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3学年で歌う会~高校卒業以来30余年ぶり⁉

5月19日(日)。何ヶ月も前から予定されていた、高校時代の部活の3学年合同同窓会の日。この日がとうとうやってきた。プログラムを見たらこんなに!というほどの曲数を歌うらしい。とりあえず喉風邪などを引かずにこの日を迎えられ、安堵している。

部活をしに学校へ行っているようなものだった、高校時代。音楽部という名の合唱ミュージカルをする部に所属していた。我々団塊ジュニア世代は、とにかく入学する人数も多く、強い部活にはかなりの数が殺到した。

音楽部は全国大会の常連校であり、入学した年の全国大会は福岡、翌年は札幌、翌々年は岡山(1年の勧誘時には沖縄と聞いたが)ということで、70人以上の1年生が入部したものだ。しかし、最終的に残ったのは21人。そのうち今日は12人が参加する事になっている。

待ち合わせ

近所に住む1人と待ち合わせた。それぞれ別の駅から電車に乗り、乗り換えの駅で合流する事にした。乗り換えに5分の余裕はあったが、ホーム上にはあまり目印になるものがなく、前の方とも後ろの方とも決めず、着いたら連絡する、というざっくりとした約束をしていた。以前にも同じように待ち合わせをした事があり、会えたという実績があった。

ところが、待ち合わせのホームに着くと大勢の人がいて、友達を探しても見つかりそうもなかった。友達から前寄りの階段を降りたところの自販機の辺りにいると連絡が入った。私は前の方へ移動した。気づくと階段はこの先になく、自販機はホーム上にいくつもあり、友達はいない。

そこへ電車が入って来た。なんと、そっちから⁉私は前ではなく、後ろの方へ移動していたのだ。友達とはメッセンジャーで連絡を取り合っていた。私は後ろだった!とメッセージを送り、電車と一緒に前の方へ一生懸命に移動した。だが、混んでいるしこれ以上はダメだ。電車に乗るしかない。

「とりえあえず電車に乗ろう」

と急いでメッセージを送り、飛び乗った。何号車?というメッセージが入った。私はキョロキョロして、8号車だと答えた。友達は13号車だと言う。混んでいて車内を移動する事は難しそうだったので、次の駅で10号車を目指そういう事になった。ドキドキしながら1駅。さあ、次の駅に着いた。

電車を降り、前の方へ小走りする。今、9号車では車いすの人が降りるらしく、駅員さんが台を置いていた。という事は、まだすぐには閉まらないだろうとは思った。だが、9号車と10号車の間に繋ぎ目(連結部)があった。そろそろ電車に乗った方がいいかな、と思ったのに、しばらく扉が出て来ない。ヒヤヒヤした。だが、何とか繋ぎ目の横を走り抜き、10号車へ乗り込んだ。

友達も向こうの扉から乗って来た。2人とも無茶しているな。だが、無事に落ち合えたのだった。

最寄り駅の変貌

母校の最寄り駅に降り立った。とはいえ、実家の最寄り駅でもあるので、久しぶりでも何でもない。そう、私は徒歩通学だった。一番家から近い公立高校に通っていたのだ。

実家に帰る時には、駅から南西の方向へ向かう。高校はの方向。そして今日は、の方向へ少し行った、駅から近いスタジオへ向かうのだった。

実家に住んでいた時には、駅周辺の商業施設にはよく買い物に行った。高校の友達よりも詳しいだろう。だが、友達と歩いて行くにつれ、

「何、これ?」

と、驚きを隠せない。駅自体も数年前に建て替えられ、周辺もだいぶ変わった。それに比べたら比較的北側は変わっていないのだが、それでも新しい建物がドーンと出来ている事もしばしば。

「ここの2階にシェーキーズがあったよねー」

と話しながら歩いて行くと、

「あれ?シェーキーズはこっちだったかな?そうだ、このマックの隣じゃない?」

と友達。うーん、確かにシェーキーズはここだったような。だが、こんなところにマックはあったか?記憶にない。あったような気もする。

そして、いよいよスタジオに近づくと、よく行ったドラッグストアもアクセサリー店もなくなっていた。だが、今川焼屋がまだあった。そして、大型スーパーが昔のまま、そこに存在していた。うそでしょ、この古めかしさ。周囲のビルに比べてもう低いビルになってしまった。外壁も昔のままだ。少なくとも40年くらいはそのまま建っている。なぜだ。

