腸閉塞を起こし、高校から救急搬送された次男。入院した翌日、荷物を届けに行ったものの、肝心の荷物を忘れ、病院と家を2往復したチョコナッツ。それも、右膝が腫れていて痛かったというのに。
検査結果
2往復して帰って来たのが午後3時くらいだったか。それからパソコン作業をしていると、4時過ぎに病院から電話がかかってきた。
「遅くなってすみません。検査の結果をお知らせします」
ちっとも遅くないのだが、もし病院内でずっと待っていたら遅いと思うかもしれない。2時間以上経っているから。
造影剤を全身の血管に入れ、CT画像を撮って腸の様子を詳しく診てくれた。その結果、閉塞は取れていて、もう鼻からチューブを入れなくていいそうだ。あれは辛いようだったから、良かった。
腸に炎症が起きているので、点滴と抗生物質で様子を見るという事だった。
また、虫垂にも炎症の跡が見られて、外科の先生とも相談し、現在痛みがないので、今のところ手術の必要はないという事。もし今後痛みが出るようならば、盲腸の手術になるかもしれないと。
盲腸(虫垂)は必要ないもので、私が昔聞いた話によると、炎症を起こして痛みを起こすかもしれないから、アメリカでは赤ちゃんのうちに取ってしまうとか。だから、もし怪しいんだったらついでに取ってもらえばいいのかと思っていたのだが、今回ある事を聞いてその考えが変わった。
今回の原因ではないが、腸閉塞を起こす原因の一つに、手術をした後の癒着があるらしい。つまり、今回盲腸を切る手術をしたならば、そのせいでまた今後腸閉塞を起こす確率が上がるのだ。そう考えると、不必要な手術はしないに限ると思った。
去年の細菌をやっと
それにしても。抗生物質を投与するという事は、つまり炎症は細菌によるものという事ではないか。だとすると、ちょうど1年前に患った細菌性胃腸炎と関係があるのでは?
1年前、突然嘔吐下痢に苦しんだ次男だが、最初に熱が出なかったものだから、ウイルス性だと思われて抗生物質を処方されなかった。ゴールデンウイークという事もあって、また、コロナ禍でもあり、なかなか診察してもらえず。ああ、あの時大学病院では、自分でトイレに行けるようなら緊急性はないと言われ、かかりつけ医には熱がある患者は受け入れないと言われ・・・だから診てくれた内科の先生には感謝しているのだが、その後高熱が出て、血液検査もして、細菌性胃腸炎と分かって抗生物質を出されたものの、5日分飲んでも治らず、また2日分追加で出されたけれども治らず・・・。何とか11日くらい寝込んで復活したものの、たびたび腹痛に悩まされていたのだ。
また、すごく痛い時にはなかなか病院に行かれないもので、治まっている時に検査をしても何でもないと言われた。
今回、本人は相当辛かっただろうが、その、すごく辛い時に検査をしてもらえたのは良かったのだと思う。それで、抗生剤を何日も投与してもらい、食事を摂らずに胃腸を休ませ、これですっかり治してしまえば、今までのように時々痛くなる事もなくなるのではないか。
背筋・腹筋の筋肉痛?
ブログを書き終え、夕飯はゆっくりでいいと思って洗濯物を畳んでいると、ふと、
「あ、今日木曜日じゃん。長男のバイトの日じゃないじゃん!」
と、7時に夕飯を作るべき日だった事を思い出し、急いで準備をした。
前日は急に次男を迎えに行くことになって、元々その日に食べる予定だった物が余ってしまっていた。主婦業というのは、毎日賞味期限との戦いである。予定が一日狂っただけでも痛手なのに、その上食べる人が1人減ったのみならず、あるはずだったお弁当までなくなったのだ。これはもう、一人一人の食べる量を増やすしかない。
というほどでもないのだが、いつもは納豆は子供が一人1パック、大人は二人で1パックだったのに、この日は大人も一人で1パックだった。それだけでもお腹いっぱい。
んでもって、なんか長男が帰ってこない。7時には遅れるかもしれないと思ったが、もう片付けをしようとしているのに帰ってこない。結局、サークルのイベントがあって11時半頃まで帰ってこなかった。
長男の為に、お味噌汁は少しお代わり分を残しておく。しかし、帰りが遅い日は、鍋を洗ってしまいたいので多めには作らない。しかし、この日遅くなると聞いていなかったので、多めに作ってしまった。それを、夫と長男のお椀に満杯まで入れ、残りは私が飲むという・・・もうお腹いっぱいなんだってば。
で、片付けようと思ったけれど、どうも苦しい。しばらくお腹がいっぱいで苦しくて、動けなかった。なんだか、息を吸うと背中とかお腹が痛いような。そうか、これって筋肉痛だよな。食べ過ぎたわけじゃないよな?
今日は確かにたくさん歩いたけれど、背筋とか腹筋まで痛くなるか?
と思って考えていたら、一つ思い当たる事があった。昨日、ものすごく重たいリュックを背負ったからだ。いやでも、ほんとに一瞬なのに。んー、いや、救急車の中で背筋を伸ばして座っていたから?
