最近、息子達は自分が理系である事に優越感を抱いているらしい。それは自由だが、時々
「お母さんは文系っぽくないよね」
と言われる。だが、私は誰がどう見ても文系だ。何しろ文章を書く事ばっかりしているのだから。だとすれば、私のような考え方をする人が「理系」だと勘違いしているからなのだ。何度も注意しているのに、直らない。若者は世の中の動向をいち早く察知するから、もしかしたら世の中の認識が間違えているのでは?
感情で判断?
理系は理屈で判断し、文系は感情で判断する。
こんな事を聞いたことがないだろうか。どうやら、息子たちはそのように考えているようだ。
だが、違う。
もちろん、数学や物理など理系科目は理屈、つまり論理的思考力が必要だろう。
だが、国語の文章読解に必要なのもまた、論理的思考力だ。
国語が得意な人は、論理的思考力がある。
どういう事か説明しよう。
文章読解の問題を解くとする。作者が下線部のように言うのはなぜか、選択肢の中から選べという問題があったとする。
それぞれもっともらしい事が書いてある。それを感情、感覚で選んでいたら、大抵×をくらう。そういう風に問題を作っているから。
では、正解を導くにはどうしたらいいか。
選択肢は、一つの正解を除き、必ず「間違い」が入っている。文章をのほとんどが合っているが、一つだけ明らかな間違いが入っているのだ。しかも、一つの正解も、ちょっとそれっぽくない、重要とは思えないような事が書いてある。それを、これはここが間違いだから×、これは間違いが一つも含まれていないから○と判断しなければ正解を選べない。
こういう風に、論理的に、感情や感覚ではなく理屈で、理詰めで考えて正解を導くのが文章読解なのだ。
だとすれば、文系脳の人は理屈で物を考える人なのだ。
じゃあ、感情で判断する人は何系?と思うかもしれない。
そんなの、何系でもないわ!
文系も理系も、ちゃんと考える人、判断力・決断力がある人か、適当な人なのかという問題なのだ。
なぜこんな事になったのかは言わずもがな。
まず、数学が苦手だから文系を選ぶ人がいるからだ。高校生になって、それまで何とかなっていた人でも、数学が苦手になる人が多い。私もそうだったから分かる。それで、挫折した人が文系で、頑張った人、頭のいい人が理系という感覚が、高校生や大学生の中に漂っているからだ。
それから、大学に入ってからの忙しさが違うらしい。
文系の学部の大学生は遊べるが、理系の学部の大学生は、授業も多いしレポート提出も多いしで、あまり遊んでいる暇がない。という情報が世の中に蔓延しているからだろう。
それはだいたい合っているのだろう。しかし、文系でも司法試験を受けようという人は勉強が忙しいだろうと察するし、大学のレベルによっては文学部でもレポート提出が大変だと聞く。一概に当てはめて文系を見下すのはよくない。
学ぶ意味
次男がよく言うのは、文系の学部は、それを学ぶ意味がないという事だ。
彼の頭の中には、将来の仕事に役立つ事を勉強するために大学に行くのならば、文学や歴史を学んで何になるのか?という疑問がある。
確かに、大学で研究した事を仕事に活かす場合、文学系の学部だと、学芸員とかその道の研究者くらいしか思い浮かばず、多くの卒業生がその道に進むとも思えない。大抵は、学んだ事と関係のない会社に就職し、関係ない仕事をするのだろう。生活の糧にはなるが、仕事の為にはなりにくいのが文系科目でもある。
次男が、歴史を学んで何になるの?と言う。
歴史は重要だ。おろかな戦争の悲惨な歴史を知っているからこそ、今後は戦争を起こさないようにと考える事が出来る。かつてどのように専制君主が現れたのかを学んでいるから、同じ轍を踏まぬように気をつける事が出来るのだ。多くの人間が歴史をちゃんと知っていて欲しい。そうでないと、悪い時代へ逆戻りもあり得る。
人類の歴史を、ちゃんと後世に伝えていく必要は認める次男も、だからと言って多くの人がそれを知っている必要があるのかと問う。確かに、細かい事は必要な時に調べればいいだろうし、覚えていなければならないものでもない。
だが、大学は職業訓練所ではない。職業の為に学ぶのならば、専門学校へ行けばいい。大学で学ぶのは、何も就職の為ではないのだ。だから、仕事に何の役にもたたない研究をしたって、それが面白いならいいのだ。そのために大学へ入ったのだ。
しかし、小説家にとっては、何を学んだとしても活かせる。理系の学部だったとしても大いに活かせる。医療系のドラマの脚本を書くのには、出来れば医療系の学部を出ていた方がいい。小説家になるのに、どの学部じゃなきゃいけないという事はない。どの学部を出ても、一度何かの仕事をしてからでも、仕事をしながらでも小説は書ける。
ちょっと、忙しいと書くのが難しいので・・・仕事しながらというのは、実は難しいのだが。頭が忙しいと空想をしている場合ではないので。
研究者=理系?
先ほど、その道の研究者と書いたが、文系にも研究者はいる。
文学者は、夏目漱石とか森鴎外とか、文豪を研究しているようだ。また、社会学者は幅広い。犯罪心理を研究したり、マジョリティ・マイノリティの研究とか。ああ、経済学者もいれば、心理学者もいる。人間の行動を研究して、災害の時にどうしたらいいかとか、まあ、文系の研究というのもたくさんある。
理系にしたって、気象学者だとか、物理学者だとか、医学者がいて、それから新しい物を生み出すための研究も盛んだ。今ならAI研究とか、各メーカーが新製品を開発する為に、日夜理系の研究職の人たちが開発に精を出しているのだろう。
新しい物を生み出すという観点から言うと、理系の研究の方が優位かもしれない。だが、世の中の重要性から言うと、どちらも変わらないと思う。ただ、研究自体が企業の利益になるのは理系が多い気がする。だから、仕事に直結するしないで考えると、圧倒的な違いが出るのだろう。
社会学の研究がしたいと思っても、どこかの企業に就職して社会学の研究が出来る所など、聞いたことがない。経済学なら、マーケティングとか、企画とか、学んだことを実践するチャンスが企業の中にありそうだが。
文系の中には政治学部もある。官僚とか政治家になれば、学んだことを活かせるのだろう。
こう考えると、学んだ事を活かせる仕事はけっこうあるじゃないか。つまり、子供達が考える文系って、文学部の事なのか?
いや、グローバル社会だからこそ、通訳・翻訳が出来る人は貴重な存在だ。英語ならまだしも、それ以外の言語だったらほとんどの日本人が分からないから、ますます人材は貴重だ。活かせる会社もたくさんあるだろう。なんだ、文学部の国文学部限定か?
まあ、要するによく知らない人がイメージだけで物を言っているという事だろう。文系は仕事に役立たないだとか、文系は考えるのが苦手とか。楽だとか。
もし、あなたがうちの息子達のように文系に偏見を持っていたのだとしたら、少しはそれを解除する手助けが出来ただろうか。偏見はよくない。よく知った上で判断してもらいたい。