少し早く着いてしまったので、このスーパーの中に入ってみた。ああ、ここに洋服の専門店が入っていて、正面には安いアクセサリーが売っていたっけ。今は全然違う。売り場も狭くなった感じだ。あまりに狭かったため、それ以上中に入る気になれず、出てしまった。

お昼を買って行く事になっていた。コンビニでサンドイッチやおにぎりを買おうと話し、近くのコンビニへ向かっていくと、途中で小さいサンドイッチ屋さんを見つけた。美味しそう。ここで買う事に。

実は、今日の事はブログに書くつもりではなかった。かなりプライベートな事ばかりで、写真を載せられないと思ったからだ。それで、サンドイッチの写真まで取り損なってしまった。すごく具がたっぷり入っていて、食パンの耳部分がすっごく美味しかったのに。まあ、それはともかく、こんなサンドイッチ屋も昔はなかったし、この辺りにファミレスもなかったはずだが、ジョナサンやサイゼリアがある。ファーストフード店も多い。Tully’sも絶対に新しい。

スタジオへ

スタジオに入って行くと、たくさんの人が来ていた。早く着いてしまったからとブラブラしていたのに、受付時間が始まってすぐ入ったら、もうこんなに人が来ているとは。

だが、まだ受付は始まったばかりのようだ。受付が済んだら自己紹介動画を撮るという話だったが、まだ始まっていない様子だったから。

今日の会は、1つ上の学年の有志の方が中心になり、うちの代の数人も加わって準備をしてくださった。その実行委員とも言うべき方達が受付をしていた。1500円の会費を支払い、カードに名前やあだ名、パートなどを書いて、渡された札に入れて首から下げた。

「自己紹介動画、準備ができた人から始めまーす」

と、先輩が言って、準備できた人ー!と言うから「ハイ!」と手を挙げた。こういう物は最初にやってしまった方がいい。

前もって1人20秒くらいの動画を撮る、と言われていた。今日参加できなかった人の為に撮るのだと。昨日それを思い出し、そんな20秒だとか言われてしゃべれる気がしなかった。名前と近況を一言という話だったが、近況と言えば小説やブログを書いているという事くらい。ボランティアの事を話そうかとも思ったが、ブログを見てもらえばわかる事だ。

よし、言えないなら書けばいい。紙に書いてそれを映してもらえばいい。QRコードも付けて宣伝しちゃえばなお良い。というわけで、こんなものを作ってみた。これ、もう2度と使用しないだろうから保存さえしなかった。

動画を撮ろうとしていた先輩のところへ行くと、最初だから分からないと言う事で、隣にいた男性が撮ると言う。その男性が

「スタートして3つ数えたら話してください」

と言った。カメラは1メートルくらい、いや、もう少しかな?離れていた。すぐ前にマイクが置かれ、マイクのところにしゃべる内容として箇条書きに、学年、名前、パート、住んでいるところ等々と書いてあった。しかし、20秒でしょ。多分無理。

男性がスタートしますと言い、ボタンを押してから指で3,2,1と示し、どうぞとジェスチャーした。私はあだ名を言い、青学年(ジャージの色)を言い、ソプラノでしたと言った。ちらっと箇条書きの方を見たが、やっぱりいいやと思い、手にしたこの紙↑をカメラの方へ近づけた。近づけながら、小説などを書いています、とか何とか言ったと思う。うーん、動かしていてもQRコード読めるかな?これを見た皆さま、一時停止して読んでくれるといいな。

さっさと終わらせて、たくさん用意してあるテーブルのところへ行った。テーブルの上にはお茶のペットボトルがまとめて置いてあった。予めお茶は用意してあると聞いていたが、緑茶ばかりだったら飲めないからと、自分で水筒を持ってきていた。このテーブルの上を見ると、緑茶やウーロン茶、紅茶のペットボトルが並んでいる。しかし、端っこのテーブルには麦茶のペットボトルが1本混ざっていた。これは私の為に?と勝手に考え、そこに座る事に。だいぶ端っこの席だから、最初に座るには良かろう。

