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母の期待通りの娘を目指していた私

一人で旅行に行くと言ったら、

「え?泊まりがけで?いいご身分ね

と母に言われた。「いいご身分」とは、褒める時の言葉ではない。

その時はそれほど気にしなかったが、その後私のメッシュの髪について言った母の言葉は・・・

母のようになりた・・・くはなかった

子供の頃、優しくておしとやかで、しっかり者の母が大好きだった。

今は普通だと思うが、当時は珍しい「友達親子」な感じで、とても仲良しな母娘だった。

母は私を、

厳しく育てすぎた

と言ったけれど、物心ついてからは、ほとんど叱られた事がなかった。妹や弟はいつも叱られていて、私だけは叱られない。小さい頃に厳しく育てられたからだとしたら、むしろ感謝するべきだと思った。覚えていないのだから。だが母は、もっとのびのびと育ててあげればよかったとも言っていた。もちろん、大人になってから言われたのだが。

確かに、私にはどもり症があって、その原因は色々考えられるわけだが、もしかしたら幼少期の厳しいしつけが原因という事もあったかもしれないので、母の後悔もあるいは間違っていないのかもしれないが。

大好きな母だが、母のようになりたいとは思っていなかった。というのも、時代がW浅野全盛期で、と言っても分からない人には分からないか。当時28歳くらいだった浅野ゆう子さんと浅野温子さんがW主演をしたドラマがあって、それまでの大人の女性像を覆す、「~じゃねえよ」などの言葉遣い、あぐらをかいて座る、と言った新しいヒロイン像が誕生した頃だった。

一方、私の母は今でもずっとスカートをはき続け、いつでも女性らしく、良い嫁、良い妻、良い母だった。

母の事は大好きだったが、自分は母のような女性になろうとは思っていなかった。W浅野のようなカッコイイ大人になろうと思っていた。

母の期待には応えたい

その一方で、母の価値観にはだいぶ影響を受けていた。こういう女はダメ、こういう人と結婚してはダメ、こういう職業は良くない、などなど。

そもそも根本からして、結婚し子供を産み育てるというのは、絶対にしなければならないと思っていた。それを済ませてから、好きなことをして、夢を追いかけようと思っていた。

受験もそうだ。親が自慢に思ってくれるという事を第一に考えていたような気がする。聞こえの良い学歴を手に入れようとしたのは、ほぼ100%親の為だった。就職の為でも、自分の為でももはやなかった。

だいたい親の望むような結果を出した。結婚もそうだ。

結婚前に、私は髪を染める事が出来なかった。ずっと茶髪に憧れていて、大学生だったらしてもいいし、当時も女性ならば社会人で茶髪は普通だったのだから、いつだって出来たのだ。

でも、結婚するまでは「派手な女」と思われるような事は出来なかった。マニキュアの色だって、淡い色しか出来なかった。けれども、それも結果的には正解だった。なぜって、夫と結婚する前に、私の写真を夫が家族に見せたところ、家族はみんな喜んだそうなのだ。たいして写りの良くないボケボケな写真だったのだが、それでも、

「俺の事だから、茶髪女に騙されてるんじゃないかと思っていたみたいで、そうじゃなかったから安心したみたい」

だと夫が言っていた。そして、すぐに結婚しろと言われたとか。夫の家は当時、夫の祖母が全権を握っており、私の母よりも1世代古いわけで、

「どこの大学出てる人?」

と、まず最初に聞かれたそうだし、

「明治記念館で式を挙げなさい、お金は出してあげるから」

と言われたし、

「うちの長男をよろしくね」

とわざわざ言われたり。結婚してからは、私がとても良い子だと言って可愛がってもらったし、嫌なことは全然言われなかったけれど、初対面の時にはだいぶ威圧されたものだ。

まあだから、結婚前に茶髪にしていなかったお陰で、夫と結婚出来たのかもしれない。

一方、妹は今や教育現場で働いており、黒髪をひっつめて地味な髪型をしている。妹は最初IT企業に勤めており、その頃は茶髪のショートでパーマを掛けて、とても可愛くしていた。その当時、私は地味だったのに。

