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【読書感想文】夏目漱石「野分」を読んで

読みやすい

「草枕」の次に書かれたとされる「野分」。草枕を読み終わってすぐに、野分を読んだのだが、野分の方が間違いなく読みやすい。いや、実際難しい漢字も熟語もたくさん使われていて、決して易しい文学作品ではないのだが、草枕の後だからとても読みやすく感じるのかもしれない。何しろ、草枕は至極難解だったから。

だが、途中主人公が読んでいる「文章」が書かれるのだが、当時の文章は「文語体」で書かれる事が一般的だったからか、その「文章」とされる部分はやはりほぼ文語体で書かれており、その部分は読みにくかった。一方、演説部分が長く出てくるのだが、そこは読みやすい。口語体のありがたい事よ。夏目漱石は小説を口語体で書いた初期の人物で、二葉亭四迷と共に言文一致を確立した人物とされるが、そこがまさに私の漱石先生を尊敬する所以(ゆえん)でもある。

会話文がずっと続く部分がある。テンポが良くて読みやすいと感じた。私が少し前に書いた小説に、読者の方からの感想で「セリフがやや多くて人物描写の表現が少し物足りなかった」というのがあった。描写が足りないのは反省すべき点ではあるが、夏目漱石の小説にもセリフばかりが続くシーンが多くあり、それを見ている限り、それでいいのではないかと思う。

人物の対比

さて、野分の内容であるが、一つには「対比」がある。

主人公は、大学を卒業したばかりの貧しい文学者、高柳である。彼は孤独で、書きたいものがあるのに時間がなくて書けない。貧乏暇無しというやつだ。

対比→高柳の友達の中野。同じく文学者だが、お金持ちで、恋愛中。

対比→高柳のかつての恩師道也先生。同じく貧しい文学者なれど、孤独でもそれをよしとする。

中野は高柳にとても良くしてくれる。しかし、高柳はかえって迷惑したり、うらやんだりしてしまう。道也先生は高柳と同じく貧しいのに、己の信じる道をまっしぐらに進んでおり、金のない事も、暇のない事も気にしていない。

それに引き替え、高柳は孤独に苦しみ、時間がない事に苦しみ、金のない事に苦しむ。この、友と恩師との対比で、高柳の特長を際立たせている。

道也先生の演説を聞き、高柳はとても高揚し、喜ぶ。演説の内容は、金持ち批判である。金持ちは財界で幅を利かせてもいいが、学問や芸術の分野でも幅を利かせようとするのは間違っている、というような内容である。幅を利かせる、つまりは指図する、権威があるように振る舞う、という事だ。世の中が「金持ちだから分別があるはず」という風に思う風潮があるのも間違っていると。

物語はその辺の金持ち批判と、3人の人物の対比で進んで行く。そういえば、「岩崎」とか「渋沢」とか、当時の実在する金持ちの名前も出てきた。この間大河ドラマで見たから知っているが、それ以前だったらよく分からなかっただろう。

こういう終わり方?

そして、終わり方が衝撃的、と言うとオーバーだが、意外な終わり方だった。

高柳は肺病になり、中野が転地療養する為の資金として百円を用意してくれた。高柳は一度は断るが、中野が、書きたい物を書いて世に出してくれたら、それで自分への責任を果たしたことになると言うと、高柳は承諾する。

東京を離れる前にと、高柳が道也先生のところへ暇乞いに行く。すると、道也先生に金を貸した人物が先に来ていて、話を聞いていると今すぐ金が要り用で、貸した百円を返してもらわなければ困るという事だった。道也先生は原稿を書き終えたばかりで、金は待ってくれと言うが、そうも行かない。そんな問答を聞いている内に、高柳は話に割って入る。

高柳は、道也先生の原稿を百円で売ってくださいと言う。それで、高柳は中野に用立ててもらった百円を道也先生に渡し、原稿をもらって帰るのだ。この原稿を持っていけば、中野に対しての責任も果たせると言って。

これで終わる。うーん、それで責任は果たした事になるのか?中野がしたかったのは、そういう事ではないだろう。ただ、中野は親切にしてくれるが、恋人との会話から、それほど高柳の事を親身に思っているわけでもなさそうで、読者の感情からすると、中野の思いなどどうでもいいのだが。