とにかく背筋が痛いなーと思いながら、片付けもしたし、あまり早めには寝られなかったけれど、いつもよりは少し早く寝た。
先祖代々なんてもんじゃない
翌朝、義母から電話が。
「今日、病院行く?」
「今日は行きません」
「え、行かないの?あのさ、うちは代々大腸がん家系だから、その事を先生に言っておいた方がいいんじゃないの?おじいちゃんもだし、ひいおじいちゃんも、ひいおばあちゃんもだもの。先祖代々なんてもんじゃないんだから」
よく検診の問診票に、親類にがんや糖尿病などの人がいるかという質問があるが、今回は聞かれなかったから言ってない。
「でも、たとえ将来大腸がんになるとしても、今はまだないだろうし・・・」
「まあ、まだ若いからね」
「一応本人に、機会があったら先生に伝えるように言っておきます。LINEできるので」
という会話がなされた。先祖代々・・・。夫の父が大腸がんで亡くなっている。確かにうちの子達は大腸がんになりやすい体質かもしれない。けれども、義母はなっていないのだから、私の夫が既に半分だ。それで、私の家系は全くいないから、4分の1だ。それほど確率の高いものではないのでは?もし、私の親や祖父母も大腸がんを患っていたならば、それは先祖代々大腸がん家系だと言えるだろうが。
そういえば、夫も私も高校時代に大腸炎になっている。夫はそれで入院までしたらしいから、そっちは可能性高かったんだな。長男はならなかったけど。あ、長男だけ私立高校だったからとか?公立高校に通うと大腸炎になる家系・・・冗談である。しかし、人間関係のこじれや、勉強以外の事が忙しすぎたりするなど、ストレスがひどいと大腸炎になるのは、もしかしたら遺伝かも?
満身創痍
次男とは、時々LINEで連絡を取った。けっこう元気なのだが、喉が渇いても水も飲めないのが辛いという事だった。
あと、義母は面会が禁止だと知らなかったようだが、LINEで連絡が取れると知って、直接次男に連絡したみたいで、元気そうだったから安心したようだった。
で、私の方は時間と共に体に異変が。膝の方はだいぶよくなったのだが、背中の方がやばい。午前中は掃除などをしていたのだが、その後前屈みになろうとすると背中に激痛が。これは知っている。じわじわ型のギックリ腰の痛みだ。ヤバいヤバい。気を付けないと本当に動けなくなるやつだ。
またロキソニンテープを貼り、なるべく安静にした。ちょっと寄りかかろうとしても激痛が走るし、もう満身創痍。スネとかふくらはぎも少々筋肉痛。前日の2往復もそうだし、やっぱり夜までかかった緊急搬送も、相当体に堪えたようだ。今日、病院に行かずに済んで良かった。
色々持って来て
その翌日。入院生活3日目にして、シャワーを浴びることが出来た次男。そうしたら、色々持って来て欲しい物が出てきたらしい。
シャンプー、コンディショナー、トリートメント、ひげそり、毛抜き、ブラシ、手鏡、ドライヤー、スマホ用アーム、あと洗顔フォーム。
おとといのブログにも書いたように、パジャマやタオル、その他シャンプーや歯ブラシなど、必要な物一式を一日500円でレンタルする契約をした。パジャマだけなら250円なのに、だ。入院は2~3日だと思ったのに、どうも連休中はずっと点滴続行だと言われたとかで、入院が一週間とかになりそう。それなら翌日タオルなどを持って行けば、250円のパジャマだけで良かったのでは・・・と思っていたのに。
シャンプーとかは借りられるはずだけど?というLINEを返すと、
あるんだけど、品質が・・・
だと。それに、ドライヤーもないのは辛いだろうと思ったら、
あるんだけど、弱くて・・・
乾かないそうだ。分かったよ。ちょうど洗濯物も取りに行く頃だし、行ってやるよ。
というわけで、翌日持って行く事にした。次男はちゃんと「次来る時に、持って来て欲しい」と言っているのであって、明日持って来てと言ったわけではないのだ。けれども、平日よりも日曜日の方が都合が良かったので、翌日に。それに、次にシャワーを浴びる時には欲しいだろうから。特に縮毛矯正が取れてきている、天然パーマの次男が、品質の悪い、というかリンスインシャンプーだけで、熱の弱いドライヤーでは、確かに大変だ。
母は息子にきれいに、格好良くいてもらいたい。看護師さんや周りの患者さんからも、あの子格好いい、と思われたいというエゴがある。そのためには、多少の労力はいとわないのである。
やっぱり会えず
日曜日、ロキソニンテープを貼って寝たお陰で、朝には背中の痛みがほとんど取れていた。
アームやドライヤーもあり、頼まれていないけれども本も入れたので、ちょっと重たい荷物を持ち、その他にも自分のバッグを持ち、雨が降り始めたので傘をさし、坂を歩くのでボランティアズックで出かけた。もう荷物は忘れないぞ。けっこう怖かったけど。
もう慣れたもので、ちょっと1ヶ所曲がる所を通り過ぎてしまったが、すぐに気づいて修正したし、地図を見ないで病院へ行くことが出来た。
休日は夜間受付と同じところで、むしろ平日の入り口よりもセキュリティが万全な感じだった。ちゃんとどこの病棟の誰の為に来たとか、自分の名前も書いたし。そうだよ、こういう書類を書かないとねえ。
南病棟と書いて出し、検温をして、やっぱり5/1検温済みというシールを渡されて、腕に貼って入った。
エレベーターで3階へ行き、南病棟へ行った。次男にもLINEをしてある。洗濯物を看護師さんに預けてあるらしい。
しかし、ナースステーションに誰もいない。チラチラ廊下で仕事中の看護師さんは見えるのだが、話しかけに行くべきではなさそう。少し待っていると、やっと一人ナースステーションへ入ってくる人がいたので、声を掛けた。
ところが、次男の名前を言っても、そんな人はいないと。ん?病室が変わったのって、もしかして病棟も変わった?
