昨日の事。次男が言った。
「ねえ、”反感を買う”の反感ってどういう字だっけ?」
私が答える。
「反対の反に、感想の感だよ」
すると、
「これ、難しい字で書いてある」
と言う。何?難しい”反感”なんてあるか?
「反感じゃなくて、反芻(はんすう)じゃないの?」
と私が言ったら、
「ああ、そうか。反芻だ」
と言う。が、反芻は買わない。読んでいるスマホの細かい字を見せてもらった。
「なんだ、顰蹙(ひんしゅく)だよ」
と私が言うと、
「ひんしゅくって何?」
と来た。
「え?顰蹙を知らないの?嘘でしょ!」
「いや、聞いた事ないけど」
次男が読んでいた文面は、学校から送られてきた、模試に関する注意書きだった。
「遅れて入って来て音を立て、周りの顰蹙を買うような事のないように、時間に余裕を持って・・・」
というような内容だった。
先生もまさか、顰蹙を買うという言葉が生徒に通じないとは思ってもみなかっただろう。
アンケート結果
そんなの、うちの次男だけが知らなかっただけじゃないか、と思うだろう。私はそうは思わなかったが、次男は逆にそうかもしれないと考えたらしい。
Twitterか何かで、アンケートを採っていた。高校2,3年生の友達が答えてくれたアンケート結果は、
顰蹙を買うという言葉を
1使う 6票 21%
2よく聞くけど使わない 2票 7%
3知っている・聞いた事がある 6票 21%
4聞いた事ない 15票 52%
だったそうだ。
文系は2,3が多いらしい。やはり、試験の問題文などで読む文章に、時々出てくる事もあるのだろう。
それから、次男曰く使う21%のほとんどは嘘なのだとか。使うとしても親としか使わないという人もいたらしい。どのみち、半数以上が知らなかったのだ。
次男も、そういえば聞いたことくらいはあったかも・・・と言うし、文章の中に出てくれば、何となく意味も予想できるらしい。けど、だけれどもだよ、私はすっごく日常的に使っていた気がするのだよ!
我々の世代の会話
自分が小中学生の頃、「ヒンシュク」はもうカタカナだったと思うのだ。
マンガにもカタカナで出てきたし、日常的に子供達が使っていた。
「ヒンシュク物」なんていう言い方もした。
「お前、それはヒンシュク物だぜ」
とか、そんな感じに。
使われなくなったとすれば、何かに言い換えられてしまったのだろうと思って考えたのだが、子供は、
「ヘイトを買う」
という言葉かなと言う。けれども、そこまで強くない感じなんだよな。っていうか、「ヘイトを買う」という言葉も初めて聞いたんだけど・・・。世代間の言葉の違いは激しい。
世代によって
そして今日、次男は模試で居なかったのだが、夫、義母、長男が揃っている場所で、「顰蹙を買う」の話をした。すると、やはり長男は
「聞くけど、使わないね」
と言った。しかし、驚いた事に義母も、
「顰蹙を買うなんて言葉は、日常的には使わないね」
と言うのだ。知ってはいるけれど。
夫は私と同じでよく使っていたと言う。やはり「ヒンシュク」はカタカナだったと言っていた。
つまりは、最近使わなくなったというよりも、一時的に流行っていた言葉なのだ。「ちょべりば」とか「ナウい」と同じって事?ちょっと違うか。ちゃんとした正しい言葉ではあるから。造語ではないので。
何に取って代わられた?
因みに、今更だが「顰蹙を買う」の意味を書いておく。
「顰蹙」の意味は「眉をひそめること・不快の念を表して顔をしかめること」
「顰蹙を買う」の意味は、「自分の行為が原因で、世間の人から軽蔑され嫌がられる」
である。
使われなくなったという事は、それに代わって使われるようになった言葉があるのではないか。ヘイトを買うではなくて。
だって、けっこう顰蹙を買うような事って、今の日本人は一昔前よりも更に気にして避けるような気がするし。
ああ、我々が中学生くらいの頃は、日本人は人目を気にしすぎるから、もっと自由になろうとしていた気がするのだ。世間全体が。アメリカを見習って、世間様を怖がる事なく、個人主義で行こうという感じで。
それなのに、逆にもっと窮屈な世の中になったような気がするのはなぜだろう。
そうだ、「KY」という言葉が出来た。「空気を読まない」という言葉。KYな人はつまり「ヒンシュク物」だ。
何というか、逆だな。顰蹙を買う事を恐れている人は、空気を読もうとする人だから。KYな人は顰蹙を買う人だな。ん?頭がこんがらがる。
でも、なんか繋がる気がする。「空気を読む」という言葉に取って代わられたのかもしれない。
それにしても、若者向けの小説を書いている私としては、古い考えで「若者言葉」だと思っている言葉を書いていたら、まずいではないか。ちゃんと、「今の若者」を知らなくてはならない。
いやー、難題だ。