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初めて救急車を呼んだ

2022年4月29日(金)

4月27日水曜日。人生初、救急車を呼んだ。今まで何度も、呼ぼうかどうしようかと迷った事があるし、道端で倒れている人に呼びましょうか?と聞いた事もあるし、実際呼ぶ事になったけれど他の人が呼んでくれた事もあった。だが、自分で電話を掛け、来てもらったのは初めて。だが、そんな事よりもその救急車で運ばれた次男の事である。なかなかに、この日は大変な日であった。

出かけない日のはずだった

朝、やっぱり腹痛を起こした次男。前日処方された痛み止め(というよりも下剤)を初めて飲んで、朝ご飯を食べて、制服に着替えた状態でしばらく横になって、やっと10時半過ぎに学校へ向かったのであった。

「辛かったら帰ってくるよ」

確かに、そう言って出かけた。

一方、私はなぜか朝から右膝が痛かった。前日に歩きすぎたという記憶はないし、正座をずっとしていたというわけでもないのだが。もしかしたら、しばらく出かけない日が続いていたから、運動不足かもしれない。逆に、毎晩行っているステップ(階段一段を上って下りて、と曲に合わせてするエクササイズ)で、夕べやり過ぎたのかもしれない。時間的にはいつも通りだったのだが、速い曲だったりすると上り下りが多くなるので。とにかく腫れていた。膝のお皿の上の柔らかい所をちょんちょんと突くだけで激痛が走る。しゃがんだり、立ち上がったりする時は更に激痛。

というわけで、今日は買い物も辞めて家にいようと思っていた。

午後1時頃、次男からLINEが入った。

「全然食欲がない」

なんと。お弁当を持って行ったが、食べなくていいよと送った。そうしたら、

「お腹すいたら食べるね」

と返ってきた。それから1時間ほどして、ちょっと不安になった私は、

「3時過ぎたら別の物を食べるんだよ。傷んでたら大変だからね」

と送った。了解ですと返事があったので、この時にはまだ食べていなかったようだ。そしてその時に、下剤が効きすぎてかなり下痢だとも言っていた。2錠飲んだけれど、1錠にしないとダメだねと。

そして、色々と会話した。昨日お医者さんで言われた社交性不安障害があがり症の事なんだねとか、私からの遺伝だね、ごめんねとか、お母さんのせいじゃないよとか、LINEでやり取りをしたのだった。下痢はあったけれど、この時は普通に元気だったはずだ。

私がブログを書き終え、そろそろパソコンを辞めようかなと思っていた夕方5時頃、次男からLINE電話がかかってきた。出てみたら、次男本人からではなく、バレー部のマネージャーさんからだった。そしてなんと、次男が部活中に2度吐いてしまって、今体育館脇で横になっていると。迎えに来られますかと。

「・・・行きます」

「どのくらいで来られますか?」

「・・・1時間くらいで行けると思います」

そうして、電話を切った時、いつの間にかパソコンの電源も切れていた。無意識にシャットダウン作業をしていたようだ。そして立ち上がった瞬間、

「痛っ!」

右膝、激痛。パソコン作業中に変な角度に膝を曲げていたからか、立ち上がろうとして体重を掛けたらとても痛い。けれども、そんな事を言っている場合ではない。いやー、でも今日に限って膝が痛いなんてついてない。

いつもなら、5分か10分で支度して家を出られるのだが、今日に限って外に出られない服装をしていた。いや、ワンチャン近所に買い物くらいなら行ける程度だったが、これで電車に乗るとか、あり得ない。どうしよう。

もう少し涼しい時ならば、上着を羽織ってしまえば問題なかった。しかし、この日は4月なのに最高気温が28度の蒸し暑い日だった。何かを上に着るのは暑いと思い、着ていた長袖Tシャツを脱ぎ、別の物を着てみた。すると、それは七分袖だったので、ちょっと寒い。昼間は暑かったけれど、これから夜になると寒いのでは。それで、また元のTシャツを着て、ちょっと暑いけれどチュニックを上から着た。見た目はOK。後から考えれば、下に着ていたタンクトップは脱げば良かったのだが、急いでいてそこまで気が回らなかった。