「南病棟に、そのような方はいないのですが」
「あれ?病棟が変わったのかしら。聞いてみます」
次男にLINEで聞いてみたら、
「西2」
早く言えよー。南3に来ているのにさ。看護師さんにお礼を言い(西はあっちですと教えてくれたので。分かっていたけれど)エレベーターで2階に下り、西病棟の方へ歩いて行った。
次男に、西に移ったなら言ってくれよと言うと、ここまで来られるとは思わなかったからと。
「こっちまで来られるの?一番奥の部屋だから」
「いや、部屋には行けないよ。ナースステーションの前まで」
「お、じゃあ、トイレ行っちゃおうかなー」
「いいねー」
と、LINEでやり取りしながら歩いて行くと、衝立で行き止まりにしてある。道を間違えたかと思って、少し戻ってみたが、やっぱり西はこっちと書いてある。じゃあ、この衝立は行き止まりという意味ではなく、関係者以外立ち入り禁止という事か?
衝立の向こうでは、時々看護師さんが姿を見せる。声を掛け、荷物を届けに来たと言うと、受け取ってくれた。
「洗濯物をもらって帰りたいんですけど」
と言うと、お待ちくださいと。で、衝立の隙間から中を覗いていたのだが、
「お掛けになってお待ちください」
と言われてしまった。衝立からちょっと離れたところに置いてあるパイプ椅子。あそこに座ったらもう覗けない。
そして、椅子に座る。近くにトイレがあるわけでもなさそうだし、たとえ廊下の向こうの方に次男が現れたとしても、顔が見えるわけでもなさそうだ。だから、いいや。顔を見ることは諦めたとLINEして、持って来てもらった洗濯物(ナイロンの巾着袋に丸めて入れてある)を受け取って、帰って来た。
土砂降りの雨の中
外に出ると、ものすごい土砂降りだった。靴は濡れるし、何ならズボンも全て濡れる。腿の辺りまで。
地面を流れる雨水。そこを15分くらい歩くわけだ。ところが、駅の近くまで来たら、小降りになってきた。なーんだ、ちょうど酷い時に出てきちゃったな。まあ、私はそういう運命だから仕方ない。
電車に乗って、座れたから本を読んでいたら、なんと雨が降ってくる!見ると窓が少し開いている。最近は換気の為に、時々窓が少し開けられているのだが、雨がひどいと吹き込んでくる。
隣に赤ちゃんを膝に乗せた女性がいて、思わず
「濡れますよね。どうします?閉めますか?」
と、話し合ってしまった。
「なんで開いてるんでしょう?」
と言われて、
「換気の為でしょうね」
と言ったら、
「ああ、コロナだから」
と、ご納得。
「閉めましょうか?」
と言ったら、
「でも、ちょっと前の方に座れば」
と言うので、確かに勝手に閉めていいのかどうか迷うところだし、ちょっと前の方に座った。本が濡れるのだけは勘弁してもらいたい。駅に着いた時などは吹き込まないのだが、時々ぽつぽつぽつっと、背中や頭に雨粒が当たる。
最寄り駅に着いた。今度は毛抜きを買って帰らなければならない。家に毛抜きが一本しかなかったのだ。眉毛を抜くやつ。買ってから病院に持って行こうかと思ったが、それだと電車の時間が読めないので、家にあるのを持って行って、帰りに買おうと考えたのだ。
買い物をして、やっぱり土砂降りの中家に帰り、家の中に入ったら、あまりにも靴下がびしょびしょで、床に水の足跡が。靴下を脱ぎ、上着も脱ぎ、とりあえずズボンも脱いだが、やっぱり履いて裾をドライヤーで乾かす。あまり乾かないけれど。
思ったより寒かったせいで、私の方こそお腹の調子が悪かった。髪の毛も濡れてひどい状態。やれやれ。1往復でも大雨のせいで、やっぱり満身創痍だ。
それにしても、顔を見なかったお陰で、今回は泣かないで済んだぞ。やっぱりちょこっと会う方が却って辛いな。
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