それにしても、ここには女性ばかり。私たちがやっていたのは女声合唱だったのだ。そこに男性が1人いるので、てっきりこのスタジオの人かと思っていた。だから、自己紹介を録画をしてもらうのも、最初だからって私だけ他人の前でやるのは嫌だなーと思ったりもしたのだ。しかし、その男性、実はそのカメラのところにいた先輩の息子さんだと言う。しかも、その息子さんはうちの次男と同じ歳だった。え、びっくり。大人っぽい。そういえばこの間その先輩と息子さんの話をした時に、マッチョ系だと聞いていたような気がする。確かに体格が良く、そのせいでうちの次男よりも大人に見えるのかもしれないが、それだけではない。初対面の大人にも、自然に接している。録画の時に3つ数えたら、なんていう所なんてもう社会に出て何年も経っていそうな雰囲気だった。しかし、大学で映像のお勉強をしているとか。それで、この後ずっと我々おばちゃんたちにお付き合いいただき、ずっとビデオ撮影をしてくださって、集合写真のカメラマンもやってくださって、いい子だ。あ、違った。すっかり写真屋さんみたいだった。

懐かしい体操、発声、音取り

ランチタイムになり、サンドイッチを食べた。このサンドイッチ、めっちゃ美味しい。あの店で買って正解だった。お菓子がたくさん置いてあったが、あまり食べる時間もなく、ビニール袋を渡されて、全部分けて持って帰ってくれという。今日のプログラムもテーブルに置いてあった。先にデータで送られていたのだが。

時間通り12:10からテーブルの片づけを始め、予想に反して椅子は残すと言う。我々が座って歌うなど、あり得ないだろうと思っていたのに。が、もちろん座って歌うのではなかった。

体操をすると書いてあったが、まさか床に座って柔軟体操腹筋運動をするのではないだろうと思っていたら、やはりそうではなかった。狭いけれども腕を回したり、首を回したりした。発声は、もっと高音を出したかったが、やはりかなり端折っていて高いのも低いのもなし。しゃべりまくってしまったので、声が出ない可能性大。

そして校歌から。これは楽譜を見ずに歌う。たまに歌詞が怪しいけれど。そう、楽譜を探して持ってきた。無い人の為にデータが送られていて、各々印刷したり、タブレットで見たりして練習してきたのだ。私は楽譜だけは取ってあったので、探して持ってきたが、あまりに重たいので覚えている物は置いてきた。まあ、校歌の楽譜は歌集に入っていたのだが(歌集は持ってきた)。

埼玉県歌だけは楽譜が見当たらなかった。だが、埼玉県歌の為だけに印刷をするのも何だったので、データをスマホでスクショして、それを横にして拡大して歌う事にした。この方法はなかなか良い。ただ、次のページへと移る時に、スライドして拡大して、という作業が入るのが難点。

ダッタン人の舞曲は綺麗な歌だ。だが、同時にそのピアノ伴奏が素晴らしい。今日は高校時代からピアニストばりにすごかった3人が、伴奏を順番にやってくれた。本当に素晴らしい。

録画してくれて、皆で立って歌っている写真。いや、歌い出す直前の写真。これだけしか撮らなかったのだ↑。

プログラムを見ると分かるが、音取りをする曲がある。これらは難しい曲なので、いきなり歌うとガタガタになる。音取りをして本格的に歌うと言う。ピアノ伴奏者だったうちの2人は学年に1人いた学生指揮者だったりもする。指揮者は音取り指導もお手の物。パート毎に旋律をピアノで弾いてくれて、音取りをした。

トイレの個数が少ないから、自分の歌わない時などに済ませてと言われていたので、ソプラノの音取りが終わって、次がメゾ、そしてアルトと続く時にトイレに立った。シーンとして皆さんが座っている所で、前の方から後ろへ下がるのはちょっと目立ってしまって嫌だったが、私がトイレから戻ると、皆さん順次トイレに立つようになった。また1番を……。(自己紹介動画しかり)

私もだが、皆さんだんだん声が出るようになってきた。やはり久しぶりだと腹筋などの使い方が上手く行かない。今も歌っている人はすぐに歌えるだろうが、多くの人が久しぶりだろうから。かく言う私は久しぶりではない。最近忙しくて欠席続きだが、週末には合唱をしているのだ。それでも1時間程度だし、簡単な曲しかやらないのでソプラノパートでも高い音がない。ない、と言っては失礼か。でも、我々が高校生の時に歌っていた曲では、高いラが出てくるのは当たり前だったが、中学生の歌集から曲を選んでいる今の合唱では、ファのシャープが一番高いくらいだ。