そろそろ良いのでは

近頃は、子供がみんな結婚して、孫もたくさんいて、こんなに幸せなことはないと言う母。

母の期待通りにここまで来た。もうそろそろ良いかもしれない。

母の思い描く正しい嫁、正しい妻、正しい母は、家族を置いて一人で旅行に行ったりしないのだろう。

私が一人で旅行に行くと言った時、いいご身分だと言われて、私は少し傷ついた。というのも、自分で稼いだお金で行くわけではないからだ。

けれども、今年の旅行は各自で行く事にしようと言い出したのは夫だし、私は今回の旅行でかかる費用の見積もりを出して夫に見せたし、うちの中では問題ないのだ。

いつも一人で家に放って置かれている私が、3日間だけ家族を放って出かけてくる、それだけだ。

それに一人で旅行に行ったら、それはそのまま小説やブログの題材になる。大きな財産を手に入れに行くのだ。ただの羽伸ばしなだけではないのだ。

あ、今思い出した。母こそ、散々一人で旅行に行っていた!妹の高校の父母の会主催の旅行に、毎年参加していたっけ。コロナ前は。なーんだ、つまり子供の学校関係という免罪符があったから、自分でも気にしなかったわけだな?私がやろうとしている事と、母がやってきた事と、家族から見たら何ら変わりがない事に、恐らく気づいていないのだ。

それから、私の髪の毛を見て母が、

「それは、わざわざそうやって染めてるの?」

と聞いてきた。メッシュ髪の事だ。そうだと言ったら、

「ふうん」

と言った母だが、明らかに気に入らないと言った雰囲気。顔で分かる。妹が、

「メッシュ流行ってるもんね」

とすかさずフォローしてくれたが、もう母はその話題には触れないと言った感じだった。多分、そういう派手なのはお気に召さないのだろう。金髪が嫌いとかではないのだ。私の長男が金髪にした時には、とてもカッコイイと褒めていたのだから。

要するに、女が派手にするのがよろしくない、そういう部類の女に見える、そんな感じだろうか。

でも私は気にしない。もう、母の望み通りに生きるのは辞める。もう十分だろう。これからは、私が私のなりたい自分になる。ちょっと遅いけれど。

でも、子供が大きくなったから出来るという事もある。人目を気にしすぎだとは思うが、子供の母親としてどう見られているかも気にしていた。

「あんなお母さんだから、子供もこうだ」

という風に見られるのではないかと。真面目なお母さんだから、子供も真面目に違いない、と先生などに思われるように振る舞おうとしていたし、格好もしかり。今、内申点を気にしなくてよくなったからこそ、親も自由になれたような。

義母は理解を・・・あれ?

一方、今回の一人旅に関して、義母に話した時には大いに賛成してくれた。実母に話す時よりも緊張して、頃合いを見計らって話したのだが、案外すんなりと話せて。

今日、義母がうちに来て、なんとお餞別をくれた。母はあんな風に言ったけれど、義母はお金までくれて・・・と感激したのだが、それがそうでもないような。

くれる時、一応確認したのだと思うのだが、

「旅行、行くの?」

と聞かれたのだ。

「行くよね?」

ではなくて、ちょっと威圧的に「行くの?」と。

どうも、「こんな時に」というニュアンスを感じてしまった。

「行きます」

と、一瞬置いてから言うと、封筒をくれた。

「とろろ昆布でも買ってきて」

と言われた。とろろ昆布が売っているのかどうか、分からないが。少なくともガイドブックには載っていなかったが。

もし、こんな時なのに行くの?だとしたら、こんな時とはどんな時だろうか。

コロナが流行っている時?うちでコロナが出たばかりの時?

どのみち、行くと決めた時よりも条件が悪くなっているわけでもない。今は家族みんな元気で、夫もすっかり元気になって、社会復帰したわけだし。

ただ、雨がなぁ。北陸は今、雨が多くて心配だ。靴がびしょ濡れになるだろうか。バッグもどうしたら・・・。でも、行く。よっぽどの事が無い限り、行く。