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Twitterで噛みつかれたら

昨日から、長男が新しいバイトを始めた。なので、夕飯時にいなかった。次男は最近受験生らしく、塾の自習室に入り浸って、夕飯時にいない事が多い。

よって、昨日は久しぶりに夕飯時に誰もいなかった。自分がお腹が空いたので、いつもの時間に夕飯を作り、一人で食べた。それはとても自由で悪くない時間だった。けれども、そこへ奈落の底へ突き落とす事態が発生した。

Twitterで噛みつかれたのだ。固定ツイートを引用されて、ギャンギャンと・・・

目立ったから確率が上がった

昨日は、ちょっと浮かれていた。普段、たまにしかツイートしないし、そのたまの日も、一つか二つの投稿しかしないのに、昨日はいくつも投稿してしまった。だから、いつもより目立ってしまったのだろう。犬も当たれば棒に当たるじゃないけれど、噛みつく人に当たる確率が上がってしまったのだ。

そのアカウントは、ある芸能人グループを愛でるアカウントである。Twitterというのは不思議で、本当は一つのネットワークに繋がっているはずなのに、興味関心のあるものによって、全く違った世界が広がる。アカウントをいくつか持っていると分かる事だが、Twitterを開いた時の様相がアカウントによって全く違う。

噛みついた人は、仮にMさんとしよう。Mさんは私の固定ツイートを引用し、こんなような事を言った。

妄想するのは勝手だが、子持ちの40代のくせに、鍵も掛けずに妄想BL小説を全世界に発信するな。子供も見られるんでしょう?せめて鍵を掛けろ。読めば分かる?彼ら(芸能人グループ)に対してセクハラだ。

言葉遣いは丁寧語だったが、相当噛みつかれた感があった。言いたい事、言い返した事が押し寄せる。だが、事実もある。

まず、彼らをモデルにして書いた小説はあるが、BLばかりではない。また、決して子供が読んではまずいような、いかがわしい小説ではない。そして、小説には彼らの名前は一切出していないし、国やその他の背景が違うので、読んでも彼らがモデルだと確信出来る人はいないはず。

しかし、このTwitterで宣伝すれば、ここから入って小説を読んだ人には、彼らがモデルだという事は分かってしまう。それはセクハラかもしれない。そこは、実はこのツイートをする際にも散々迷った。けれども、多くの人に私の小説を読んでもらいたかった。実際、読んですごくすごく喜んでくれた人もいて、感想をDMでくれたフォロワーさんも何人かいた。

ニュースが終わったら歌番組を観ようかと思っていたのだが、このツイートを見てしまい、とても歌を聴く気になれず、テレビを消した。

鍵を掛けるか、削除するか、文言を変えるか

鍵を掛けようと思った事がなかったので、まず鍵の掛け方を調べた。そして分かった。だが、鍵を掛ければ今以上にフォロワーさんが増える可能性が下がる。どうしたい?私は、何をこのTwitterに求めるのだ?

考えた。鍵を掛けてまで、小説の宣伝がしたいのか。いや、鍵を掛けたらこれ以上宣伝にはならない。それに、相手の言う通りにするのも癪だ。

では、文言を変えればいいのか?でも、グループに対してセクハラだという事実は事実。私の小説が彼らの目に触れるとは思えないけれど、それでもやっぱり。

と言う事で、固定ツイートを削除した。プロフィールに、彼らをモデルにした小説も書いているとしてアドレスを載せてあるので、それで十分だろう。そこにはBLとは書いていないので。

BLに対する偏見

Mさんは、BL小説=いかがわしい物という偏見があるのだろう。確かにいかがわしいというか、ほぼエロ本なBL本もある。だがもちろん、男女の恋愛を扱った物だってそうだ。純文学と言われるものでさえ、あからさまな性描写をしている物だってあるのだ。それを、子供が読んだらどうするんだ、と目くじら立てる人はいないのに、なぜBLだとダメなのか

BLを毛嫌いする人はいるだろう。かく言う私も、女性同士の恋愛を扱った物は好きではない。それは多分、女性を好きになる気持ちに共感できないからだと思う。いや、違うかな。若い頃には女性に憧れた事もあって、また女性に好かれた事もあって、その頃の純粋でさわやかな気持ちを穢したくないのかもしれない。人に分かって欲しくないというか。だから、毛嫌いする人は読まなくていいし、それはエロ本を読みたくない人が読まないでいいのと同じである。

例えば、子供に読ませたくないかという話で、私も自分の書いたBL小説を、自分の子供に読ませたいか読ませたくないかと考えた事がある。何しろ、ネットに掲載する時にR15指定とかR18指定とかを選ばなくてはならないからだ。それで、思った。15歳未満の男の子にはあまり読ませたくないかなと。高校生以上なら、もし興味を持って読みたいと思ったのなら、読んでもいいと思った。思春期に、色々な物に触れて自分を見つめるというのは大事だから。無理に読ませるのは良くないと思うが。

そもそも、男女の恋愛を扱った物は普通で、男同士の恋愛を扱った物は普通ではない、というのはジャンルに対する偏見以前に、性的マイノリティーに対する偏見でもある。確かに、女性が好むように書かれたBL本は、その方向とは違うものかもしれないが、実際世の中で評価されているBL小説やドラマは、ゲイの人からも賞賛されているのである。