休憩

休憩の時、差し入れが色々あるからもらって、と言われて見に行った。お菓子もたくさんあった。もう、すっかりお腹が空いてしまった。食べたのは12時前くらいだったが、まだ2時半。それなのにこんなにお腹が空くなんて。やはり腹筋や背筋、太ももなど色々と筋肉を使っているからだろうか。差し入れの他にも、ビニール袋に入れて持って帰ろうとしているお菓子を出してむしゃむしゃ食べた。他の人は食べていないのに。お昼が少なかったかな。いや、そんな事はない。

差し入れはお菓子だけではなく、アクセサリーなども。色々とご事情があって、もらって欲しいという物だそう。ありがたくいただいた。

最初は1つずつもらったのだが、帰る時にまだ余っていたのでもう1つずつもらった。ネックレスは1つの袋に2つ入っていた物もあったので3つももらってしまった。ネックレスは手作りだそう。

それから、家の片づけをしている先輩が、昔後輩からもらった物を処分するから、最後にみんなに見てもらおうと思って、という事でいくつか持参していた。

寄せ書きがあった。私たちの学年が先輩に対して書いた寄せ書きだ。私が書いた字もあるかと思って探したが、見つからない。というのも、黒などの濃い色の文字しか判読不能だった。ピンク色や黄緑色、ましてや黄色などの水性ペンで書かれた文字は、消えかかっていた。私が何色で書いたのかなんて覚えているわけがないが、恐らく消えかかっている色で書いたのだろう。私が後輩からもらった色紙、最近は見ていないが、あれも文字が消えてしまっているのだろうか。帰ったら見てみよう。

それから、サイン帳があった。

「あれ、私たちはサイン帳もらってないよね」

「うん、もらってない」

と、私たちは会話をした。

ところが。翌日家に帰って古い箱を開けてみたら、あった!サイン帳。そして、色紙。そうか。1年生が色紙、2年生がサイン帳に書いて引退する3年生に渡していたのか。ちょっと、2つ下の代の子たち、ちゃんとわかっているじゃないか。みんな文字は黒などで書いている!だから消えてない!

この会の前に開けてみればよかったのだが、色々と懐かしい物が出てきた。

↑上は修学旅行中に後輩と先輩がそれぞれくれた絵葉書。我々もそういえば書いたな。下は年賀状。ソプラノの1年生からと2年生から。と、思われる。

コンクールの映像と思い出動画

休憩が終わり、スタジオの真ん中の仕切りを閉めて、その仕切り版に映像を映しての上映会が始まった。

思い出の映像集をうちの代の1人が作ってくれたものだ。予め写真などの思い出の物を集めているから、協力して欲しいという話は聞いていたが、動画を作るとまでは言っていなかった。私もちょうど忙しい時期だった為、先に挙げたような思い出の品を出してみる余裕がなかったので、私からは何も送らなかった。

昔の写真や、私の手元にはない合宿のしおりなど、懐かしい映像が流れた。絶対泣くからハンカチ必須と言われていたのだが、私の目が悪いせいか、泣くところまでは行かず。けっこう涼しくて、いや違うかな、歌うから麦茶をちょくちょく飲んでいるもので、トイレに何度も行ってしまい、手を拭くのでタオルはもうびしょびしょ。涙が出たらティッシュで拭くしかないな。

ピアノ伴奏の先輩とも話せた!今ピアノの先生をやっているという先輩は、昔からすごかったけど、今もすごい。ダッタン人なんて聴き惚れた。それを伝えたかったけれど、あまりに久しぶりで、高校時代もお話した事があっただろうか、と不安になって話し掛けられずにいた。しかし、トイレに行った時にその先輩がスライド上映の外にいて、私がが涼しいと呟いたら、

「向こう暑い?」

と話しかけてくださったのだ。

「いえ、どちらかと言うと寒いっす」

とか何とか言った気がする。でも、その優しく「暑い?」と聞いてくれた先輩の様子が、とっても懐かしかった。いつ、どんな時だったかは具体的に思い出せないが、私は絶対にこの先輩とこうやって話した事がある、と確信した。それで、トイレから出た時に、私の人たらし作動。

「先輩のピアノ、素晴らしいです。ダッタン人なんてもう、聴き惚れました」

云々、褒めちぎった。そうしたら先輩は、

「まだこの後伴奏あるんだから、プレッシャー掛けないでよー」

と言う。その背中に向かって、

「楽しみにしてまーす」

とボソッと言って来た。一緒にいた先輩が笑っていた。

コンクールの曲をCDで流すと聞いていたが、ビデオをそのまま上映していた。途中で辞めてしまった顔がたくさんあって懐かしい。

CDと一緒に歌おうと思って楽譜を持ってきたのだが、特に自由曲は難しすぎて「今どこ?」状態のまま終わった。追いつけなかった。それに、映像が見たいというのもあるし。しかし、よく当時はこれを理解して歌ったよなぁ。毎日やるって大きい事だな。

