとても楽しくて。前回も今回も、謝恩会がなくなってしまって残念だ

それでも、手配する人も出席する先生方も大変なのだったら、卒業生の親が自己満足するだけの会は辞めた方がいいこれから復活するだろうか。大変なら辞めればいい、と私は思う。個人的には残念だけれど。