ああ、服装で悩んでしまったので、恐らくこれだけで5分以上過ぎてしまった。それから荷物の用意をする。吐いたという事だったので、エチケット袋換えのマスクを持ち、一応保険証も(後から保険証は次男の持っていた財布の中に入っている事に気づくが、この時はお薬手帳と一緒にあると思っていた)持った。

次男からのLINEに、マネージャーさんからメッセージが入り、次男のスマホの電源が切れそうなので、自分の電話番号を教えるという事だった。

さあ、出かけようと思ったところで、また次男からLINE電話がかかってきた。電源切れそうなんじゃ?と思って出てみたら、今度は顧問の先生からだった。先生からも次男の状態を知らされ、そして

車で来られますか?」

と聞かれた。電車だと答えると、

「どうやって連れて帰りますか?けっこう痛がっていて、歩ける感じではないですけど」

と。タクシーかなと言うと、先生は救急車を呼ぶという手もありますがと言う。確かにそうだけれど、本人がそこまでオオゴトにしたくないのでは、と言ったら、確かに本人もそう言っているという事だった。

「とにかく、行きます」

と言って、電車を改めて検索。うー、15分くらい先生としゃべってしまったよ。マネージャーさんと話した時には、6時までには着けると思っていたのに怪しくなってしまった。部活は6時までだ。

検索の結果、学校到着は6時3分頃と思われた。次男のスマホの為にモバイルバッテリーもひっつかんで鞄に入れ、とにかく急いで家を出た。歩いていると、マネージャーさん本人からLINEがきた。次男のスマホからIDをもらったとか何とか。とにかく、直接やりとり出来るようになった。それで、到着時間を教えてくださいという事だったので、6時をちょっと過ぎますと伝えた。

学校に到着

マネージャーさんが、学校に着いたら電話くださいと言う事だったので、門を入ってすぐに電話をかけた。彼女が体育館から出てきて、次男は保健室に移動したという事で、保健室に案内された。実は、保健室に迎えに行った事は一度あるのだ。だから案内されなくても大丈夫だったのだが。

保健室に入ると、一つのベッドに次男が寝ており、顔の横に洗面器があって、その中に茶色い物が入っていた。つまり、吐いたのだ。何か食べたのかと聞いたら、お弁当を少し食べたと弱々しく答える次男。時々お腹が痛むようで、体をよじる。そして、また吐いた。私はマネージャーさんに下がるように言った。

ベッドの上は砂だらけだった。顧問の先生が現れて、次男が痛みの波が引いた時に、それっという感じで裸足のまま体育館からここまで移動してきたそうで、靴を履いている場合ではなかったから、こうなったようだ。清潔がモットーの保健室なのに、大変申し訳ない。

これからどうするか、保健の先生と、顧問の先生と話し合った。また波が引いた時にタクシーに乗せるとしても、家まで乗って帰るのは無理な気がする。また吐くかもしれない。とにかく病院に行った方が良いが、もう遅い時間である。

顧問の先生は、救急車を呼んだ方がいいのでは、と言う。しかし、保健の先生は

「意識がハッキリしているので」

と、消極的だ。そして、遅くまでやっている近くの病院を探してくれて、6時半までやっている内科を見つけ、電話をかけてくれた。そして、診てくれるという事だった。もう6時20分だった。保健の先生はタクシーも呼んでくれた。

さあ、波が引いたらここに乗れと、顧問の先生が車いすをベッドの横にスタンバイさせてくれた。しかし、声を掛けてもほんの少し体を動かしただけで、次男に起き上がる気配はない。波はあるが、その周期は短く、少しじっとしていたかと思うと、また痛がってもんどり打っている。苦しそうだ。

