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夏目漱石「それから」を読んで

2021年10月29日(金)

読書感想文のような題名になっているが、まあ・・・確かにちょっとした読書感想文である。

時代にそぐわない?

昔は文学作品と言えば「夏目漱石」「森鴎外」「芥川龍之介」「太宰治」と言った作家の作品であり、教科書にも載っていたし、読書家なら必ず読んでいるものだったが・・・今はどうなのだろう。

そう疑問に思ったのは、とにかく「古さ」を感じてしまったから。特に昔出版された、旧仮名遣いの本を読んだからというのもあるが、言葉遣いもさることながら、女性蔑視の考えも当然のこととして書いてある。

例えば兄嫁からもらった手紙の事を、「何しろ女の書いた物だから、繰り返しが多くて要領を得ない」とか。

今でこそ、文学というと女性の方が得意なイメージがあるが、かつての文豪というと、女性は少ない。先に挙げた文豪も男性ばかりだ。しかし、いつの間にか文学部には女子学生が多くなり、国語が得意なのは女子という偏見すらある。読書するのも男性の方が多いとは誰も思わないのではないか。

それなのに、この「それから」の時代には、女性は文章が書けない、読めないと来たもんだ。相当古い。

それでも、私は夏目漱石先生を尊敬していた。たくさんの作品を読んで、面白いし、表現力が素晴らしいし、何しろ文章を口語で書いたという、新しい事をした人物であるから。

面白い作品も多いが、今回呼んだ「それから」は、どうだろうか。面白かったのだろうか・・・。とにかく、やはり後半は手に汗握る展開というか、どうなるのかハラハラして、読書スピードがどんどん上がる感じがした。だが、結局終わり方に満足出来なくて、すっきりしなくて、それこそ現代の我々が求めるエンターテイメントにそぐわないのではないか。

小説の概要

さて、この作品を読んでいない人の為に、ざっくりと説明しよう。

代助という主人公がいる。学校を卒業し、働かずに書生と女中(おばあさん)と3人で暮らしている。実家は金持ちで、実業家の父と兄がいて、毎月実家からお金をもらって生活している。

代助には、平岡という学生時代の友達がいて、仕事で地方へ行っていたが、仕事を辞め、3年ぶりに東京に帰ってきた。その友達の妻が三千代と言って、心臓が悪く、流産をしてしまった可愛そうな女なのである。三千代の兄は亡くなってしまったが、元々代助とはルームメイトで、三千代とも一緒に暮らした事があり、代助と三千代は今も親しいのだ。

代助には縁談が持ち上がる。実家から相当勧められている。今までも色々と断って来たが、今度こそ結婚しろと迫られている。一方、平岡は仕事を見つけたが、家計は苦しく、とうとう三千代が代助に金を借りに来た。代助は兄嫁に頼んで金を工面し、三千代に渡す。

代助が三千代に気がある事は、現代人にはなかなか気づきにくいが、後半にはハッキリと自分も認めているのでやっと分かる。そして、三千代と互いの思いを確認する。

現代人から見たら、まだ間違いは起こっていないのだが、明治の日本人からすると、立派な不義密通になるらしい。お互いの思いを確認した時点でアウトらしい。しかし、確認し合って、今までのらりくらりとしていた代助も、肝を据える。

だが、実家にはなかなか言わない。先に平岡に話を付けるのが筋だからなのだろうが。そして、とうとう平岡に打ち開けるのだが・・・。

ネタバレ注意

ここからは、完全なるネタバレなので、これから読もうという方はどうか、ご遠慮願いたい。

平岡は、三千代を愛していないと言っているのだが、それでも妻は夫の所有物だから、簡単にはやれないそうだ。いや、三千代をくれてやってもいい、とさえ言うのだが、ただし、今三千代は具合が悪いから、良くなってから渡すと言うのだ。

そもそも、三千代が具合が悪いのは、自分の不義密通の事があるからで、早く離婚してあげれば良くなりそうなのに、いつまでも生殺し状態のまま、愛していない夫に看病されても良くなりそうもない。と、私は思う。

平岡は、妻を友人に取られたという汚名を着せられると言う。まあ、多少はそういう目で見られるだろう。それで、今から代助には三千代を会わせないと言う。引き渡すまでは、家にも出入りするな、と。

平岡の言う事も理屈に合わないわけではないが、何しろ心臓の悪い三千代が倒れて寝込んでいるのだ。万が一という事もあり得る。それで、代助は気が狂いそうになるのだ。平岡の家まで行き、外から様子を伺う。それを毎日、いや、日に何度もやってしまうようになる。

さあ、それからどうなるの?ちゃんと三千代は生きて代助と結婚出来るの?

と、先が気になるではないか。だが、ここで物語は終わってしまうのだ。酷だ・・・。

美しい描写

というわけで、終わり方に不満を募らせたわけだが、この小説には美しい表現がいくつかあった。その一つを紹介しよう。

黒い着物を着た車掌と運転手の間に挟まれて、一種の音に埋まって動いていくと、動いている車の外は真っ暗である。代助は一人明るい中に腰かけて、どこ迄も電車に乗って、終(つい)に下りる機会が来ない迄引っ張り廻される様な気がした。

音に埋まって」なんて、普通使わない言葉ではないか。こういう、今でさえ陳腐になっていない、新しい言葉を使っているところが驚きなのである。ちょっとメモし忘れて探せなかったのだが、坂道の途中で地震があった時の描写にもしびれた覚えがある。最初の方である。

読書感想文なんてこんなもんでいい

ま、簡単な感想文であったが、以上である。

読書感想文なんて、こんなもんでいいのだ、という例をちょっと示したかったのである。面白くなければないでよい。ただ、一つくらい良かった所もあるだろう。それを見つけてあげればいいのである。

今回、現代人に伝わりやすいように、流行りの言葉を多用した。ちゃんとした読書感想文を書く場合は、もう少しまともな言葉を選ぶ事を忘れないよう、よろしく頼みたい。

ああ、書き忘れていたが、「それから」は夏目漱石の前期三部作二作目である。「三四郎」「それから」「門」と、文学史でよく覚えたものだ。しかし、私は「門」を持っていない。残念。

それから

『夏目漱石全集・122作品⇒1冊』