さて、私は固定ツイートを削除し、Mさんの引用リツイートにリプライ(返信)をした。

「ご指摘ありがとうございます。確かに勉強不足、無神経でした。固定ツイートは削除しました」

そう、書いた。

言われちゃったのツイートに

凹んだ。お弁当を作らなければならず、いつまでも凹んでいられない。家の中が無音であまりに寂しく、やっぱり歌番組をつけた。

お弁当を作り終わっても、どうもモヤモヤが止まらず、私は同じアカウントでツイートした。Mさんは私のフォロワーではないので、このツイートは見たいだろうと思った。それで、こんな事を言われてしまった、小説には彼らの名前は一切出してないけど、ここで宣伝するのは良くなかったから削除した、でも40代は関係なくない?と。

それから、やっと次男が帰ってきた。この2時間くらいの間が、とても長く感じた。次男にTwitterで噛みつかれて凹んでてさ、という話をしたら、

「何をしたんだい?」

とか、色々聞き出そうとしてくるので、ざっと話した。そうしたら、

「それは、その人がおかしいよ。お母さんは悪くないよ。そんなの表現の自由の内だって」

「だいたい、その人はフォロワーとかもいないでしょ。ああ、捨てアカだね。色んな人に噛みついてる人なんでしょ?無視でいいよ、無視で」

と、言ってくれた。ああ、家族ってありがたい。私は自分にも非があるので、無視でいいと言われても、鵜呑みせずにツイートを削除したわけだが、それでもそう言ってもらえてだいぶ気持ちが軽くなった。

が、しかし・・・

そう、たまたま。次男に何を言われたのかと聞かれたので、もう一度確認した時に、そのMさんの引用リツイートにいいねがいくつか付いていて、まさか私のフォロワーじゃないだろうなと気になってしまった。それで、そこをタップしたつもりが、リツイートの方をタップしてしまったみたいだった。

リツイートが1件あって、それは、またMさんだった。Mさんは自分の引用リツイートをまたリツイートして、そこに私が「言われちゃった」と書いたそれも添付していた。そしてまた、噛みつかれていた。

40代にもなって、しかも子供を育てている立場なのに、ツイートリテラシーも知らないのか、という意味で言った。勘違いしないでもらいたい、と。また、名前は出して無くても読めば分かると書いてますよね?とか何とか。

だから、こっちは非を認めたじゃないか。それと、ツイートリテラシーって何だよ。Twitterを40年やってるわけじゃないんだからさ。うーぬ、言い返したい。でも、言い返したらまた噛みつかれるのは目に見えている。ぐぬぬぬ。

耐えた。耐えるしかない。もう、言い返すのも呟くのも辞めなければならない。

たかがTwitter、されどTwitter。因みに、引用リツイートにいいねした人は、知らない人だった。

気の弱い人?

だが、ふと思った。今、たまたま引用リツイートのリツイートを見てみたから、この噛みつきも読んだわけで、普通私にこれはお知らせが来ない。いかにも、私に向かって言っているようだが・・・。何か言いたいなら、私が言われちゃった、と書いたツイートに返信するか、それをまた引用リツイートすれば良かったのに。私が相手の引用リツイートに返信したのに、そっちは無視だし。

つまり、この人結局小心者じゃないか?最初に引用リツイートしたら、私が返信してきたものだから、今度はビビって引用もせず、自分にリツイートする形で言っている。ほとんどフォロワーもいないのだから、ギャンギャン言ってもあまり読んでもらえるとも思えないし。

っていうか、良くない、と言っていた私の固定ツイートだが、自分で拡散しちゃってるじゃん。ちょっと笑える。なんだ、小心者か。そう思ったら、また心が少し軽くなった。

とはいえ、夜寝ようとしたら、どうにもまた悔しくって寝付けない。大体、人の小説を批判するんだったら、まず読んでからにしろと言いたい。それが一番言いたい。

本当に、たとえ知らない人で、無視すればいいような相手でも、言われ方というのは重要で、自分に対してひどい言い方で言われると、看過できずに頭にきてしまう。言い返したい、けれども言い返せば倍になって帰ってくるのはわかりきっている。これ以上嫌な思いをしないためには、このまま黙っているのが最上の選択だ。

もう、こうなったら明日ブログに書くしかないな。書いたらすっきりするだろうな。そう思ったら、やっと眠れたのだった。

今朝になって、このブログを書く為にもう一度昨日の引用リツイートを見ようと、お知らせを開いてみたら、無かった。向こうが削除したのだろうか?よく分からないが、見えないと、だいぶ負の感情が薄れる。何だか、無かった事になるというか、無かったのかも?みたいな気持ちになる。Twitterとは本当に不思議なものだ。

噛みつく人は、パトロールでもする気分でTwitterを見ているのだろうか。理に反する事、正義に反する事を見つけると叩く。確かに、叩かれた方は、自分の悪いところを直すだろう。それで、良い事をした気分になるのだろうか。相手が傷ついたとしても、相手は悪い事をしているのだから当然の報いだと思って。

私が今回嫌な気持ちになったのも、自業自得だから仕方がない。悪い事をしていたという自覚があるし。けれども、相手の勘違いや偏見を、正せずに黙した事が、どうにも気持ちが悪い。すれ違いざまに唾を吐きかけられたような、それで相手はどっかに行ってしまったような、そんな気分だ。相手がどんな人かさえも分からずに。