涙が……

再び椅子を戻し、ピアノ伴奏で歌う事に。

埼玉県歌は、何となく覚えているものの、歌ったという記憶がなかった。だが一緒に来た友達が持ってきた合宿のしおりの裏にはいつも埼玉県歌の歌詞が書いてあり、合宿の度に歌っていたと友達が言っていた。そうだったろうか。

スマホを見ながら埼玉県歌を歌ってみた。そうしたら、なんの苦も無く歌えた。ほらね、と友達が言った。本当だ、絶対に何度も歌っていたはずだ。これは体が覚えていた

久々に家で練習してみて、Passione(パッシオーネ)という歌はあまり好きではないやつ、と思ったのだが、歌ってみたら最初のところだけがそんなに好きではないだけで、途中からはめっちゃ好きな歌だった。そう、家に帰っても翌朝になっても、ふっと思い出してしまう歌はコンクールの曲でもなく、この後出てくるリクエスト曲でもなく、愛唱歌でもなく、このPassioneだったのは驚きだった。

我々の代は歌っていない、先輩たちが演奏会で歌った歌が続いた。その時には椅子に座って聴いていた。いやはや、難しい歌だが、先輩たちすっかり昔に戻って素晴らしい歌声。こういうの、例えば楽譜を見て勝手に参加する事も可能だが、あまりお勧めできない。何故かって、曲調というか、楽譜には書いていない歌い方を、指揮者が決めて指導していたはずだ。その指導を受けていないのに参加すると、上手く合わない可能性がある。

そう、今回指揮者無しで歌っている。指揮者がいないと出だしが合わないような歌はたくさんあるのだが、私たちは阿吽の呼吸で入っている。まるでかつての指揮者が指揮を振っているかのように。指揮者がいなくても大丈夫なのではない。私たちは毎日毎日、指揮者の元で練習をしてきた。毎日変わる事もあるが、最終的にはこれだと決めた物があって、その決められた通りに本番も演奏した。一度指揮者が指揮を間違えた事があった。大事なコンクールで。それでも、私たちは全員、今のいきなり変わった指揮ではなく、練習通りの出方をしたのだった。あれで金賞を獲ったのだから……良い思い出だ。

一通りプログラムを終え、もう一度歌いたい曲はありますか、と聞かれた。もう充分歌ったからいいと思ったものの、もう一度ダッタン人の伴奏が聴きたい気がした。その話を先ほどちょっと他の人にしていたというのもあってか、私が言わずともダッタン人がリクエストに入った。ピアノ伴奏の先輩、プレッシャーすみません。

2度目のダッタン人が終わり、最後に部の愛唱歌を歌う事になった。これはいつも輪になって手をつないで歌っていたから、今もそうしようという事に。楽譜を見たい人もいたが、同調圧力によって制圧され、全員で手をつないで輪になって歌う事に。

前奏が始まると、腕をリズムに合わせて振り始めた。かつてこうしていたから。でも、この曲こんなに速かったっけ?というほど、そのリズムについて行くのが大変。若かったな。

でも、腕の振りに合わせてさらに、かかとを少し浮かせて体全体でリズムを取った。これもかつてやっていたから。もう30年以上前の事。大体、人と手をつなぐ事自体が久しぶり。子供と手をつなぐことがなくなってから、もうずっと人と手をつなぐ事がない。

少し前、次男が人との接触がちょっと苦手だと言った時、男子は小中学生の時にやたらとくっついているけれど、大人になるとだんだんとくっつかなくなるよね、という話をした。そうしたら次男が、

高校生の女子もくっつくよ」

と言っていた。ああ、そうそう。女子高だからじゃなかったんだ、共学でもそうなんだね。ということで、高校時代にはよく手をつないで歌ったりしたものだ。大人になって手をつなぐ事に抵抗を感じたり、違和感を感じたりするようになってしまったが。

しかし、今手をつないでみると、出だしは違和感を感じたものの、なんだか懐かしさが勝る。しかも、体でリズムを取ると歌いやすいという事が分かった。よく高い声が出る。歌いながら、ぐるっと皆さんの事を見回した。ああ、すごいな。同学年とはたまに会っていたが、先輩とはほとんど会っていなかった。ほぼ30年ぶりに会った人も多い。

