アフィリエイト広告、アドセンス広告を利用しています。あなたの広告への反応が、チョコナッツの収益に影響します。

片付けられる人と片付けられない人の違い

先日Twitterで、いつも雑誌みたいに片付いている部屋に住んでる人っているの?実際いないよね、という投稿を見た。その人は、お仕事で色々なお宅にお邪魔するそうだが、全てのお宅が散らかっているという事だった。

良し悪しではない

いつも片付けている人はいる。けれども、どうやら少数派のようだ。片付けようとすれば片付けられる人はたくさんいて、人が来る事が分かっていれば・・・という話はよく聞く。

かくいう私も、雑誌みたいではないけれど、家の中はいつも片付けてある。というか、現在使っていない物は全て所定の位置にしまってある。Twitterで「私は片付けています」と発言するのは空気が読めないと思って辞めておいた。だが、リプ欄を見ると、自分の母親は片付けている人だったという声がいくつかあった。

この、いつも片付けている人と、つい散らかったままにしてしまう人の違いは何だろうか。それは頭の良し悪しでも、人間の優劣でもなく、単に性格の違いだと思う。ただ、真面目かズボラかという問題ではないと思うのだ。良い悪いではないという事。いつも片付けている人が、なぜそうなのかを解き明かせば、色々と分かって来るのではないか。

夏休みの宿題

夏休みの宿題を、先にやるか後にやるか。半数以上の人が前半に終わらせたいと思っているのに、実際には3割以上の人が最終日ギリギリになってしまうらしい。最終日でなくとも、後半になってやる人は8割くらい。つまり、先に終わらせる人は日本人の2割くらいしかいないらしい。

いや、これはどこかで聞いた話で、はっきりとした数字を覚えているわけではない。だが、とにかく先に終わらせる派は少数なのだ。

これは、頭の良し悪しとは関係ない。私の周りの人達もそうだった。大抵皆、ギリギリにならないとやらないと言うし、頭の良い人でもそうだ。先にやる派は黙っているという事もあるが、かのタモリもギリギリ派だったようだし、東大生が皆先にやる派なわけではないのだ。けっこうギリギリ派も多いらしい。

では、何がそうさせるのか。それはもちろん、性格。先にやる派である私から言わせると、やらなければならない事があると、楽しめないのだ。そういう性格だから、先に済ませる。

ここで先に断っておこう。毎日観察する物は後半までかかるし、旅行に行ってからでないと出来ないような、絵や作文の宿題はお盆過ぎにならないと終わらない。だから、夏休み前半に全て終わらせるわけではない。よく親戚の大人が、

「夏休みの宿題終わった?」

と、お盆辺りに聞いてきたりするが、その時には終わったとは言えない。先に出来ない物もあるから。それでいつも困っていた。終わっていないと言うと、ギリギリ派だと思われるようで嫌だったのを覚えている。

よく夏休みの友とか、算数と国語のドリルがあったりするではないか。あれは7月中に終わらせる。工作のような物があればそれも。毎日天気をつけるものは、ちゃんと毎日やっていた。だから、これは最終日まで終わらないのは必須だった。ああ、なんて真面目な小学生だったのだろう。

真面目なのは、言い方を変えれば臆病なのだ。後半まで残しておいて、終わらなかったらどうしようと思う。その、どうしようという不安を抱えながら遊んでも、楽しくない。旅行に行ってもふっと不安になってしまうから。不安症かもしれない。

終わらなくて、恥ずかしい思いもしたくないと思った。だらしない、おバカだと思われたくないという、勝ち気な面もあったかもしれない。ようするに、そういう「性格」なのだ。怖がりで勝ち気な、性格。

相関関係

片付けられるかどうかと、宿題を先にやるかどうかとには、相関関係があるのではないだろうか。

他にもある。

いつも片付けられる人 / つい散らかっちゃう人
宿題を先にやる人 / 宿題をギリギリにやる人

後に楽する為に今を頑張る人 / 先に楽な方を選ぶ人
好きな食べ物を最後までとっておく人 / 好きな物は先に食べる人

不安症な人 / 楽観的・短絡的な人
用意周到な人 / 行き当たりばったりな人
旅行の計画を立てる人 / その場その場で臨機応変に楽しむ人

私は大体左側に当てはまる。いや、食べ物だけは変わった。昔は好きな物は最後に取っておいたのだが、お腹がいっぱいな時に食べるよりも、お腹が空いている時に食べた方が美味しいという事に気づき、先に食べる事にしたのだ。

次男を見ていると面白い。食事の中で美味しかったものは、それがいくつかあった場合に、一つだけ最後まで残しておくのだ。彼も左側の人間。不安症だ。だけれども、あんまり片付けられる人でもないかな。宿題を先にやる派ではない。ということは、食べ物は違うかもしれない。