夏目漱石の小説には

それにしても、夏目漱石の小説をいくつか続けて読んできて、ある思いが出現した。

夏目漱石の小説の主人公は、

・学生
・教師
・文学者
が多く、そうでなくとも皆、大学を卒業した者ばかりである。

そういう彼らは、大抵貧しい。貧しくて服も買えないのに、必ず下女がいる。「下女」「書生」「ばあさん」と、必ず召し使いというか、家事などをする身分の低い人が家にいるのだ。雇っているのだ。

現代の私たちからすると、そんなに貧しいなら召使いを雇う事はなかろうと思うわけだ。今だったら、仕事もしていないのに家事代行サービスを毎日頼んでいるようなものだろうか。家事をするなんて、我々のする事ではない、と染みついている感じ。「腐っても鯛」みたいな?「武士は食わねど高楊枝」ってやつか。

明治初期の時代、ある意味江戸時代にもまして身分社会だったのではないだろうか。それまでと違って頑張れば何にでもなれるという建前があるが、そもそも元手もなく、学もなければ底辺から抜け出せない。漱石は貧困をテーマにした小説が多いが、それなら下女の立場から書いてみたらどうかと思うが、それはきっと想像さえ出来ない領域だったのではないか。

小説は時代を映す

小説を読むと、それが書かれた時代の事がよく分かる。歴史書を読むよりも明らかで、細かい所まで分かる。

当時の考え方も分かる。長年の間に価値観も変わるものだ。漱石の時代には当たり前だった事も、今では禁忌になっている事も多い。

例えば差別用語、それから女性蔑視発言

しかし、夏目漱石はまだ、女性を蔑視していない方だと思う。そんな時代だし、「女だから無理」「女のする事だから」という文章も垣間見られるが、それほど多くない。だが、今そんな風に書いたらひんしゅくを買うだろう。

それにしても、自分が経験した事しか書けないというのは、夏目漱石をもってしても、だなと思う。学生や教師は漱石が実際に経験した事だ。そういう小説が多い。

それはそうだろう。ちゃんとした物を書こうとすれば、医療系なら医学部出身者か実際に医療現場で働いた事のある人しか書けないと思うし、刑事物もその関係の仕事に就いたことがなければ難しい。そうでなければ相当色々と調べなければなるまい。ただ、現在はたくさんの小説や映画やドラマが存在し、それらにたくさん触れる事で、同じような物を書くことは出来るかもしれない。しかし、それだと結局はオリジナリティーのある物は書けないという事になる。

私も小説を書くが、大学を卒業してそのまま小説家になったのでは、結局学生が主人公の物しか書けないだろうと思った。それで、社会人になって、社会勉強をしてから小説家を目指した方がいいと思ったのだ。実際、3年間の社会人修行をしたのだが、その時には忙しすぎて小説を書けなかった。高柳と同じだ。今思えばブラックな仕事ぶりだったのだが(朝9時から夜10時まで仕事をし、時々土曜日も出勤だった。残業は毎月80~100時間だった)、それでも、今まだその社会人時代の知識や経験を使って小説を書いたためしがない。3年くらいじゃダメだったという事もあるが、そもそも小説にしても面白くない。OLが主人公の小説も書こうと思っていたのに、世の中のイメージ通りのOLとは全く違った働きぶりだったし。

その他の作品に一言ずつ

これで、夏目漱石全集を全て読み終えた。最近読み返しておいた「坊っちゃん」「こころ」「我が輩は猫である」についてはブログに書いていない。しばらく夏目漱石については書かないだろうから、一言ずつだけ書いておこうと思う。

坊っちゃん

主人公は教師。道後温泉の近くの学校に赴任するのだ。威勢の良い主人公の私小説形式で、つまり一人称で書かれている。文章もリズムが良く、読みやすい。

こころ

高校の国語の授業で一部だけ読んだが、大学生の時に全文読んだらドハマリした。しかし、少し前に読んだら「こんなだったかな?」と首をかしげてしまった。結末が分からないからこその面白さなのだろう。長いけれど、とにかく面白いから読んで欲しい。ずるさ葛藤後悔、色んな物が渦巻く。

吾輩は猫である

有名な話だが、これは新聞に連載された小説。なので、単行本としてまとめてあると、改行が足りないというか、段落分けが上手く行っていない。これは漱石のせいではなかろう。で、とにかく読みにくい。連載だから良かったのだと思われるのは、毎日毎日小さい物語が続いていく感じだからか。漱石の実生活を見ているような気持ちにもなるので、漱石ファンにとっては面白いと言える。猫の視点から描かれているのが面白い点でもある。

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