こうやってまた集まれて嬉しいな。奇跡だな。そんな事を思ったのだと思う。すると、ああ、今は泣ける……と先に思った。そして、鼻の奥がツンとした。目がちょっとウルウルした。先輩たち、全然変わっていないよ。不思議だ。ちょこっと皺や白髪が増えたとしても、ほとんど昔のままだ。

愛唱歌が終わった。そして片づけをして、5時までに撤収。本当に、プログラムを組んでくださった方々には感謝しかない。こんなに時間通り進むなんて、驚きだ。大抵押してしまって何かカットされたりするものだが。

同学年のみんなで外に出た。高校時代にはショートヘアにメガネだった子が、今やロングヘアにコンタクトで、後ろから見たら誰だか分からないと思ったのに、顔を見て話したら、

「全然変わってなーい!」

と思った。いや、言った。みんなで言った。表情とか声とか、しゃべり方とか笑い方とか、皆変わっていない。きっと私も変わっていないのだろう。変わっていない方がいいのか、良くないのか分からないが。

二次会

色々と連絡などをしてくれて、ピアノ伴奏もしてくれた子が、自宅で二次会をしようと言ってくれている。家がここから近いのだ。そして、家が広いのだ。

外に出ると、天気予報よりも早く雨が降り始め、傘を差して歩いた。自宅へ案内してもらう時、その友達は自転車を押していたので、左側を歩いて傘を一緒に差した。やっさしーい、と言われた。

「斜めに差して腕が疲れたでしょ、もう大丈夫」

と言われた時、本当に右手が疲れて左手に傘を持ち換えたところだった。でも、一度ほとんど止みかけた雨がまた降りだしたので、そのまま頑張った。傘は普通肘を曲げて差すが、2人で差す為に少し腕を上げて、肘90度くらいの曲げ具合で差していたので、けっこう二の腕がピキピキした。

友達の家に来たのは2回目だった。でも、よくインスタなどで写真を見ていたので、3回目か4回目くらいだと思ってしまった。

埼玉でしか作られていない品種の苺、あまりんを出してくれた。途中から先輩2人もやってきて、ドーナツを買ってきてくれた。私は自分で飲む為にハーブティーを持って行ったので、お湯を要求した。大勢の飲み物の準備で大変だったのに、ごめん。

何故だか、お腹が空く。普通歌うとお腹が空かないものなのに。苺もメロンもドーナツもいただいた。夕飯時と言えばそうなのだが。

たくさん話した。もう歌わないから存分に話せる。明日、喉大丈夫かなと思ったが、しゃべりまくった。

雨が降っているからと、友達が車で駅まで送ってくれた。先輩も車で来ていたので、5人ずつ分乗して。私は先輩の車に乗せてもらった。

また家の近い友達と電車でおしゃべりしながら帰った。8時過ぎには帰宅。お腹が空いていたが、先にお風呂に入り、酒と肉と魚のすり身で録画した大河ドラマを。高校時代の友達も、大学時代の友達も、あまり酒盛りにならない。時代は飲み会離れだね。私も酒は独りで飲むのが好きかも。いや、家でもう寝る準備が整った状態で飲むのが好きなのかな。

4~5時間歌って、しゃべって、どれだけ腹筋背筋が筋肉痛か、喉が痛むかと思ったが、歌はやっていたからかそれほどでもなかった。だが、腰の疲労はかなりある。そして明け方に寝がえりを打つ時、痛い!となったのは右の二の腕だった……。

実は全学年で構成されるOG会は、昨年辺りに無くなった。役員のなり手不足だ。今、どこでもありがちだ。それで、毎年の歌う会がなくなったという事もあって、学年単位で集まったりするようになってきた。今回学年を越えて集まれて、先輩たちに会えて本当に嬉しかった。

我々の代の21人は、若干名を覗いて連絡がついている。だが、2つ上の先輩が二次会の時に言っていたのは、連絡がつく人の方が若干名だと。

「皆さん、お元気なんですか?」

と友達が聞いたら、

「だからそれが分からないんだって。生きてるかどうかも

と先輩は言っていた。そうだ。連絡がつかないということは、そういう事だ。

高校時代の3年間を共にした友人たちと、末永く話したり、歌ったりしていきたい。できれば前後に交わった先輩後輩とも。