そういえば、次男の靴は?と思って顧問の先生に聞いたら、先生は次男に向かってなんと、靴のメーカーを聞いた。いや、○○の黒か?とか、私もメーカー名を全然知らないのでよく分からなかったが、次男も分からないようだった。けれども次男は、下駄箱の右側の上から2番目、と辛うじて言えた。それで、顧問の先生は靴を取りに行ってくれた。

その間の事だが、いつまで経っても車いすにさえ乗れない次男を見て、

「これ、お医者さんで診てもらったとしても、その後どうやって帰ればいいのか・・・」

と、私は保健の先生に言った。

「そうですよね、お母様の負担が大き過ぎますよね」

今は複数の手があるし、男の先生もいるが、病院に行った後は私しかいない。タクシーに乗せるにしたって難しい。

「やっぱり、救急車の方がいいのでは」

「そうですよね。救急車を呼びましょう」

保健の先生がそう言ってくれた。

「でも、お医者さんに行くって言ってしまいましたよね。タクシーも来てしまいますよね」

と私が言うと、

「それはいいんです。電話一本入れるだけですから。では、私今から病院とタクシーにキャンセルの電話を入れますから、お母様、救急車呼んでもらっていいですか?」

と、保健の先生。

「はい、分かりました!」

おっとー!人生初!救急車を呼ぶ!

「ここに学校の住所が書いてありますから」

保険の先生が学校の封筒を持って来てくれた。そして、私はスマホで119番通報を。何度も頭の中でシミュレーションしてきた。電話が苦手というか、トラウマだらけのチョコナッツ。通報なんて出来るとは思えなかった。夫が手を切ってしばらく血が止まらなかった時、私自身がお腹が痛くて動けなかった時、119番通報をするかも、と思っただけで心臓はバクバクといい、手汗がどっと出て、とても出来る気がしなかった。けれども、最初に火災ですか、救急ですか、と聞かれるから「救急です」と答える所から始まるのだという知識はあった。

さて、今は不思議と心臓はバクバクしていないし、手に汗も握っていないし、足もがくがくしていなかった。歳と共にあまりドキドキしなくなったのは確かだ。そうやってもろくなっていく血管と共に変化して、体を守って行くのだな、と妙に納得してしまうが、今回は歳のせいだけでもなさそうだ。妙に落ち着いている。苦しむ子供を前にして肝が据わっているというか、そうだな、救急車に来てもらいたいと心から思っているからかもしれない。

119を押して電話マークを押し、耳に電話を当てるとすぐに出た。

「火災ですか?救急ですか?」

火災だったか、火事だったか、そっちは覚えていないが、とにかくシミュレーション通りの問いかけが来て、

救急です

と、落ち着いて答えられた。

「住所を教えてください」

次にそう聞かれ、封筒を見ながら住所を言う。

「あなたのお名前を教えてください」

来た。何とか、言える。そしてやっと、「どうしましたか?」だったか、「どなたがどのような症状ですか」だったか忘れたが、

「息子が腹痛で、のたうち回っています。嘔吐もしています」

と言った。のたうち回っているというのは大げさかもしれないが、まあ、似たようなものだし。

それから、ここが学校だという事は住所の時にも伝えたので、先生は承知しているかと聞かれ、門のところで誘導をお願いしてくださいと言われた。そして、もう一度住所を聞かれた。確認の為かな。

電話を切って、思わず次男に、

「初めて救急車を呼んだよ!」

と言ってしまった。ほとんど反応はなかったけれど。そこへ保健の先生が現れたので、

「人生で初めて救急車を呼んでしまいました」

と言ったら、先生も

「私も、学校に救急車を呼ぶのは初めてです

だって。そうなんだ。けっこう学校は多いのかなと思っていたが、少なくともうちの子が入学してから今までの2年ちょっとの間、この学校に救急車が来た事はなかったのか。この先生が若いから、それほど経験がないのかもしれないが、高校生で救急車というのは割と特殊なのかな。うちの次男がこうやって歴史を作っていくのね。

