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推し活の危うさ~「推し、燃ゆ」を読んでPERTⅡ~

2022年12月26日(月)

先日「推し、燃ゆ」(宇佐見りん著)の感想を書いた。あの時は、色々と描かれた現代の問題や、主人公への感情移入によりぼやけていたが、後になって考えるとこの小説の主題はこれだ、と強く思ったので、書いておく事にする。

推し続けられない事態

推し、燃ゆはアイドルを扱ったお話ではあるが、思ったのと違う感じだった。推し活をする少女が主人公で、そして推しが炎上する所から始まる。

ずばり、この小説の主題は「推し活依存は危うい」という事だと思う。

推しの為に生きている何があっても一生推す、という言葉をよくSNSで見かける。推し活は楽しいし、職場の仲間や学校の友達や家族の為ではなく、自分の為にしている事だ。

しかし、推しが生き物である以上、こちらの思い通りにはならない。何をしても好きだとしても、唯一推し続けられなくなる事がある。

それは、推しが推しである事を辞めてしまう事だ。

推しがアイドルだったりスポーツ選手だったりすると、その推しがアイドルを、スポーツを辞めてしまう事があるかもしれない。しかも、突然に

こちらがどんなに一生推したいと思っても、彼ら彼女らがもう推して欲しくないと思ったなら、押し続けられない。結婚しても続けているなら、多少ショックを受けても推し続ける事が出来るが、完全に芸能界やスポーツ界を引退して一般人になる人の事を、いつまでも応援する事は出来ない。してはならないだろう。

推しが複数人いるとか、数年毎に推しが変わる人はいいが、一人の推しを人生かけて推していた場合、突然推しを失った時の衝撃は測り知れない。もし、他に楽しい事もなく、ひたすら推し活の為だけに生きていたら・・・

つまり、推し活は一人で楽しんでいるようでいながら、実は推しという存在に依存しているのだ。推しがいなければ出来ない事なのだ。それを忘れて、あまりに依存しすぎると、失った時が怖い。

宇佐見りんは、この事を主に訴えたかったのではないか。推し活は危ういよ。あまりそれだけに依存して生きていると、失った時にどうなってしまうの?と。

アイドルの昔と今

私も昔、アイドルに夢中になった事がある。今で言うリアコだ。リアルに恋している感じだった。ただし、一人2年もてば長い方で、今から思えばコロコロと恋する相手を変えていた。

昔はテレビに出ている姿を見るか、雑誌記事や写真を眺める事くらいしか出来なかった。もちろんコンサートに行くこともあるが、毎日の推し活と言えば、そんなもん。テレビやコンサートという表の顔しか知らず、それでもバラエティ番組に出ている姿を見て本当の彼を知った気になっていた。

しかし、今はどうだ。アイドルの映像は表の顔だけでなく、舞台裏や本人が撮ったプライベートの映像、色々なコンテンツ。その映像の数も多いし、いつでもスマホで見る事が出来る。依存度が高くなっても不思議ではない。まるで家族のように、推しの姿を何でも知っている気がしてしまう。

推しを愛し、たくさん貢いでもいい。一人の推しを深く愛してもいい。ただ、愛のためだけでなく、他人に左右されないような楽しみを、あと一つだけでも見つけて欲しい。歌を歌うとか踊りを踊るとか、美味しい物を食べるとか、お花を育てるとか・・・

とはいえ、やっぱり推しロスは辛いだろう。だから、私から一つ提案がある。

アイドルの皆さまへ提案

アイドルとかスポーツ選手とか、そこら辺を想定して言わせてもらうのだが、もし急に辞める事になったら、ファンに後継者を指名してはどうだろうか。例えば、

「僕は引退します。ファンの皆さん、今後は是非後輩の○○くんを推してください」

ってな風に。推し一筋だった人は、推しの言葉には従うだろう。単に同じ会社の後輩でもいいが、出来れば自分と雰囲気やスタイルが似ている人を指名して欲しい。そうしたら、少しは推しロスに悩む人が減るのではないだろうか。

もし、「推し、燃ゆ」をこれから読もうとしている人がこれを読んだら、何となく結末が予想出来てしまっただろうか?いや、そんな単純なものではないから。とりあえずこの記事の事は忘れて、まっさらな状態で本を読んで欲しい。勝手な事を言って申し訳ないが・・・

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