片付けも実は、宿題を先にやるのと同じなのだ。使った物を元の場所にすぐ戻すという事で、後で散らかった状態になってから大変な思いをして片付けをしたくないという事。後で楽をする為に先にちょっとの苦労をする。

実際、片付けられるようになったのは、小学校4年生の時の気づきがあったお陰なのだ。それをご紹介しよう。

片付けられるようになった「気づき」

私も小学校の低学年の時には、机の上が物であふれかえっている子供だった。

小学校4年生の時、同じ部屋に妹の机が来た。妹も小学校に上がるので買ってもらったのだ。

買ったばかりの机には、もちろん物がない。妹の机はきれいなのに、私の机は物がごちゃあ。これは恥ずかしい。

そのちょっと前に、同じように姉妹で一つの部屋を使っている友達の家に遊びに行った。そうしたら、その姉妹の机がすっごくきれいに片付いていて、驚いた。憧れた。

それで、妹の机が来た時に、憧れの片付けられた机にしよう、と一念発起したのだ。

机の上の物を全て片付けたら、端っこからGの死骸が出てきた事もショックだった。もう、これは絶対にきれいを保たなければならない。

もちろん、時々は片付けていた。年末年始くらいは。それでも、また使った色鉛筆やら塗り絵やら、ノートやらあれやこれやを、机の上にポンと置いてしまう。そうすると、物が堆く積まれてしまい、いや、ちゃんと積んでいるわけではないので崩れて、ぐちゃあっとなるのだ。

9歳の私は気づいた。

「そうか。使った後に机の上に置かないで、それぞれ引き出しにしまえばいいのか」

と。鉛筆やハサミの引き出し、塗り絵などノートの引き出し、教科書の棚、という風にしまう場所をカテゴリー毎に決め、使った後はその場所に必ず戻す一つを戻すのは何でもない。いくつか溜まるから面倒なのだ。

そう気づいたら、それからはすっかり片付いた机に生まれ変わった。一方、妹の机には物がぐちゃっとなり、その後ずーっとぐちゃあっとしていて、どうやら結婚して引っ越した先でも、物が玄関まで溢れていたという父の証言もあったくらい・・・。いや、妹よごめん。その時は子供が小さくて大変だったんだよな。今はそんな事はないよな。でも、本人も片付けられない人だと自負していた。

今、狭い部屋に住む私。物は多いし子供は散らかすし、という事もあったが、子供が大きくなってからはまた片付いた生活になっている。いつ人が来ても特に問題はない。すぐ家族が洋服を脱ぎ捨ててその辺に放っておくので、休日はちょっとあれだが。

進化の過程で・・・遺伝しない?

片付けられる派が少数派だという事は、人間の進化の課程で淘汰されようとしているのだろうか?

つまり、片付けられない派の方が、長生きをするか子孫を残しやすいという事だろうか。

それはつまり、不安症よりも、楽観的な方が長生きするという事かもしれない。それはあり得る。

ただ、それはそういう性格が遺伝すると仮定した場合に語れる事だ。宿題を先にやる派の人の子供が先にやるかという問題。

残念ながら、私の子供は二人ともギリギリ派だ。不安症のような次男でさえ、宿題はギリギリ。どうしてだろうなあ。ああ、夫はギリギリ派だったな。

そう、夫は若い頃、土日によく仕事を持ち帰って来ていて、それを日曜日の夜からやりだしてビックリさせられた事が多々あった。私なら、遅くとも土曜中にはやるだろう。仕事が残っていたら、土日に休んだ気がしないと思う。つまり、夫は楽観的なのだろうな。それでもちゃんと出世して来たから、ダメじゃないのだろう。

というわけで、先にやる派は劣性遺伝なのか、むしろ遺伝はしないのか。性格はある程度遺伝して、その他環境や育てられ方で多少変わるものだと思うが、どうだろうか。次男をギリギリ派に育てた覚えはないが。

まとめ

今回、何が言いたかったかと言うと、片付けられるかどうかは、不安症かどうかの違いで、片付けられなくてもしょうがないという事だ。片付けられない人は不安をそれほど感じないという、良い性格なのだ。幸せな性分なのだ。

ただ、憧れの雑誌のような部屋に住みたいのなら、物を使ったら元に戻すという事を実践してみてはどうだろうか。本当は簡単な事なのだが・・・。大人ならそんな事分かっていると思われるだろう。けれども、本心から気づかないと変わらないような気がする。分かっちゃいるが辞められないってやつで、心からこうなりたい、と思わないとなかなか。だから、みんなで片付けよう!などとは言わない。人が来る事になった時に、やばい!となって片付けるというのをやり続けるか、辞めたいか。ただそれだけだ。