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同性婚認めぬのは違憲

 昨日、札幌地裁における裁判で、同性婚を認めない民法や戸籍法の規定が、法の下の平等を定めた憲法14条に違反する、との判断が下されましたね。
 今日のお話は「同性婚」であって、この間お話しした「同姓婚」ではありませんよー。

納得の文言

 その判決で、妙に納得させられた文言がありました。それは、
性的指向は人の意思で選択や変更はできず、性別や人種などと同様のもの
であるというもの。これ、誤解している人は多いのではないでしょうか。
 昔は、同性愛などは精神疾患だと思われていたそうですが、1992年頃までには、そうではないという知見が広まったそうです。治るものではないし、よって、治すべきものでもないのです。育て方で変わるものでも、遺伝するものでもありません。
 ただ、育った環境によって決まることもあるのか、その辺は分かりません。かつて「レオナルド・ダビンチ」についての本を読んだ際、幼い頃母と口うるさい姉たちの間に育ち、父を知らなかったレオナルドが、父親の様な存在を求めた結果、同性愛者になったというような記述がありました。ただ、その本を読んだのが1993年頃だったような気がするので、書かれたのがその前だとすると・・・今では否定されている学説かもしれません。その本には、ナルシスト、つまり自己愛者が同性愛者になるというような理論が展開されていました。

結婚生活≠恋愛関係

 それにしても結婚て、初めは恋愛感情によって成立するものですが、何十年も経つと、家族愛に変わるのではないかと思うのです。中には、恋愛感情がなくなったら離婚する夫婦もいるかもしれませんが、若くても恋愛感情のない仮面夫婦なんてのもいるかもしれないし、嫌いでも、子供のために離婚しない夫婦もいるだろうし、結婚生活イコール恋愛関係とは必ずしも言えないのではないか、と思うのです。

一緒にいたい人≠恋人

 結婚は、恋する相手とするというよりも、人間的に好き、尊敬できる、一緒にいたい、という相手とするものではないか、と思うのです。だとすれば、性別は関係ないような気がしてきます。もし、「恋愛関係の男女間のもの」だとしたら、年老いてからはどうなる?
 そりゃあ、年を取ってもずっと恋していたい、と若い人は夢を見るでしょうが、無理でしょう(無理じゃないw?)。だから、人間的に好きで、尊敬できて、一緒にいたい人が、必ずしも恋愛相手じゃなくても良くない?と問いたい。そいういうパートナーと生活してさ。

時代とともにゆがみ

 だとすると、そもそも結婚制度って必要なの?パートナー協定で良くはないか?という疑問が。元々お家制度を、戸籍制度に変えたわけですよね。時代とともに世の中は変化していくので、制度にもゆがみが生じてくるでしょう。だから、変化に応じて変えていかなければならないと思うのです。
 もっと言えば、戸籍制度とかいる?いやいや、また変わるの大好きな私の癖が。きっと戸籍制度も婚姻制度も、便利だからあるのでしょう。あー、確か戸籍制度は、税の取り立てのために始まったものでしたね。ずっと昔に。徴税のために便利なのか?

増えたわけではない

 時代の変化、と申しましたが、別に昔よりも同性愛者などの性的マイノリティーの人が増えた、とは言っておりません。増えたのではなく、広く認識され、自認できるようになったということはあるかもしれません。また、声を上げられるようになってきたのかも。
 江戸時代までは、殿様には小姓が仕えていました。小姓は身の回りの世話などをする男の子ですが、多くは男色の対象になったと言われています。織田信長の小姓、森蘭丸は有名ですね。「前髪」なんて言い方もありました。ちょんまげを結う前の少年が、まだ前髪を落としていないので、男から見て「魅力的」だったわけです。
 同性愛を禁止するキリスト教の影響を受ける、西洋の文化が日本に入ってきたからか、戦時中の産めよ殖やせよの号令の元、子供を作らない同性愛を敵視したからなのか、いずれにしても同性愛は、人類の営みの中の、ほんの最近禁止されたり忌避されたりするようになった、というものなのです。

ちょっとだけ気になる事

 最後に一つだけ。けっこう昔から日本では同性愛を主題にした小説やマンガなどがありましたが、昨今海外でも人気になりました。そして、タイでは若手俳優が演じるBLドラマがたくさん生まれ、世界中の人気を集めています。そんなタイドラマの中で、よくある設定が、
「俺はゲイではないと思う。ただ、○○の事が好きなだけだ。」
というやつ。フィクションですから、いろんな設定があっていいと思うのですが、やたら多い気がするのです、この設定が。
 これは、ドラマが主に女性向けで、素敵な俳優さんが演じていて、女性ファンにとって都合の良い設定なのではないかなと思うのです。でも、
「かっこいい男の子同士が愛し合うのが素敵、でも、ゲイであって欲しくない」
とか、
「かっこいい人が、ゲイなはずはない」
というような感情が入っているとすると、ゲイの人たちに失礼なのではないか。結局マイノリティーを差別しているのではないか。
 かくいう私も、なんとなくそういう設定で小説を書いている気がします。というのも、私の場合は高校生のお話を主に書いていて、「性自認をする、まさにその段階」を書いているというか。思春期の頃は、揺れ動くものだと思うので、その揺れ動きを描いているというか・・・。

 「差別とは、意識してするものではない。多くは差別していることに気づかずに、しているのである。」byチョコナッツ。

 肝に銘じます。