保健の先生が外に続く扉を開けた。開けたことがないのか、片方しか開かないと言ってガタガタ言わせていたが、そのうち全部開いたようだった。寒い日じゃなくてよかった。

折り返しの電話が来ると言ってませんでしたか?と保健の先生に言われて、言われてないと思ったが、やっぱり電話がかかってきた。知らない人から来たと思って躊躇してしまったよ。

女性の救急隊員から、救急車の中からかけていると言われ、次男の生年月日とか、前日に生ものを食べたかとか、コロナワクチンはいつ頃接種したかとか、色々聞かれた。そうして、救急車はすぐに到着した。

救急車に乗車

3人の救急隊員の方が入って来て、次男の様子を調べつつ、私に色々質問し、名前や住所などを書く用紙を渡した。私が用紙に記入していて見ていない間に、次男はストレッチャーに乗せられていた。小さい毛布を掛けられて、バンドで固定されていた。

私はとても喉が渇いた。学校に来る途中で、水でも買おうかと思いつつ、急いでいたので買わずに来てしまった。もし、保健室の周辺に自販機があったなら、買ってから外に出たと思う。しかし、その辺にはなかった。靴に履き替えて外に出ると、救急車のすぐ近くに自販機があった。あそこまで行って買うか・・・でも、何となく不謹慎な気がしたし、すぐに次男は救急車に乗せられるであろう。その時にもたもたと飲み物を私が買っていたりしたら・・・。何となく買えなかった。

私が救急車に乗り込むと、顧問の先生が次男の靴と荷物を乗せてくれた。次男のリュックは相当重たくて、私が持とうとしたら、先生が重たいからと運んでくれたのだ。そう、先生が

「これ、相当重たいですけど、大丈夫ですか?」

と言ったので、かつて保健室にお迎えに来た時は、私がそれを背負って帰ったんだと言って、大丈夫だと答えたのだった。

それにしても、次男と救急車に乗ったのは2度目だ。1度目は中2の時、バレーボールの試合中に手の親指を脱臼した時だ。日曜日で病院がやっていなかったので、歩ける状態ではあるけれど、救急車を呼んでもらったのだ。あの時も大変だったなあ。

これから、救急車内でも色々とあるのだが、それはまた明日書こうと思う。何とか救急車に乗るところまでは出来た次男。お腹が痛くてほとんど朦朧としている次男。この後どうなるか?続きも是非読んでいただきたい。

保護者がいる安心感

学校の保健室でも、救急車の中でも、感じた事がある。それは、みんなが「保護者がいてくれて安心」と思っているという事だ。

保護者に連絡が付かなかったり、連絡はついてもすぐに来られなかったりする事は往々にしてあるだろう。だが、学校の先生が、病院に連れて行くか、救急車を呼ぶかなどを判断するのはプレッシャーだろう。タクシーを呼ぶにしてもそうだ。了解を得ないでやった事で料金が発生したり、逆にやらなかった事で事態が悪化したり。

一方、保護者がいて、保護者が了解して救急車を呼んだり、タクシーを呼んだりするのは、ここで完結するという意味で安心だろう。それに、もし保護者がその場にいなければ、救急車には誰か先生が同乗しなければならないのだ。すごく時間もかかるし、緊張が強いられる。

また、救急隊員や連絡先の病院もそうだ。何度も無線で「保護者がついています」という会話がなされていた。保護者がいれば、いつから具合が悪いのか、何を食べたとか既往歴やアレルギー、ワクチン接種などの情報も、誰よりも詳しい。何というか、話が早いという感じがした。

保護者である私の方でも、一緒にいるのが一番安心だ。いくら連絡を取っていても、遠くにいては心配で生きた心地がしないだろうが、側にいれば、意外におろおろする事もなく、ある意味安心なのだ。

だから、足が痛かろうと、喉が渇こうと、服がダサかろうと暑かろうと、すぐに駆けつけて良かった。何を置いてもやっぱり家族、子供のために行動するのが私にとっては幸せだなと思った。