岸田総理大臣が誕生したばかりだが、岸田夫人については、あまり話題に上っていない気がする。そういえば、管総理が誕生した際の自民党総裁選の時には、候補者3人それぞれの妻について報道があったっけ。岸田夫人は美人だった・・・。
それはそうと、昨日ニュースを見ている時に、子供達と話をした。
「そういえば岸田夫人を見てないね。外国に一緒に行ったのかな」
などと話し始め、国際会議の時に開かれる晩餐会などに配偶者が同伴する事について、私が思っている事を口に出してみた。
「国際会議の場に配偶者が行くのって、変じゃない?欧米の古い文化の名残だよね。会議が踊ってた頃のさ」
「国家元首が男ばっかりだったから、ダンスパーティーには女性が必要で、奥さんを連れて行ったという事でしょ?でも、それは古いよね」
と。更に、
「自分は何者でもないのにさ、政治家でも王族でもないのによ?国家元首や国王たちの集まりの中に行くのって、どんな顔して行けばいいのかわかんないよ」
と、うちの夫が国家元首なわけでも、そうなりそうなわけでも全く無いのに、自分の身に置き換えてそんな感想も言った。
すると、長男が言う。
「昔は長期の遠征だったから、自分だけじゃ寂しいから奥さんを連れて行ったんだよ」
結婚しない、というか出来る気がしないと言っているお前が言うか・・・お母さんは感慨深いぞ。
それにしても、確かに昔は移動にも時間がかかったし、国際会議に行くにも日数が必要だっただろう。
一方、長男はこうも言った。
「江戸時代の日本とは大違いだよね。参勤交代ですぐ帰っちゃうし」
そうそう。奥さんや子供を江戸に置いて、江戸に居る時にしか会えなかったのだから。1年ずつだっけ?殿様在籍中の半分は奥さんと離れて暮らすわけだよな。殿様に付き添ってくる家来達もそうだ。
今の大河ドラマで渋沢栄一の事をやっているが、ちょうど今、奥さんたちが国賓をもてなすとか何とか、西洋の文化に習ってどうこうというお話をやっている。
政治は男性がやるものだったというのは、日本も西洋も同じだったのだろうが、そこに奥さんがついて行くか行かないかの違いはあった。日本が西洋を真似て、今でも総理や外相が外国へ行く際には、奥さん同伴で行くようだが、真似る必要があったのか?
だってさ、奥さんが夫を支えるという構図でしょ。奥さんに自分の仕事があったら、いちいち夫の外遊に付き合っていられないじゃないか。
そもそも、女性の首相の場合、夫を連れて行くのか?すると長男が証言した。
「国際会議の時に、夫人の集まりみたいなのがあって、そこに一人男性が混じってたけど、たぶんメルケルさんの夫じゃない?」
と。そうなるよなぁ。だが、やっぱり配偶者を連れて行く必要はない気がする。仕事しに行くのにさ。今は飛行機でどこだって一日で行かれるわけだし。
「ナポレオンなんか、ずっと遠征してたからさ、奥さんが一緒じゃないと寂しかったんじゃない?」
長男が言うので、私はこう言った。
「戦争には連れて行かないでしょ。危ないし、足手まといになるし」
「あ、そっか」
そこで、初めて次男が口を開いた。
「つまり、大切な人を連れて行くのは、平和的に行きますよって事なんだよ」
と。私もピンと来たぞ。戦争には連れて行かない、と自分で言った時点でね。
軍事的に攻めに行く時には、妻や子供を連れて行かない。危険だし、人質になっては困るし。だから、平和的に話し合いをしましょうという事になった時、わざわざ妻を同伴して、戦争をしに来たのではないという事を示していたのではないか。
西洋の文化だったとしても、それはダンスパーティーをする為ではなく、平和的な会議をする為だったのだろう。だとすれば、配偶者を連れて行く意味はあったと思う。
次男が、「大切な人」と言ったのがエモい。なんか、妻でも夫でもなくそう言ったのが、今っぽい。
それでだ、昔は意味があったと思うが、今はどうだろうか。やっぱり、今も平和的に話し合いに行く事を示すために、配偶者の同伴は必要だろうか。でも、配偶者にも自分の仕事があっても良さそうだ。
政治家の妻は夫を支えるのが当たり前になっている。アメリカの大統領もそうだろう。だが、これからは夫婦はそれぞれの仕事や趣味を持っていて、自分の時間を大切にしてもいいのではないか。
ふと、そんな事を想った夕べであった。子供達と話が出来たのは、なんか良かった。