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文明なんかぶっ壊れればいいのに、と思っていた

君の名は

昨日、お医者さんに行った。いつも通っている産婦人科だ。

受付を済ませると、いつものように血圧を測定するように言われた。受付の横にある機械で測定する。測定値が書かれた紙が出てくるので、それをいつものように受付へ出す。

いつもはただ渡すだけなのだが、昨日に限って、

「お名前は?」

と聞かれた。多分、私の後に受付をした人がいたからなのだろうが・・・。そう、このブログの読者ならご存じ。私は名前を聞かれるのが大の苦手。トラウマ。でも、長年このトラウマと付き合ってきたから、聞かれると分かっていれば多少の準備も出来たものが、意表を突かれてびっくり仰天。苗字の最初の文字を3回繰り返すという、要するにどもってしまった。

どもり症。吃音。

子供の頃はそう言われて、直そう直そうとしていた。一度は治ったように見えた。直る治るを使い分けたのはわざとである。しかし、大人と子供の狭間の期間に再発。それからは、どもりをごまかすようになって、結局単純な吃音でもなく、おしゃべりな性格なので失語症にもならず、一見何でもないように見えて、けれども大事な場面では異常なほど緊張しているように見える、形容しがたい状態になった。

受付の女性は、私が同じ音を繰り返したので、気軽に聞いたのがまずかったと思ったのか(医療従事者なので、そういう人もいると察知して)、

「あ、はい」

分かりました、という風に言った。けれども、私はその後ちゃんと名前を言った。意地でも言ってやる。周りに他の患者さんもいる。もし名前を言わずに済ませたら、この人おかしな人?と思われる。ちょっと詰まっても、ちゃんと名前を言ってしまえば、ちょっとだけおかしな人になるだけだ。そして、みんな忘れてくれる。どうせ知らない人達だから。

大した事ないように思える。無事に診察も済んで、最後に「ありがとうございました」も言って医院を出てきた。けれども、私の心は重たかった。それに、いつもはもっとスムーズに出るはずの「ありがとう」も、すごく言いづらかった。精神的ダメージを食らうと、症状が重くなるのだ。また、マスクをしているから、余計に言いづらいような気もするし、逆に言いづらそうにしているのを隠せるような気もする。

生きづらさを抱えて

「生きづらさ」を抱えている人がいるーそんな言葉をニュースで聞いても、どこか他人事だと思っていた。特に最近は、コロナのせいで、マスクのせいで、コミュニケーションが取りづらくなっている人達がいるという話題が多い。耳の不自由な人が、唇の動きを見ることが出来なくて困るとか、人の表情が分からなくて不安になる人がいるとか。自分には関係ないと思っていた。けれども、私もこの世界に生きづらさを抱えて生きているのだ。なんだか、それを思い出した。

私がこの言葉の障害がなかったら、どれほど思い通りに羽ばたいたか分からない。結局は失敗して同じだったかもしれないが、たくさん挑戦したと思う。どっちが最終的に成功するか分からないけれど。でも、挑戦すら怖くて出来なかった若い頃の自分が、やっぱり不憫でならない。頑張った事もたくさんあるが、頑張ってやっと人並み程度では、やっぱり不憫だ。

何度か死にたいと思った。本気で死のうと思った事はないが、それは自分を大事に思ってくれる両親の気持ちを考えて辞めただけで、いつ死んでもいいと思っていた。そして、何か大きな失敗をすると、文明を恨んだ

ー何か天変地異でも起こって、文明がぶっ壊れてしまえばいいのにー

何度もそう思った。大抵、大失敗は「電話」によるものだった。顔が見えない分、また、ジェスチャーだとか文字だとかが通用しない分、プレッシャーが大きい電話。電話なんか無くなってしまえばいいと思っていた。

文明の発達

ところがだ。まずは就職した頃の事。携帯電話が世に出回って、電話を掛けると誰からの着信なのか、文字が出るというではないか。就職してすぐに携帯電話を購入した。会社の先輩たちも皆持っていて、これで電話をかけて名前が言えなくても、誰からだか分かってもらえる。そう思っただけでだいぶ電話をかけるハードルが下がった気がした。実際は緊張するのだが。

あの頃は、毎年のように携帯電話の機種変更をしたものだ。だって、最初は電話しか出来なかったものが、メールが出来るようになって、そのメールもカタカナのみだったのが、漢字も入力できるようになって、文字数も増えて行って。そうなると、お互いの連絡が、電話ではなくメールへと移っていったのだ。

就職活動では、本当に苦労した。就職氷河期だったし、まだまだインターネット社会になったとは言えなかったから。だからこそ、一度決まった会社は、何があっても3年は辞めないぞと思って頑張った。だって、またあの就職活動をするのかと思ったら、それより辛い事なんてなかったから。

しかし、数年後にはどんどんインターネットやSNSが使用されるようになって、また別の苦労もあるだろうが、私にとってはかつては考えられなかったくらい楽になったのだ。

テレビ電話ができればいいのに、と思っていた頃もあったっけ。顔が見えればプレッシャーも減るから。今ではそれも簡単になった。けれども、テレビ電話だと顔を見せたくないとか、背景が困るとか、色々あるものだ。だから、テレビ電話が普及するよりも先に文字のメールが普及したのも分かる。

良い方向へ

文明がぶっ壊れればいいと思っていた頃には、まさか文明が更に進んだ方が楽になるなんて思ってもみなかった。つまり、現状に不満があったら、過去に戻ろうなんて思わない方がいい。ましてや、自分を消し去ってしまおうなんて思わないで欲しい。世の中思いも寄らない方へ進むものだ。そして、困っているのはあなただけではない。少数派でも、困っている人がいるならば、その人が困らない方へ世の中は進んでいくのだ。

今、昔よりも多様性が尊重されるようになったのは、多様な人に対応する技術が発展したからだと思う。上手くしゃべれないならば、文字でやり取りすればいい。文字が苦手ならば、音声や画像で。いろんな手段が出来たからこそ、多様な人が社会に参加出来るのだ。

文明が進むのは、やっぱり悪い事じゃない。地球を破壊する方向へは進まないように、人類皆で知恵を出し合い、良い方向へ進んで行こう。

苦手を克服するのが悪い事ではないし、全てにおいて逃げていてはダメだと思うが、得意を伸ばし苦手を補う、そういう世の中は生きづらい人を減らして行くのではないか。ありがとう、文明社会。そして、それらを推し進めてくれた、全人類にありがとう。