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アイドルの「母の作る○○が美味しい」に胸を痛めた私

男性アイドルのインタビュー映像を見ていたら、好きな行事料理(節句料理?)の話が出てきて、何人かが

「母の作った○○がとても美味しくて、好きでした」

と言っているのを見た。

同じような年頃の息子を持つ身としては、そんな台詞はジーンとくるはずなのだが・・・私はズーンと沈んでしまった。うちの子たちは、

「母の作る○○が美味しい」

などという台詞は、何があっても口から出てこないのではないか、と思ってしまったのだ。

おふくろの味

自分が料理が苦手だとか、嫌いだとか、そういうのではないのだ。20年くらい、毎日毎日ご飯作って食べさせてきた。今も毎日毎日。お弁当もけっこう作った。

それなのに、多分「お母さんが作るあの味」みたいなものが、あるとは思えないのだ。

寂しくなった。辛くなった。悲しくなった。毎日毎日、食べさせているのに・・・

思い切って、息子達に聞いてみた。

おふくろの味って、何かある?」

ない、と即答されると怖いので、すぐに自分で付け足す。

「ないよね。私が作る料理って、名前のない料理ばっかりだもんね」

と。

次男は、たいてい手作りの料理よりも、市販の物が好きで、

「これ美味しい!」

と言ったものは、大抵私が味付けをしたものではなかったりする。

かと言って、味付きの肉を焼いたりすると、それは気に入らないらしい。

学校で発表した「お母さんの料理で好きな物」

かつて、小学校で「お母さんの料理で好きな物」を発表する(残酷にも)会があった。2分の1成人式だっただろうか。あらかじめ話は聞いていて、最初、

サイコロステーキにする!」

と言っていたので、慌てて止めた

「あれは、既に味が付いていて、私はただ焼いただけだからさ!」

それでも、自分はサイコロステーキが一番好きだと言っていたのだが、当日蓋を開けてみたら・・・

ゴーヤーチャンプルーです。僕はゴーヤーが苦手だったけれど、お母さんが作ったゴーヤーチャンプルーを食べたら、ゴーヤーが好きになりました」

と発表していた。回りからどよめきが。思わず私の鼻も高くなった。後で聞けば、直前になってサイコロステーキからゴーヤーチャンプルーに変えたそうなのだ。それなのに、そのコメントの良さ!素晴らしい。

そんな次男は、昨日の会話の時に、

「名前のない料理だけど、それがいいんだよ」

と言ってくれた。

「炒め物ってやつだね?」

おふくろの味は、野菜炒めとでも言っておこうか。

正直だが間の悪い長男

一方、その会話の時に一言も発しなかった長男。彼は私の料理よりも自分で作った方が美味しいと思っているのではないか。つまり、私が面倒がってやらないような手の込んだ料理は自分でするので、そっちの方がむしろおふくろの味っぽいというか。

だが、長男の料理は基本私の味付けとそっくりだ。昔、母の日に夕飯を作ってくれたのだが、私が作ったものだと言ってもみんなが信じるような出来だった。つまり、普通というか。あれは中学生だったか。だから、基本的には盲目的に私の味付けを良しとしているとも言える。

いつも私の味付けにあまり満足していなさそうな次男が、学校ではまるで私が料理上手のように持ち上げてくれたのとは対照的に、長男には泣かされた(心で泣いた)事ばかりだった。

長男は、何でもよく食べるし、今でもよく、

「これ旨い」

と、私が作った「炒め物」を褒めてくれるのだ。それなのに、学校で発表した言葉は、ひどいものだった。例えば小1の授業参観の時、

「うちで食べるタケノコご飯は好きではないのですが、給食のタケノコご飯はとても美味しかったです」

とか。私には分かっていた。幼稚園に入園したての頃、タケノコご飯をお弁当に入れたら、ちょっとタケノコが大きくてゴツゴツしていたし、まだ幼稚園に慣れていなくて嫌だ嫌だと思ってお弁当を食べていたので、タケノコご飯がトラウマになってしまっていたのだ。だから、小学校に入学して、給食のタケノコご飯を食べてみたら意外に美味しかったというわけなのだ。タケノコがすごく小さく切ってあったし。

だが、学校でそう発表されると、母の料理は美味しくないが、給食は美味しいという論理になってしまう。担任の先生が慌てて、

みんなで食べるから、美味しく感じたのかな?」

と言ってくれたのだった。

それこそ、いつも私の作る料理をあまり食べたがらない子だったら、別に正直なだけだからいいのだが、実際はほぼ何でも美味しいと言って食べてくれているのに、そういう誤解されるような事を言うから・・・愚痴になってしまった。

そんな長男だが、後で次男がいなくなってから、もう一度聞いてみた。

「君にとって、おふくろの味って何?ない?」

と。そうしたら、

味噌汁かな

と言っていた。ああ、確かに私が作る味噌汁って、他のどこでいただく味噌汁とも違う気がする。大した作り方はしていないのだ。だしの素を使っているし、最近は一番安いだし入り味噌を使っているし。でも、なんかそれだけではないようだ。味噌の量とか野菜の量とか、そういう物が関係しているのかもしれない。

私の料理は「始末」

最初に感じた、すごく寂しい深い闇の中に落されたような気分は徐々に浮上していった。

確かに、母の「この料理」が好き!というのは無いかもしれないが、それなりに毎日の食事は気に入ってくれているようだ。彼らの体を作ってきたのは私の料理だし、舌を育てたのも私だ。

それにしても、どうしても手抜き料理ばかりしてしまって、20年もやっているのに、未だに料理が得意だという気はしない。なぜだろう。料理が嫌いなわけではないのに。時間がないという程忙しい身の上でもないのに。

もう、料理は栄養バランスにのみ気を遣っていて、野菜を多く入れるとか、タンパク質とその他のバランスとか、そいういう事ばかりだ。それから、自家製の野菜をいただける事が多いので、それを無駄にしないように、とにかく「始末」の料理。自慢ではないが、うちで食べ物を捨てる事はほとんどない。もらった時に既に古かった場合を除けば、食べ物を捨てる事は皆無と言ってもいいかもしれない。

残らないように作るし、残っても翌日には食べ切る。賞味期限が切れても、本当にダメになるまでは捨てないで使うし、最後はカレーとか何かに一気に入れてしまうから大丈夫なのだ。そう、こうやって毎日のように「始末」に追われているので、料理を芸術のような気分で作る事が出来ない。作品はリサイクル品で作ったおもちゃみたいなものだ。新しい材料を買ってきて作った高級なおもちゃではなくて。

指が腫れた

実は、昨日は整形外科に行った。長く待たされて、帰って来たら速攻準備して、たまにしか無い仕事へ。忙しかったのだ。

なぜ整形外科に行ったかと言うと、前日の夕飯の準備中にいきなり手の指が痛くなって腫れてしまったのだ。それは珍しい事でもないのだが、考えてみたら手の指の関節があちこち痛い。関節を押してぶよぶよしていたらリウマチだとテレビで観たばかりだったのだが、何だか昨日の朝、押してみたらぶよぶよしているような気がして・・・すぐに病院へ行ったのだ。怖くなって。

血液検査の結果が一週間後に出るので、その結果が出てから、改めて詳細を書こうと思う。乞うご期待。

ごちそうさん! 「始末の料理」裏ワザ全書

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